映画を語る

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ケン・ローチの2019年の映画「家族を想うとき(Sorry We Missed You)」は、夫婦共稼ぎでもまともな収入が得られず、苛酷な労働環境のせいで家族にかかわる時間ももてず、そのおかげで家族が解体の危機に瀕する、といった現代イギリス社会に普通にみられる光景を、鋭い批判意識を込めて描いた作品だ。

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ケン・ローチは、アイルランドの独立と内戦をテーマにした「麦の穂を揺らす風」を2006年に作ったが、それから八年後の2014年には、同じくアイルランドの内戦にかかわりのある作品「ジミー、野を駆ける伝説(Jimmy's Hall)」を作った。ケン・ローチ自身はアイルランド人ではないのだが、アイルランド問題を現代イギリス社会の矛盾を象徴しているものととらえ、強いこだわりを持ったのであろう。

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ケン・ローチの2012年の映画「天使の分け前(The Angels' Share)」は、イギリスにおける反社会分子の社会包摂をテーマにした作品。さまざまな非行で、裁判所から反社会的分子と認定された人間が、社会復帰の機会を与えられて、正常の生き方を取り戻す過程を描いている。

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ケン・ローチの2010年の映画「ルート・アイリッシュ」は、イラク戦争の一コマを描いた作品。イラク戦争は、ブッシュの狂気が始めた大義なき戦争で、汚い戦争と呼ばれている。その戦争を、ブッシュは国連を巻き込んで行うことができなかったので、有志連合によるイラクへの戦争として始めた。その戦争にイギリスのブレアが付き合った。そのことについて、いまではブレアの失敗だったとの評価がほぼ固まっているが、この映画はそうした評価の形成にひと肌脱ぐ役割を果たしたということができる。大義なき戦争を告発するという意図が強く感じられる映画である。

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ケン・ローチの2009年の映画「エリックを探して(Looking for Eric)」は、自信を喪失した冴えない中年男が、すこしずつ自信をとりもどす過程を描いた作品。かれが自信を喪失したのは、父親との関係が失敗したこと、それとのかかわりで恋人との関係を築けなかったこと、里子として育てている息子たちから馬鹿にされていることなどに起因している。つまり、この中年男は家族関係につまづいて自信を喪失したわけで、そういう意味では、イギリスの家族関係のあり方が真のテーマといってよい。

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ケン・ローチの2002年の映画「Sweet Sixteen」は、家族が崩壊して育児放棄のような状態に陥った少年が、次第に犯罪者の境遇に落ちていく過程を描いた作品。こうした育児放棄に伴なう問題(児童の貧困と呼ばれる)は、日本でも近年可視化されるようななったが、格差社会の進行が早くあらわれた英国では、他国に先がけて大きな社会問題になったようだ。社会問題に敏感なケン・ローチがそれをいち早く映画化したということだろう。

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ケン・ローチの2000年の映画「ブレッド&ローズ(Bread and Roses)」は、アメリカの労働問題をテーマにした作品。それに違法移民とか人種差別といった、いかにもアメリカ的な問題を絡ませてある。こんな映画は、アメリカ以外の国ではなかなか作られないだろう。この映画が描いているのは、資本主義システムの非人間性である。その無常で非人間的な労働者搾取がアメリカほど徹底的に行われているところはない。ケン・ローチはイギリス人だが、資本主義の矛盾について誰よりも鋭い問題意識をもっている。その問題意識を、アメリカという最も典型的な資本主義社会を舞台にしてあぶりだしたということだろう。

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ケン・ローチの1995年の映画「大地と自由(Land and freedom)」は、スペイン内戦の一コマを描いた作品。スペイン内戦は、左派の連合政権である人民政府に、ナチスやファッショの支援を受けたフランコが仕掛けたもので、1936年7月に始まり、1939年4月にフランコ側の勝利に終わった。この内戦には、フランコに反発する人々が、欧米各地から義勇兵として参加した。ヘミングウェーやオーウェルなどが知られている。ヘミングウェーが自分の行為の意義をどの程度理解していたかについては疑問があるが、オーウェルの場合には、自由を守るという大義があった。しかし、彼が味方した人民政府側が、雑多な勢力の寄せ集めであり、その勢力のなかで親ソ連派が優位に立つと、反フランコよりも親ソ連派のヘゲモニー確立のほうが優先され、かえって敵を利することになった事態に、オーウェルが深い幻滅を感じたことは、よく知られている。

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ケン・ローチの1969年の映画「ケス(Kes)」は、かれにとっては二作目である。ケン・ローチは21世紀に入って活躍した印象が強いのだが、映画作りは1960年代から始めたのである。しかし色々な事情があったらしく、20世紀中はなかなか活躍できなかった。それが21世紀にはいるや、俄かに巨匠と呼ばれるような活躍を始めるのである。それには時代の変化があったのだと思う。ローチは社会的な視線を強く感じさせる作風であり、社会の矛盾を描くことに情熱を感じていたが、20世紀の後半はそうした矛盾が一時遠のいていた感があり、21世紀にはいって以後、グローバリゼーションの広がりの中で、格差とか分断といったものが深刻化した。そうした時代の変化が、ローチに活躍の機会を与えたと言えなくもない。

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田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)は、陳凱歌や張芸謀とともに中國第五世代を代表する映画監督で、1986年に作った「盗馬賊」は、世界的な評価を受けて出世作となった。もっともその後、文革を批判的に描いた「青い凧」が当局の逆鱗に触れ、中國では映画を作れなくなってしまった。

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陳凱歌の2017年の映画「空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎( 妖猫伝 )」は、弘法大師空海の中国滞在中の一齣を描いた作品。この映画の中の空海は、修行僧というよりは悪戯坊主のイメージを振り舞いている。その悪戯坊主が中国のいたずら者白楽天と組んで、奇想天外な冒険をするというような内容だ。

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1947年の中国映画「春の河、東へ流る(一江春水向東流)」は、抗日戦をテーマにした作品である。それに中国ブルジョワ層の頽廃的な生き方をからませてある。この映画が公開された1947年は、国共内戦が激しかった頃で、どちらが勝ち残るか、まだ分からなかった。そういう時代背景の中で、この映画は、日本軍の蛮行に苦しむ庶民に寄り添うよう一方、大資本家に支持された国民党政権には距離をおいた姿勢をとっている。

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是枝裕和の2019年の映画「真実(La vérité)」は、是枝がフランスに招かれて、日仏共同制作として作った作品。かつての大女優が、女優としての末路を迎えるというような設定だが、その大女優とは、この映画の主役を務めたカトリーヌ・ドヌーヴであることは、その女優の名がドヌーヴのミドル・ネームであるファビアンヌであることからも、見え見えになっている。だからこの映画は、カトリーヌ・ドヌーヴへのオマージュとして作られたといってよい。この時ドヌーヴは76歳になっており、年齢相応の衰えを感じさせもするが、肉体の衰えを気力でカバーしてなおつりがくるといった演技ぶりを見せてくれる。彼女の娘役を務めたジャクリーヌ・ビノシュは55歳になっていたが、こちらは実際の年より老けて見えた。

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西川美和の2020年の映画「すばらしき世界」は、刑務所から出所してきた男の社会復帰をテーマにした作品。刑務所から出てきた人間に対して日本の世間は冷たい。だが中には親切にしてくれる人もいないではない。そういう希な善意に支えられて、すこしずつ社会に適応していく姿が描かれる。

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日向寺太郎の2019年の映画「こどもしょくどう」は、児童の貧困をテーマにした作品である。近年、格差社会といわれ、貧困が拡大している風潮のなかで、児童の貧困とか、それにともなう虐待が深刻な社会問題として浮かび上がってきた。この映画は、親から遺棄され、あるいは遺棄同然の扱いを受けて、食べることにも窮するような児童たちの悲惨な境遇を淡々と描いている。上から目線でかわいそうな子供を憐れむというのではなく、児童がそれなりの自覚をもって生きようとするさまを、ドライなタッチで描いている。

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成島出の2011年の映画「八日目の蝉」は、幼女誘拐とその後に展開される愛憎劇である。誘拐された子供が誘拐した女を母親と思い込んで強い愛着を感じていたために、実の両親との間がうまくいかず、社会にも適応できなくなった、そんな不幸な生き様を描いている。

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東陽一の1996年の映画「絵の中のぼくの村」は、絵本作家田島征三の少年時代を回想した自伝的エッセーを映画化した作品。田島は双子の弟で、少年時代は父親の郷里土佐の田舎で暮らした。清流があるところからして、四万十川の流域かもしれない。とにかく、土佐の田舎ののんびりとした自然の中での、ゆったりとした時間の流れを描いている。

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田中絹代は、日本の女性映画監督の草分けである。1953年に「恋文」を作って以来、1962年までに六本の作品を作っている、評価は賛否半ばだったが、興行成績は不調だった。田中は晩年巨額の借金を抱えていたというが、おそらく映画作りのためだったと思う。興行の失敗は自分の責任なので何ともいえないが、自分の作品をけなす意見には、田中は反発したはずだ。とくに、戦前から付き合いの長かった溝口健二に、映画は女の作るものではないといって否定されたことは、田中にとって面白くなかったのだろう。溝口は田中に惚れたいたのだったが、その田中にけんもほろろに扱われたのは、彼女の映画監督としての仕事を素直に認めてやらなかったためだ。

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2016年のインド映画「ガンジスに還る」は、インド人の宗教意識と死生観を、家族関係に絡めながら描いた作品。ガンジス流域の宗教都市バラナシを舞台にして、情緒たっぷりの画面を通じて、インド人の生き方の特徴が伝わってくるように作られている。それが非常にユニークなので(特にヨーロッパ人の目には)、世界中の注目を浴びた次第だが、インド人の、とくにヒンドゥーの考え方は日本人の仏教的な考え方に通じるものがあるので、日本人にとっては親しみを感じやすい。

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2001年のインド映画「モンスーン・ウェディング」は、典型的なボリウッド映画だ。ボリウッド映画というのは、歌と踊りをふんだんにとりまぜて、とになく賑やかで楽天的な娯楽映画といわれるのだが、この映画はその歌と踊りにセックスのスパイスを盛り込んで、賑やかな人間模様を繰り広げた作品である。

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