2022年4月アーカイブ

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「平戸懐古」と題したこの絵も、夢二の南蛮趣味の産物。夢二は、港屋を開店した1914年ごろ、南蛮趣味の作品を多く手掛けたが、その後、1918年頃に再びその趣味に戻った。その頃夢二は、たまきを避け、笠井彦乃をつれて京都へ行ったりしている。その延長で、神戸や長崎に旅したが、その折の体験が、夢二の南蛮趣味を復活させたのであろう。

アルゼンチンは、ラテンアメリカ諸国のなかでは、メキシコと並んで文学が盛んな国といわれる。その文学的な伝統は幻想文学と表現され、それをホルヘ・ルイス・ボルヘスが代表しているとされる。1944年に出版した「伝奇集」はかれの代表作である。これは短編小説を集めたものだが、かれは、文学者としては、短編小説の作者であって、長編小説は一つも書いていない。だからこれを読めば、ボルヘスの作風は一応納得できるといわれているのだが、小生が読んだ限り、これを「幻想文学」と定義するのは適当でないように思われる。

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「花」シリーズはミュシャの装飾パネルセットの代表的な作品。四種類の花を、それぞれ女性の姿に擬人化した図柄だ。このシリーズは大好評をはくし、装飾パネルのほか、カレンダーやポスターにも採用された。また、小さな画面にして四枚一組にしたバージョンが飛ぶように売れたという。

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今村昌平の1964年の映画「赤い殺意」は、「にっぽん昆虫記」につづき、ある種日本の女の典型を描いた作品。「にっぽん昆虫記」は、一介の娼婦から女衒の女将に大化けする女を描いたが、こちらは、大化けするどころか、自分のみじめな境遇に固着し、そのみじめさの中に諦観の境地を見出して、自らを慰めているような、主体性のない女を描いている。きわめて異なったタイプの女なのだが、今村はどちらに肩入れしているのか。今村自身、「赤い殺意」は自分で一番気に入っている映画だと言っているから、この映画に出てくるような、グズで主体性のない女のほうを好んでいたのかもしれない。

中央銀行の総裁は政治から中立であることが望ましいので、時の政権の気に食わぬからと言って、簡単に交代させるべきではない、というのが正論だ。だが、それには時と場合があると付け加えねばなるまい。中央銀行の総裁が、自国の貨幣の価値を毀損し続け、自国の経済を破滅に追い込むような場合には、速やかに交代させるべきである。

フロイトの宗教論は、精神分析の成果を応用したものだ。精神分析は個人の心理を対象にしるいる点で個人心理学といえるが、宗教は個人を超えた人間集団の現象なので、フロイトはそれを集団心理学の問題だと言っている。そのうえで、個人心理学と集団心理学は同じ基盤に立っているとする。その基盤とは、無意識の衝動を中心にした精神的なダイナミクスのことをいう。その無意識的な衝動が宗教の源泉だというのがフロイトの基本的な考えである。

「ヒューモアとしての唯物論」は、柄谷行人の哲学的な営みの上では、「マルクスその可能性の中心」と「カントとマルクス」の間に位置する。「マルクス」において柄谷は、マルクスを自分なりに読み替え、まずプルードン的なアナーキストに仕立てた。そのうえで、「カントとマルクス」においては、マルクスをカント的な理想主義者に祭り上げたわけだが、「ヒューモアとしての唯物論」は、そうした柄谷のマルクス読み替え作業の途上にあるものとして位置づけることができるのではないか。ここでの柄谷の主な標的は、マルクスをカントと関連付ける作業の落としどころを見出すところにあると言ってよい。その落としどころになる概念装置を柄谷は、「超越論的な態度」というものに求めた。カントもマルクスも、超越論的な態度を共有したというのである。「ヒューモアとしての唯物論」とは、そうした超越論的な態度を意味している。

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1959年の映画「にあんちゃん」は、今村昌平の出世作となったものだ。在日コリアンの少女の日記を映画化した。原作は、1957年に出版され、大ブームというべき現象を引き起こし、ラヂオやテレビがドラマ化して放送していた。そのブームに目をつけた日活が、当時かけだしだった今村昌平に、映画化をもちかけたといういきさつがある。今村は、原作の雰囲気に忠実に映画化した。おかげでこの映画は、当年の芸術祭において、文部大臣賞をとった。

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「蘭燈」と題するこの作品も、セノオ楽譜の表紙絵として制作されたもの。夢二はセノオ楽譜のために270点あまりの絵を制作したが、その中には自分で作詞したものもあった。「 蘭燈」も夢二が作詞している。


1841年の初夏、ハイネは一月あまり、愛人マティルドをともなってピレネー山中の温泉に滞在した。バスク人が住んでいるところである。その折のことをヒントにして長編詩「アッタ・トロル」を書いた。紀行ではない。政治的な内容を含んだ諷刺詩である。1846年に出版した本の序文に、「当時はいわゆる政治詩が流行していました。反政府派がその皮を売って文学となった」(井上正蔵訳)と書いているが、ハイネもその流行に乗って、同時代のヨーロッパとりわけドイツを批判したというわけであろう。アッタ・トロルとは熊の名前で、そこにはハイネ自身が投影されていると考えてよいが、そのアッタ・トロルも人間に皮をはがれて床の敷物にされてしまうのである。

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「夢(Rêverie)」と題されたこの作品は、もともと印刷会社シャンプノワの社内向けポスターとして作成されたもの。評判がよかったので、一般向けにも販売された。ミュシャの作品のなかでも最も人気のあるものの一つである。

菩薩の十地の第四は「光明に輝く菩薩の地」である。第三地から第四地に進みゆくにあたっては、十種のあらゆる存在についての光明(十法明門)を体得する。その十種の光明とは次のようなものである。
(1)あらゆる衆生をあらしめる衆生性(衆生界)をさまざまに思惟する光明
(2)あらゆる世界をあらしめる世界性(世界)をさまざまに思惟する光明
(3)あらゆる存在をあらしめる存在性(法界)をさまざまに思惟する光明
(4)空間をあらしめる空間性(虚空界)をさまざまに思惟する光明
(5)識をあらしめる識性(識界)をさまざまに思惟する光明
(6)欲望をあらしめる欲望性(欲界)をさまざまに思惟する光明
(7)物質のみが存在する禅定性(色界)をさまざまに思惟する光明
(8)物質も存在しなくなった禅定をあらしめる禅定性(無色界)をさまざまに思惟する光明
(9)広大な道心による信仰をあらしめる信仰性をさまざまに思惟する光明
(10)大乗の真理のままなる道心による信仰をあらしめる信仰性をさまざまに思惟する光明

岩波書店発行の雑誌「世界」が、直近の5月号でウクライナ侵攻に関する緊急特集を組んだほかに、「ウクライナ侵略戦争」と銘打った臨時増刊号まで出して、この問題をさまざまな視点から解説している。それらを読んだ印象は、当初はプーチンの暴挙を厳しく非難するものがある一方、プーチンをそこまで追い詰めた西側にも一定の責任があるという論調もあるということだった。二つの特集を読み比べると、後から出た臨時増刊号の諸論文のほうが、プーチン非難の調子が高まっているようである。

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エルマンノ:オルミの2014年の映画「緑はよみがえる(Torneranno i prati)」は、第一次大戦中のイタリア軍の前進基地を舞台にして、戦争の理不尽さとそれに翻弄される兵士たちの過酷な運命を描いた厭戦映画である。なぜ、第一次大戦から百年もたって、それに対する厭戦気分を映画のモチーフにしたのか。厭戦映画というなら、第二次大戦でもよかったわけだが、わざわざ百年前の戦争にこだわったのは、そこにまだ人間的なものをうかがえるからかもしれない。第二次大戦は、あまりにも非人間的であって、そこに人間を考えさせるものはないというような受け止め方がオルミにあって、第一次大戦の一齣をテーマにしたのかもしれない。

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セノオ音楽出版が、大正年間から昭和初期にかけて楽譜の出版をしたところ大いにあたった。そのプロジェクトに夢二もかかわった。セノオ楽譜は表紙にしゃれた絵を配しているのが人気を呼んだ。夢二の絵は、楽譜の表紙としてふさわしかったと見え、大いに好評を博したという。

中南米諸国は、政情が不安定なこともあって、数多くの独裁者を生んだ。そういう国で文学活動を行うと、政治的な迫害を受けることが多く、またそれに反発して独裁者を批判する政治的なメッセージの強い作品群が生まれた。ミゲル・アンヘル・アストゥリアスの「大統領閣下」は、ガルシア=マルケスの「族長の秋」と並んで、そうした専制政治批判の代表的なものである。

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1898年に上演された「メデエ」のためのポスター。「メデエ」はエウリピデス原作のギリシャ悲劇だが、それを詩人のカチュール・マンデスがサラ・ベルナールのために戯曲化した。ルネサンス座の舞台において、サラはみずからメデエを演じた。

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アリーチェ・ロルバケルの2014年の映画「夏をゆく人々(Le meraviglie)」は、イタリア人家族の生き方を描いた作品。舞台はエトルリア人がかつて住んでいた所というから、おそらくローマの北方、トスカーナあたりだと思う。エトルリアはイタリア中部の、それもティレニア海沿いにあったと言われるからだ。そこで養蜂を営んでいる一家の暮らしぶりが映画のテーマだ。

文化とは、動物とは異なった人間固有の事象である。それは二つの目的を有している。一つは自然に対する人間の防衛、もう一つは人間相互の関係の規制である。この二つが組み合わさって文化の体系が形成される。自然に対する人間の防衛は、個人としては無力な人間が集団を作ることによって強化される。人間は本来弱いものだから、その弱さを補うために集団を作らざるを得ないのである。一方人間相互の関係については、人間は本来利己的な生きものであり、互いにとって互いが狼である。それでは集団は維持されない。そこで、集団を維持するためのさまざまな工夫がなされる。それは個人を集団につなぎとめるための工夫だが、その工夫の総体が文化の内実となるのである。

国民の代表者による政治を、代議制民主主義という。あるいは単に代表制と呼ぶこともある。その代表制について柄谷は、かなり批判的である。代表制というもは、代表するものと代表されるものとの間に、ある種の一致を前提としているが、そんなものは実際にはない。代表するものは、なにも代表されるものに行動や意見を拘束されているわけではなく、自分自身の考えにもとづいて行動する。その行動が、自分を選んだもの、つまり代表されるものの利害に反することもある。というより、それが普通である。

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エルマンノ・オルミの2013年の映画「楽園からの旅人(Il villagio di cartone)」は、イタリアにおけるアフリカからの難民をテーマにした作品。それに教会の廃止問題をからませてある。イタリアは難民に対して厳しい姿勢をとっているらしく、フランスと比べても、町に黒人の姿をみることが少ない。黒人ばかりが難民とは限らないが、そもそもイタリアの町には観光客以外の外国人を見かけることは少ないので、やはり難民の絶対数が少ないのだと思う。その点は日本と似ている。

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夢二は芝居絵を多く手掛けた。故郷の岡山県邑久が芝居の盛んな土地柄だったので、少年時代から芝居に親しんでいた。その芝居趣味を、絵の世界で表出したというわけであろう。1910年代の半ばごろから20年代の初めにかけて、肉筆の芝居絵を手掛ける一方、庶民向けの版画もヒットした。

1840年2月から43年6月にかけて、ハイネはドイツの新聞「アウグスブルガー・アルゲマイネ・ツァイトゥンク」にフランスについての時事評論を連載した。後にそれを一冊にまとめ「ルテツィア」と題した。ルテツィアとは古代ローマの言葉でパリを意味する。

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近所の公園に桜の花見に出かけたのは3月30日のこと。今年は花のもちがよく、十日ごろまで見られたので、小学校の新入生も、咲き誇る桜をバックにして記念撮影できたと思う。その桜が散るころに桃の花が咲きはじめ、二日ほど前に満開になった。

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ミュシャは1897年に二度古典をひらいた。最初は単独で、二度目は合同展の形で。このポスターは、その合同展「サロン・デ・サン(Salon des cents)」のために制作したもの。その名の通り100人の芸術家が450点にのぼる作品を展示した。

菩薩の十地の第三は「光明であかるい菩薩の地」である。この地にある菩薩は、如実なるままに思惟し、四種の禅定と無量心、物質の世界を超越した限りない禅定、また五種のもっともすぐれた神通力を体得している。それらをもって、菩薩としての資質を高め、衆生の救済に奮励努力するのである。

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エマヌエーレ・クリアレーゼの2013年の映画「海と大陸(Terraferma)」は、南部イタリアの漁師気質を、アフリカ難民を絡ませて描いた作品。社会派の人間ドラマといったものだ。
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竹久夢二には西洋かぶれのところがあって、西洋趣味を感じさせる作品を、1914年から数年間を中心にして残している。それには少年時代を神戸で過ごした影響が指摘される一方、明治の末以降、北原白秋の詩集「邪宗門」によって南蛮趣味が流行したことも作用したと思われる。

ラテンアメリカ文学は、魔術的リアリズムとか幻想文学といった呼ばれ方をされる。その呼ばれ方を通じてラテンアメリカ文学は、ある種の親類関係によって結ばれた強固な文学共同体のような観を呈している。その共同体を形成した始祖的人物というべきものが、M・A・アストゥリアスである。彼が1930年に発表した「グアテマラ伝説集」は、八篇の短文と一篇の脚本から構成されているのだが、いづれも魔術とか幻想を想起させる不思議な雰囲気の作品ばかりである。従来の文学の伝統から著しく逸脱していたので、面食らう読者が多かったのだが、20世紀最大の知性とされたポール・ヴァレリーが絶賛したこともあり、たちまち世界的な評判を呼んだ。後にアストゥリアスがノーベル文学賞を獲得するのは、この作品の成功に負うところが大きい。

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芸術をモチーフにした四枚組の装飾パネル。ダンス、絵画、詩、音楽のそれぞれが、女性の姿を通じて表現されている。とはいっても、芸術のイメージがストレートに表現されているわけではない。女性のポーズからして、なんとなく結びつくといった気持ちを起させるようになっている。

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ピエル・パオロ・パゾリーニの1967年の映画「アポロンの地獄(Edipo Re)」は、イタリア語の原題にあるとおり、ソポクレスの悲劇「オイディプス王」を映画化した作品。ソポクレスの戯曲は、現在から過去を回想するという形で話が展開するが、この映画は、オイディプスが生まれてから、絶望して盲目となり放浪の旅に出るまでを、時間の経過にしたがって描いている。しかも、生まれた時と死ぬ直前は現代のこととして描かれ、その間の出来事が太古のこととして描かれている。

先日NHKスペシャルが数学の問題をテーマに取り上げていたのを興味深く見た。それはABC予想証明というテーマで、具体的には、「数学者は宇宙をつなげるか?abc予想証明をめぐる数奇な物語」というようなものだった。小生は数学の専門家ではないので、あまり立ち入ったことは言えないが、この番組から触発されて考えたのは、数学をアプリオリな総合判断だと主張したカントの説であった。

フロイトの文化論は、精神分析学の成果を踏まえている。精神分析学は個人の人格形成についてユニークな理論を展開したのだが、それとほぼパラレルな議論を共同体など人間集団についても適用した。「トーテムとタブー」はその一里塚といえる研究成果だった。そこでの議論は、個人の人格形成に決定的な役割を果たすエディプス・コンプレックスが人間の集団においても確認できるというものだった。個人がエディプ・スコンプレックスからの解放を通じて「良心」を確立していくのに対して、集団は「社会的な規範」を形成していく。それは宗教という形をとることもあるし、もっと世俗的な道徳・倫理という形をとることもある。

柄谷行人の初期のマルクス論(「マルクスその可能性の中心」における議論)を評して小生は「マルクスによってマルクスを否定する」と言った。柄谷のマルクス像がかなり恣意的だと思ったからだ。そういう恣意的なところは「トランスクリティーク」でも変わらない。むしろ強まったくらいだ。「マルクスその可能性の中心」では、「ドイツイデオロギー」を材料に使って柄谷なりのマルクス像を描いていたが、ここでは「資本論」を材料に使っている。そしてその主な目的は、マルクスとエンゲルスのデカップリングと、マルクスをプルードン主義者に仕立て上げることである。

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ピエル・パオロ・パゾリーニの1964年の映画「奇跡の丘(Il Vangelo secondo Matteo)」は、イタリア語原題にあるとおり、新約聖書「マタイによる福音書」を映画化したものである。通称マタイ伝は、新約聖書の冒頭におかれ、キリストの生涯をもっとも詳細に語っている。その内容は、日本人にもよく知られているところなので、ここでは特に触れない。ともあれこの映画は、この福音書の語るところをほぼ忠実に再現している。

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「木に寄る女」と題したこの絵は、木と一体化した女を描いている。女はミカンの木に寄りかかっているのだが、その木の幹が女によって覆い隠されているために、あたかも女が木の幹となり、その女の頭上から枝がのびて、ミカンの実がなっているように見える。

カントに始まりヘーゲルで頂点に達するドイツの哲学の流れをハイネは、「哲学革命」と呼んでいる。革命という言葉を使っているほどだから、これが哲学に及ぼした影響には、人類史的な重要性を指摘できる。たんにドイツ内部にとどまらない。世界的な規模で人類の思考のあり方を変える力をもっている、とハイネは考えた。もっとも革命の影響は短期間であらわれるわけではなく、それが完全に実現するには数百年かかると断ってはいるのであるが。

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この一対の絵は、モチーフ設定や構図・色合いに共通するところがあるので、連作として作られたと思われがちだが、もともとは別の作品として制作された。しかし市場では、これらを一対のものとして受容したために、事後的にセットものとして認知された。

菩薩の十地の第二は「垢れをはなれた菩薩の地」である。第一の地を成就すると、かの菩薩には十種の道心が現前する。すなわち、(1)誠実なる道心(正直心)、(2)柔和なる道心(柔軟心)、(3)無碍自在なる道心(堪能心)、(4)練磨された道心(調伏心)、(5)静寂なる道心(寂静心)、(6)うるわしい道心(純善心)、(7)純一無雑なる道心、(8)無欲恬淡なる道心、(9)広大なる道心、(10)大乗の真理のままなる道心(大心)である。

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ジャン・ルノワールの1938年の映画「獣人(La bête humaine)」は、エミール・ゾラの同名の小説を映画化した作品。ルノワールは、サイレント時代にゾラの「ナナ」を映画化したことがあった。原作に忠実だという評判だ。小生は「ナナ」は読んだことがあるが、「獣人」は未読である。ある書評によれば、発作的に女性を殺したくなる精神的な病理を抱えた男が、人妻に惚れたあげくその女性を殺してしまうというような筋書きだそうだ。映画もその筋書きに沿って、ジャン・ギャバン演じる男が、人妻を愛した末に、その女性に足蹴にされたことにかっとなって殺してしまうというふに描かれている。

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夢二はたまきのために日本橋に港屋を開店したその年に、たまきをともなって、関西方面に旅行した。「加茂川」と題するこの絵は、その折に描かれたものと思われる。夢二は、明治42年にたまきと富士登山をした折、京都出身の堀内清と懇意になり、以後たびたび堀内をたよって京都に旅行している。この年の関西旅行は、岡山で開かれた画展に立ち会うのが目的だったが、そのついでに関西方面を歩き回ったのだった。

「予告された殺人の記録」は、ガルシア=マルケスに特有のおとぎ話的な意外さはない。別の意味の意外さはある。それは事実そのものに潜む意外さだ。この小説のテーマは、妹が侮辱されたと信じ込んだ双子の兄弟が、妹を侮辱したと彼らが思いこんでいるある男に復讐することなのだが、その男が妹を侮辱したという明確な証拠がない。侮辱というのは、その男が妹の処女を奪ったということなのだが、かりにそれが事実だったとしても、なぜ処女を奪うことで殺されなければならないのか、その理由が薄弱なのだ。

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「ショコラ・イデアル」と題したこの作品は、ホット・チョコレートの宣伝用ポスターのために制作されたもの。大量生産・大量消費時代を迎えつつあった当時のフランスにおいては、こうした日常生活に直結した商品のポスターが多く作られた。

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ジャック・フェデーの1937年の映画「鎧なき騎士」は、フェデーがイギリスに招かれて作った作品。テーマはロシア革命である。そのロシア革命を、結構否定的に描いているところから、「反ソ映画」に分類されることもあるが、フェデー自身に反ソ的な傾向があったのかは明らかではない。マレーネ・ディートリヒ演じる主人公の女性が、大地主で政府高官の娘となっていて、彼女をヒロインとしていることで、おのずから彼女寄りの視点に立つのだが、フェデーは革命の混乱を描くことよりも、その混乱を生きる男女の愛に焦点をあてており、歴史ではなく愛がモチーフだと言いたいようである。

「ドストエフスキーと父親殺し」というショッキングな題名を持つ小論は、フロイトの精神分析手法をドストエフスキーに適用したものだ。一種の症例研究と言ってよい。通常の症例研究と異なるのは、患者の症状が直接与えられておらず、ドストエフスキーの作品や彼の生涯に関する事実から間接的に推測せねばならないことだ。フロイトはそれらから生じるドストエフスキーについてのイメージを、四つの要素にまとめている。詩人、神経症患者、道徳家、罪人としての要素である。どれもドストエフスキーの異常な人格を説明している。このうち、詩人、道徳家、罪人としての要素は、それぞれ独立した項目として説明できるし、またこれら三つの要素がまとまって発現する事態について、神経症とは無関係なものとして説明できる。しかしドストエフスキーの場合には、以上の三つを神経症と関連付けて説明したほうが合理的と言える。つまりドストエフスキーの人格には、神経症の要素が基本的なものとしてあって、それが、ほかの三つの要素を発現させていると考えるべきである、というのがフロイトのここでの立論の骨子なのである。

柄谷が自然と自由に関する議論を持ちだすのは、革命をどう考えるべきかという問題意識に促されてのことである。史的唯物論の「常識」によれば、革命は自然必然性にもとづくものであって、したがってそこに人間の自由な選択の入る余地はない。というのも、必然性と自由とは相容れない対立関係にあると考えられているからだ。ところが柄谷は、自然必然性と自由とは相容れないものではなく、同時に成り立つと考える。そう考えれば、革命について人間の自由な選択を議論することができる。革命はあくまでも人間の主体的な行為であって、それは自由な意思に支えられていなければならない、というのが柄谷の基本的な考えである。

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ルネ・クレールは1947年に「沈黙は金」でフランス映画界に復帰して以降、「悪魔の美しさ」、「夜ごとの美女」、「夜の騎士道」という具合に一連の傑作群を作ったのだったが、「リラの門(Porte des Lilas)」(1957年)は、その最後を飾る作品である。しかし前三作と比較すると、多少劣るのは否定できない。

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夢二は1909年にたまきと離婚したあとも、たびたび同居をくりかえした挙句、1914年にはたまきのために日本橋呉服橋に一軒の店を出してやった。港屋といって、小間物を売る店であったが、それらの小間物には夢二のデザインが施されていたので、さながら夢二のブランドショップの観を呈した。

ハイネはベルリン大学でヘーゲルに哲学を学んだ。ヘーゲルは絶体精神が自己を実現していく過程として社会や思想の歴史をとらえていたので、勢い進歩史観に立っていたと言える。その進歩史観をハイネは受け継いだ。ハイネはそうした進歩の典型的なケースとして革命をとらえ、人間社会は革命をかさねることで、未来に向かって前進していくと考えた。ハイネのドイツ思想史は、そうした立場から書かれたものである。

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ポスターやカレンダーの図柄と並んで、ミュシャは装飾パネルの制作にも手を広げた。ポスターやカレンダーが大変な人気を博し、観賞用の作品への需要が高まったためだ。ミュシャは、さまざまなテーマを設定したうえで、二枚ないし四枚一組にして売り出したのだった。

菩薩の十の地の第一は「歓喜にあふれる菩薩の地」である。これは菩薩道の修行の最初の段階で、さとりを求める心が生じることでその境地にいたる。さとりを求める心は、菩薩の道を究めて、ついには如来の境地にいたることをめざすが、その第一段階が「歓喜にあふれる菩薩の地」なのである。この地に立つことは、菩薩の十の位をすべて通り抜け、仏になる準備を整えることにつながる。無暗に修行するのではなく、計画に従って修行する。その計画はあらかじめ示されている。それは隊商のリーダーが出発に際して目的地までの道筋をすでに頭の中に描いているのと同様である。さとりを求め修行を始めた菩薩はすでに終着点を見据えているのである。そうお経は語り、これから菩薩が経めぐる修行の十の段階として菩薩の十地を説明するのである。

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黒沢清の2020年の映画「スパイの妻」は、戦時中の満州における日本軍の人体実験をテーマにした作品。同じような趣旨の映画に、熊井啓の「海と毒薬」がある。熊井の映画は、日本軍によって捕虜となった外国兵を、人体実験の検体にするという内容だったが、こちらは、いわゆる石井機関の蛮行がテーマである。この不都合な事実を、いまの日本人の中には認めたくないものが多いので、それを映画にすることは、かなりな反発を呼ぶのではないかと思うのだが、そこは黒沢のこと、手際よく処理して、結構な人気を集めることに成功した。ヴェネツィアでも銀獅子賞をとっている。

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夢二は、たまき以下自分が深い関係を持った女性たちをモデルに多くの美人画を制作した。そうした美人画は、女のエロチックな魅力を捉えたものだが、初期には、挿絵を多く手掛けていたこともあって、マンガチックな作品も多い。「満願の日」と題したこの作品は、夢二の漫画風美人絵の代表的な作品。

ガルシア=マルケスの短編小説集「エレンディラ」は、「百年の孤独」と「族長たちの秋」の合間に書かれた。「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」以下七篇の短編小説からなっている。「無垢なエレンディラ」は比較的長く、中編小説といってもよいほどだが、その他はみな短い。どれもガルシア=マルケスらしい意外性に満ちた作品である。

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「王道12宮」は、印刷業者シャンプノワの依頼を受けて、カレンダーの図柄として制作された。ミュシャはほかにも、シャンプノワのためにカレンダーの図柄を手掛けている。それらは非常に人気を博したので、装飾用パネルに仕立てなおされて個人向けに販売されたものだ。ミュシャの装飾的な作品は、庶民の消費の対象となっていたわけである。

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濱口竜介の2021年の映画「ドライブ・マイ・カー」は、村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」の冒頭を飾る同名の作品を映画化したもの。物語の基本的な枠組みは維持しているが、かなり大胆な脚色が加えられており、村上の原作を読んでいなくとも、十分楽しめるように作られている。

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