旅とグルメ

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(当麻寺参道)

庭前の沈丁花に春の気配を感じ、そぞろに旅情を搔き立てられしかば、奈良・大和路を歩まんとて、背嚢に身の周りのものと薬袋をつめ、杖をひいて家を出でぬ。時に平成廿九年初春のことなりき。

鈴生とまた例の寿司屋で飲んだ。彼最近腰痛が悪化して居ても立ってもいられぬ日が続いたが、今日はなんとか歩くことが出来るようになったそうだ(痛め止めの効果もあるらしい)。そのついでにご母堂を近所の老人施設にショートステイさせたそうだ。なにしろ何ヶ月も風呂にも入らず寝たきりに近い状態なので、たまにはこういうところに入れて、オーバーホールをせねばならぬからね、ということだった。そのご母堂は今年九十九歳になり、痴呆の程度も大分進んできたが、あんたのことはまだ覚えているよ。今晩一緒に飲むと言ったらなつかしそうな顔をしていた。そう鈴生は言って、この調子だとまだ大分先まで生きそうだ、俺のほうが早く死にそうだし、またそう願いたいものだ、生きているのがもう面倒になった、と弱音を吐く。

四方山話の会の諸子といつもの通り新橋の古今亭で小宴を催した。今回の語り部は七谷子だというので、小生の外、福、岩、越、石、小、六谷、浦の諸子あわせて九名が参加した。小生が会場についたのは集合時刻より十五分も前だったが、それと前後して大方の参加者が集合し、時間どおりに現れた七谷子が遅刻の言訳をしなければならなかった。

あひるの仲間と遅ればせの新年会を催した。場所は例年のとおり新宿西口の三代目網元。参加したのは、ミーさんあひる、オーさんあひる、静ちゃんあひる、少尉あひる、アンちゃんあひる、横ちゃんあひる、それに絵描きあひること小生のあわせて七羽であった。今ちゃんあひるは今年も出られなかった。横ちゃんあひるが残念がって、今年は今ちゃんあひるの卒業する年だから、記念に卒業旅行を計画したいと思って、今日会ったら是非何処に行きたいか聞いてみたかった、というので、後日別途聞いて見なさいとすすめた次第だった。

山子夫妻、落、松の諸子と遅ればせの新年会を催した。場所は両国のちゃんこ屋川崎。両国に数多いちゃんこ屋の中でも、最も古い店だ。開業は昭和十二年だという。歴史が古いばかりでなく、建物もかなり古い。隅田川べりの路地に面して立っているが、外観も内装もなかなかの渋さを感じさせる。

筆者が四方山話の会に加わってから丁度一年がたった。八丁堀のおでん屋で数年ぶりに旧交を温めた後、ほぼ毎月のように宴会を開いては、メンバーのそれぞれが自分の半生を語った。そんな話を聞かされると、自分とは違った人生もあったのだと、感慨深く思うこともある。それが会を重ねて、今宵は岩子が語り部をつとめることとなった。同席したメンバーは、岩子と筆者のほか、石、柳、田、六谷、小、浦、福の諸子、合わせて九名であった。会場はいつもの通り新橋の古今亭である。

旧友数人と新宿で飲んだ勢いで、思い出横丁に寄った。新宿駅西口を出て右に曲がり、青梅街道手前の線路沿いに細長く広がる一帯だ。昔は小便横町といった。戦後の闇市が生き残ったようなところで、個々の店には便所がなく、また共同便所も少ないことから、飲み屋で催した連中がそこいらじゅうに立小便をする。そこで近づくと小便の匂いがするというので、小便横町と呼ばれるようになった。それが、便所の普及で多少清潔になったところで、小便横町では具合が悪いから名前を変えようという声が起り、思い出横丁に変った。そんなことを誰かから聞いたことがある。

鈴生から連絡があって、暇を持て余しているからまた馬鹿話をしないかと誘われ、忘年会を兼ねて船橋で飲んだ。場所は先日入ったシャリ膳という鮨屋だ。カウンターに座ってビールで乾杯すると、鈴生は最近ひどい不心得をやってしまったよと言う。一体何をしたんだねと聞くと、立石界隈で友人と飲んでいてすっかり酔っぱらってしまい、自分を失って警察のお世話になったというのだ。いやあこんなことは生れて初めてだ、面目ない、と言うので、今晩はそれを肝に銘じてハメをはずさないように飲もう、と誓いあった次第だ。

四方山話の今月の例会は小氏が自分史を語るというので、八名が新橋の古今亭に集まった。小子のほか、六谷、七谷、石、浦、福、岩の諸子及び小生である。この日は昨夜のうちから降っていた雨が朝方雪に変り、夕近くまで降り続いていた。十一月に東京に雪が降るのは54年ぶりのことで、積雪するのは観測史上初めてのことだそうだ。そんなわけで、交通機関がとまるかと恐れたが、何とか動いていたので、電車に乗って新橋まで出た次第だ。電車は動いたが、寒さが尋常ではなく、真冬なみの服装をして出かけた。

旧友鈴生と久しぶりに会って、船橋の寿司屋で歓談した。カウンター席に並んで座り、まずは挨拶を兼ねて近況を報告しあう。小生は世の中から身を引いて、目下悠々自適の毎日を送っているよと控えめに言う。鈴生のほうは、二年前に特発性難聴になったのがもとで、耳が聞こえなくなったし、足腰も弱くなった、満身創痍で何時死んでもおかしくない。この分だと母親より先に死ぬかもしれないと言ったら、母親より先に死ぬのはこの上ない親不孝だと叱られた。こんなわけで、二年前に完全に仕事をやめて、今はあんた同様自由の身だが、あんたのように遊んでいるわけではなく、毎日老々介護に忙しいのだと言う。

旧友の一生と久しぶりに会い、船橋の縄暖簾で歓談した。随分久しぶりだが元気でやってるかい、と互いに確かめ合うようにして挨拶する。俺もこんな白髪頭になってしまったが、お前のほうはまた一段と禿げてしまったな、てっぺんまで淋しくなったじゃないか、と遠慮のないことを一生がいうので、お前さんはお前さんで元気な様子がなによりだが、随分とふくよかな顔になったな、まるで達磨のようじゃないか、と筆者も負けずに冷やかす。

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先日の四方山話の例会の席上、浦子が真鶴に持つ別荘で一席設け、そこで自分の手作りの料理を振る舞おうと言うので、その場に居合わせた何名かが手を上げて応じた。そんなわけで、十月末の木曜日の午後一時に、真鶴駅前に五名が集まった。招待主の浦子のほか、石、岩、梶の諸子及び小生である。六谷子も参加するはずだったが、急に知恵熱が出たとかいって来なかった。

四方山話の連中と新橋の古今亭で例会をやった。会場に着いてみると三階の狭い仕切りの部屋に案内され、そこには浦・柳の両子が先に来ていた。席が五人分しか用意されていないので、今日は随分少ないねというと、石子が詰めの手を抜いたんだろうと浦子が言う。今日は石子が自分史を語る番なので、人を糾合するのがためらわれたんではないかと言うのである。そのうち当の石子が来たので事情を聴くと、こんなもんじゃないのか、と涼しい顔をしている。俺のところに参加通知がきたのはこれだけさ、と。だが実際に蓋をあけてみると、参加通知のなかったものも現れ、最終的には八人になった。上述の四人のほか、岩、六谷、小、梶の諸子である。

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昨夜来風雨の音すさまじくしばしば眠りを破られたが、夜明け過ぎには勢いが弱まった。起床して朝風呂を浴びる。すこぶる気持ちがよい。髭を剃り、八時前に一階の大広間に下りて朝食をとる。バイキング方式だ。よく眠れましたかと熟女たちに聞くに、雨の音がうるさかったけど、十分睡眠を取ることができましたという。では今日も頑張って歩きましょう。

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バスは四時近くに湯元温泉に着いた。湯守釜屋という旅館に投ずる。かなり古い旅館で、あたり一面から館内まで硫黄の匂いが充満している。硫黄の匂いが嫌いな人にはかなり厳しい条件だ。我々はさほど気にしないので、部屋に案内されるとまずお茶を飲み、それから風呂につかることとした。T女とY女はその前に湯の湖の辺を散歩してくるという。明日そのあたりを歩くのだから、なにもいま行かなくても、と言ったが、明日は明日、今日は今日よといって出かけていった。小生は湯を浴びに行くことにした。

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豊穣たる熟女の皆さんと久しぶりの温泉旅行を楽しんだ。奥日光の湯元温泉に一泊して硫黄の湯を堪能しながら、日光の世界遺産を見物したり、戦場ヶ原を散策しようという欲張りな計画だった。四人とも寄る年波に体力の限界を感じ、万事計画通りには運ばなかったが、なんとか無事に歩き終えることができて、それなりに充実したハイキング旅行にもなった。雨もよいの予報だった天気のほうも、例の晴女の効験のおかげでひどい目にあわずに済んだ。まあまあ楽しい旅行だったわけだ。

先日本郷にある梶子ゆかりの社員施設で四方山会の例会をやったとき、次回もここでやろうやと言う話になったが、その後肝心の梶子が所要で出られなくなり、それでは居候のようで茶碗も出しにくいので、行きつけの新橋でやるということに変った。その夜(8月30日)は、台風が接近していて剣呑な雰囲気がただよっていたのだが、みな雨風をものとせず参集した。メンバーは筆者のほか、石、柳、六谷、田、小、岩、七谷、鷲、浦、錦の諸子合わせて十一名。常連の福子はドクターストップをかけられたといって参加しなかった。

芝公園の高層ホテルにある食堂で和食を食った。といっても空中の高いところからあたりを睥睨しながら、というわけではない。地下にある一和風料理屋で懐石風のコース料理を食った次第だ。だから高層ホテルと言っても、別に高層の雰囲気を楽しんだわけではない。地下の穴倉のようなところで、壁を見ながら出された料理を食い、同席の諸子と罪のない話に打ち興じたというわけだ。同席したのは、山子夫妻と松子。落子は家内に事情があるといって参加しなかった。

例の四方山話の連中と久しぶりに会った。場所は本郷の一角、梶子の勤め先の会社が運営する厚生施設のようなものだ。そこの二階の座敷を借りて、真夏だというのにすき焼き鍋をつつきながら、今日は六谷子が用意してきた自分史の話をみんなで聞いた。参加したのは、筆者及び六谷子のほかに、石、浦、岩、福、柳、小、梶、越の諸子だ。場所がわかりにくいせいで、道に迷うものが続出し、全員揃ったのは予定時刻を三十分近く過ぎた頃だった。

昨日(6月19日)、久しぶりに都心に出て昼飯を食った。現役時代の知人某から電話がかかって来て、暇を持て余しているから飯でも食いながら馬鹿話をしないか、と誘われで出かけた次第だ。東京駅の八重洲口で待ち合せる。しばらく見ないうちに、駅前の様子は劇的な変貌を遂げている。かつて大丸のあった場所は建て替えられて全く違う雰囲気になっているし、周辺には超高層ビルがいくつも立ち並んでいる。筆者がこの界隈を歩き回っていたのはつい30年ほど前のことだが、その間に全く別の街かと思われるほどに変ってしまったわけだ。日本経済の停滞が叫ばれてから久しいが、こと東京の都心を見る限り、停滞どころか日々前(?)に向かって進んでいる、という印象を受ける。

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