日本の美術

指墨幽渓釣艇図:池大雅の世界

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「指墨幽渓釣艇図」は、池大雅の指頭図の傑作である。指頭図というのは、筆のかわりに指を用いる描法で、墨を塗った指で色を置くというものである。大雅はこの技法を柳沢淇園から学んだという。席画として即興的に描いたものが多かったが、この作品は137×57.5cmと、かなりの大画面である。

楽志論図巻:池大雅の世界

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楽志論とは、後漢の仲長統の書であり、乱れた世相を慨嘆し、隠遁の生活を賛美したものである。この絵は、その書の内容をイメージ化したもので、山荘のなかで悠々自適の生活をおくる隠者たちを描いている。なお、巻物の冒頭には柳沢其園による題字が書かれ、巻末には祇園南海によって全文が書かれている。

陸奥奇勝図巻:池大雅の世界

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池大雅は寛延元年(1748)馬歯二十七の年に江戸へ赴き、足を伸ばして松島に遊んだ。その翌年、今度は金沢に遊んだが、その折に金沢藩士小堀永頼の願いに応じて、松島の風景を図巻の形にして描いた。図巻は長さ八メートル半に及び、そこに松島の遠景を、水墨を主体に、ところどころ淡彩を交えて、パノラマ模様のようにして展開して見せた。

赤壁両遊図屏風:池大雅の世界

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池大雅は、赤壁をテーマにした作品を、生涯のそれぞれの時期に作った。「赤壁両遊図屏風」は、その中で最も早い時期のものの一つで、寛延二年(1749)大雅馬歯27の年の作品である。

風雨起龍図:池大雅

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池大雅は若い頃から絵の才能を発揮して、二十代の前半で傑作を描いている。特定の画風に限らず、さまざまな画風を学んだ。なかでも中心となったのは南宗画であり、この画風を洗練してゆく過程を通じて、彼独特の文人画といわれるものを創造していった。

銀地山水図屏風:蕪村の世界

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(右隻 166.9×363.7cm 紙本銀地墨絵淡彩 六曲一双)

「銀地山水図屏風」は天明二年、すなわち蕪村馬歯六十七、死の前年の作で、蕪村の南宋画の集大成と言えるものである。紙の上に銀箔を貼り、その上に墨と淡彩で描いている。左右どちらも、右肩に七言絶句を書き、それらの詩意を絵の中で展開している。

烏図:蕪村の世界

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「鳶烏図」双幅のうちの烏図。雪の降り積もった木の枝に二羽の烏がとまり、なにやら思案げふうに見えるこの絵は、芭蕉の句「日ころ憎き烏も雪の旦(あした)かな」をイメージ化したものだと思われる。烏は憎い生き物だが、このように風雪に耐えている姿はけなげに見えるという趣旨の句で、この絵はまさにその雰囲気をそのままに伝えていると言ってよい。

鳶図:蕪村の世界

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「鳶烏図」と題した双幅一対のうちの鳶を描いたもの。空中に突き出た枯れ枝に一羽の鳶がとまり、烈しい風雨に耐えているように見えるこの図は、去来の句「鳶の羽も刷(かいつくろ)ひぬ初時雨」をイメージにしたものだと指摘されている。

富嶽列松図:蕪村の世界

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「富嶽列松図」は、延々と連なる松の林の背後に浮かび上がった富士の勇壮な姿を描いたもの。横に細長い画面を生かして、松林の長く連なるさまと、それに富士が覆いかぶさるように聳える様子が心憎く演出されている。富士が中心より右側に描かれている為、鑑賞者の視線は右から左へ動くように導かれ、その視線の先の左端の画面がわざとぼやけているのは、時雨を表現したのだと解釈される。

峨眉露頂図巻:蕪村の世界

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(右半分)

「峨眉露頂図巻」の「峨眉」とは、李白の詩「峨眉山月歌」で歌われた四川省の山、山容の美しさから美人の眉に喩えられた。この絵は、その峨眉山の頂上を描く。「露頂」とは、山の頂上があらわになった様子を言う。

夜色楼台図:蕪村の世界

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「夜色楼台図」は、蕪村の山水画の到達点を示すもので、彼の代表作とされ、国宝にもなっている。山水画は中国の南宋画をモデルとし、蕪村もそれを手本にして出発したわけだが、この絵にいたって、南宋画の影響を脱し、蕪村独特の境地を描き出している。

竹林茅屋・柳蔭騎路図屏風:蕪村の世界

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(右隻 133.2×310.0cm 紙本彩色 六曲一双)

「竹林茅屋・柳蔭騎路図屏風」は、右隻が「竹林茅屋」を、左隻が「柳蔭騎路」を描く。「竹林茅屋」は、右端の曲面に「聯珠詩格」巻十二から「邨居」の詩文を記す。絵はその詩の内容を視覚化したものである。詩の内容は、「独木為橋過小村 幾竿脩竹護柴門 白頭不識王侯事 関把牛経教子孫」というものである。

新樹郊行図:蕪村の世界

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蕪村の画業の大きな特徴として、道を繰り返し描いたことがある。その道を行く人は、深山幽谷に隠士を訪ねる人であったり、あるいは郊外や山里にピクニック気分で出かける人であったりする。「新樹郊行図」と題したこの絵は、後者のようである。

竹渓訪隠図:蕪村の世界

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「竹渓訪隠図」は、題名からも明らかなとおり、山中に隠居する高士を人が訪ねるというモチーフを描いている。画面は霞の介在によって上下に分割され、下界には竹林と渓流とが、上界には峰々が聳え立っている。峰の描き方は、手前を明瞭に、遠くを青くぼかすことで、遠近感を演出している。

新緑杜鵑図:蕪村の世界

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「新緑杜鵑図」は、「謝寅」の署名があるところから、晩年の作だとわかる。蕪村が「謝寅」号を用いたのは、安永七年(1778)馬歯六十三歳の年から天明三年に六十八歳で死ぬまでの五年間。この絵は、蕪村晩年の傑作群を飾る嚆矢となるものである。

山野行楽図屏風:蕪村の世界

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(右隻 155.1×388.0cm 紙本淡彩 六曲一双)

蕪村の絵の大きな特徴は、自然の風景に必ず人物を添えることだ。その人物は、ほとんどの場合中国風の格好をしている。蕪村が何故、中国の服装に拘ったか、よくはわからない。蕪村ほどの名手ならば、和風の人物を配して、なおかつ南宋画風の情緒を感じさせる技に不足はないと思う。それをあえて、中国風の服装にこだわるのは、よほどの事情があるのか。

闇夜漁舟図:蕪村の世界

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「闇夜漁舟図」は、水墨で闇夜を表現しながら、わずかな光を強調することで、独特の効果を演出している。光は、舟の上のかがり火から立ち昇る煙と、遠くに見える家の中からもれる灯りで表現される。煙はそれ自身が光を発するように見え、その光に浮かび上がった木の部分だけが、色彩を持っている。

四季山水図(秋冬):蕪村の山水画

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(秋景山水図 絹本彩色 105.5×41.0cm)

四季山水図シリーズのうち秋景。これは、深山幽谷を描いている点では春景と共通するが、人物の描き方が、俳画的ではなく、文人画的である。渓谷に船を浮かべ、自然の眺めを楽しむという構図に、文人画の精神を感じる。このように自然の風雅をとくに強調するときには、人物のほかに、人の生活を感じさせるものを省くのが文人画の常道である。

四季山水図(春夏):蕪村の山水画

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(春景山水図 絹本彩色 105.5×41.0cm)

安永二年(1773、蕪村馬歯五十八)の四季山水図は、前々年の十宜図製作を経て、技量に一層磨きのかかった蕪村の中期の代表作である。いづれも、単に風景を淡彩で描くだけでなく、そこに人の生活ぶりを描き加えることによって、独特の世界を現出させている。こうした自然と人間の調和は、蕪村の絵画の最大の持ち味である。

蘇鉄図屏風:蕪村の世界

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(蘇鉄図屏風 紙本墨画 四曲一双 各162.0×363.0cm 左隻)

讃岐滞在中に蕪村が世話になった菅暮牛の菩提寺が丸亀にあった。正因山実相院妙法寺という天台宗の寺院である。その寺院のために蕪村は、一対の図屏風を製作した。画のテーマは、寺の庭園にあった蘇鉄である。完成したのは明和五年四月、蕪村が讃岐を去る直前のことである。

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