日本の美術

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「旭日雄鶏図」は、真紅の旭日に向かって、松の枝の上に止まった雄鶏が見上げているところを描く。構図としては単純だが、雄鶏の描き方は、毛の一本にいたるまで、実に丁寧だ。こうした鶏の描き方は、動植綵絵における初期の鶏の描き方に通じるところがある。

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若冲は、葡萄をテーマにした絵を、障壁画を含めて何点か描いている。葡萄は繁殖力が旺盛なことから、縁起がよいとされ、襖絵や掛軸には相応しいとされたようである。この絵も、そんな葡萄のおめでたいイメージを表したものだろう。

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「虎図」は、署名と並んで「宝暦五年乙亥首夏」との記載があることから、家業を弟に譲って画業に専念し始めた年の作である。また「我画物象非真不図、国無猛虎倣毛益摸」とあることから、南宋の画家毛益の作を模倣したと若冲本人は主張しているのがわかるが、実際に若冲が模倣した原画は、正伝寺所蔵の李公麟筆「猛虎図」であるとされる。

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紅く色づいたかえでのもみじを背景に、一対の小禽を描く。植物のほうが前景に出ていることは、菊花流水図と同じだ。面白いのは、モミジの葉の一枚一枚が、濃淡の差をともないながらも、ほぼ同じ形に描かれていることだ。かえでの三本の枝も、大きさの違いはありながらも、全く同じ方向をむいている。そんなわけで、この絵には反復があふれていると言ってもよい。

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「菊花流水図」は、流水を背景にして咲き誇る菊の花を描いている。白やピンク、紅の菊の花が、空中を漂っているような感じで描かれ、菊の花弁の合間や岩の上に数羽の小鳥が遊んでいる。このように、植物を大きく描き、禽獣を添え物のように描くのは、動植綵絵シリーズの最終局面に近い頃の作風と言えよう。

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「芦鵞図」は、水辺の芦を背景にして一羽の白い鵞鳥を描いたものである。この作品の著しい特徴は、背景をほとんど墨で描いていることだ。水墨と絵の具で描くと言うのは、中国絵画の伝統を取り入れたのであろう。

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「群魚図(鯛)」は前出の「群魚図(蛸)」と一対をなすものである。明治五年の京都博覧会に陳列されたときのチラシには、一対のものとして「魚尽くし」と命名されていた。二点のうちのこちらは鯛をもっとも大きく描いているところから、便宜上「群魚図(鯛)」とした。若冲が命名したわけではない。

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「群魚図(蛸)」は、海の中を泳ぐさまざまな生き物を描いている。蛸を中心に、その種類は十六通り。すべての生き物が左斜め下のほうへ向かって泳いでいる。このようにすべての対象を同じテーマで統一するところは、若冲の大きな特徴の一つだ。

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「老松白鳳図」は、松の木の枝に片足で止まり、大きく羽を広げた鳳凰を描いている。画面右上には旭日の一部がある点で、老松白鶏図と同じ構図だが、鶏のうちの一羽が旭日を見上げているのに対して、この鳳凰は旭日を見ていない。鳳凰の描き方は、尾羽の部分を除き、旭日鳳凰図のそれとほとんど同じである。ただ、こちらは全身が白いことが違っている。

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「貝甲図」は海辺近くの砂浜にいる貝の類を描いたもの。青く塗った曲線模様の部分が海水の流れをあらわしている。その波に洗われるかのように、さまざまな種類の貝や珊瑚の塊が描かれている。

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「池辺群虫図」は、水辺に実を成らした瓢箪とそれに群がる昆虫や小動物を描いたものである。描かれた生き物は六十種類もある。それらのひとつひとつを、丁寧に描き分けているのは、若冲らしいところだ。瓢箪の実も、虫に食われた後があったりして、なかなか手が込んだ描き方になっている。

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「牡丹小禽図」は、「薔薇小禽図」と一対をなすものだろう。画面にびっしり隙間なく牡丹の花と葉が描かれ、そのほぼ中央に一対の小禽が描かれている。右側の小禽は、赤いの蕾の上に止まって、首を背後に曲げて上のほうを眺めている。左手の小禽は、牡丹の木らしいものに止まって、配偶者のほうを見つめているのであろう。

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「薔薇小禽図」は、咲き広がった薔薇の花を背景に一羽の小禽を描いたものである。薔薇は三種類あり、それぞれ紅、うす紅、白の花弁を開いている。どの花も、上からの視線で描かれ、その形状はほとんど同じである。普通ならこうした描き方は稚拙さを感じさせるものだが、若冲の手にかかると、独特のリズム感を伴うようになる。

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鶏の画家若冲の代表作ともいえるこの絵は、文字どおり鶏だけを描いたものだ。鶏冠を頼りに数えてみると十三羽いるが、もしかしたら、他の鶏の陰に隠れているのが他にもいるかもしれない。そう思わせるほどこの絵は込み入った印象を与える。個々の鶏の頭部と胴体とがどうつながっているのか、一見してわからないところがある。

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「雪中錦鶏図」は、雪化粧をしたかやの木を背景にして一対の錦鶏鳥を描いたものである。錦鶏鳥はキジの仲間で鮮やかな色彩が特徴である。オスは一メートルもの大きさになる。この絵では、そのオスが全身を見せているのに対して、メスのほうは、オスの陰にかくれて上半身のみを覗かせている。

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「桃花小禽図」は、枝いっぱいに咲き広がった桃の花を背景に、五羽の小禽を描いたものだ。五羽のうち三羽は白鳩、二羽は青い羽と白い腹をした小鳥だ。二羽のうち一羽は、桃の枝に隠れて、頭しか見えない。一方鳩のほうは、三羽ともすっきりと見える。背景から白が浮き上がっているせいだ。

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「蓮池遊魚図」は、蓮池の水中を悠々と泳ぎまわる魚たちを描いたものである。魚はあわせて10尾おり、そのうち9尾は鮎、一尾はオイカワだと思われる。これらの魚がすべて横からの視点で描かれており、しかもほとんど同じ姿勢である。一群の対象をほとんど相似的に描くのは若冲の特徴の一つで、この絵ではそれが不自然さを感じさせない。

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「棕櫚雄鶏図」は、林立する棕櫚を背景に二羽の雄鶏を描いたものである。そのうち一羽は軍鶏で、もう一羽は白鶏だ。軍鶏の姿は、南天雄鶏のそれと、白鶏のほうは「向日葵雄鶏図」の雄鶏を反転させた姿と似ている。ただし、こちらのほうが後でつくられたせいか、描き方はいっそう洗練されている。

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「梅花群鶴図」は、枝いっぱいに咲き広がった梅花を背景に、六羽の鶴を描いたものである。鶴が六羽いることは、脚の数からわかるので、頭を数えてもわからない。それらの鶴は一様に、小さな頭と長くて細い脚が特徴だ。頭にいたっては、背後の梅の花とほとんど同じ大きさだ。鶴の頭が小さすぎるのか、梅の花が大きすぎるのか、この画面からは判然としない。

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「南天雄鶏図」は、たわわに実をつけた南天の木を背景に軍鶏を描いたものである。軍鶏は両脚を踏ん張り、頭を後ろに回して、何かを見つめている。おそらく南天の実であろう。南天の実は画面一面に無造作に描かれているようだが、軍鶏も視線とかかわりを持つことで、画面上の必然性を主張しているかのようである。

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