映画を語る

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大島渚の1969年の映画「新宿泥棒日記」は、大島一流の悪ふざけ精神が横溢している作品だ。大島はその悪ふざけを、唐十郎とか横尾忠則といった素人俳優と組んでやってのけた。唐十郎は新宿で路上演劇を主催するものとして、横尾忠則は新宿紀伊国屋書店で万引きを繰り返す青年として出てきて、皆でセックスの意義を考えあうといった趣向の映画だ。それに、当時まだくすぶっていた反抗的な時代精神が背景として表現される。新宿は、1968年の全共闘による街頭暴動の舞台となったところだ。

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大島渚の1961年の映画「飼育」は、大江健三郎の初期の代表作である同名の短編小説を映画化したもの。この小説は、四国の山中に不時着した米軍の黒人パイロットを、近隣の部落の住民たちが監禁する様子を描いたもので、大江の分身と思われる十歳の少年の視線から描かれていた。それを大島は、かなり大胆に読み替えて脚色した。そのため、原作の雰囲気とはだいぶ異なった印象のものになっている。

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今村昌平の1964年の映画「赤い殺意」は、「にっぽん昆虫記」につづき、ある種日本の女の典型を描いた作品。「にっぽん昆虫記」は、一介の娼婦から女衒の女将に大化けする女を描いたが、こちらは、大化けするどころか、自分のみじめな境遇に固着し、そのみじめさの中に諦観の境地を見出して、自らを慰めているような、主体性のない女を描いている。きわめて異なったタイプの女なのだが、今村はどちらに肩入れしているのか。今村自身、「赤い殺意」は自分で一番気に入っている映画だと言っているから、この映画に出てくるような、グズで主体性のない女のほうを好んでいたのかもしれない。

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1959年の映画「にあんちゃん」は、今村昌平の出世作となったものだ。在日コリアンの少女の日記を映画化した。原作は、1957年に出版され、大ブームというべき現象を引き起こし、ラヂオやテレビがドラマ化して放送していた。そのブームに目をつけた日活が、当時かけだしだった今村昌平に、映画化をもちかけたといういきさつがある。今村は、原作の雰囲気に忠実に映画化した。おかげでこの映画は、当年の芸術祭において、文部大臣賞をとった。

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エルマンノ:オルミの2014年の映画「緑はよみがえる(Torneranno i prati)」は、第一次大戦中のイタリア軍の前進基地を舞台にして、戦争の理不尽さとそれに翻弄される兵士たちの過酷な運命を描いた厭戦映画である。なぜ、第一次大戦から百年もたって、それに対する厭戦気分を映画のモチーフにしたのか。厭戦映画というなら、第二次大戦でもよかったわけだが、わざわざ百年前の戦争にこだわったのは、そこにまだ人間的なものをうかがえるからかもしれない。第二次大戦は、あまりにも非人間的であって、そこに人間を考えさせるものはないというような受け止め方がオルミにあって、第一次大戦の一齣をテーマにしたのかもしれない。

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アリーチェ・ロルバケルの2014年の映画「夏をゆく人々(Le meraviglie)」は、イタリア人家族の生き方を描いた作品。舞台はエトルリア人がかつて住んでいた所というから、おそらくローマの北方、トスカーナあたりだと思う。エトルリアはイタリア中部の、それもティレニア海沿いにあったと言われるからだ。そこで養蜂を営んでいる一家の暮らしぶりが映画のテーマだ。

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エルマンノ・オルミの2013年の映画「楽園からの旅人(Il villagio di cartone)」は、イタリアにおけるアフリカからの難民をテーマにした作品。それに教会の廃止問題をからませてある。イタリアは難民に対して厳しい姿勢をとっているらしく、フランスと比べても、町に黒人の姿をみることが少ない。黒人ばかりが難民とは限らないが、そもそもイタリアの町には観光客以外の外国人を見かけることは少ないので、やはり難民の絶対数が少ないのだと思う。その点は日本と似ている。

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エマヌエーレ・クリアレーゼの2013年の映画「海と大陸(Terraferma)」は、南部イタリアの漁師気質を、アフリカ難民を絡ませて描いた作品。社会派の人間ドラマといったものだ。
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ピエル・パオロ・パゾリーニの1967年の映画「アポロンの地獄(Edipo Re)」は、イタリア語の原題にあるとおり、ソポクレスの悲劇「オイディプス王」を映画化した作品。ソポクレスの戯曲は、現在から過去を回想するという形で話が展開するが、この映画は、オイディプスが生まれてから、絶望して盲目となり放浪の旅に出るまでを、時間の経過にしたがって描いている。しかも、生まれた時と死ぬ直前は現代のこととして描かれ、その間の出来事が太古のこととして描かれている。

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ピエル・パオロ・パゾリーニの1964年の映画「奇跡の丘(Il Vangelo secondo Matteo)」は、イタリア語原題にあるとおり、新約聖書「マタイによる福音書」を映画化したものである。通称マタイ伝は、新約聖書の冒頭におかれ、キリストの生涯をもっとも詳細に語っている。その内容は、日本人にもよく知られているところなので、ここでは特に触れない。ともあれこの映画は、この福音書の語るところをほぼ忠実に再現している。

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ジャン・ルノワールの1938年の映画「獣人(La bête humaine)」は、エミール・ゾラの同名の小説を映画化した作品。ルノワールは、サイレント時代にゾラの「ナナ」を映画化したことがあった。原作に忠実だという評判だ。小生は「ナナ」は読んだことがあるが、「獣人」は未読である。ある書評によれば、発作的に女性を殺したくなる精神的な病理を抱えた男が、人妻に惚れたあげくその女性を殺してしまうというような筋書きだそうだ。映画もその筋書きに沿って、ジャン・ギャバン演じる男が、人妻を愛した末に、その女性に足蹴にされたことにかっとなって殺してしまうというふに描かれている。

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ジャック・フェデーの1937年の映画「鎧なき騎士」は、フェデーがイギリスに招かれて作った作品。テーマはロシア革命である。そのロシア革命を、結構否定的に描いているところから、「反ソ映画」に分類されることもあるが、フェデー自身に反ソ的な傾向があったのかは明らかではない。マレーネ・ディートリヒ演じる主人公の女性が、大地主で政府高官の娘となっていて、彼女をヒロインとしていることで、おのずから彼女寄りの視点に立つのだが、フェデーは革命の混乱を描くことよりも、その混乱を生きる男女の愛に焦点をあてており、歴史ではなく愛がモチーフだと言いたいようである。

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ルネ・クレールは1947年に「沈黙は金」でフランス映画界に復帰して以降、「悪魔の美しさ」、「夜ごとの美女」、「夜の騎士道」という具合に一連の傑作群を作ったのだったが、「リラの門(Porte des Lilas)」(1957年)は、その最後を飾る作品である。しかし前三作と比較すると、多少劣るのは否定できない。

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黒沢清の2020年の映画「スパイの妻」は、戦時中の満州における日本軍の人体実験をテーマにした作品。同じような趣旨の映画に、熊井啓の「海と毒薬」がある。熊井の映画は、日本軍によって捕虜となった外国兵を、人体実験の検体にするという内容だったが、こちらは、いわゆる石井機関の蛮行がテーマである。この不都合な事実を、いまの日本人の中には認めたくないものが多いので、それを映画にすることは、かなりな反発を呼ぶのではないかと思うのだが、そこは黒沢のこと、手際よく処理して、結構な人気を集めることに成功した。ヴェネツィアでも銀獅子賞をとっている。

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濱口竜介の2021年の映画「ドライブ・マイ・カー」は、村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」の冒頭を飾る同名の作品を映画化したもの。物語の基本的な枠組みは維持しているが、かなり大胆な脚色が加えられており、村上の原作を読んでいなくとも、十分楽しめるように作られている。

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ファティ・アキンの2019年の映画「屋根裏の殺人鬼(Der Goldene Handschuh)」は、1970年代にハンブルグで起きた連続殺人事件に題材をとった作品。この事件は、アパートメントの屋根裏で一人暮らしをしていた男が、娼婦を自分の部屋に連れ込んでは殺害し、バラバラにした死体を壁の中の小さな空間に押し込めていたというもので、被害者の数は四人、年老いた娼婦やホームレスの老婆たちだった。

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アニエスカ・ホランドの2011年の映画「ソハの地下水道」は、ナチスによるユダヤ人へのホロコーストをテーマにした作品。ユダヤ人が地下水道に潜伏して迫害を逃れようとするところは、アンジェイ・ワイダの「地下水道」と同趣旨である。ワイダの映画は、いわゆるワルシャワ蜂起を背景としていたが、この映画はルヴフというポーランドの地方都市を舞台としている。この都市は、現在ではウクライナ領になっており、リヴィウと改称されている。

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イエジー・カヴァレロヴィチの1959年の映画「夜行列車」は、かれにとっての出世作であるとともに、アンジェイ・ワイダに続いて、ポーランド映画を世界に注目させた作品。ワイダの映画がいづれも高度な政治的メッセージを感じさせるのに対して、カヴァレロヴィチの映画にはそうした政治性はない。この映画「夜行列車」も、おそらくワルシャワから出発して北部の海岸へと向かう夜行列車に乗り合わせた人々の人間模様を描いている。乗客の一人が、自分はブッヘンヴァルトに四年入っていたと言うところが、唯一政治的なメッセージである。

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ロマン・ポランスキーの1966年の映画「袋小路」は、イギリスに招かれて作った作品である。「水の中のナイフ」同様、閉じられた空間における人間の愛憎模様をテーマにしている。ポランスキーが閉鎖的な空間にこだわるのは、若い頃にゲットーに閉鎖された体験がトラウマになっているためかもしれない。

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ロマン・ポランスキーの1962年の映画「水の中のナイフ」は、かれの監督デビュー作である。ポーランド国内ではまったく話題にならなかったが、ハリウッドでは絶賛された。この頃のポーランドは、まだ西側世界とは隔絶しており、アンジェイ・ワイダを除いては、ポーランド映画はほとんど知られていなかった。そこへハリウッド的な雰囲気を感じさせる映画が東側のポーランドから出てきたのが新鮮に映ったのだろう。また、ロマンスキーがゲットーの生き残りだったということも、ユダヤ人が支配しているハリウッドに親近感を持たせたのだと思う。

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