映画を語る

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成島出の2011年の映画「八日目の蝉」は、幼女誘拐とその後に展開される愛憎劇である。誘拐された子供が誘拐した女を母親と思い込んで強い愛着を感じていたために、実の両親との間がうまくいかず、社会にも適応できなくなった、そんな不幸な生き様を描いている。

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東陽一の1996年の映画「絵の中のぼくの村」は、絵本作家田島征三の少年時代を回想した自伝的エッセーを映画化した作品。田島は双子の弟で、少年時代は父親の郷里土佐の田舎で暮らした。清流があるところからして、四万十川の流域かもしれない。とにかく、土佐の田舎ののんびりとした自然の中での、ゆったりとした時間の流れを描いている。

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田中絹代は、日本の女性映画監督の草分けである。1953年に「恋文」を作って以来、1962年までに六本の作品を作っている、評価は賛否半ばだったが、興行成績は不調だった。田中は晩年巨額の借金を抱えていたというが、おそらく映画作りのためだったと思う。興行の失敗は自分の責任なので何ともいえないが、自分の作品をけなす意見には、田中は反発したはずだ。とくに、戦前から付き合いの長かった溝口健二に、映画は女の作るものではないといって否定されたことは、田中にとって面白くなかったのだろう。溝口は田中に惚れたいたのだったが、その田中にけんもほろろに扱われたのは、彼女の映画監督としての仕事を素直に認めてやらなかったためだ。

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2016年のインド映画「ガンジスに還る」は、インド人の宗教意識と死生観を、家族関係に絡めながら描いた作品。ガンジス流域の宗教都市バラナシを舞台にして、情緒たっぷりの画面を通じて、インド人の生き方の特徴が伝わってくるように作られている。それが非常にユニークなので(特にヨーロッパ人の目には)、世界中の注目を浴びた次第だが、インド人の、とくにヒンドゥーの考え方は日本人の仏教的な考え方に通じるものがあるので、日本人にとっては親しみを感じやすい。

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2001年のインド映画「モンスーン・ウェディング」は、典型的なボリウッド映画だ。ボリウッド映画というのは、歌と踊りをふんだんにとりまぜて、とになく賑やかで楽天的な娯楽映画といわれるのだが、この映画はその歌と踊りにセックスのスパイスを盛り込んで、賑やかな人間模様を繰り広げた作品である。

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1995年のインド映画「ボンベイ」は、インド風ロメオとジュリエットといったものだ。対立しあう集団に帰属する男女が愛し合うという設定である。シェイクスピアの悲劇は、家族同士の対立がテーマであり、その対立に引き裂かれるようにして、二人は死んでいくのだったが、この映画の中の男女は、相対立する宗教によって翻弄される。だがロメオたちとは異なり、死を強いられることはない。

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インド映画「ムトゥ踊るマハラジャ」は、日本では1998年に公開され、大ヒットになった。それまでインド映画とはほとんど没交渉だった普通の日本人は、この映画を通じてインド映画がどのようなものか、その雰囲気の一端に触れて大いに好きになり、俄かインドブームが起きたほどだった。

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サタジットレイの1976年の映画「ミドルマン」は、いわゆる「カルカッタ三部作」の三作目。一作目の「対抗者」と同じく、職を求めて必死になるインドの若者を描いている。「対抗者」の主人公は、経済的な理由から大学の医学部を中退し、できたら医学に関係のある職に就きたいと願うが、それがかなわず都落ちして、田舎のさえない職場で我慢する様子を追っていた。それに対して、この映画の中の主人公の若者は、大学は無事卒業できたにかかわらず、意に沿う就職ができない。その挙句に自分でビジネスを立ち上げるというような内容である。

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サタジット・レイの1970年の映画「対抗者」は、医学部を中退して職を探している青年の数日間を描いた作品である。同時代のインド社会の厳しい現実を、写実的に描いている。舞台がカルカッタであり、サタジット・レイは同じような趣向の作品を以後二本つづけ作っていることから、それらをあわせて「カルカッタ三部作」と呼んだりする。

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サタジット・レイの1969年の映画「森の中の昼と夜」は、都会で暮らしている若者たちが、森の中で数日間の休暇を楽しむさまを描いている。若い連中のことだから、はめをはずして騒いだり、女に熱をあげたり、また中にはひどい目にあったりするのもいるが、なんといってもバケーションのうえでのことだから、笑ってすますことができる。そんなインド人青年たちの楽天的な生き方を描いたこの映画は、これといって大袈裟な仕掛けがないだけに、この時代の若いインド人の生き方とか考え方がすなおに伝わってくる映画である。いわば同時代のインドの風俗映画といったところだ。

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サタジット・レイの1964年の映画「チャルラータ」は、イギリス統治下のインド社会の一断面を描いた作品。前作の「ビッグ・シティ」が同時代のカルカッタの中流家庭を描いていたのに対して、こちらは植民地時代のカルカッタの上流家庭を描いているという違いがあるが、夫婦を中心としたインドの家族のあり方を描いているという点に共通するものがある。

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サタジット・レイの1963年の映画「ビッグ・シティ」は、インドの大都市に暮らすサラリーマン一家を描いた作品。その頃のインドはまだ発展途上国であり、経済的には貧しく、また人々の意識は古い因習にとらわれていた。そんなインド社会にあって、とりあえず生活のために働く決意をした女性が、自分の家族をはじめ、世間の偏見や因習と戦う様子を描いている。

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サタジット・レイの1960年の映画「女神」は、ベンガル地方に生きる人々の宗教的な因習をテーマにした作品。ヒンドゥー文化への強い批判が込められているため、インドの保守的な人々の反発を招いたが、カンヌでは高く評価された。

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サタジット・レイの1955年の映画「大地のうた」は、かれにとっての監督デビュー作であり、インド映画を世界に認めさせた作品である。インドがイギリスから独立したのは1947年のことだ。当時のインドは、古い文化的伝統を持っていたにかかわらず、映画はじめ新しい文化の面で世界の注目を浴びることは少なかった。映画に描かれることはあっても、それは外国人制作者にとっての異国としての扱いであり、インド人自身がインド人の生き方を描いたものが注目されることはなかった。サタジット・レイのこの映画は、そんなインド映画を世界の舞台に押し出した記念すべき作品である。

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篠田正浩の1995年の映画「写楽」は、俳優のフランキー堺が企画総指揮にあたり、自ら脚本を書いた作品。だからフランキー堺の映画道楽に篠田が付き合ったともいえる。篠田は例によって女房の岩下志摩と一緒になって、フランキー堺の道楽の場にはせ参じたわけである。

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篠田正浩の1972年の映画「沈黙」は、遠藤周作の同名の小説を映画化したものである。この小説は、ポルトガルから来たイエズス会宣教師の棄教をテーマにしたものだ。キリスト教徒の殉教を描いたものとして肯定的な評価があった一方、日本のカトリック教会を中心に大きな反発もあった。原作が公刊されたのは1966年のことで、カトリック側からの反発が表面化したのは1972年ごろというから、原作のほかにこの映画もカトリックを刺激したものと考えられる。とくに映画の中で、パードレが踏み絵を踏む場面が、キリスト教の聖職者を侮辱しているといった感情的な反発を呼んだ。

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大島渚の1969年の映画「新宿泥棒日記」は、大島一流の悪ふざけ精神が横溢している作品だ。大島はその悪ふざけを、唐十郎とか横尾忠則といった素人俳優と組んでやってのけた。唐十郎は新宿で路上演劇を主催するものとして、横尾忠則は新宿紀伊国屋書店で万引きを繰り返す青年として出てきて、皆でセックスの意義を考えあうといった趣向の映画だ。それに、当時まだくすぶっていた反抗的な時代精神が背景として表現される。新宿は、1968年の全共闘による街頭暴動の舞台となったところだ。

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大島渚の1961年の映画「飼育」は、大江健三郎の初期の代表作である同名の短編小説を映画化したもの。この小説は、四国の山中に不時着した米軍の黒人パイロットを、近隣の部落の住民たちが監禁する様子を描いたもので、大江の分身と思われる十歳の少年の視線から描かれていた。それを大島は、かなり大胆に読み替えて脚色した。そのため、原作の雰囲気とはだいぶ異なった印象のものになっている。

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今村昌平の1964年の映画「赤い殺意」は、「にっぽん昆虫記」につづき、ある種日本の女の典型を描いた作品。「にっぽん昆虫記」は、一介の娼婦から女衒の女将に大化けする女を描いたが、こちらは、大化けするどころか、自分のみじめな境遇に固着し、そのみじめさの中に諦観の境地を見出して、自らを慰めているような、主体性のない女を描いている。きわめて異なったタイプの女なのだが、今村はどちらに肩入れしているのか。今村自身、「赤い殺意」は自分で一番気に入っている映画だと言っているから、この映画に出てくるような、グズで主体性のない女のほうを好んでいたのかもしれない。

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