旅とグルメ

山陽紀行(その一):福山・鞆の浦

| コメント(0)
sanyo101.jpg
(福山城)

余嘗て薇芸両陽に遊びしことはあれどその中間なる尾道には未だ嘗て足を踏み入れしことなし。志賀直哉の小説やら二三の映画を通じて、その風光明媚なることを知れるのみ。この度自らの目をもてその風景の美しきさまを堪能せんと思ひ、共に旅せんやと旧友英生に声をかけしところ、子もまた尾道に遊びたしとかねて思ひ定めをりしなりとて、大いなる賛同を得られしかば、水無月の初めの八日といふ日に、ともに旅装に身を包み、東都を発して西国に向かふこととはなりたり。

生命倫理の講義を聞く

| コメント(0)
例の四方山話の連中と新橋の古今亭で会った。今日は福子から学者人生についての回想話が聞けるはずだというので、合せて十一人が集まった。筆者と福子の他、石、浦、岩、柳、六谷、七谷、田、梶、越の諸子だ。越子はこの会には初参加だ。彼は我々より二年後輩だが、先輩から声をかけられ、面白そうだから参加させてもらったと言う。

160411.hok0301.jpg

近江町市場の次に金沢城を訪ねた。石川門から入って、五十間長屋の脇を通り、三十間長屋のある高台に上った。金沢城は明治維新後陸軍に接収されたが、天守閣はじめ主要な建物は火災で焼失し、徳川時代のままの姿をとどめるのはこの三十間長屋だけだという。高台の周りに掘られている空堀は敵を防ぐ役目より、馬を遊ばせるために使われたそうだ。小生の出身地下総佐倉の城跡にある空堀もやはり馬を遊ばせるために作られたことを思い出した。

160407.hok0201.jpg

翌日(四月十五日)六時前に起床し、朝風呂を浴びてテレビをつけると、熊本で大地震が起きたというニュースをやっていた。震度七の揺れを記録し、熊本城が崩れるなどしたほか、大勢の死傷者が出ているという。最初の揺れは昨夜九時過だというから、筆者は体調が悪くて床に潜り込んでいた時だ。しかし同室の二羽(オーさんあひるとあんちゃんあひる)も、揺れを感じるでもなくテレビも見なかったので、こんな地震が起きていたことは知らなかったという。ともあれ熊本城が崩れるくらいだから、よほどすさまじい地震だったに違いない。

160403.h101.jpg

今年のあひるの新年会の席上、幹事役の横ちゃんあひるに、今年の春の旅行の計画はどうなっているかね、と聞いたところが、帰ってくる返事が一向に要領を得なかったので、静ちゃんあひるに応援を頼んだのだったが、そこは静ちゃんあひるのこと、てきぱきと要領よくことを運び、北陸地方に一泊の温泉旅行を計画してくれた。かくして我々あひるの一族は、今年の春も楽しい旅を楽しめることとあいなった次第だった。参加したあひるは、絵かきあひること小生及び静ちゃんあひるのほか、オーさんあひる、少尉あひる、あんちゃんあひる、それに横ちゃんあひるを加えた六羽だった。常連の今ちゃんあひるは、仕事の都合がつかなかったとの理由で、参加しなかった。

企業戦士の栄光と挫折の物語を聞く

| コメント(0)
四方山話の会で、メンバーが交互に自分史を語るという取り決めになって、筆者がその先陣をおおせつかったことについては先述したとおりだが、二回目の話者は柳子が勤めることになった。前回同様一同新橋の古今亭に集合して、彼の話を聞いた次第だ。いつもはかならず遅れてくるという柳子が、今宵は珍しく時間通りに来た。

160334.ogawa.jpg

山、落、松の諸子と越中のおがわ温泉に一泊の湯治の旅を楽しんだ。北陸新幹線に乗って黒部宇奈月温泉駅で降り、そこから差し回しのバスに乗って旅館に直行し、一晩ゆったりと温泉につかったあと、翌日真直ぐ駅まで送られ、そのまま東京に戻るというもので、観光地にはいっさい寄らず、ただひたすら温泉につかるという、至極あっさりとした旅だった。

160303.sumida.jpg

先日船橋で催した熟女たちとの新年会の席上、桜が咲く頃になったら船に乗って、隅田川に浮かびながら夜桜見物をしましょうよ、という話になった。そこで日程の都合をあわせて出かけてみた。五時に浅草の松屋デパートで待ち合わせ、まず浅草堤の桜を見物する。今年は開花が例年より早いと聞いていたのだが、その後寒のもどりがあったりして思いのほか咲き広がらず、まだほんの一分咲きといった状態だ。それでも気の早い連中はいるもので、堤は花見をあてこんで敷かれたブルーシートで埋められている。

峨眉山で四川料理を食う

| コメント(0)
旧友の秋子が九州の豊前から久しぶりに東京へ出て来るというので、昔の仲間が声を掛け合って歓迎会を催した。場所は曙橋近くの外苑東通りに面した峨眉山という四川料理屋。集まったメンバーは、福、石、岩、浦、柳、鈴、梶、錦、甲谷の諸子、合せて十一名だ。中には十年ぶりに顔を合わせる者もいる。

160301.runta.jpg

先日の四方山話の会の卓上、福子が「態変」という関西の劇団が東京公演するから見に行かないかと提案したことについてはこのブログでも触れたとおりだが、昨夜(3月11日)同好の諸子と見に行った。場所は高円寺北口の区立劇場「座・高円寺」だ。筆者のほか、石、浦、七谷及び岩子夫妻の6人が集まった。言いだしっぺの福子は何故か参加しなかった。開演までわずかだが時間があるというので、二階のカフェでビールを飲みながら簡単な食事をした。筆者はビーフカレーを食った。

南禅寺、蓮華寺:京都観庭記続編その七

| コメント(0)
k2.701.JPG
(南禅寺山門)

二月廿五日(木)晴。八時に起床、朝餉を喫して後、十時近くにホテルを辞す。荷物を駅構内のコインロッカーに預け、5系統のバスに乗り、南禅寺・永観堂道停留所にて下車、路地を歩むこと十分ほどして南禅寺山門前に至る。

k2.601.JPG
(妙心寺 桂春院)

食後天龍寺の塔頭宝厳院に赴くも、門を閉ざしてあり。しかして何らの表示もなさず。定休日なるや長期間の休止なるやを知るあたはず。

桂離宮:京都観庭記続編その五

| コメント(0)
k2.501.JPG
(桂離宮 天橋立)

二月廿五日(水)半陰半晴。この日は桂離宮を見物す。十時参観組の許可証を交付せられてあれば、昨日より時間の余裕あり。朝食を喫して八時半にホテルを出で、京都駅前より八時四十五分発三十三系統のバスに乗り、九時十分頃桂離宮前停留所に至り、桂離宮正面受付に九時二十分頃到着す。正式の入場門は工事中にて閉ざされてあり、その横手に設けられたる仮説の入口をくぐって中に入る。昨日同様別棟にて事前案内を聞き、十時丁度に女性係員に先導せられて構内の見物を開始す。

大徳寺、知恩院:京都観庭記続編その四

| コメント(0)
k2.401.JPG
(大徳寺山門)

曼殊院にてタクシーを呼び寄せ大徳寺に至る。大徳寺は洛北の大寺にて鎌倉時代末期創建になる禅寺なり。徳川時代には朝鮮通信使の宿所にもなれり。大規模の使節団を収容するに足る大寺院はさうはあらざれば、大徳寺の規模の壮大さを知るべきなり。

k2.301.JPG
(修学院離宮 下の離宮)

二月廿三日(火)陰、時に晴る。この日は修学院離宮より九時開始の見物案内許可を得たれば、朝食後七時半頃ホテルを出で、京都駅より地下鉄烏丸線に乗って終点の国際会館前にて降り、そこよりタクシーを雇ひて離宮に至る。離宮へは八時半頃に到着す。門前に揃ひの半被を着たる集団あり。襟元に熱田神宮豊年講とあり。その数三十名ほど。いづれも老人ばかりなり。この人々とともに案内せらるるのやと思ひしや、彼等は離宮の係員に先導されて別途中に入りたり。門前に立ち止まりて開門を持ちをりし我々ほかの者は、これらの人々とは別に、簡易建物のなかに案内せられ、そこにて離宮紹介のビデオを見せられて後、離宮の係員に案内せられ離宮内を巡覧して歩く。

k2.201.JPG
(醍醐寺三宝院)

醍醐寺には以前訪れたることあれど、その折には三宝院に立ち入らざりき。この日は逆に、醍醐寺の本堂構内には立ち入らず、もっぱら三宝院の庭を見たり。この庭は秀吉により作られたるものにて、桃山時代の様式を伝ふるものとして貴重な遺構なる由。

歓修寺、随心院:京都観庭記続編その一

| コメント(0)
余京都へ旅するごとに古刹の庭を見るを楽しみとなすも、未見の庭いまだ多し。よってそれらを一度に観了せんとて特別に計画を立てたり。あはせて桂・修学院の両離宮をも見物せんとす。老人の趣味なれば同行者を伴はず。一人旅を楽しまんとすなり。

おのれの半生を語る:新橋古今亭にて

| コメント(0)
先日四方山話の会の連中と新年会をやった時、それぞれ自分の生きてきた半生について語ることにしようということになり、筆者がその先陣を仰せつかる事となった。そこで、なにを話すかあらかじめ準備して席に臨んだ次第だった。会場は新橋の烏森神社の隣にある古今亭という料理屋、この界隈で明治の頃から鳥料理を出している老舗ということだ。今夕のメンバーは筆者のほか、福、石、浦、岩、田、柳それに七谷の諸子。前回のメンバーから二人が抜けて一人が加わった勘定だ。

山子夫妻、落、松の諸子と遅めの新年会を兼ねて小宴を催した。場所は恵比寿ガーデンプレイスの高層ビル38階にある日本料理屋吉祥。約束の時間に一秒の狂いもなく着いて見ると、他の四人はすでに席に着いていた。挨拶をかわしながら自分の席に座る。そこは大きな窓の側にあるテーブル席で、眼下には東京の夜景が広がっている。窓は東の方向に向いているので、正面に東京タワーが、その左右には向かって右側から品川の高層ビル群とレインボーブリッジが、中央部分には赤坂辺りの高層ビル群が、そして左手には池袋や新宿の高層ビル群がつながっている。久しぶりに見る東京のスカイラインは、こうして品川辺りから新宿へかけて、切れ目なく続く高層ビル群の繋がりによって区切られているわけだ。その様子はまるで壮大なパノラマ絵巻を見るようであり、香港の夜景にも劣らぬ見事な眺めだった。

あひるたちの新年会

| コメント(0)
あひるの仲間たちと西新宿のいつもの店で新年会を催した。六時頃に六羽が揃った。みーさんあひる、オーさんあひる、横ちゃんアヒル、あんちゃんあひる、いまちゃんあひる、それにえかきあひること小生を合わせた六羽である。少尉あひるは急病で来られなくなり、静ちゃんあひるは遅れるというので、とりあえず六羽で乾杯した。

Previous 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11



最近のコメント

アーカイブ