読書の余韻

この刺激的な題名は、ユダヤ系のフランス人である著者が、ドイツ帝国の復興に、経済的・政治的そして文化的にも深刻な懸念を抱いていることのあらわれだということが、この本を読むと自から了解される。エマニュエル・トッドによれば、いまやドイツはヨーロッパの支配者になりつつあり、やがてはヨーロッパのすべての国々を隷属させるようになるだろう。そうなれば、トッドの生きているフランスもドイツの奴隷となり、ユダヤ系の家系に生まれたトッドは、自分の身に深刻な危機がせまるのを覚えるようになる、そういう人類学的な恐怖心がこの本には含まれているようである。

戦後の憲法学界をリードした宮沢俊義に「日本国憲法生誕の法理」と題した小論がある。日本国憲法の法的な正統性が何に由来するかを論じたものである。この論文が最終的な体裁をとったのは1955年のことだが、それ以前に、1946年3月に出された政府の憲法改正案を論じる「八月革命の憲法史的意味」というものがあり、それを踏まえたかたちで、日本国憲法の法的な正統性の由来というか淵源について論じなおしたものである。

久野収・鶴見俊輔の共著「現代日本の思想」を読んだ。というより数十年ぶりに読み返してみた。この本が出版されたのは1956年であるから、彼らがいう現代思想とは、その時点での日本に流通していた思想ということになる。筆者が読んだのはそれから10数年後のことであったが、その時点でも、この本で触れている思想のいくつかはまだ命脈を保っていた。しかし、出版後60年もたった今日では、少なくとも若い人たちの問題意識を(積極的な意味で)刺激するような迫力を保持した思想を、この本の中に見出すことは難しくなったようである。

内田樹はいまの日本を二つの戦争の間の戦間期と位置づけている。「負けた先の戦争」と「これから起こる戦争」に挟まれた時期というのである。内田がそういうわけは、安部政権という戦争好きの政権をこのまま政権につけておいたままにおくと、かなりな蓋然性で戦争がおこると考えるからだ。内田は、長い目で見れば日本は民主主義と立憲主義の国として再建されるだろうが、「短期的には準―独裁的な政体が日本に出現し、戦後70年間続いてきた平和主義外交が終わるという見通しはかなり蓋然性が高くなってきました」と言って、日本の行末に非常に悲観的な見方をしている。

先日、鶴見俊輔が九十三歳で亡くなったとき、哀悼のコメントを寄せたのが鶴見と同じような世代の人々ばかりだったのを見て、この人も今は忘れられつつある人だという印象を持った。かくいう筆者も、鶴見俊輔の読者だったことはなく、彼の一生がどんなものだったのか、ほとんど何も知らない。だが彼が、戦後日本の思想界に一定の役割を果たしたということくらいは知っているので、その死に、日本の戦後思想史のひとつの区切りを見るくらいのつもりはある。

片山杜秀によれば、近年では宮沢賢治と石原莞爾を結びつけて論じられることがよくあると言うことで、片山本人も「ケンジとカンジ」といった語呂あわせを使ってこの両者を結びつけてきたそうである。宮沢賢治といえば理想主義的な童話作家ということになっており、また石原莞爾といえば日本の軍国主義の巨魁とされているから、この二人を結びつけることには、違和感を覚える人が多いだろう。たしかにこの二人には共通点がないわけではない。二人とも法華経の熱心な読者であったという点、そして田中智学の国柱会と密接な関係を持ったという点である。田中智学といえば、日本のファシズム運動を担った一人であるので、論者の中には、この男と関係が深いという理由で、ケンジとカンジを一緒くたにしてファシスト呼ばわりする者もいる(たとえば佐藤優)。

20世紀の二つの大戦の谷間の時期に、日独伊三国で典型的な形で成立した全体主義体制を「ファシズム」と呼ぶことが、日本の近代史学界の趨勢となってきた。日本の全体主義は、厳密な意味ではファシズムと言えるかどうか疑問があり、筆者などは軍国主義と言うべきだと考えているが、この本の著者片山杜秀は、ファシズムと呼んでいいと言っている。しかしそれは、イタリアのファシズムやドイツのナチズム(ファシズムのドイツ版)と比較して不徹底なところがあった。それ故「未完のファシズム」と呼ぶべきだというのが、片山の立場のようだ。本の題名は、その立場を端的にあらわしたものと言える。

内田樹は、自身が教育者という立場もあって、教育についてさまざまな発言をしてきた。彼の発言は、主に現在の日本の教育が抱えている問題点の指摘と、その指摘の背後にある教育の本質についての考え方をめぐるものだ。

「法と自由」といえば、法哲学とか政治哲学のもっとも核心的な問題領域である。思想史的に見れば、この問題についてのアプローチは、大きく二つに分けられる。一つはホッブズやルソーに代表される社会契約的なアプローチであり、もう一つはヒュームやバークに代表される慣習を重んじるアプローチである。仲正のこの本は、この二つのアプローチのうち、社会契約的なアプローチ、それもルソー、ベッカリーア、カントの系列に焦点をあてて、法と自由の本質について考えようとするものだ。

仲正昌樹は、政治思想を主な研究対象とする大学教授で、近代の政治思想を中心に古典的な著作をわかりやすく読みといていることで定評がある。筆者も、彼の著書をドイツ思想史など何冊か読んだが、それなりにこなれた説明が、なかなか読み応えがあると感じたものである。

台湾旅行の飛行機の中で、藤岡靖洋著「コルトレーン:ジャズの殉教者」(岩波新書)を読んだ。コルトレーンは、60年代のジャズ黄金時代において、モダンジャズの究極の音を吹き鳴らしたミュージシャンとして、我々団塊の世代には大きな存在だったと言えるが、そのプライベートな面については、日本のファンにはあまり知られることがなかった。この本は、そんなコルトレーンの人間としての面を紹介したものとして、ファンにとっては興味深いものだ。

表題を読んで、これは現代思想の入門書みたいなものかと思ったのだったが、そうではなかった。この題名を冠した雑誌の連載をそのまま単行本に載せたというのだが、その連載と言うのが一種の人生相談みたいなもので、人間生きて行くうえでの悩みについての仮想の質問に、内田が答えるという体裁のものだった。現代思想を主題的に論じたものとは言えない。内田自身も看板と内容とがマッチしないと考えたのか、単行本に載せるにあたっては、「街場の常識」という看板に付け替えた。この本の後半部分が、それである。

日本再建イニシャティブは、朝日新聞を退職した船橋洋一が立ち上げたシンクタンクで、これまで福島原発の事故を検証したいわゆる「民間事故調報告」で知られている。そのシンクタンクが、民主党政権の三年三ヶ月を検証し、その失敗の原因を分析したのが「民主党政権失敗の検証」(中公新書)だ。

題名を読んでまず連想したのは、安部晋三の登場によって一気に元気になったこの国の反知性的な言動や、全体主義の芽を論じているのではないかということだった。斎藤環は、ヤンキーという言葉を用いて、この国の一部に見られる反知性的な傾向を分析してきた人だと思っていたし、佐藤優のほうは、この国の権力についてシビアな見方をしてきた人だから、この二人が、日本の反知性主義とファシズムを論じるのは時宜を得た企画だと思ったからだ。

題名からして、知識を活用して懐を豊かにする話が書いてあるのかと思うのは、筆者のみではないと思うが、この本にそれを期待する人は裏切られた気分になるだろう。この本のどこにも、金儲けのヒントは書かれていないからである。そのかわり、人を激昂させることの意義が書かれている。人を激昂させるとは穏やかな話ではないが、文章の命と言うものは、人を怒らせることにかかっていると言うのだ。人を怒らせない文章と言うのは、誰にとってもどうでもよい文章なので(たとえば「天声人語」のように)、人々の記憶から速やかに消え去ってしまう。ところが人を怒らせる文章と言うのは、どこかしら本質に触れるところを含んでいる。本質的な文章と言うのは、それなりに長持ちするというのである。

この本のあとがきで内田は面白いことを言っている。この本は自分自身に読ませるために書いた本だというのだ。というのも、他に読みたくなるような本がないときには、自分自身でそれを書く、それが内田の流儀だと言うのだ。そこで、自分で書いた本なんて、知っていることばかりで新しい発見がなく、面白いはずがないだろうという疑問が湧くところだが、その心配には及ばないのだと内田は言う。なぜなら、自分にとって面白い箇所は、「書く前にはそんなことを考えたことがなく、書き終わったあとは忘れてしまったこと」だからと言うのである。そんな理屈もあったものかと、感心した次第だ。

内田樹はマルクス主義者とフェミニストが大嫌いだそうである。その理由は、彼らのどちらもが正義の人を自認しているからだという。彼らは、自分こそが正義を体現しており、その立場から世の中の間違ったことがらを糾弾しているというポーズをとる。だから、彼らの口調はいきおい査問調になる。そこのところが鼻持ちならないというのである。

たとえ誤読なりとも、これだけの量の、しかも大した内容を持たない本を読み抜くには、相当な忍耐がいることだろう、と筆者などは思ってしまう。「誤読日記」と題した斎藤美奈子女史の書評集が取り上げているのは、こう言っては何だが、紙屑に近いようなろくでもない本ばかりだと言ってよい(なかにはいくつかまともなものもあるが)。こういう本は、古本屋でキロいくらで売っているような代物で、筆者などには、金を払うのは無論、目を通すのも御免だ。それを女史は、ひととおり目を通したばかりか、書評までしている。見上げた態度と言わねばなるまい。

佐藤優といえば、鈴木宗男バッシングの巻き添えを食って豚箱に放り込まれた男だが、出所後もそのことについては愚痴をこぼさず、旺盛な文筆活動を展開している。その姿を筆者などはなかなか見上げた態度だと、遠くから感心していた次第である。佐藤の持ち味は、国際情勢についての鋭い分析にあると言えるが、それは彼のお家芸であるロシアやイスラエルの情勢のみならず、広い範囲に及んでいる。「新・戦争論」と題した、池上彰との対談集は、そんな彼の現下の国際情勢についての、鋭い指摘に満ちている。読んで損をしない本だ。

イスラエルが中東で圧倒的な存在を誇っている背景にアメリカの影があることは周知のことだ。仮にアメリカがイスラエルの保護者として振る舞って来なかったら、イスラエルは今日まで存続していたかわからない。それが、周辺諸国との軍事的・政治的緊張を潜りぬけ、未だに非対称的な優位を保っていられるのは、アメリカのおかげだ。しかしそれにしてもアメリカは、なぜかくもイスラエルの保護者としての役割を果たして来たのか。言い換えれば、アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか。その理由の一端を、この本は明らかにしてくれる。

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