2020年8月アーカイブ

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新婚当時のレンブラントは、新妻サスキアの肖像画を多く描いた。サスキアのほうも我慢強く夫の仕事に付き合った。もっともその仕事は、金のためというより、とりあえずは二人の結婚記念といった性格が強かったようだ。「フローラに扮したサスキア」と呼ばれるこの絵は、そんな一点。春の女神フローラに扮したサスキアをモデルにしている。

天台宗が中国化された仏教だとは前稿で述べたとおりだ。法華経を根本経典とするこの教派は、法華経自体が詩的なイメージで満ちているのに対して、極めて思弁的な傾向が強い。田村芳郎はその天台思想の特徴を、一念三千と円融相即の概念で説明した。これらは、人間の中の仏性を強調するもので、仏と人間とを連続の相のもとに考察した。その結果、仏と人間との対立にもとづく二元論ではなく、仏性を究極的な原理とする一元論に傾いた。この世界はすべて仏性の現われだとするわけで、そこには極めて楽天的な傾向を見て取れる。

「資本論」の叙述がヘーゲルの論理学を強く意識していることはよく知られている。ヘーゲルの著作「大論理学」は弁証法と呼ばれる方法で貫かれている。マルクスはその弁証法を参考にしながら、自分なりに資本主義経済を叙述してみせた。もっともヘーゲルの弁証法には、精神的なものが自分自身を外化するというような観念論的な倒錯があるわけで、そのままには使えないとマルクスは考えた。観念論的な倒錯を再倒錯させて、唯物論的な立場から弁証法を展開する。それをマルクスは弁証法的な唯物論とか、史的唯物論と呼んだのだった。

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1999年の映画「ナビイの恋」(中江裕司監督)は、沖縄の人々の暮らしぶりを描いた作品。舞台は沖縄本島の西50キロの海に浮かぶ離島、アグニ島だ。そこに暮らす人々をユーモアたっぷりに描く。沖縄民謡や西洋音楽などをふんだんに取り入れ、なかばミュージカル仕立てになっている。見ても聞いても楽しい映画だ。

安倍晋三総理の突然の辞任はさまざまな反応を呼んでいるが、小生は、その潔さを評価している。死んでも権力の座にしがみつきたがる世界中の権力者と異なり、安倍総理は、自分の職務遂行能力に自信がもてなくなるや、いさぎよく身を退いた。なかなかマネできることではないかもしれないが、小生としては世界中の政治家が模範とすべきだと考えている。

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(25景 目黒元不二)

こちらは目黒の元不二。これを元不二というのは、近藤重蔵の別荘の富士より古くからあることによる。これは伊右衛門という町人が組織した富士講によって、文化九年(1812)に作られたという。

莫言の作風は、マジック・リアリズムとかグロテスク・リアリズムとか評される。マジックというのは、時空を超えた自在な語り口をさしていうのであろう。また、グロテスクというのは、暴力をさりげなく描写することを意味するようだ。莫言は暴力を、小説を彩るもっとも大きな要素として使っている。その描写の仕方は、あまりにもストレートなので、妙にサバサバとしている。あまり陰惨な感じはしない。そこがかえって読者をグロテスクなものを見たという感じにさせるのであろう。大江健三郎や村上春樹の暴力表現とは、かなり異なっている。大江や村上の暴力表現は迫真性を伴なっているので、読者は自分自身が追体験しているように感じるが、莫言の暴力描写にはそうした迫真性はない。だから読者は、遠くから眺めているような気持ちで読めるのである。グロテスクなものを見るような気持ちで。

安倍晋三総理大臣が突然辞意を表明した。あまりにも突然のことだったので、メディアをはじめ大方の論調は驚きを隠せないといった受け止め方だが、辞意そのものについては、比較的中立的な反応を示しているようだ。とはいっても、どうでもよいという受け止め方でもない。どんなものごとにも終りはあるのだから、安倍政権に終りが訪れても不思議ではない、といった受け止め方だ。

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サスキアと結婚した年1634年に、レンブラントはオランダ総督から個人的な注文を受けた。五作からなるキリスト受難連作である。まずキリストをはりつけた十字架の樹立を描いたものと、十字架からの降下を描いたものの二作、続いてキリストの埋葬、復活、焦点をテーマにした三作が注文された。いずれも、上部が半円形になっており、建物の一部にはめ込むように考慮されている。大きさはそれぞれ異なっている。

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スタジオ・ジブリによる1988年のアニメ映画「火垂るの墓」は、野坂昭如の同名の短編小説をもとにした作品。直木賞を受賞したこの短編小説は、野坂自身の体験を書いたものだと言われた。実際野坂は、疎開先で幼い妹を栄養失調で死なせている。その痛恨の思いを書いたということだが、一部にフィクションも交じっているとされる。その原作を小生は未読だが、アニメは原作をほぼ忠実に再現したということらしい。

角川書店版「仏教の思想」シリーズ第五巻「絶対の真理<天台>」は、天台宗についての特集。仏教学者の田村芳朗と哲学者梅原猛が担当している。天台宗は、華厳宗とならんで中国化された仏教であることは、別稿で述べたとおり。その上、日本の仏教にも大きな影響を及ぼした。その影響は、単に宗教面にかぎらず、広く日本文化全般に及んでいるとかれらは言う。

イスラエル国家の成立には複雑な国際事情が働いていた。イスラエル建国への歩みを始めたのはヨーロッパにいたユダヤ人だったが、かれらの力だけで成就したわけではなかった。イギリスはじめヨーロッパの大国の利益が複雑にからんだ。それをユダヤ人が利用し、またイギリスなどのヨーロッパ諸国もユダヤ人を利用しながら、イスラエル国家を成立させたといってよい。ユダヤ人にとっては、それは夢に見た自前の国家を持つことであり、イギリスなどヨーロッパの大国にとっては、自国内の厄介者を追いはらう先を見つけることだった。一方もともとパレスチナに住んでいたアラブ人たちにとっては、それは住処から追われることを意味し、災厄以外の何ものでもなかったわけだ。

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2016年公開のアニメ映画「この世界の片隅に」は、こうの史代の同名の漫画を映画化したものである。広島の沿海部で生まれ育った娘が、十八歳で呉のさる家にとつぎ、戦時中の厳しい世の中をけなげに生きる様子を描く。原爆には直撃されなかったが、米軍の空襲にまきこまれて、同行していた小さな少女を死なせ、自分自身右手を失いながらも、絶望することなく必死に生きる、そんな女性の生き方を、共感をこめて描いた作品である。

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(23景 目黒千代が池)

目黒千代が池は、島原藩下屋敷にあった小さな池。いまの目黒駅の北方面にあった。台地の上にあり、湧水が集まって池となったらしいが、結構古い歴史をもっていたようだ。名称の由来となった千代とは、南北朝時代の武将新田義興の愛人の名である。その千代が、恋人義興の死を悲しんで身を投げたことから、千代が池と呼ばれるようになった。

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レンブラントはアイレンボルフの家で、一人の若い女性と出会った。サスキアといって、アイレンボルフの従妹である。彼女の親は裕福だったが、父親はすでに死んでいた。そのサスキアとレンブラントは、1633年の5月に婚約した。その婚約の前後に、彼女へのプレゼントとして描いたのが、「微笑むサスキア」と呼ばれるこの作品である。

華厳思想の核心的概念として四種法界と円融無礙というものがある。四種法界の法界の意味は、法界縁起の法界をさすが、それは真理の根拠を意味する。根拠は原因とも言い換えられる。原因の因は因果の因でもある。仏教では、因果は縁起として語られる。だから、法界とは縁起によって成り立つ世界というような意義を持つ。

「経済学批判要綱」は、1857年から翌年にかけて執筆された。それまでの経済学研究の成果を踏まえ、本格的な書物の出版に先駆けて、足慣らしのようなつもりで書いたようである。本格的な経済学の書物は、1859年に「経済学批判」と題して出版された。マルクスのこの要綱は、序説と本文からなり、本文は貨幣と資本の章からなる。序説の部分については、岩波文庫版の「経済学批判」(武田外訳)の付録として、「経済学批判序説」の題名で収められている。

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岩井俊二の映画作りの特徴は、思春期の少年少女にこだわることだ。「Love Letter」では、同姓同名の中学校の男女の生徒がそれと意識せずに初恋らしいものを味わうところを描いたし、「スワロウテイル」では、中国系の在日少女を中心にして、在日外国人の生きたかを描いた。「リリイ・シュシュ」もまた、中学生の男女たちの思春期を描いた作品だ。だが先行する作品とは違いもある。いじめとか暴力といった、思春期の陰惨な側面に焦点を当てているのだ。

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(21景 芝愛宕山)

芝愛宕山は、かつてはNHKの放送センターがあったところ。徳川時代には、愛宕神社で有名だった。愛宕神社は家康が作ったもので、将軍地蔵を祭っている。その祭礼は出世の石段のぼりと言って、神輿が急な石段を上がっていくことで知られている。

「赤い高粱」は、ノーベル賞作家莫言にとって出世作となったものだ。張芸謀が映画化し、それがベルリンの金熊賞をとったので、そちらのほうがまず有名になった。もっともこの映画は、日本では反日映画と受け止められて、評判はよくなかった。実際映画のみならず原作の中でも、日本軍の横暴さが描かれている。小説のテーマは、日本軍と戦う庶民の生きざまを描くことにある。

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1631年に、レンブラントはアムステルダムに移り住み、彼の才能に惚れ込んでいた画商アイレンボルフの家に居候した。そのアイレンボルフは、レンブラントのために仕事の注文をとってきたのであるが、そのなかで外科医組合からの集団肖像画の注文があった。その注文を受けて描いた作品「トゥルプ博士の解剖学講義」は、レンブラントの世界的名声を確立することになった。

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岩井俊二の1996年の映画「スワロウテイル」は、在日外国人の生態を描いた作品。日本のどこかの町に、在日外国人がスラム街のようなものを作って住みこんでいる。かれらは日本社会に溶け込めないで、あくまで異邦人として暮らしている。中には日本生まれで日本語しか話せない者もいるが、それでも彼らは外国人と見られている。そんな彼らは、自分たちのことを円都と呼んでいる。円だけが目的の外国人集団という意味らしい。

華厳経十地品は、華厳経の諸経典の中でもっとも古く成立したもので、もともと十地経という独立の経典であったものが、のちに華厳経の中に取り入れられたものである。菩薩が究極の悟りを経て成仏するまでの、修業の階梯について説いている。その階梯が十あることから十地といい、それについて説いた章であるから十地品と名づけられたわけである。

2010年末にチュニジアで大規模な反政府デモが起きてベンアリ政権が倒れたのを皮切りに、エジプトのムバラク政権、リビアのカダフィ政権が次々と倒れ、ほかのアラブ諸国にもデモの波は広がった。アラブ世界におけるこの一連の反政府暴動を「アラブの春」とか「アラブ革命」とか呼ぶ。イスラーム側からは「イスラームの春」と呼ぶこともある。

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誰しも青春時代のほろ苦い思い出をもっていることだろう。初恋のときめきというのは、老年になっても忘れられないものだ。それゆえ、映画でもくりかえし描かれ、そのたびに感動を集めてきた。その感動はさわやかであったり、涙をさそうようなものだったりする。それを月並みだと言って笑うのは無粋なことだ。

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(19景 王子音無川堰棣世俗大滝ト唱)

音無川は、飛鳥山と稲荷神社の高台の間をぬって流れている。その上流部にはいくつかの滝が連なっていることから、滝野川とも呼ばれる。滝野川は、北区の南部を総称する地名にもなっている。

NHKの歴史を検証する番組が、アウシュヴィッツで生きていたゾンダー・コマンドを特集した。ゾンダー・コマンドとは、強制収容所において、ナチスに協力して、ユダヤ人の殺害に従事した人たちのことだ。カポとも呼ばれる。ユダヤ人の同僚を殺害したユダヤ人のことだ。そのゾンダー・コマンドの残した文章が、戦後アウシュヴィッツの地下から発見された。それらの文章を書いた紙はガラス瓶に入れられていたが、なにぶん損傷が激しくて判読困難だったものが、最近のデジタル技術の向上で、なんとか判読することができるようになった。番組は、判読された内容をもとに、ナチスの強制収容所の実態と、そこで生きていたゾンダー・コマンドたちの気持を推測していた。それを知るにつけても、人間という生き物のおぞましさを思わされたところだ。

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レンブラントは、1631年にライデンを去ってアムステルダムに移住する。その直前に描いたのが「女預言者アンナ」。これはレンブラントの母親をモデルにしていると言われるが、真偽は明かではない。この絵の中のアンナは、ひどく老いさらばえていて、しかも農婦のように無骨に描かれている。その時のレンブラントは二十代半ばであり、母親も六十歳であったと思われるので、この描き方は母親を描いたにしては、モデルにとって過酷な描き方である。自分の母親を、こんなイメージで描くというのもちょっと受け入れがたいところがある。

華厳経がいつ成立したかについては定説がないようだが、中観派の祖龍樹が華厳経十地品についての注釈書を書いていることから、その一部は2世紀頃には成立していたと考えられる(最終的な形のものは4世紀頃だろうと思われる)。現存する華厳経の経典は、十地品と入法界品が最も古層に属するものと思われ、この二つを中心にして多くの経典が集まって構成されている。その漢訳は二種類あるが、サンスクリット語の原点は、十地品と入法界品を除いて現存しない。また、漢訳には、東晋時代の仏陀跋陀羅による60巻本(旧訳)と唐時代の実叉難陀による80巻本がある。今日よく読まれているのは60巻本のほうである。

UAEとイスラエルが国交を樹立したのは、トランプの仲介によるものだった。この仲介をネタニアフのイスラエルが受け入れたのは自然なことだが、USEが受け入れたことには疑問の声があがっている。両国の合意の内容は、イスラエルにとって圧倒的に有利だ。これによってイスラエルは、湾岸諸国の一部から、パレスチナ占領のお墨付きをもらった。この動きが他の湾岸諸国に広がれば、イスラエルはパレスチナ占領の既成事実を固定化できるだろう。

マルクスの貨幣論の基本的な特徴は、金本位主義というべきものだ。貨幣としての金にも固有の価値がある。金は特殊な商品であり、商品として使用価値と交換価値との統合したものである。その交換価値は一定量の労働が凝固したものだ。そういう観点から、市場における貨幣としての金の流通量は、市場に出回っている商品全体の交換価値に匹敵すると考える。貨幣としての金は、一度だけではなく何度も使われるから、流通手段として実際に必要な金の量は、流通速度を勘案したうえで、商品の総価格に対応したものになる。金の総量が商品価格の総量より上回れば、不要な部分は蓄蔵されることになる。その反対のケースを、マルクスは詳しく取りあげてはいないが、おそらく別の形で補填されると考えていたのではないか(信用取引など)。

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石井聰亙の1997年の映画「ユメノ銀河」は、夢野久作の小説を原作にしている。夢野久作は大正末期から昭和初期に活躍した怪奇小説作家で、幻想的な雰囲気を得意とした。この映画はそうした夢野の世界を映像として再構成したものだ。一見かなり荒唐無稽なところがあるが、それは原作の雰囲気を再現しているのだと思う。

カマラ・ハリスがバイデンのパートナーに選ばれたことに対して、トランプ陣営は強烈な脅威を感じているようだ。トランプ自身、ツイッターを通じてヒステリックなカマラ攻撃をしているし、トランプを支える仲間たち、すなわちトランプギャグと呼ばれる連中もパニックに近い狼狽ぶりを見せている。なぜか。カマラは、トランプを破った後には、彼を訴追して刑務所に送ってやると明言しているからだ。

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(17景 飛鳥山北の展望)

飛鳥山はいまの王子駅の南西にあたる台地で、徳川時代には桜の名所として知られていた。いまでも桜は植えられていて、大勢の花見客が集まる。また、北側を音無川が回りこむように流れており、一帯は山あり谷ありの複雑な地形を呈している。そんなところから、徳川時代から人気のある観光スポットだった。

小生が小説を読む場合、具体的な土地についての言及があれば、かならず地図で所在を確認したり、その土地の歴史的背景など周辺的な情報を集める癖がある。そうすることで、小説を一層深く味わうことができると思い込んでいるからだ。安部公房の「けものたちは故郷をめざす」も例外ではなかった。小生は、満蒙を舞台にしたこの小説を、中国分省地図を傍らに置きながら読み、具体的な地名が出てくるたびに、その所在をたしかめたものだ。

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「30枚の銀貨を返すユダ」は、ライデン時代の代表作で、レンブラントの名を広く知らしめた作品。その頃までは、ラストマン塾の同僚で一つ年下のヤン・リーフェンスのほうが評価が高かった。しかしレンブラントは、この作品を通じて、オランダを代表する画家といわれるようになる。「話し合うペテロとパウロ」で進展ぶりを見せていた明暗対比の激しい画風が、この作品では高い完成度に達したと評価されたのである。

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石井聰亙の1995年の映画「水の中の八月」は、少年少女たちが繰り広げるSF風の作品である。人類の不遜が原因で雨が降らなくなり、人々は石化病という奇病にかかって次々と倒れていく。それを見た高校一年生の少女が、自分の身を水にささげることで、再び雨を降らし、人々を救うというような内容である。内容としてはドラマチックなのだが、現実離れしていることと、画面が非常に悠長に流れるので、あまりドラマチックには感じない。

黒い雨訴訟に関して、原告の訴えを全面的に認めた広島地裁の判決を聞いた時、小生はそれを当然のことだと思った。また、国は控訴することなく、この判決を確定すべきだとの原告の思いも理解できた。だが、国は控訴に踏み切った。その理由を聞いて、違和感を抱いたのは小生のみではあるまい。

角川書店版「仏教の思想」シリーズ第六巻「無限の世界観<華厳>」は、華厳経及び華厳宗についての特集。仏教学者の鎌田茂雄と哲学者の上山春平が担当している。かれらによれば、華厳宗は天台宗とならんで、中国的な仏教あるいは仏教の中国化を代表する宗派ということになる。仏教の中国化を簡単にいうと、凡夫でも容易に仏になれると主張するところにある。大乗仏教にはそもそもそういう特徴が内在していて、それが菩薩信仰につながったわけだが、中国仏教はそうした特徴を突き詰めたということになる、というのがかれらの指摘である。要するに仏教の現世化あるいは世俗化を推し進めたのが中国仏教だというわけである。

長らくパレスチナ人の象徴だったアラファトが2004年12月に死んだ。フランスの陸軍病院に入院中だったが、何者かによって放射性物質で毒殺されたという噂も立った。後継者をめぐって多少の混乱があったのち、マフムード・アッバースがパレスチナ自治区大統領・PLO議長に就任した。アッバースは、前年の3月に新設された自治政府の首相に任命されていたが、わずか半年で辞任していた。辞任の理由はアラファトとの齟齬であった。

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石井聰互の1984年の映画「逆噴射家族」は、実に奇妙な映画である。題名にある「逆噴射」というのは、ジェットエンジンの逆噴射から来ている。ジェットエンジンが逆噴射すると、飛行機は後ろに向って飛ぶのではなく、運動が狂いをきたして墜落してしまう。実際にそうした事態がおきたことがあって、この映画が作られた頃には、「逆噴射」という言葉が流通していたそうだ。しかしこの映画が描くのは、ジェット機の逆噴射ではなく、家族の狂気である。

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(15景 日暮里諏訪の台)

谷中から道灌山に伸びる台地の北外れに諏訪神社がある。太田道灌が灌頂したものだ。この神社の名にちなんで、そのあたりを諏訪の台と呼ぶ。東側が崖になっていて、非常に眺めがよい。また、神社の境内には桜が植えられていて、花見を楽しむこともできた。

コロナショックによって日本経済に深刻な影響が出ており、今年度のGDPが大幅に減少することが確実視されている。そこで景気対策としての消費税減税が、野党はじめ各方面から提案されている。それに対して安倍政権は、いまのところ否定的だ。安倍晋三総理自身は、この消費税は福祉施策のための特定財源としての性格を強くもっていることを根拠として、その減税には消極的だ。また財政の自称専門家たちの多くも否定的だ。小生についていえば、期間限定での減税は、景気対策として効果的だと考える。ドイツやイギリスでは、日本の消費税に相当する税目を期間限定で減税している。日本も同じようなことができないわけではない。

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「話し合うペテロとパウロ」と題されたこの作品もライデン時代の代表作の一つ。22歳の時の作品だ。「トビトとアンナ」は、聖書の中から劇的な題材を選んで、人間同士の葛藤のようなものを描いていたが、この作品は、二人の聖人の静かな対話を描いている。劇的とは言えないが、人間同士の関わり合いを描いているという点では、「トビトとアンナ」に共通するところがある。レンブラントは、人間の行動とか考えとかいうものをモチーフにすることを、若い頃から好んでいたということが、しのばれるところだ。

宝積経迦葉品で展開される中道の思想とは、即非の論理を深化・発展させたものである。即非の論理とは、鈴木大拙が金剛般若経の解説において使っている言葉で、大乗仏教独特の論理を指摘したものである。これを単純に定式化すると、「AはAではない、だからAである」というふうになる。「Aは非AであることでAである」とも言い換えられる。これは西洋的な形式論理の立場からは、矛盾率に抵触するものであって、ナンセンスでしかありえない。ところがそのナンセンスが、大乗仏教では真理なのである。

マルクスの「経済学批判」は、商品一般から特殊な商品としての貨幣が生まれ、それが資本に転化していく過程を分析している。その分析を支えるのは労働価値説だ。労働価値説はアダム・スミスやリカードといったブルジョワ経済学者がそもそも採用したものだが、その後継者というべき現代の主流派経済学は、もはや考慮に入れていない。というか不用の仮説として全く採用していない。そのかわりに需給関係のみにもとづいて商品の価格が決定されると想定している。商品に認められるのは価値ではなく、ただの価格だ。価値は実在的な要素だが、価格は単なる徴標にすぎない。なぜそうなるのか、マルクスの「経済学批判」を読めば、その成り行きがよく見えて来る。

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ダビド・トルエバはフェルナンド・トルエバの弟だが、年の差も離れ、別々に活動している。2013年の作品「「僕の戦争」を探して(Vivir es fácil con los ojos cerrados)」は彼の代表作である。原題は「目を閉じれば生きるのはやさしい」という意味で、ビートルズの曲「ストリベリーフィールズ・フォーエヴァー」の一節。この映画は、あるビートルズ狂をめぐる愉快な出来事を描いたものなのだ。

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レンブラントは、18歳の時にアムステルダムのピーテル・ラストマンに師事して、自分なりの画風を確立すると、19歳の時にはライデンにもどり、画家として独り立ちした。それ以来、25歳でアムステルダムに移住するまで、ライデンを拠点に活動した。その頃すでにレンブラントは、新進画家として世間の注目を集めるようになった。

「けものたちは故郷をめざす」は、安部公房の作品のなかでは、ちょっとはずれた系列の作風を感じさせる。安部公房の作風の特徴は、ごく単純化して言うと、カフカを思わせるような超現実的な筋書きと、あらゆる国籍を超脱したコスモポリタンな性格である。ところがこの作品には、いづれの特徴も見られないか、あるいは非常に希薄だといってよい。筋書きは極めて現実的なものだし、登場人物たちの国籍を強く感じさせる。とくに日本人へのこだわりが強い。安部はどうも日本人についてよいイメージを持っていないらしく、そのマイナスイメージをこの小説の中で、ぶちまけているのではないかと思わせられるほどである。これは、痛烈な日本人批判の書といってよい。

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(13景 下谷広小路)

下谷広小路は、上野山下の南側に連続したところ。いまでもその名で呼ばれている。ここは将軍が寛永寺に行くときに通ることからお成道とも呼ばれた。明暦の大火後に、日よけ地として整備された広場だ。

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ベル・エポックといえば、普通は、19世紀末から20世紀初めにかけて、フランスに花開いた文化の香り豊かな時代を指して言う。スペインでは違う意味で使われているらしい。フェルナンド・トルエバの1992年の映画「ベル・エポック(Belle Époque)」は、1930年代のスペインに一時的に実現した共和制の時代を描いている。その時代が一部のスペイン人にとってはベル・エポックつまり「善き時代」だったと言いたいようである。

広島・長崎への原爆投下は、戦争を終結させるうえで必要なことだった。もし原爆を投下しないという選択をしていたら、戦争は長引き、地上戦による多くの米兵の犠牲と膨大な数の日本人の死が避けられなかっただろう。そういう意味で、原爆投下は意義あることだった、というのが、いまのアメリカ人の最大公約数的な見解になっている。原爆投下の決断をしたトルーマンは、正しい判断をしたというわけである。

宝積経はさまざまな経典から成り立っている。しかもそれぞれの成立年代にかなりな幅があるようで、統一した経典とはいえない。漢訳大蔵経には「大宝積経」として四十九にのぼる経典が収められているが、その五番目には浄土教の経典「無量寿経」が、また四十八番目には「勝鬘経」が収められている。

2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロは世界中を震撼させた。このテロによって3000人近い犠牲者を出したアメリカのブッシュ政権は、さっそくヒステリックな反応を示した。テロとの戦いへの邁進である。ブッシュはまずアフガニスタンを攻撃し、ついでイラクを攻撃してフセインを殺した。こうしたアメリカのテロとの戦いに対して、世界は反対する理屈を持たなかった。逆にそれを正当化するような論調が支配した。そしてテロとの戦いは、テロリスト=イスラム教徒という図式を通じて、イスラムとの戦いへと転化していった。イスラム=悪という構図が成立したのである。

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1955年制作のスペイン映画「汚れなき悪戯(Marcelino Pan y Vino)」は、聖人の伝記ともいうべき作品。伝記と言っても、この聖人マルセリーノは五歳で死んだことになっているので、伝記というよりは、少年はいかにして神に召されたか、というような設定になっている。この少年マルセリーノは、母親が恋しいあまりにイエスキリストに会わせて欲しいと頼み、それをイエスキリストが受け入れて、少年を天国の母親のもとに連れて行くのであるが、それは信仰深い人びとにとって、感動的に受け取られ、この少年を聖人としてあがめるようになったのである。

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(11景 上野清水堂不忍ノ池)

上野の清水堂は、京都の清水寺にまねて、舞台の上につくられた。そこからは不忍池が見下ろせる。これを琵琶湖に見たてて、その中に竹生島に模した中島と弁天堂を作った。

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レンブラント(正式にはレンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン Rembrandt Harmenszoon van Rijn 1606-1669)はバロック美術を代表する画家である。その活躍ぶりからして、バロックの巨人と呼んでよい。バロック絵画はイタリアの天才カラヴァッジオによって完成され、強い明暗対比(キアロスクーロ)と劇的なモチーフによって特色づけられるが、レンブラントはそうした特徴を更に発展させ、バロック美術を一層深化させたといえる。

第十章以下は、舞台を世尊のいるアームラパーリーの園林に戻し、ヴィマラキールティが世尊と直接対話する様子を中心にして、仏法とは何かについて説く。そのやり取りは、逆説に満ちたもので、形式論理では説明できない。仏教独特のロジックが展開されるのである。そのロジックを鈴木大拙が「即非の論理」と名づけたことは、別稿で指摘したとおりである。

山子夫妻と川崎でうなぎを食った。本来はこれに落子と松子未亡人が加わるはずだったのだが、二人ともコロナ騒ぎを理由に欠席した。その理由付けが対象的だ。落子はコロナを移されるのが怖いといい、松子未亡人は、もしかして自分がコロナを他人に移すかもしれないのが心苦しいというのだ。

「経済学批判」は、マルクスの経済学研究の最初の本格的な成果である。マルクスが経済学の研究に向った動機は、近代社会の本質を理解する鍵は経済の分析にあると思ったからだった。何故なら人間社会というものは、経済的な関係を土台として、その上に展開しているからだ。そのことをマルクスは、この書物の有名な序文のなかで指摘している。その部分は以下のようなものだ。

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ビクトル・エリセの1983年の映画「エル・スール(El sur)」は、エリセにとって二作目でかつ最後の長編劇映画である。テーマは、少女とその父親との謎めいた関係。謎めいたといっても、それは父親の行動が謎めいているということで、少女自体には謎めいたところはない。彼女は父親の謎めいた行動に振り回され、それがもとで反抗したりもするが、基本的には父親を深く愛しているのである。

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(9景 筋違内八ツ小路)

筋違御門は昇平橋の南詰にあった。そこは大きな広場になっていて、防火の役割を果たしていた。この広場からは、八方に道が通じていたので、八ツ小路と呼ばれた。

フランス文学といえば、強烈な個人主義と男女の性愛が最大の特徴だ。セリーヌの小説「夜の果ての旅」も、その伝統に忠実である。この小説は、強烈な個人主義者フェルディナン・バルダミュの女性遍歴の物語と言ってよい。

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