旅とグルメ

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(妙心寺 桂春院)

食後天龍寺の塔頭宝厳院に赴くも、門を閉ざしてあり。しかして何らの表示もなさず。定休日なるや長期間の休止なるやを知るあたはず。

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(桂離宮 天橋立)

二月廿五日(水)半陰半晴。この日は桂離宮を見物す。十時参観組の許可証を交付せられてあれば、昨日より時間の余裕あり。朝食を喫して八時半にホテルを出で、京都駅前より八時四十五分発三十三系統のバスに乗り、九時十分頃桂離宮前停留所に至り、桂離宮正面受付に九時二十分頃到着す。正式の入場門は工事中にて閉ざされてあり、その横手に設けられたる仮説の入口をくぐって中に入る。昨日同様別棟にて事前案内を聞き、十時丁度に女性係員に先導せられて構内の見物を開始す。

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(大徳寺山門)

曼殊院にてタクシーを呼び寄せ大徳寺に至る。大徳寺は洛北の大寺にて鎌倉時代末期創建になる禅寺なり。徳川時代には朝鮮通信使の宿所にもなれり。大規模の使節団を収容するに足る大寺院はさうはあらざれば、大徳寺の規模の壮大さを知るべきなり。

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(修学院離宮 下の離宮)

二月廿三日(火)陰、時に晴る。この日は修学院離宮より九時開始の見物案内許可を得たれば、朝食後七時半頃ホテルを出で、京都駅より地下鉄烏丸線に乗って終点の国際会館前にて降り、そこよりタクシーを雇ひて離宮に至る。離宮へは八時半頃に到着す。門前に揃ひの半被を着たる集団あり。襟元に熱田神宮豊年講とあり。その数三十名ほど。いづれも老人ばかりなり。この人々とともに案内せらるるのやと思ひしや、彼等は離宮の係員に先導されて別途中に入りたり。門前に立ち止まりて開門を持ちをりし我々ほかの者は、これらの人々とは別に、簡易建物のなかに案内せられ、そこにて離宮紹介のビデオを見せられて後、離宮の係員に案内せられ離宮内を巡覧して歩く。

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(醍醐寺三宝院)

醍醐寺には以前訪れたることあれど、その折には三宝院に立ち入らざりき。この日は逆に、醍醐寺の本堂構内には立ち入らず、もっぱら三宝院の庭を見たり。この庭は秀吉により作られたるものにて、桃山時代の様式を伝ふるものとして貴重な遺構なる由。

余京都へ旅するごとに古刹の庭を見るを楽しみとなすも、未見の庭いまだ多し。よってそれらを一度に観了せんとて特別に計画を立てたり。あはせて桂・修学院の両離宮をも見物せんとす。老人の趣味なれば同行者を伴はず。一人旅を楽しまんとすなり。

先日四方山話の会の連中と新年会をやった時、それぞれ自分の生きてきた半生について語ることにしようということになり、筆者がその先陣を仰せつかる事となった。そこで、なにを話すかあらかじめ準備して席に臨んだ次第だった。会場は新橋の烏森神社の隣にある古今亭という料理屋、この界隈で明治の頃から鳥料理を出している老舗ということだ。今夕のメンバーは筆者のほか、福、石、浦、岩、田、柳それに七谷の諸子。前回のメンバーから二人が抜けて一人が加わった勘定だ。

山子夫妻、落、松の諸子と遅めの新年会を兼ねて小宴を催した。場所は恵比寿ガーデンプレイスの高層ビル38階にある日本料理屋吉祥。約束の時間に一秒の狂いもなく着いて見ると、他の四人はすでに席に着いていた。挨拶をかわしながら自分の席に座る。そこは大きな窓の側にあるテーブル席で、眼下には東京の夜景が広がっている。窓は東の方向に向いているので、正面に東京タワーが、その左右には向かって右側から品川の高層ビル群とレインボーブリッジが、中央部分には赤坂辺りの高層ビル群が、そして左手には池袋や新宿の高層ビル群がつながっている。久しぶりに見る東京のスカイラインは、こうして品川辺りから新宿へかけて、切れ目なく続く高層ビル群の繋がりによって区切られているわけだ。その様子はまるで壮大なパノラマ絵巻を見るようであり、香港の夜景にも劣らぬ見事な眺めだった。

あひるの仲間たちと西新宿のいつもの店で新年会を催した。六時頃に六羽が揃った。みーさんあひる、オーさんあひる、横ちゃんアヒル、あんちゃんあひる、いまちゃんあひる、それにえかきあひること小生を合わせた六羽である。少尉あひるは急病で来られなくなり、静ちゃんあひるは遅れるというので、とりあえず六羽で乾杯した。

豊穣たる熟女たちと新年会をやった。場所は船橋にある豆腐料理屋のチェーン店「梅の花」。五時過ぎにJR船橋駅の改札口前で待ち合わせ、四人揃ったところで店のある東武デパートのエレベータ乗り場に向かう。筆者を先頭に人込を掻き分けて進み、エレベータ乗り場に近づいて後ろを振り向くと誰もいない。はてどうしたことかとあたりを見回したが、なんの痕跡も見当たらない。たった数十秒の短い間に、成熟した女性が三人も忽然と姿を消してしまったのだ。

学生時代に仲良くしていた連中と久しぶりに顔を合わせた。場所は八丁堀のおでん屋レイテンという店。集まったメンバーは、福、石、浦、岩、谷、小、田、柳に筆者を加えて九人。店に入ってみると、そこはこじんまりとした空間で、すでに、福、石、浦の諸子が席についていた。随分久しぶりだな、と声をかけ合う。筆者がこの連中と会うのは、あの3.11の年以来5年ぶりのことだ。彼らは互いに連絡があるらしく、三年ほど前から定期的に飲み会をやっているという。筆者も今回その輪に入れてもらったという形だ。

今回のイタリア旅行は、わずか六泊の短いものだったが、かなり無理をして歩き回ったせいもあって、結構中身が濃いものになった。風景や文化に触れることができたのは無論だが、イタリア人の人情というか、彼らの気さくな態度が非常に印象に残った。イギリスやフランスを旅すると、かならず一回や二回は、自分が黄色人種の東洋人であることを意識させられるのだが、ローマやナポリではそういうことがなかった。彼らが我々を同じ人間として待遇してくれるのである。そのうえ、ホテルの廊下やレストランなどでイタリア人とすれ違ったりした折、イタリア女性からチャーミングな笑顔を向けられたりして、いい気持ちにさせられたりもした。日本でも、そういうことは滅多にない。また、年をくっているとはいえ、男が二人連れ添って歩いていると、パリなどではゲイに受け取られることがあったが、ローマではそういうことを感じさせられることはなかった。イタリア人というのは、さばけた人だという感じがする。

十一時頃チェックアウト手続をなす。ホテル利用税一人一泊あたり六ユーロ合計七十二ユーロを支払ふ。ややして旅行会社のイタリア人エージェント迎へに来る。マイクロバスに乗せられ他に日本人二名を拾ひ空港に向ふ。途次運転手とエージェント会話に夢中となる。そのため運転手の余所見をすること頻繁なり。余聊か身の危険を感じたれば自発的にシートベルトを着用せり。

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(カラカラ浴場)

十月一日(木)夜来雨なり。ネットにて天気予報を見れば日中には晴るべしとある故出発までの間カラカラ浴場を訪ふこととす。外に出んとするにホテルの玄関先に二人の男佇みて傘を売りをりたり。また地下鉄カストロ・プレトーリオ駅にも傘を売る者の姿を数人見る。雨が降るごとに傘を売らんとして出没するものの如し。

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(ベリーニ広場)

考古学博物館前のマリア・ディ・コスタンティノーポリ通りを歩み行けばややしてベリーニ広場に至る。ここより南東方向ガリバルディ広場へ至る一体をスカッパ・ナポリと言ふ。ナポリの下町にして同時に歴史地区と言はるる地域なり。庶民的雰囲気がいかにもナポリらしいとて映画にもたびたび描かれ来れるなり。

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(ナポリ湾沿の散策路)

サンタ・ルチーア通りに面せるマリーナなるレストランにて昼餉を喫す。路上席に座して海風を受けながら食事するは洒落たものなり。店の前を通り過ぎる地元のものと思しき者の中には店員に気さくな挨拶をなして行く者もあり。人情の厚さを感ぜしむるなり。

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(ムニチーピオ広場)

九月三十日(水)快晴。この日はナポリに日帰り遠足をなさんとて八時過にホテルを辞し、テルミニ駅より八時四十五分発ナポリ行特急列車フレッチャロッサに乗る。列車は二十分ほどしてフィレンツェ行の時同様田園地帯に入りぬ。緑が心持濃く感ぜらるるは南へと向ひをるためなるべし。ナポリ駅に近づくにつれ高層の建物を目にす。ローマには見ざる光景なり(尤もナポリ都心に高層建築を見ることなし)。

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ホテルに小憩して後、夕刻いつものチェルナイア通りを歩みてマイバスに至る。ここよりアリアとカンツォーネのディナーショーに赴かんがためなり。余ロンドンにてはミュージカル、パリにてはオペラ、シャンソン喫茶と言ふ具合に海外旅行には必ずナイトショーを楽しむこととしをりしが、ローマについてはガイドブックを検索しても適当なるものを見出すことを得ず。旅行会社推奨のディナーショーにて我慢することとはしたるなり。このショーはどうやら日本の旅行会社が現地のレストランと特約して設けたるものの如くにしてあまりパッとせざるもののやうなれど、一晩の無聊を慰むるに足るべし。

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(サン・タンジェロ城)

ヴァティカン美術館を辞して後ヴィットリアーノ駅より地下鉄に乗りレプブリカ駅に下車してマイバスを訪ふ。文子の遺失物の取扱について相談するためなり。文子マイバスの係員に空港へ電話もて問ひあはしめたるところ該当する遺失物の届出はあらずとのこと。イタリアにては遺失物がもどることは殆ど期待しえぬやうなり。ただし、保険の約款によっては運転免許証の更新費用くらゐはもどる可能性なきにしもあらずとアドバイスせらる。

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(ヴァティカンの外壁)

九月廿九日(火)晴。朝食を済ませて後八時四十分にホテルを出でテルミニ駅に向かって歩く。駅近くのタバッキにて地下鉄・バス共通二十四時間乗車券を買ひ求めチンクエチェント広場より地下鉄に乗る。オッタヴィアーノ駅に下車。ヴァティカン美術館に向かって歩み行くに、あちこちにダフ屋たむろして闇入場券を売る。この券を持参すれば待たずに即刻入場しうると言ふなり。通行人の中には足をとめてその券を求むる者もあり、余らはあらかじめ同趣旨の入場券を事前に買ひ求めてありしかば無視してそのまま進む。

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