日本の美術

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兵庫県の香住町にある大乗寺に、応挙とその一門が計百六十五面の襖絵を描いた。そのうち応挙は八面を担当した。図柄の郭子儀は、唐の玄宗皇帝に仕えた武将で、人格円満、子孫も反映したので、おめでたさを象徴する人物として、好んで画題に選ばれた。

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「木賊兎図」と題するこの絵は、木賊を背景にして三匹の兎を描いている。その三匹にはそれぞれ動きがあって、一番左手の兎が後ろのほうへ向いていることで、木賊に連続する視点を導いている。

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朝顔と子犬を描いたこの絵は、愛知県の明眼院という寺の杉戸に描かれたものだ。現在は東京国立博物館裏の応挙館に収められている。

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「雪松図屏風」と題したこの一双の屏風図は、豪商三井家の注文を受けて描いたもの。三井家は呉服屋として出発し、両替なども手掛けながら、当時日本有数の豪商に発展していた。その三井家の勢いを、この屏風図は感じさせるように描いている。

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竹をモチーフにしたこの一双の屏風絵は、題名にもあるとおり「竹」を通じて雨や風を描いている。その雨やら風は、表面上は目に見えないが、竹の動きを通じて伝わってくるように描かれている。その描き方から見て、左隻が雨、右隻が風を描いていることがわかる。

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「藤花図屏風」は応挙の代表作と言ってよい作品。藤の花を写実的に描いていながら、単純な写実にとどまらない。対象を大胆に省略しながら、対象の持つ本質的な形象を浮かび上がらせるように描いている。

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「寒菊水禽図」と題したこの絵は、「飛雁芙蓉図」と夏冬一対をなすもの。冬の冷たい氷の上を遊ぶ水禽を描いている。応挙四十一歳の時の作品である。

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雲竜図屏風は京都の東寺観智院に伝来していたもので、灌頂の儀式に用いられていたという。水の儀式でもある灌頂の儀式には、水の王者である龍ほどふさわしいものはないということであろう。

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「牡丹孔雀図」も三井寺円満院の祐常門主の依頼で描いた。応挙は農民出身で、主流派の狩野派にも属さなかったが、比較的若い頃から名声が高かった。その背景には、天皇家に連なる祐常門主や豪商三井家の保護があった。

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七難七福図は、三井寺裕常門主の依頼を受けて描いたもので、任王経にもとづき人の七難七福のありさまをイメージ化したものだ。全三巻からなり、それぞれ天災、人災、福をテーマにしている。三巻とも優劣つけがたいが、福の巻がもっとものびのびとした筆づかいとの定評がある。

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円山応挙といえば写生画といわれるほど写実的な絵が売り物だったが、初期には伝統的な技術に乗っかった絵を描いていた。それらの絵には、構図や色彩配置に、日本画独特の特徴を見て取ることができる。しかし応挙は単に伝統を受け継ぐことでは満足しなかった。そこに自分独特のものを追加し、新鮮な図柄を想像することをめざしていた。

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十八世紀の後半、徳川時代の半ば頃に、日本画は円熟期を迎える。伊藤若冲、曽我蕭白、池大雅、与謝蕪村といった画家たちが輩出し、それぞれ独特の境地を開拓して、人々の支持を得た。そのなかで円山応挙は、写生を重んじ、写実的な絵を描いた。円山応挙が出ることによって、写生画への関心が一気に高まったのである。

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「竹林に猿蟹図」は、雪村の最晩年、三春時代の作だろう。真竹の林の中で、蟹をつかまえよとする猿たちを描いている。蟹は藻屑蟹と思われる、それを一匹の猿が左手をのばしてつかもうとし、その背後では三匹の猿たちが様子を見守っている。猿たちの様子や表情からみて、前方にいて蟹をつまもうとしているのがボス猿なのだろう。

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雪村は最晩年の七十歳代に、福島県の三春に隠棲した。ここで七十一歳の時に、「竹林七賢図屏風」を制作している。竹林七賢とは、中国の三国時代に実在したとされる人物像で、竹林に集い酒を飲みつつ清談したことから、竹林の賢人と呼ばれるようになった。その賢人たちに、老年の雪村が自分のイメージを重ねたということか。

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「花鳥図屏風」は、雪村晩年の60歳代に、北関東の足利、佐野に滞在していた頃の大作。左右両隻に、それぞれ花鳥の様子をのびのびと描いているが、右隻は、早春の頃の生命の躍動を、左隻は、夏の夕暮れ時の静かさをテーマにしている。右が陽、動、剛のイメージを、左が陰、静、柔のイメージと言った具合に、左右対称を意識している図柄だ。

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雪村は山水図をよくしたが、これはそのうちの傑作。雪村の山水図屏風としては、比較的早い時期の作品と考えられる。山水図屏風は、この頃様式的な完成期を迎えていた。それは左右両隻の端に山容を描き、両者の中間に水景を描くというもので、構図的にもっとも安定したものである。雪村は、その構図法に従ってこの作品を描いている。

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呂洞賓は、中国八仙人の一人。中唐時代の実在の人物だといわれる。古くから仙人として尊崇され、元の武宗から神仙の称号を贈られた。純陽子とも称するが、それは周易の乾卦にもとづく。乾卦はすべて陽の爻からなる。それで純陽子というわけである。

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蕪を描いたこの絵は、「叭叭鳥」同様、鎌倉円覚寺の四印道人こと景初周隋の着賛がある。鎌倉滞在時の作品であろう。地中から掘り出したばかりの一本の蕪を、飾らない単純な構図で描いている。形が大根のようにも見えるが、れっきとした蕪であることは、賛の文面からも推し量られる。

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(波図)

「波岸図」には先行作品がある。南宋の画家玉澗の「波岸図」である。玉澗の作品は、波と岸の図を一つの画面に描いていたが、将軍足利義政が二枚に切断し、それぞれを「波図」、「岸図」と呼んで、茶人たちが愛好した。雪村は、その切断された波岸図を参考にして、この作品を描いた。はじめから二点の絵としてである。

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雪村は「溌墨法」を用いて描いた「溌墨山水図」を数多く作った。この作品はその代表的なものである。溌墨法というのは、中唐の画家王墨が案出し、南宋の玉澗が大成した技術。墨をはねちらし、筆を使わずに形を整えるというものである。

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