読書の余韻

福沢諭吉は青年時代に三度にわたって欧米諸国に渡航した。万延元年(1860年、25歳)の渡米、文久二年(1862年、27歳)の渡欧、そして慶応三年(1867年、32歳)の再度の渡米である。これらの欧米体験によって福沢の視野は飛躍的に広がり、明治の啓蒙思想家として、巨大な影響力を及ぼすようになっていくのである。

福翁自伝には、福沢諭吉の修業時代の様子が実に生き生きと描かれている。これを読むと、星雲の志というものがいかなるものか、また、人間というものは、志に鼓舞されてどこまで進むことができるか、大いに考えさせてくれる。

筆者は、小学生だった頃、「毎日小学生新聞」というものを母親にとってもらって読んでいた。その中で最も興味をそそられたのは、福沢諭吉の伝記であった。細かいことは大方忘れてしまったが、全体的な印象はいまでも覚えている。昔の日本に生きていた一人の人間の、気骨ある生き方が、まだ小学生であった少年の心に響いた。そんなところだろうか。どんなところが響いたかというと、それは反骨精神のようなものだったと思う。少年の筆者は、福沢諭吉という一人の男に、反骨精神と、その裏返しとしての自尊自立の精神を感じとり、できれば自分もそのように生きたいものだと思ったのだった。

岸信介が昭和史を跋扈した妖怪だとしたら、その弟の佐藤栄作は何といったらよいのか。そんなことを考えていたら、面白い言い方に出会った。佐藤栄作は道化だというのである。
岸信介は日本の政治家の中でも最もスケールの大きな人物の一人だったと言える。そのスケールの大きさは、いまだに日本の政治に対して大きな影響力を及ぼしていることからも測られる。なにしろ孫にあたる人が総理大臣となり、彼の政治思想の枠組を実現しようとしている。そればかりか、今や日本の保守勢力のプロパガンダの中身は、まさに岸信介が生前主張していたものの延長に過ぎない。今の日本には、岸信介の亡霊が跋扈しているといってもよいほどだ。
日本の政治が急に右傾化したというので、右翼思想と云うものに関心が集まっているそうだ。右翼思想と云うと、北一輝や井上日召などがまず浮かび上がってくるが、その彼らがいったいどのような主張をし、それを今日の右翼勢力がどのように受け継いでいるのか、誰しも興味ある処だろう。そんな興味に応えようとした本がある。片山杜秀著「近代日本の右翼思想」だ。
西欧諸国の今日における政治状況をごく大まかに定義づけるとすれば、保守主義対社民主義の対立ということになろう。この場合、社民主義には各国を通じて理念の共通性を指摘することが出来るが、保守主義と言うのは、各国それぞれに多様でありうる。というのも保守主義と言うのは、伝統的な価値観を尊重するということを最大の特徴としており、その伝統的な価値観と言うものが、国によってそれぞれ異なるからである。したがって、社民主義者は国境を超えて団結することができるが、保守主義者はかならずしもそういうわけにはいかない。
丸山真男著「後衛の位置から」には、アメリカの学者たちが「現代政治の思想と行動」英訳版に寄せた批評がいくつか紹介されている。その多くは好意的なものだが、ひとつ辛辣なのがある。エドワード・サイデンステッカーによるものだ。この人は、川端康成の「雪国」などを英訳した人として知られ、日本に大きな関心を抱き続けた人だったが、その人が丸山真男に罵倒に近いような批判の言葉を浴びせているのである。
丸山真男の論文集「後衛の位置から」は、「現代政治の思想と行動」の英訳版の刊行がきっかけとなってできた本であると丸山自身が言っている通り、英訳版へ寄せた序文のほかに二篇の論文を収めている。
丸山真男の小論「超国家主義の論理と心理」は、終戦後間もない昭和21年3月に書かれ、その年の5月に刊行された雑誌「世界」の創刊号に載るや否や大変な反響を呼んだ。8.15以前における日本の全体主義体制の本質を論じたこの論文は、続いて書かれた「日本ファシズムの思想と運動」(昭和22年)、「軍国支配者の精神形態」(昭和24年)とともに、日本ファシズム研究の古典的な業績とされるようになった。
日本人の発想の根底には、人間の意思よりも物事のなりゆき、筋道や道理よりもその場の勢いを重んじる傾向がある、そう丸山は考えていたようだ。言ってみれば、主体性が乏しいということだ。その主体性の乏しさが政治の場で作用すると、政治的な無責任がはびこるようになる。丸山が日本ファシズムと名づけた戦時中の全体主義的な体制は、そうした無責任が生み出したものなのだ。そしてこの無責任さをもたらした根本的な要因こそ、なりゆきやいきほひを尊重する日本人の思考の枠組みなのだ。その思考の枠組みを丸山は歴史意識の古層と名づけ、これが記紀の時代から今日までの、日本人の思考を制約してきた、そう考えるのである。
筆者は時折「三粋人経世問答」と題して、時評を問答形式で述べることがあるが、これが中江兆民の「三酔人経綸問答」の影響を受けてのこととは、題目からして容易に連想してもらえるだろう。その「三酔人経綸問答」を巡って、丸山真男が面白い話をしている。「日本思想史における問答体の系譜」と題した講演だ。
「国家理性」の概念は、マイネッケが「近代史における国家理性の理念」の中で展開したものだ。それには、支配者が被支配者を支配・統合するための行動理念という側面と、国家の他の国家に対する場合の行動理念という、二つの側面があるが、丸山真男はそのうち、近代国際社会における、国家間の関係を律する行動理念としての側面を強調して、「近代日本思想史における国家理性の問題」という小論を書いた。(未完結ではあるが)
丸山真男は、日本は三度にわたって開国のチャンスを迎えたと言っている。(開国「忠誠と反逆」所収)室町末期から戦国時代にかけてがその第一、明治維新がその第二、そして昭和の敗戦がその第三である。「開国」と題した小論では、第二の開国たる明治維新について考察を加えている。

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丸山真男のこの小文は、佐久間象山の故郷松代市で催された講演会での話の内容を文書にしたものである。佐久間象山について話をしてほしいと頼まれて話したわけだから、自分から積極的にテーマに選んだのではないといっているのだが、それにしては深く掘り下げた議論が展開されている。丸山自身、かねてから象山について深い関心を抱いていたことの現れなのだろう。

丸山真男の日本ファシズム論は、戦後の日本政治学、とりわけ日本政治の分析枠組として、非常に大きな影響を及ぼした。その影響のあり方は、評価する者に対する影響のみならず、批判する者さえ呪縛するようなものだったと言える。戦後の日本政治学は、良くも悪しくも、丸山真男を出発点とし、その理論と格闘しながら進んできたといってよいほどだ。
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