日本の美術

南禅寺天授庵:日本の寺院庭園

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天授庵は、南禅寺の開山大明国師創建になる開山塔として歴応三年(1337)に創建された。山内でもっとも由緒のある寺である。文安四年(1447)の南禅寺大火以降荒廃したが、慶長七年(1602)細川幽斎によって再興され、それ以後細川家の菩提寺のような形となった。寺内の墓地には細川幽斎夫妻はじめ細川家の墓が多くある。

南禅寺本坊:日本の寺院庭園

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南禅寺は、正応四年(1291)に亀山法皇が無関禅師を開山に迎えて創設した古い禅寺であり、いまでも臨済宗の大本山として広大な規模を誇っている。庭園としてもっとも見るべきは本坊方丈庭園で、これは寛永六年(1629)に、当時の南禅寺住職金地院崇伝が小堀遠州に依頼して作らせたものである。

桂春院:日本の寺院庭園

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桂春院は、慶長三年(1598)に妙心寺の塔頭見性院として、信長の甥津田秀則によって創建された後、寛永九年(1632)に美濃の豪族石河貞政によって再興され桂春院と改称された。庭園はその折に造営されたものである。小堀遠州系の庭師によって作られたと推測され、徳川時代には名園として名高かった。

高台寺:日本の寺院庭園

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高台寺は、秀吉の死後その妻おねねが、徳川家康の許可を得て慶長十一年(1606)に創建した寺である。おねね自身の墓もある。秀吉が茶を愛したことにちなみ、傘亭、時雨亭という一対の茶室を小高い丘の上に建てた。これがこの寺のシンボルとなっている。

二条城二の丸庭園

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二条城は、慶長八年(1603)に徳川家康が、京都における徳川家の居城として作った。家康はこの城を、内裏のあった神泉苑の敷地をつぶす形で作ったが、それは朝廷に対する家康の挑戦だったと言われている。寛永三年(1626)には、二代将軍秀忠が後水尾上皇を、行幸と言う名にこじつけて、ここに呼びつけている。そのために大改築が行われ、今日の二の丸の形となったが、そのさいにあわせて庭園が整備された。造園を担当したのは小堀遠州である。

高桐院:日本の寺院庭園

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高桐院は、細川幽斎の長子三斎忠興によって慶長六年(1601)に建立された大徳寺の塔頭である。細川忠興は、織田・豊臣・徳川三代を武人として息抜き、正室ガラシャが明智光秀の娘であったにもかかわらず光秀にくみせず、自主独立を貫いたことで知られる。彼の遺体は、遺言によってこの高桐院に埋葬された。

円徳院:日本の寺院庭園

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円徳院は、秀吉の死後妻のねねが移り住み隠居所としたのが始まりで、その後、寛永九年(1632)に高台寺の塔頭となった。庭は、伏見城内にあった化粧御殿の庭を移築したとされ、庭師賢庭の作と伝えられている。桃山時代を代表する庭園である。

醍醐寺三宝院:日本の寺院庭園

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三宝院は永久三年(1115)に遡る古い寺だが、応仁の乱で焼けて以降荒廃していたところを、秀吉によって再興された。有名な醍醐の花見はこの三宝院で行われ、その際に現在に伝わる庭園が整備された。池泉回遊式の見事な庭園で、秀吉好みの豪華な雰囲気に包まれている。

地蔵院:日本の寺院庭園

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西芳寺の近くにある地蔵院は、いまでは竹の寺として知られるが、南北朝時代の貞治六年(1367)に、管領細川頼之が夢窓国師の高弟宗鏡禅師を招請して建立した禅寺である。夢窓国師を開山としているが、実質的な開山は宗鏡である。一時は、大寺院として繁栄したが、応仁の乱で消失。その後、徳川時代に、皇室と細川氏の援助によって再建された。現方丈は、貞享三年(1686)に再建されたものである。

妙心寺退蔵院:日本の寺院庭園

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日本最大規模の禅寺である妙心寺は、康永元年(1342)に創建され、四十六もの塔頭からなる。広大な寺域は、石畳で結ばれた寺町を形作っている。その中には仕舞屋もあり、大徳寺以上に寺町らしい雰囲気を漂わせている。退蔵院は、塔頭のなかでも最も歴史が古く、応永十一年(1404)に建立された。

龍安寺:日本の寺院庭園

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龍安寺は、宝徳二年(1450)、細川勝元が妙心寺の義天玄承を開山として創設した禅寺である。この寺は石庭で有名だが、これが有名になったのは戦後のことである。そんなこともあって、この石庭の造営時期や設計者については、研究が浅く、いまでも定説というものがない。

銀閣寺:日本の寺院庭園

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銀閣寺は、足利八大将軍義政が、将軍職を子の義尚に譲った後、文明十四年(1482)から延徳二年(1490)の死に至るまで、八年間の歳月をかけて、隠居所として造営した東山殿を起源としている。東山殿が慈照寺として相国寺の末寺に加えられたのは、義政の死後のことである。

金閣寺:日本の寺院庭園

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金閣寺は、足利三代将軍義光が、応永五年(1398)に造営した北山殿の一部である。京都の北山に設けられた北山殿は、護摩堂、懺法堂、紫宸殿、公卿間、舎利殿、天鏡閣、泉殿、看雪亭などの立ち並んだ広大な邸宅であったが、そのうち舎利殿が現在に伝わる金閣寺である。そのほかの建物は、義光の死後、その子義持によってことごとく破壊されてしまった。その理由ははっきりしないが、父親への嫉妬だとする説もある。

南禅寺南禅院:日本の寺院庭園

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南禅院は、鎌倉時代の末に亀山上皇が離宮としたところで、南禅寺発祥の地といわれる。応仁の乱以降荒廃していたが、元禄十六年(1703)桂昌院(徳川綱吉の母)によって再建された。庭園は、創建直後の面影を伝えるとされ、亀山上皇の作庭によるとも、夢想国師の作庭によるとも言われる。

天龍寺:日本の寺院庭園

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天龍寺は天平年間に行基によって創建された古い寺院であったが、その後荒廃していたところを、暦応二年(1339)夢窓国師によって再建された。その際に曹源池を中心にした池泉回遊式庭園も造営された。この同じ年に、夢窓国師は西芳寺の庭園も造営しており、この二つの庭園は双子の庭園とも呼ばれ、日本の庭園造営の歴史に大きな影響を及ぼした。

西芳寺:日本の寺院庭園

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西芳寺の庭園は、日本の室町時代以降の寺院庭園の原型となったものといわれている。これを造ったのは、室町時代初期の禅僧夢窓国師である。彼は天龍寺を作ったことで知られるが、西芳寺の中興の祖として、今に苔寺として伝わるこの庭園を造った。

毛越寺:日本の寺院庭園

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毛越寺は、12世紀の始めに奥州藤原氏によって造営された寺院であり、その庭園は平安時代の浄土式庭園を今に伝えている。堂宇の建物群はことごとく消失し、創建時の姿を伝えるものはないが、池を中心にした庭園の部分は、昔の面影を今に伝えているといわれる。

法金剛院:平安時代末期の浄土式庭園

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法金剛院の前身は平安時代初期に創建された天安寺に遡るが、平安時代の末、大治五年(1130)に待賢門院によって再興され法金剛院と称された。庭園はその際に極楽浄土をイメージして造園された「池泉回遊式浄土庭園」である。

浄瑠璃寺:日本の寺院庭園

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浄瑠璃寺は、11世紀のなかば永承2年(1047年)に創建されたと寺の記録にある。創建当時は薬師如来を本尊としていた。浄瑠璃寺の名称は、薬師如来のいるとされる東方浄瑠璃世界に由来している。その後、12世紀の初め嘉承2年(1107年)に、現存する本堂が建設され、その中に阿弥陀九体仏が安置されたらしい。池の掘削は久安6年(1150年)に行われたようだ。その頃に、阿弥陀堂と池が一体となって、浄土式庭園が成立したと推測される。浄土式庭園としては、宇治の平等院と並んで、もっとも古い由来をもつものである。

平等院:日本の寺院庭園

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現存する日本の寺院庭園でもっとも古い起源を有するものは、宇治の平等院の庭園である。平安時代の後期に藤原頼道によって造営されたこの寺院は、極楽浄土をイメージして作られたため、その庭園は浄土式庭園と呼ばれる。今日に伝わる浄土式庭園としては、奈良北郊の浄瑠璃寺や平泉の毛越寺が上げられる。

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