続 壺 齋 閑 話
壺齋閑話の続編です 初編壺齋閑話は
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日本の美術
上野山内月のまつ、猿わか町よるの景:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
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2020年12月19日 17:40
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(89景 上野山内月のまつ)
上野不忍池のほとりに、奇妙な形の松の木がたっていて、月の松と呼ばれていた。11景には、清水の舞台のあたりから見下ろした不忍池と、そのほとりに立っている月の松の様子が描かれているが、この絵はその月の松をクローズアップして描いたもの。
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井の頭の池弁天の社、王子滝の川:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年12月15日 17:50
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(87景 井の頭の池弁天の社)
井之頭の池は神田川の源流となるもの。もともと水量の豊かな湧水池であったものを、家康がこれを水源として、江戸への上水供給を目的に神田上水をつくった。それが今日の神田川の由来である。神田上水が完成したのは、三代将軍家光の時。その家光が、井之頭池を訪れた際に、これを井頭と命名したと伝えられている。
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紀の国坂赤坂溜池遠景、四ツ谷内藤新宿:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
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2020年12月12日 17:51
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(85景 紀の国坂赤坂溜池遠景)
紀伊国坂は、いまでいえば、赤坂御所と弁慶池に挟まれた坂。赤坂とも言った。そこから赤坂という地名が生まれたのである。徳川時代には、赤坂御所のある土地には紀州藩の中屋敷があったので、その脇の坂を紀伊国坂と呼んだわけである。
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品川すさき、目黒爺々が茶屋:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
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2020年12月 8日 17:07
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(83景 品川すさき)
品川は東海道の最初の宿場であり、また漁場でもあった。目黒川の河口に牛の舌のように洲崎がのびていて、そこに漁師たちが住んでいた。漁師たちは、とった魚を幕府に納めるかわりに、ここでの漁猟を許されていた。
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高輪うしまち、月の岬:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年12月 5日 17:35
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(高輪うしまち)
東海道は、泉岳寺のあるあたりで、海に面して、片側だけに町屋がある片側町になっていた。そのあたりを車町、あるいは牛町といった。寛永十一年(1634)に、増上寺の造営にともない、京都から牛持ち人足が呼び寄せられ、建築材料の運搬に従事させられ、そのままこの地への定住を許されたことから車町とか牛町とか呼ばれるようになったのである。
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芝神明増上寺、金杉橋芝浦:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年12月 1日 17:16
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(79景 芝神明増上寺)
増上寺は浄土宗の関東大本山だが、徳川家の菩提寺でもあったので、江戸市内では上野の寛永寺と並んで繁栄を誇った。その増上寺に隣接して、大門の向かって右側に芝神明神社がある。毎年九月に行われる祭礼は、十日間も続くので、だらだら祭と呼ばれた。また、この時期には秋の長雨と重なるところからめくされ祭とも呼ばれた。
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鉄砲洲稲荷橋湊神社、鉄砲洲築地門跡:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年11月28日 17:24
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(77景 鉄砲洲稲荷橋湊神社)
八丁堀が隅田川に注ぐ河口のあたりに細長い洲があって、鉄砲洲と呼ばれた。ここで大砲の演習をしたことに基づく。鉄砲洲の一角に稲荷神社があって、別名を湊神社とも波よけ神社ともいった。現在でも存在する。
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神田紺屋町、京橋竹がし:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
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2020年11月24日 17:13
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(75景 神田紺屋町)
徳川時代の神田一帯には職人町が形成されていて、職域ごとに住んでいた。町の名は、その職業を反映したもので、紺屋町には紺屋の集団が集まっていたのである。この他、鍛冶町(鍛冶屋)、大工町(大工)、白壁町(左官)、雉子町(木地師)、須田町(果物)などがあった。
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市中繁栄七夕祭、大伝馬町こふく店:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年11月21日 17:36
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(73景 市中繁栄七夕祭)
この絵からが、秋の部。市中とあるだけで、場所の明示はないが、おそらく広重が住んでいた南伝馬町あたりだろうと思われる。そのあたりは賑やかな商業地で、この絵にあるような蔵が櫛比していたし、南西の方角には富士がよく見えた。
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利根川ばらばらまつ、はねたのわたし弁天の松:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
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2020年11月17日 17:11
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(71景 利根川ばらばらまつ)
利根川ばらばらまつとあるところから、利根川のどこかを描いたものだろうが、場所が特定されていない。投網の様子が描かれているが、徳川時代には、この漁法は河口から五十丁(約五キロ)まで許可されていた。それを前提にすれば、利根川の河口、つまり銚子から遠くないところということになるが、それだと江戸からは完全に別の世界だ。このシリーズには相応しくない。
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深川三十三間堂、中川口:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年11月14日 17:30
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(69景 深川三十三間堂)
深川三十三間堂は、富岡八幡宮の東側にある運河沿いに立っていた。京都の三十三間堂を真似たものが浅草にあったが、それが元禄十一年(1698)の火事で焼けたので、同十三年(1700)に深川に再建された。規模は京都の三十三間堂と同じで、運河を背にして南北方向に立ち、西側を向いていた。
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逆井のわたし、深川八まん山ひらき:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年11月10日 17:07
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(67景 逆井のわたし)
逆井の渡しは旧中川にあったもので、今の大島と西小松川を結んでいた。竪川に沿った佐倉街道の渡し場だった。佐倉街道は小松川から小岩を経て市川に向っていた。千住大橋ができると、千住を経由して小岩へ出る道が開かれ、それが佐倉街道と呼ばれるようになったので、逆井の渡し付近は元佐倉街道と呼ばれるようになった。
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亀戸天神境内、五百羅漢さざゐ堂:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年11月 7日 17:30
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(65景 亀戸天神境内)
亀戸天神は、正保三年(1646)に太宰府天満宮から勧請したのが始まりというから、比較的新しい。太宰府天満宮を模した社殿とか、心字池や太鼓橋を配し、東の大宰府などと呼ばれた。境内には、天神のシンボル梅のほか、藤が植えられ、そちらのほうが人気を博した。毎年初夏に藤が咲くと、大勢の人々が花見に訪れた。かの正岡子規も病身に鞭うって藤見物に来た。
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綾瀬川鐘か淵、堀切の花菖蒲:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年11月 3日 17:07
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(63景 綾瀬川鐘か淵)
綾瀬川は埼玉県内を流れ、墨田川が千住大橋の先で大きく湾曲する部分に流入している。いまでは荒川放水路によって、綾瀬川本流はそちらのほうへ合流してしまい、河口付近の一部が盲腸のような形で残っているに過ぎない。その盲腸部分のやや下流にあるのが鐘ヶ淵村だ。かつて鐘紡の工場があった。
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浅草川首尾の松御厩河岸、駒形堂吾嬬橋:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年10月31日 17:20
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(61景 浅草川首尾の松御厩河岸)
首尾の松とは、浅草御蔵の一角にあった松の木を言う。浅草御蔵は浅草橋を出て数丁行った先の墨田川沿いにあった蔵で、幕府の直轄地から収められた年貢米を貯蔵していた。この年貢米を旗本や御家人に分配する仕事を請け負ったのが札差。かれらは後に、扶持米を担保にして、旗本たちに金を貸し付けたりして、巨富を築いた。
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両国橋大川はた、浅草川大川端宮戸川:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年10月27日 17:25
)
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(59景 両国橋大川はた)
両国橋は明暦の大火(1657)の教訓から、寛文元年(1661)に架けられた。当初は大橋と呼ばれていたが、武蔵、下総の国境にあるところから、両国橋と呼ばれるようになった。その両国橋から霊岸島にかけての墨田川右岸を大川端と呼んでいた。
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みつまたわかれの淵、大はしあたけの夕立:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年10月25日 11:20
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(57景 みつまたわかれの淵)
隅田川が新大橋の下流で大きく湾曲するあたりに中州という地名がある。かつてはその名の通り周囲を水に囲まれた中州があった。一旦は埋め立てられて、そこに両国と並ぶ歓楽街が出来たが、墨田川が度々氾濫するので、水流をスムーズにする目的で西側が掘削され、再び中州になった。
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佃しま住吉の祭、深川万年橋:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年10月20日 17:04
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(55景 佃しま住吉の祭)
佃島は漁師の島である。家康が摂津の佃村から呼び寄せた漁師たちが、江戸湾の隅田川河口にあった洲を埋め立てて島を造成し、そこを故郷の名にちなんで佃島と名づけた。漁師たちは、漁をして生活する一方、魚介類や海苔を醤油で煮しめたものを自家用の保存食に作っていたが、これが市中にも出回るようになると、佃煮と称されて人気を博した。
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増上寺塔赤羽根、外桜田弁慶堀麹町:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年10月17日 17:37
)
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(53景 増上寺塔赤羽根)
芝増上寺は上野の寛永寺と並んで徳川家の菩提寺。歴代将軍のうち六人の墓がある。浄土宗の大本山として、京都の知恩院をしのぐ勢いがあった。その増上寺の南西に赤羽根川が流れ、その一角に赤羽根橋がかかっていた。
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麹町一丁目山王祭ねり込、赤坂桐畑:広重の名所江戸百景
続壺齋閑話
(
2020年10月13日 17:21
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(51景 麹町一丁目山王祭ねり込)
半蔵門から四谷を経て新宿に延びる通りを今では新宿通りというが、徳川時代には麹町といった。甲府へ向かう道であるところから甲府路(こふじ)といい、その起点にあることからこふじまちと言った。起点から四谷見附までが十丁、四谷の外側に三丁あった。
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