日本の美術

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「風神雷神図屏風」は、宗達畢生の傑作と言ってよい。落款も印章もないが、生前から宗達最高傑作と称せられ、後世にも光琳や抱一が京都建仁寺に赴いて、この図の模写を行っている。図案といい、色彩と言い、日本画の歴史上にそびえる名作である。

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「舞楽図屏風」は、宗達が醍醐寺のために描いたものだ。醍醐寺は、秀吉の花見で有名だが、舞楽とも縁が深いらしい。宗達の「舞楽図屏風」は、そうした醍醐寺の歴史を踏まえていると思える。

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松島図屏風は左右が一体となって一つの画面を構成しているので、この左隻の図柄は当然、右隻の延長としての風景を描いている。両者をつなげるのは、波打つ海と黄金に輝く浜だ。海はともかくとして、浜の描き方は、かなり様式的だ。その形象は、あたかも雲を思わせる。

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六曲一双の「松島図屏風」も、ワシントンのフリーア美術館の所蔵である。国内にある「源氏物語関谷澪標図屏風」と並んで、宗達の金璧障屏画の代表作である。現存するものは六曲一双だが、もともとは六曲四隻だったという指摘もある。左の延長にさらに二隻があって、それらには伊勢物語東下りの場面が描かれていたという説であり、それが事実なら、この図柄は松島ではなく、伊勢の海ということになろう。だが、今では、現存のとおり六曲一双の絵として見、描かれているのは松島だという前提で鑑賞されている。

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「雲龍図屏風」は、「松島図屏風」とともに海外に流出した宗達の傑作。ワシントンのフリーア美術館が所蔵している。水墨画の名品だ。六曲一双の屏風絵で、左右の龍が互いに睨みあっている図柄だ。どちらも背景を黒く塗りつぶすことで、龍の輪郭を浮かび上がらせる工夫をしている。また、波の描き方に、宗達らしい特徴がある。

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京都の日蓮宗寺院頂妙寺は、宗達の墓があることで知られているが(真偽は確かではない)、そこには宗達の牛を描いた双福の掛軸が保存されている。普段は非公開で、特別公開の際も双福がそろって公開されることはない。なお、この頂妙寺は、有名な安土宗論に日蓮宗を代表して僧を派遣したほど、日蓮宗にとって重要な意義を持った寺である。

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宗達の水墨画の最大の特徴は、「たらしこみ」という技法を生かしていることである。たらしこみというのは、墨を塗ったあと、それが乾かないうちに墨を加えることで、墨のにじみの効果を利用した技法である。この技法を活用することで、水墨画らしい濃淡のコントラストを表現することができる。

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宗達の襖絵「源氏物語澪標図」は、同「関屋図」とともに一組をなすものだ。宗達はこれらが一対の組を形成していることを、さまざまな面で強調している。山に対する海、静に対する動、水平線の強調に対する垂直線の強調などである。こうしたコントラストの強調を通じて、この一対の絵が、有機的につながりあっていることを主張しているかのようである。

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宗達の六曲一双の襖絵「源氏物語関屋澪標図屏風」は、「風神雷神図屏風」と並んで、宗達最高傑作との評価が高い。法橋宗達の落款があることから、寛永七年以降の、宗達の後期を代表する作品である。金地の上に、豪華絢爛たる世界を現出せしめている。

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養源院の客殿には、宗達の襖絵が二十面あったが、今日はそのうち十二面が残っている。松の間と呼ばれる座敷の、東西両面と南面とに、座敷をぐるりと囲むように配置された松の図柄が、力感をもって迫ってくる。

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養源院本堂廊下の東端に、西端の唐獅子図に向き合う形で、「白象図」の杉戸絵がある。「唐獅子図」同様二枚一組で、向かって左側には、牙をむきだして身構え、今にも敵に襲い掛かろうとしている象が、右側には、その象を見下ろしている仲間らしい象の姿が描かれている。

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養源院は、三十三間堂に隣接する浄土真宗の寺院。秀吉の側室淀殿の祈願で、淀君の父浅井長政を供養するために、文禄三年(1594)に創建された。その後元和五年(1619)に焼失したが、同七年(1621)に淀君の妹で徳川秀忠夫人の崇源院が再興した。その際に、現在の本堂で、当時の客殿にあたる建物の内部に、狩野派と宗達による襖絵等が描かれた。狩野派は、徳川家に縁のある画師であるから、養源院の装飾に加わるのは自然であるが、一介の町絵師にすぎなかった宗達がなぜこのプロジェクトに参加できたか。いろいろな憶測がなされている。

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宗達が水墨画の傑作を生みだすのは、中期以降のことだ。宗達の水墨画の最大の特徴は、それが金銀泥絵の延長として描かれたことだ。銀泥は、水墨と共通する性質があるので、銀泥画が自然に水墨画に移行できるということもある。その境界を感じさせるのが、「蓮下絵百人一首和歌巻(断簡)」だ。この絵は、銀泥で描かれたものだが、一見したところ水墨画とほとんど同じ印象を与える。宗達はおそらく、銀泥画に成熟したあとに、水墨画に進んだのだろうと思われる。それは家業の金銀泥絵から出発した宗達にとって、飛躍だったにちがいない。

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宗達の実家俵屋は、絵屋として、市中にかなり知られていたようである。俵屋は、基本的には大衆的な絵屋として、貴族や寺社の求めに応じて書くというより、庶民の需要に応えていたものと推測される。その需要の主なものは、襖に張り付けることを目的とした図であるとか、扇の装飾だったと思われる。これは、宗達の家業というべきものだから、おそらく生涯のあらゆる時期にわたって制作したのだと思われる。しかし、単体として残っているものは数少ない。特に扇の場合には、扇の形としてではなく、扇面のために書かれた図柄を、襖に張り付けた形のものが残されている。

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蓮下絵百人一首和歌巻は、宗達と光悦とのコラボレーション作品のうちで、掉尾をかざるものである。そのことは、巻末に置かれた「大虚庵光悦」という落款から推測できる。光悦がこの落款を用い始めるのは、鷹が峰の光悦町への移住後のことだからだ。その事実をもとに、この図の制作年代は、元和年間(1515-23)の初頭ころと推測される。

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宗達は若年の頃、本阿弥光悦とのコラボレーションからいくつもの傑作を生みだした。光悦は、宗達とほぼ同年齢と推測されるが、その多面的な才能によって、慶長期から徳川時代初期にかけての日本の美術をリードした巨匠である。その光悦と宗達は遠いながらも親戚の間柄で、それが機縁となって両者のコラボレーションが実現したという見方もあるが、必ずしも確証があるわけではない。わかっていることは、宗達の描いた下絵の上に、光悦が書を載せ、両者が相まって、独特の美的世界を演出したということである。光悦の才能は書に限られるわけではなかったが、書においては当時の日本を代表する書家であり、それにユニークな絵師であった宗達が協力することで、前代未聞の新しい美的境地が開発されたと言える。

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俵屋宗達の作品のうち、年代がはっきりしている最古のものは、慶長七年(1602)に行われた厳島神社所蔵「平家納経」補修作業に参加した際の補作である。平家納経とは、長寛二年(1164)に、平清盛が一門を率いて厳島神社に参拝したした際に奉納した経巻で、願文を添えて三十三巻からなり、各巻とも法華経の経文に金銀泥で描かれた図柄が添えられていた。これの保存状態が悪くなったため、補修作業が行われたわけだが、その作業に宗達も加わったのである。平家納経といえば、重要文化財として認識されていたはずであり、それの補修作業に加わったということは、宗達の技量が世に認められていたことを物語ると考えてよい。この時宗達は、三十歳前後だったと推測される。

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俵屋宗達は、今日では琳派の開祖として知られている。しかし宗達自身にはそのような意識のありようがなかった。琳派というのは、元禄時代を中心に活躍した緒方光琳とその弟子たちにつけられた名称であり、徳川時代の中期には酒井芳一のような有力な後継者が出て、日本の絵画史上の一大流派となったわけだが、宗達は光琳よりずっと前の世代の画家であるからして、後代の流派の名で宗達を呼ぶのは、宗達自身にとって不本意だと思われる。せめて琳派の先駆者ぐらいの位置づけにしておくべきだろう。

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金剛力士(仁王)像といえば、東大寺南大門のように、寺院の門の内部に安置されるものがイメージされるが、興福寺の場合には、西金堂の中に、本尊の脇時として安置されていた。それ故、サイズは人身大であるが、この両像は、南大門のそれに劣らぬ迫力を感じさせる。

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興福寺の東金堂にあった梵天・帝釈天像のうち、帝釈天像は建仁元年(1201)に定慶によって作られ(現在は根津美術館蔵)、梵天像は翌建仁二年(1202)に作られた。梵天像の背面の墨書に、大仏師定慶、小仏師盛賀及び定賀によって作られたとの記録がある。

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