読書の余韻

森嶋通夫が「イギリスと日本」(正・続)で取り上げたのは、いわゆるイギリス病の問題だった。イギリス病を森嶋は、資本主義の自然に行き着く先として、ある種避けられない事態として見ていたようだ。イギリスは確かに、昔に比べれば病的になったと指摘できるかもしれない。だが、日本と比べてそんなに悪い社会ではない。かえって善いところのほうが多い。だから、イギリス病を頭から否定するのは間違っている、というようなスタンスが伝わってきたものだ。

近代経済学とマルクス経済学とは水と油の関係だというのが常識的な見方だが、森嶋通夫はマルクスの経済学を、近代経済学の流れの中に位置づける。ということは、近代経済学者はマルクスを毛嫌いするのではなく、きちんと学ぶべきだと言っているわけだ。マルクスの何を学ぶのか。森嶋は、経済学を含む社会科学を、ウェーバーのいうような理念型の分析と価値判断をともなった分析とにわけ、科学的な分析は理念型でなければならないというのだが、マルクスの経済学には、価値判断を伴った分析のほかに、理念型の分析も含まれており、その部分は十分参考するに耐えると評価するのである。

森嶋通夫の「思想としての近代経済学」は、近代経済学の歴史をわかりやすく、しかもユニークな視点から解説したものだ。その視点には二つの特徴がある。一つは近代経済学を、単なる社会科学の一分野と見るのではなく、思想として見ること、もう一つは、従来近代経済学とは水と油の関係にあると見られていたマルクス経済学を、近代経済学の中に含めていることだ。

森嶋通夫は、イギリスと日本を比較しながら、日本社会の硬直性のようなものを指摘しつづけた。かれは80歳まで生きたが、死ぬ直前まで旺盛な執筆活動を行い、日本の未来を憂えてみせた。その森嶋が「なぜ日本は没落するか」というショッキングなタイトルで、未来の日本が直面するであろう悲惨な状態を予言して見せたのは、1999年、死ぬ四年ちょっと前のことである。これを読むと、森嶋の日本に対する深刻な危機意識が伝わってくる。

白井聡は「永続敗戦論」を書いて、戦後日本の対米従属と東アジア諸国への傲慢さの根拠を解明し、それを日本が敗戦の事実を十分に清算出来ていないことに求めた。その結果いまだに永続敗戦レジームというべきものが日本を支配している。そのレジームの中で、対米従属と、したがって国家としての無責任体制が蔓延している。それは異常なことだ、というのが白井の見立てであった。

ゲーテ生誕200周年にあたる1949年に、当時アメリカに住んでいたトーマス・マンは、ドイツに招かれて、ゲーテを記念する講演をした。そのテーマは「ゲーテと民主主義」であった。マンがなぜ、このテーマで講演する気になったか。また何故、15年も前に追われたドイツに戻る気になったのか。くわしいことはわからない。ゲーテの生誕200年を記念して、是非講演をしてほしいという依頼はドイツからあった。マンといえば、当時のドイツを代表する知性だと、誰もが思っていたから、ドイツの宝ともいうべきゲーテをたたえる人としては、マン以上の適任はないと、ドイツ人なら誰もが思っただろう。だがそれにしては、腑に落ちないこともある。ドイツの敗戦直後にマンは、ドイツ人はドイツという国家を捨てて、ユダヤ人のようなさすらいの民となって世界中に散らばる方がよいと言っていた。何故ならドイツ人に国家を持たせると、ろくなことはないからだ。そんな風に祖国に毒づいていたマンが、その祖国に戻って、祖国の生んだ偉大な人間をたたえる講演を引き受けたというのは、腑に落ちないことと言って、見当違いではない。

著者の土井敏邦は中東問題に詳しいジャーナリスト。イスラエルやパレスチナに滞在して、現地の状況を肌で観察してきたようだ。その結果抱いた印象は、「武力にものを言わせて、パレスチナ人を高圧的な態度で尋問し、暴行を加え、明確な理由もなく連行し、いとも簡単に銃口を住民に向ける、高慢で傍若無人の若いユダヤ兵」の姿に集約されるという。「この占領の実態を知れば知るほど、"ホロコースト"の悲劇を世界に向けて訴え続けるユダヤ人たちの声が、現在進行しているパレスチナ人に対する抑圧をカモフラージュするための"攪乱の叫び"のようにさえ聞こえてくる」というのだ。

本書はアメリカ経済におけるユダヤ人の力について分析したものである。ユダヤ人はアメリカの人口の2パーセント余を占めるに過ぎない。にもかかわらずアメリカ経済を実質的に牛耳っているといわれることがある。それは本当か。というような問題意識から書かれたものだ。結論としては、ユダヤ人はアメリカ経済を支配するほどの実力までは持っていないが、一定の分野では圧倒的なシェアを誇っており、全体的に見てもかなりな力を発揮しているということだ。著者は、アメリカのユダヤ人とイスラエル国家との関係についてはほとんど触れていないが、アメリカ経済におけるユダヤ人の実力が、アメリカの政治に影響力を及ぼし、それがイスラエルのユダヤ人国家を中東の大国にしているのだろうと推測できる。

パレスチナ問題というと、ユダヤ人国家としてのイスラエルとの対比で論じられることが多いが、そのユダヤ人国家の樹立は、ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害の産物としての側面を持っている。だから、非常に長い歴史的な背景を持っているわけで、今日における両者の対立に限定して論じることはできないというのが、「世界史の中のパレスチナ問題」の著者臼杵陽の基本的な立場だ。それゆえこの本は、聖書の時代のパレスチナの地にまでさかのぼって、パレスチナ問題の背景と内実について論じている。その論じ方には、なるべく両者にとって公平であろうとする意志が感じられるが、どちらかといえば、イスラエル国家に対して厳しい。それはイスラエルとパレスチナとの間の非対照的な関係において、イスラエルがパレスチナ人に対して暴力的であることへの批判的な視点があるからだというふうに伝わって来る。そうしたイスラエルの力を支えているのはアメリカを始めとした欧米国家であるわけで、こうした面でも、パレスチナ問題は国際的な視点から見なければならないと言うのである。

著者は中東問題の専門家で、1967年の第三次中東戦争、1982年のレバノン戦争、2002年の大衝突のそれぞれの現場にいたそうだ。つまり、中東問題を身を以て体験したわけだ。その体験をもとに著者が感じたものは、イスラエルへの強烈な違和感というものだったようだ。イスラエルのユダヤ人がパレスチナ人を相手にしてきたことは、著者にとっては正義と人道に悖ることと映った。そんなわけでこの本は、イスラエルのユダヤ人への批判意識とパレスチナ人への同情に溢れている。

臼杵陽「イスラエル」(岩波新書)は、第二次大戦後に生れたイスラエル国家とアラブ諸国との対立及びパレスチナ難民問題の本質に迫ろうとする試みである。なるべく公平たらんとする著者の気持が伝わって来るが、その気持は、イスラエル国家に同情が集まり、パレスチナ人はテロリスト呼ばわりされている世界の「常識」に、著者が反感をもっていることに根ざしているようだ。そういう常識においては、パレスチナ人の怒りと苦悩は無視され、ユダヤ人の行為が大目に見られる。それでは問題の本質がぼやかされてしまう。そういう問題意識から著者は、イスラエルの建国以後の歴史をなるべく公平に見ようとしているようである。

高橋和夫の「アラブとイスラエル」は、イスラエル建国から1990年代初めまでの、アラブとイスラエルの関係について紹介している。イスラエルに対してやや辛口の論評が見られるが、おおむねバランスのとれた考察といえる。中東の現代史を理解する上での、入門書的な役割を果たせるのではないか。

エドワード・W・サイードは、アメリカに居住するパレスチナ難民を自称し、パレスチナ人のために発言を続けた数少ない知識人だった。なにしろ、サイードも言うとおり、パレスチナ人といえばテロリストと決めつけられるくらい、国際的に評判が悪かった。そのパレスチナ人を擁護するサイードの発言は、ユダヤ人の影響力の強いアメリカはもとより、世界的な規模でも孤軍奮闘の観を呈していた。それでもサイードはめげることなく、パレスチナ人の立場に立った発言を続けた。1986年の著作「パルスチナとは何か」もそうしたパレスチナ擁護の目的で書いたものだ。

徳川時代後期の思想家海保青陵は、新井白石と荻生徂徠を並べて称賛し、次のように言った。「凡そ近来の儒者、白石と徂徠とは真のものを前にをきて論じたる人、世の儒者とははるかにちがうてをるなり」(稽古談)。「真のもの」の意味は、空疎な理屈ではなく、真実すなわち現実的なことがらというほどの意味である。つまり海保青陵は、白石と徂徠とを実証的で地に着いた学問をした人として、並べて称賛していると考えられる。

吉川幸次郎といえば中国文学者として一時はその世界をリードした碩学だが、その吉川が荻生徂徠伝を書いている。岩波版日本思想体系の荻生徂徠の巻に解説の形で乗せた文章「徂徠学案」である。解説とはいえ、原稿用紙にして270枚の分量にのぼり、ちょっとした徂徠論にもなっている。

荻生徂徠の著書「学則」は、学問論というか、学問をする上での心得のようなことを記したものだ。学則の即とは、学問をする上でのっとるべき規則というような意味である。その規則を徂徠は七つの項目にわたってあげている。それらを読むと、徳川時代における、学問についての標準的な考え方がわかるようになっている。徳川時代の学問とは、宋学を中心とした儒教の体系であったから、徂徠の学問論も、おのずから儒教について語るというふうになっている。何故、儒教だったのか。その理由に触れると長話に渡るが、要するに儒教の名分論が、徳川時代に安定化した封建的な身分関係によくフィットしたからだと思う。

弁名下巻は、人性、天命、陰陽といった事柄についての徂徠なりの定義を提出している。人性といい、天命といい、陰陽といい、人間性の本質とか世界のあり方についての認識をテーマにしたものだ。その認識を世界観と言ってもよい。どんな教説も一定の世界観を前提としており、その世界観を踏まえて統治とか人倫とかを語ることができる。そうした考え方に立ったうえで徂徠は、聖人・君子がよって立つべき世界観の内実を、徂徠なりに解釈したというのが、この部分の意義なのだろうと思う。

弁名は弁道と並んで二弁といわれ、荻生徂徠の思想をもっともコンパクトに表現したものである。弁道は道を弁じるという意味であったが、弁名のほうは名を弁じている。名とは、儒教的な概念をさしていう。荻生徂徠が、その名を弁ぜんと志したわけは、弁名の序文のなかで触れられている。それによれば、儒教の諸々の概念が、古と今とでは大いに変化してきている。概念の名称である名と、概念の本来的な内実である物とが乖離しているというのである。その理由は、今言が古言を正しく反映していないからだ。それ故、儒教概念の正当な内実を知ろうとすれば、古言に遡って、その本来の意義を解明しなければならない。その任に相応しいものは、日本と中国とを通じて自分・荻生徂徠しかいない。それ故自分は、中国の古に遡ることで、儒教的な概念をその本来の意義において解明しようとするのである。こういった徂徠の意気込みによって、この弁名という書物は書かれたのである。

弁道は、徂徠思想の要点を簡潔に記述したもので、同じく徂徠の思想を記述した弁名と並んで二弁などと称されている。享保二年(1717)頃に書かれ、写本で流通していたが、その後徂徠の意思に拠って弟子たちが決定稿を編纂し、元文二年(1737)に刊行された。

「太平策」は、信憑性も含めて問題の多い書物とされてきたが、丸山真男が一応考証を試みて、信憑性の確認と執筆時期の推定を行った(「太平策」考)。それによれば、「政談」よりも早い時期に成立し、内容的には「政談」と重なる部分が多いが、「政談」のほうがより個別的・具体的であるのに対して、「太平策」はより原理論的ということになる。とはいえ、「比較的短編であるにもかかわらず、そのなかに学問の方法論、教育及び学習法から、教学の本質、さらに元禄・享保の政治・社会状況から政策論まで、きわめて広範なテーマが盛込まれている」

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