日本の美術

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地獄太夫とは、一休さん伝説に出てくる遊女。一休さんが和泉の国の境の町である遊女と逢ったときに、その遊女との間で歌のやりとりをするが、そのうち遊女が名高い地獄太夫であることを知り、「聞きしより見て恐ろしき地獄かな」と詠んだところが、地獄太夫は「しにくる人の落ちざるはなし」と下句をつけた、と伝わっている話だ。

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これは、蛙ならぬ猫を眺め入っている美人を描いた一枚。美人は横たわって、両肘をついて顎を支えた姿勢で無心に猫の姿に見入っている。猫のほうは人に見られているのが気にならぬようで、何事もないようにうずくまっている。もっとも美人のように寝そべっているわけではないので、多少の緊張は感じているのかもしれぬ。

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幕末から維新前後にかけては美人画の浮世絵が流行ったこともあって、暁斎は美人画を多く手掛けている。結構需要があったのだろう。ほかのジャンルの絵同様、美人画にも戯画の調子が感じられる。そこが暁斎らしいところだろう。

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河鍋暁斎は、妖怪や地獄の絵と並んで、極楽往生の様子も描いた。「北海道人樹下午睡図」と題するこの大作は代表的なものだ。普通の釈迦の涅槃図とは異なり、遊び心が込められている。その遊び心は、涅槃に午睡の字を当てているところにもうかがえる。この絵は釈迦ならぬ北海道人が樹下に昼寝をしている様子を描いているのだ。

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これは浄玻璃鏡に映った罪人たちの生前の所業を確認している閻魔大王の様子を描いたもの。先にとりあげた地獄極楽図のうち、閻魔大王と浄玻璃鏡をアップにして描いたものだ。

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河鍋暁斎は幽霊の絵とともに地獄の絵もよく描いた。幽霊と地獄の間にどんな関係があるか、いまひとつはっきりしないが、幽霊の方が日本古来の迷信に根差しているのに対して、地獄のほうは仏教、とりわけ浄土信仰と密接な結びつきがあったことは言えるようだ。地獄は浄土の正反対として、成仏できない罪深い人たちが落ちてゆくところとしてイメージされていた。そういう目に合わないためにも、人は阿弥陀様を深く信仰せねばならぬと言いきかれてきたわけだろう。

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風神雷神図は、琳派や狩野派が好んで描いたが、河鍋暁斎も狩野派のはしくれとして手掛けた。風神雷神図は非常に人気があったので、注文も多かったのだろう。暁斎は数多く手掛けている。この図はそのなかでももっとも有名なものだ。

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画面の中央に描かれている狐は九尾の狐といって、中国の伝説上の怪物である。それが日本に伝わって様々な伝説と結びついたが、なかでも謡曲「殺生石」で語らえている伝説が有名である。それによると、九尾の狐は中国では妲己となって殷王朝を亡ぼし、天竺では華陽夫人となって残虐の限りを尽くし、日本では玉藻の前となって鳥羽上皇をたぶらかそうとしたが、見破られて那須野の殺生石に封じ込められたということになっている。

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これは生首を咥えた幽霊を描いたもの。幽霊はふつう一人で化けて出てくるというのが相場で、このように人間の生首を咥えているのは珍しい。しかもこの幽霊は男である。幽霊と言えば、お岩さんとか番町皿屋敷のお菊さんのように女の幽霊が圧倒的に多く、男の幽霊は非常に珍しい。しかもそれが生首を咥えているとあっては、幽霊と言うよりは妖怪といったほうがいいかもしれない。

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河鍋暁斎は妖怪画を多く描いたが、その中には幽霊を描いたものも多い。親しくしていた五世尾上菊五郎が幽霊の絵を集めており、それを見せてもらう一方、自分にも描いてほしいと頼まれたりして、幽霊に興味をもったこともある。その幽霊の描き方だが、これには徳川時代に流行した幽霊の芝居とか、それ以前から伝統的に伝わってきた幽霊のイメージが働いたものだと思われる。日本人が持ってきた幽霊のイメージは興味深い研究課題たりうるが、暁斎の幽霊画はそれにひとつの材料を供するものだと思う。

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それぞれに長い特徴を持った三人の人物を配した図柄。書物を読む長い頭の男を中心に、足の長い男がその長頭のてっぺんあたりをカミソリで剃り、手の長い男が頭を布巾で拭いている様子が描かれている。これも何を寓意しているのかよくわからない。つまらぬ詮索は抜きにして、純粋に図柄の面白さを楽しんだほうがよいのかもしれぬ。

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「耳長と首長」を描いたこの一枚は、「天狗の鼻切り」とともにエドワード・モースが日本滞在中に収集した暁斎の戯画九点のうちの一枚。真ん中に長い耳の男が、その右手に首の長い男が描かれている。長い耳には小人たちがぶら下がり、長い首の上の頭には飛び出た目の上で小さな男が望遠鏡で耳長をのぞき込んでいる構図だ。

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天狗といえば長い鼻がトレードマークだが、天狗の鼻が何故長くなったかはよくわからない。ましてその長い鼻を切られる天狗の話は聞いたことがない。そんな根拠の不確かなことを、暁斎らしいユーモアを込めて描いたのが、「天狗の鼻切り」と題するこの一枚だ。

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「枯木寒鴉図」と題したこの絵を暁斎は、明治十四年の第二回内国勧業博覧会に出品した。それについてちょっとしたエピソードがある。この絵は、実質的な最高賞であった妙技二等賞牌をもらったのだが、それに気をよくした暁斎は売却価格として百円の値段をつけた。すると鴉一羽に百円は高いと悪口を言われたのであった。だが、暁斎は、これは自分の画業の集大成であるといって譲らなかった。結局この絵は、日本橋の菓子屋栄太郎の主人が言い値で買ってくれたので、暁斎は大いに面目を施した。

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人間の生首をくわえた狼が、満月のかすかな光を踏みながら岩を伝って歩く、なんとも言えないすさまじさを感じさせる絵だ。暁斎は妖怪とか幽霊を多数描いたが、このようなすさまじい図柄の絵はそうはない。その意味で、暁斎の作品の中でも出色のものと言える。

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「暁斎楽画」は鳥獣草木を描いたシリーズで、乾坤の二巻からなる。鶏と獺をモチーフにしたこの絵は、坤巻の中の一枚。互いににらみ合う鶏と獺を描いている。鶏は鑑賞用の派手な種類、獺のほうはいまや絶滅してしまったとされる日本獺を捉えている。

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「白鷲と猿図」はジョサイア・コンドルの旧蔵品で、もともと暁斎がコンドルへの画法教授の目的も兼ねて描いてやった作品だと思われる。この作品は、狩野派の画法の特徴を盛り込んでいるところから、狩野派の一員としての暁斎の画法の一端をコンドルに示したのだろう。

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「群猫釣鯰図」と題したこの絵は、題名通り鯰を釣る猫たちを描いたものだろう。八匹の猫が木の上から、下の川で泳いでいる鯰を釣り上げよとしているように、一応は見える。川の流れは画面には描かれていないが、構図からそう読み取れるようにもできている。猫たちが木の枝から身を乗り出して、下をのぞき込んでいることからも、また、彼らが見ている鯰が上から描かれていることからも、この鯰が木の下を流れる川に浮かんでいるような見え方になるわけだ。

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河鍋暁斎は、蛙と同じように猫もよく描いた。「猫又と狸」のなかの猫はその代表的なものだ。そちらの猫は猫又といって半分妖怪のようなものだったが、この絵の中の猫は、色気のある雌猫である。色気はあるが、ゆるんではいない。目つきはなかなか鋭い。

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河鍋暁斎は、「風流蛙大合戦之図」をはじめとして多くの蛙の絵を描いている。すでに三歳にして蛙を写生したと伝えられる。蛙がよほど好きだったのだろう。その生き生きとしたところは、鳥羽僧正の蛙たちと双璧をなすと言ってよい。写実的な蛙もあれば、擬人化されたユーモラスな蛙もある。といった具合で、蛙の姿を千差万別に描き分けている。

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