日本の美術

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「竹林に猿蟹図」は、雪村の最晩年、三春時代の作だろう。真竹の林の中で、蟹をつかまえよとする猿たちを描いている。蟹は藻屑蟹と思われる、それを一匹の猿が左手をのばしてつかもうとし、その背後では三匹の猿たちが様子を見守っている。猿たちの様子や表情からみて、前方にいて蟹をつまもうとしているのがボス猿なのだろう。

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雪村は最晩年の七十歳代に、福島県の三春に隠棲した。ここで七十一歳の時に、「竹林七賢図屏風」を制作している。竹林七賢とは、中国の三国時代に実在したとされる人物像で、竹林に集い酒を飲みつつ清談したことから、竹林の賢人と呼ばれるようになった。その賢人たちに、老年の雪村が自分のイメージを重ねたということか。

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「花鳥図屏風」は、雪村晩年の60歳代に、北関東の足利、佐野に滞在していた頃の大作。左右両隻に、それぞれ花鳥の様子をのびのびと描いているが、右隻は、早春の頃の生命の躍動を、左隻は、夏の夕暮れ時の静かさをテーマにしている。右が陽、動、剛のイメージを、左が陰、静、柔のイメージと言った具合に、左右対称を意識している図柄だ。

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雪村は山水図をよくしたが、これはそのうちの傑作。雪村の山水図屏風としては、比較的早い時期の作品と考えられる。山水図屏風は、この頃様式的な完成期を迎えていた。それは左右両隻の端に山容を描き、両者の中間に水景を描くというもので、構図的にもっとも安定したものである。雪村は、その構図法に従ってこの作品を描いている。

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呂洞賓は、中国八仙人の一人。中唐時代の実在の人物だといわれる。古くから仙人として尊崇され、元の武宗から神仙の称号を贈られた。純陽子とも称するが、それは周易の乾卦にもとづく。乾卦はすべて陽の爻からなる。それで純陽子というわけである。

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蕪を描いたこの絵は、「叭叭鳥」同様、鎌倉円覚寺の四印道人こと景初周隋の着賛がある。鎌倉滞在時の作品であろう。地中から掘り出したばかりの一本の蕪を、飾らない単純な構図で描いている。形が大根のようにも見えるが、れっきとした蕪であることは、賛の文面からも推し量られる。

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(波図)

「波岸図」には先行作品がある。南宋の画家玉澗の「波岸図」である。玉澗の作品は、波と岸の図を一つの画面に描いていたが、将軍足利義政が二枚に切断し、それぞれを「波図」、「岸図」と呼んで、茶人たちが愛好した。雪村は、その切断された波岸図を参考にして、この作品を描いた。はじめから二点の絵としてである。

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雪村は「溌墨法」を用いて描いた「溌墨山水図」を数多く作った。この作品はその代表的なものである。溌墨法というのは、中唐の画家王墨が案出し、南宋の玉澗が大成した技術。墨をはねちらし、筆を使わずに形を整えるというものである。

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列子は中国春秋時代の思想家で、道家の系列に属し、荘子よりやや以前に活躍した。その活動ぶりについては、「荘子」の中でも触れられている。それを読むと、虚を尊び、心身を空しくして天地自然と一体となり、風に乗って大空を飛行するのを好んだという。

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「琴高群仙図」は、琴高とその弟子たちにまつわる故事をテーマにした作品。琴高とは、中国の列仙伝に登場する仙人で、つぎのような逸話がある。琴高は趙の人であったが、山奥に住み、多くの弟子を持っていた。ある時弟子たちに向って、これから湖に潜って龍の子をとってくるから、皆は私の帰りを潔斎して待っていなさい、と。弟子たちが言われたとおりにして待っていると、赤い鯉に乗った琴高が水中より現われて、斎場の祠の中に座った。

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「叭叭鳥図」は、雪村の作品で唯一制作年が明らかである。着賛に天文二十四年(1555)九月とある。この年、雪村は満五十歳前後で、もっとも脂ののったときだった。着賛は、鎌倉円覚寺黄梅院の僧景初周隋で、四印同人と号した。かれは本図を、易の卦「泰」にことよせて解釈した。泰の卦は、順風をあらわし、季節としては早春にあたる。この絵はだから、早春のおだやかな季節感をモチーフにしていると考えられる。

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松に鷹は、戦国時代に好まれた画題。鷹の勇猛で精悍な姿が、戦国武士たちの嗜好にかなったからだ。この「松に鷹図」も武将の求めに応じて描いたものだろう。雪村の画法の神髄がよく発揮されている作品である。双福一対からなる。上は左手のもの。松の老幹に、一羽の鷹がこちらに背を向けて止まっているところ。その表情は精悍そのものである。

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「夏冬山水図」のうち冬図は、雪山と川と月をモチーフにしている。画面奥に切り立った雪山があり、月はその背後から上っているところ。ちょうど満月だ。この月があるために、画面に独特の趣が出ている。

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「夏冬山水図」双福は、「風濤図」とだいたい同じころに描かれた。夏図には、深山幽谷の奥をめざす高士とその従者を、冬図には、わが家への道を急ぐ農夫と漁夫が描かれている。どちらも、単に山水を描くにとどまらず、人間の生活をただよわせているわけである。

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「風濤図」は、天文十七年(1548)前後に円熟期を迎えた雪村の代表作。風に騒めく波を超えて進む帆掛け船のけなげな様子を描く。本図を収めた古い箱の表に「山水帆掛け船 雪村筆」と記されていることから、もともとは山水帆掛け船と題されていたことがわかる。「風濤図」という題は、近年つけられたものである。

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「百馬図帖」は、雪村が鹿島神宮に奉納したもの。画帳に馬の絵を貼り付けたもので二種類ある。一つは横長の図面を貼り付けたもの、もう一つは縦長の図面を貼り付けたものである。奉納の時期は記されていないので明らかでないが、雪村が小田原に滞在した頃に、北条氏の武運を念じて奉納したと考えられている(鹿島大神宮は武神である)。そうだとすれば、天文17年前後ではないか。

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「楊柳水郭図」は、中国の画風に倣った初期の作品。江岸の楊柳の陰で、碧水に浮かんだ水郭を描いたこの絵の構図は、伝馬遠作「周茂叔愛蓮図」を基にしていると思われる。構図を借りながらも雪村は、動静と陰影を加え、自分らしさを表現している。

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「辛螺に蘭図」は、落款に「中居斎雪村老翁筆」とあるところから、雪村四十歳頃の作品と考えられる。当時は齢四十をもって老人と称するのが普通だったからだ。モチーフは、辛螺の貝殻に植えられた蘭の花。辛螺は田螺に形の似た巻貝で、そんなに大きくはない。そこに欄を植えるというのだから、小さな種類の蘭なのだろう。

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雪村の初期作品としては、いくつかの動物図がよく知られている。これはそのうちの一点。茶色の絹本地に、水墨と岩絵具で、兎、芙蓉、竹を精緻に描いている。水墨は輪郭を描くほか、影をつけるのにも使っている。その輪郭線の内部を、岩絵具で丁寧に塗っている。芙蓉の花の色は胡粉で表現している。

雪村の世界

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雪村は雪舟と並んで室町時代の日本の水墨画を代表する画家である。雪村に私淑してその名の一部を借用したほど尊敬していたが、雪舟と会ったという記録はない。雪村が生まれたのは雪舟より六十四年もあとのことであり、雪舟が死んだとき雪村はまだ二歳だったのである。にもかかわらず雪村は、雪舟の絵をこよなく愛し、自分も又その画風にあずかろうと願って雪村と名乗ったのであろう。

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