日本の美術

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白隠は数多くの達磨像を描いたが、このように横顔を見せている構図のものはめずらしい。しかもこの絵は、一筆描きを思わせるような、簡略なタッチで描かれている。白隠の達磨像としては破格の描き方だ。多くの場合、白隠の達磨は正面を向いており、薄墨で輪郭線を描いた跡で、ポイントを黒く強調するというのが基本的な描き方だが、これはそれから大きく逸脱している。

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白隠は隻履達磨の像を数多く描いている。隻履達磨というのは、片方の履物だけを持った達磨のことである。それには達磨にまつわる伝説がある。達磨が中国で没した三年後のこと、西域を旅していた人が達磨に出会った。片方の靴だけを持っているので不思議に思い、訳を聞くと、これから生まれ故郷のインドに帰るのだとのみ答えた。その人が中国へ戻ったあと達磨の墓を暴いてみると、そこには達磨の遺体はなく、履物の片割れだけが残っていた。

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静岡県の臨済宗寺院清見寺に伝わる半身達磨像。三百点もある達磨像のなかで、顔の部分がもっとも大きく表現されたものだ。左手に縦書きで賛が添えられ、「直指人心、見性成仏」というおなじみの標語の脇にある落款は「沙羅樹下八十三歳老僧白隠叟書」とあることから、白隠最晩年八十三歳の作品とわかる。

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三河の臨済宗寺院華蔵寺に伝わる半身達磨像。構図的には、紀州無量寺の半身達磨像と良く似ている。「直指人心、見性成仏」の賛も同じだが、こちらは達磨の顔の上ではなく、斜め左手に配されている。それ故、達磨の視線と賛との間に直接的な対応関係は見られない。

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これは紀州の串本無量寺に伝わる達磨像。無量寺は東福寺派の禅寺で、長沢芦雪や丸山応挙の作品を多く収蔵しているが、白隠の作もいくつか持っている。これはその一つだ。何時頃の作品か、詳しいことはわからないが、白隠が達磨像を多く手がけるようになった晩年つまり七十歳代の作品だろうと推測される。

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白隠禅画のハイライトは、何と言っても達磨像だ。白隠は夥しい数の達磨像を残した。それらは、他の禅画同様、美術品として描いたのではなく、あくまでも禅画、つまり禅についての自身の境地とか、弟子や信者を導く手段として描いたものだ。偶像を通じて宗教を受容する(神を信じる)ことを禁じたキリスト教やイスラム教とは異なり、仏教には偶像崇拝禁止の強い動機はなかった。むしろ仏像などの偶像を積極的に用いて人々を強化してきた歴史が仏教にはある。禅画もそうした伝統を踏まえているわけであり、日本臨済宗中興の祖といわれる白隠も例外ではなかった。というより白隠こそ、衆生教化に果たす偶像の威力を最もよく理解していた人であった。

白隠の禅画

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白隠は徳川時代の中期に生きた禅僧である。貞享二年(1685)現在の静岡県沼津市に生まれ、明和五年(1768)に八十四歳で死んだ。若い頃から信仰心が厚く、三十二歳頃に沼津の禅寺松陰寺の住職となり、生涯その職にとどまった。しかし、その法名は日本中にとどろき、臨済宗中興の祖と称された。現在の日本の臨済宗はすべて、白隠の法統を受け継ぐとされる。

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これは雪舟の絶筆となった山水図である。上部に、牧松周省と了庵桂悟による賛が添えられている。まず、牧松が賛を寄せ、彼の死後に了庵が賛を加えたことが、文面から読み取れる。

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「天橋立図」は、雪舟八十二歳以降の最晩年の作品と考えられる。技法的にも、品格の上でも、雪舟の画業の集大成といえるもので、彼の最高傑作の一つに数えてよい。

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「杜子美図」は、驢馬に乗った杜甫を描いたもの。ごく単純な線と、やわらかい墨の筆致で、飄々たる杜甫のイメージを表現している。

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「恵可断臂図」は、禅僧であった雪舟の所謂禅画の代表的なものである。禅宗の開祖たる達磨と、その後継者恵可の劇的な出会いを描いている。達磨は、少林寺で面壁七年の修行を行っていたが、そこへ恵可が訪れて入門を乞うた。達磨がなかなか入門を許さなかったので、恵可はその決意を示す為に、雪の中に立ちながら、自分の左腕を切り落として見せた。それを見た達磨が、恵可の決意を評価して入門を許した、という逸話にもとづいている。

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これは、雪舟の破墨山水図の中では、もっとも強い躍動感を感じさせるもの。破墨図にしては描きすぎだという指摘もあるが、構成はがっちりとしており、筆致もなめらかだ。

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破墨とは水墨画の技法で、墨を以て墨を破るといい、要するに淡彩の墨を重ねることで濃淡を演出する技法のことである。雪舟には、この技法による絵が何点か伝わっている。これはその一つ「破墨山水図」。画面上部の賛に、自分は破墨の技法を明で学んだことなどが記されている。その款記に「明応乙卯季春中澣日四明天童第一座老境七十六翁雪舟書」とあることから、明応四年(1495)、雪舟馬歯七十六の年の作品であることがわかる。

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雪舟の動物画としては、猿猴図屏風が伝わっている。これは、鷲鳥図屏風とともに六曲一双をなすもののうち左隻である。両隻とも「備陽雪舟七十二夏作之」という落款がある。その真偽については確たる結論は出ていない。

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左隻のほうは、背景に雪山を配しているが、風景としての趣は余り感じさせない。前景の事物に近接しすぎているせいだと考えられる。そのため装飾的なパターンと言ってよいほどである。

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以前取り上げた花鳥図屏風より数年後、雪舟七十歳頃の作品と考えられる。山水画としての要素が後退し、花鳥を全面に押し出した、装飾性の強い画風になっており、そこに桃山時代の装飾画へのつながりをみる見方もある。

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山水長巻冬の部分は、真っ白い雪山とその麓に展開する人里を描く。そして、横に連続的に展開すると見える画面に、針葉樹林の縦のリズムを介在させることで、時間の断絶を表現する。この林を境にして、時間の流れが変わることを示唆しているわけである。

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山水図巻の秋の部分は、西湖を上から俯瞰した景色に始まり、湖の沿岸から奥の山の中へと視線を導いてゆく、流れるような手法で描かれている。しかもそれを単に横へ連続させるだけではなく、季節の移り変わりがそれとなく感じられるようになっている。雪舟の構図に対する綿密な意図が現われているところである。

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山水長巻の特徴は、四季の季節の変化が明瞭に表現されていることだ。そしてその季節の交代が、それとわかるように描かれている。春から夏への交代は、霞のたちこめた山中の景観から、ゆったりと水をたたえた湖畔の景観への転換として示される。

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今日「山水長巻」として知られる雪舟の四季山水図巻は、何点か伝わっている雪舟の山水図巻の最高傑作であるとともに、雪舟の画業の頂点をなすものだ。縦四十センチにして十六メートルにも及ぶこの長大な図巻のうちに、雪舟は己の画法の粋を注ぐとともに、絵を通じて己の人生観のようなものを表現して見せた。あらゆる意味で、雪舟の雪舟らしさが集約された作品といえる。

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