日本の美術

すたすた坊主:白隠の漫画

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すたすた坊主というのは、主に街道筋に出没し、芸をしながら物乞いをする乞食坊主のことで、徳川時代の中頃に沢山存在したようである。白隠は、そのすたすた坊主に布袋を重ね合わせた。布袋がすたすた坊主となって、人々に功徳を施すところを描いたわけである。

布袋図:白隠の漫画

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七福神のうちで白隠がもっとも多く描いたのは布袋だ。七福神は日本の風習だが、布袋は中国に実在した人物がモデルになっていると言われる。彼は僧侶なのだが、盛り場に出没し、おどけた行為をしては、見物人から金や物を乞うていた乞食坊主だった。ところが実は弥勒菩薩の化身だったということがわかり、庶民の信仰を集めるようになった。その伝説が日本に入ってきて、七福神の一人に数えられるようになったというわけである。

鼠大黒:白隠の漫画

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「鼠大黒」と呼ばれるこの絵は、七福神とよく似た図柄だ。船は省かれていてないが、その他の部分には共通するところが多い。中央には、鏡餅を前にして大黒天が座禅を組み、その周りに七福神のほかのメンバーが音曲を楽しみ、ネズミたちが宴の準備をする。これは新年を祝う宴なのだろう。

七福神合同船:白隠の漫画

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「七福神合同船」と呼ばれるこの絵は、一艘の船に集合した七福神を描く。その船は「寿」という文字をあしらった文字絵で表現されている。文字絵は白隠の特技の一つだ。この絵の場合には、「寿」という文字を分解して、マストの部分と船体の部分とを、それぞれ心憎く表現している。

騎獅文殊:白隠の菩薩像

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白隠は、観音菩薩と並んで文殊菩薩も多く描いた。白隠の描く文殊菩薩は、観音菩薩同様女人のイメージで描かれている。文殊菩薩といえば、釈迦三尊の一員として普賢菩薩と並んだ姿とか、西大寺の文殊菩薩のように眷属を引き連れた勇ましい姿で描かれることが多いが、白隠は観音菩薩同様、女人のイメージで単身の姿を描いたのである。

蓮池観音:白隠の菩薩像

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蓮池観音とは、観音の異名の一つではなく、観音が蓮の池に臨んでいる様子をあらわした言葉だろう。この絵は、白隠としては珍しい横幅の画面に、岩絵の具を用いて丁寧に描かれている。

蛤蜊観音:白隠の菩薩像

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蛤蜊観音は、中国の俗説から生まれたもので、仏教の経典にあるわけではない。その俗説というのは、唐の文宗皇帝がハマグリを食おうとして、蓋が開かないので、香を焚いて祈祷したところ、蓋があいて中から観音様が現れたというものだ。

楊柳観音:白隠の菩薩像

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白隠の描いた観音像は、慈母のイメージが強い。達磨像を初め男性的な表情における鋭い覇気のようなものに代って、観音像には女性的な優しさが顕れている。その多くは伏し目がちで、控えめな表情をしており、白隠の女性についての理想像が垣間見られる。

出山釈迦:白隠の禅画

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「出山釈迦」と題したこの絵は、山中で修行を重ね、悟りを開いた釈迦が山を下りてゆくところを描く。仏教の経典では、釈迦は川のほとりの菩提樹の木の下で瞑想し、悟りを開いた後は梵天の勧めに従って衆生の教化を始めたということになっている。川と山の違いはあるが、悟りを開いた釈迦が衆生の教化のために歩み出したというイメージは共通しているようである。

苦行釈迦:白隠の禅画

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白隠は、禅宗の祖師を描いたほか、釈迦や菩薩の絵も描いた。そのうち、白隠の描く釈迦は、説法をしたり衆生済度を行う尊い姿ではなく、修行中の姿を描いたものがほとんどだ。修行をする釈迦に、己の姿を重ね合わせていたのかもしれない。

大燈国師:白隠の禅画

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これも永青文庫所蔵の大燈国師像。乞食大燈像とほぼ同じ構図だが、頭に笠をかぶっていること、左手で椀を持っていること、背中に薦のようなものを背負っていることなどに相違が見られる。右手でなにかの印を結んでいること、左手でズタ袋を持っていることなどは共通している。

乞食大燈像:白隠の禅画

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日本の臨済宗では、日本臨済宗の発展に尽力した三人の僧を祖師として尊重している。大應国師・南浦紹明、大燈国師・宗峰妙超、関山国師・慧玄である。大應国師は、鎌倉時代に中国から日本に渡ってきて、崇福寺の開山となり、大燈国師は、大應国師の法を継いで大徳寺の開山となり、関山国師は、前二者の法を継いで妙心寺の開山となった。この三人を臨済宗では應燈関と称している。現在の臨済宗のすべての法統はみなこれにさかのぼるという。

祖師三幅対:白隠の禅画

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臨済宗には、禅共通の祖師としての達磨のほかに、臨済、雲門の二人を加え、三祖師の法統がある。臨済は八世紀の唐の時代に活躍し、臨済宗の宗祖となった人、雲門は晩唐から五代の時代に禅の興隆に尽くした人である。白隠は、この三人を並べた祖師三幅対をいくつか描いている。これは、愛知県の定光寺に伝わる三幅対である。

起上小法師:白隠の禅画

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達磨が子供用の玩具あるいは厄除けや必勝祈念のアイテムとして今日のような形になったのは、徳川時代の中ごろだったらしい。それも起上小法師という形で子供向けの玩具として始まったようだ。白隠もそのような世の動きを察知していて、達磨の起上小法師をテーマにした絵を描いている。この作品はその代表的なもので、恐らく最晩年八十歳代の作だと推測される。

半身達磨(五):白隠の禅画

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静岡県の永明寺に伝わる半身達磨像。白隠四十歳代の作品と推測されている。晩年の達磨像とは明らかに異なった特徴が認められる。だが、ふっくらとしたその表情は、やはり白隠の自画像だと考えられる。

達磨横顔図:白隠の禅画

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白隠は数多くの達磨像を描いたが、このように横顔を見せている構図のものはめずらしい。しかもこの絵は、一筆描きを思わせるような、簡略なタッチで描かれている。白隠の達磨像としては破格の描き方だ。多くの場合、白隠の達磨は正面を向いており、薄墨で輪郭線を描いた跡で、ポイントを黒く強調するというのが基本的な描き方だが、これはそれから大きく逸脱している。

隻履達磨:白隠の禅画

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白隠は隻履達磨の像を数多く描いている。隻履達磨というのは、片方の履物だけを持った達磨のことである。それには達磨にまつわる伝説がある。達磨が中国で没した三年後のこと、西域を旅していた人が達磨に出会った。片方の靴だけを持っているので不思議に思い、訳を聞くと、これから生まれ故郷のインドに帰るのだとのみ答えた。その人が中国へ戻ったあと達磨の墓を暴いてみると、そこには達磨の遺体はなく、履物の片割れだけが残っていた。

半身達磨(四):白隠の禅画

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静岡県の臨済宗寺院清見寺に伝わる半身達磨像。三百点もある達磨像のなかで、顔の部分がもっとも大きく表現されたものだ。左手に縦書きで賛が添えられ、「直指人心、見性成仏」というおなじみの標語の脇にある落款は「沙羅樹下八十三歳老僧白隠叟書」とあることから、白隠最晩年八十三歳の作品とわかる。

半身達磨(三):白隠の禅画

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三河の臨済宗寺院華蔵寺に伝わる半身達磨像。構図的には、紀州無量寺の半身達磨像と良く似ている。「直指人心、見性成仏」の賛も同じだが、こちらは達磨の顔の上ではなく、斜め左手に配されている。それ故、達磨の視線と賛との間に直接的な対応関係は見られない。

半身達磨(二):白隠の禅画

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これは紀州の串本無量寺に伝わる達磨像。無量寺は東福寺派の禅寺で、長沢芦雪や丸山応挙の作品を多く収蔵しているが、白隠の作もいくつか持っている。これはその一つだ。何時頃の作品か、詳しいことはわからないが、白隠が達磨像を多く手がけるようになった晩年つまり七十歳代の作品だろうと推測される。

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