映画を語る

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岡本喜八の1964年の映画「ああ爆弾」は、ミュージカル仕立てのドタバタ喜劇である。ミュージカル仕立てとはいっても、西洋風のミュージックではなく、和風のミュージックが主体である。なかでも、狂言小謡が幅を利かせている。その他に三味線入りの浪花節とか、能の謡曲とか、歌舞伎の義太夫まがいのものとか、なにしろ日本の伝統的な音曲が全編に流れ、非常に賑やかな感じの映画である。

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2016年のトルコ映画「猫が教えてくれたこと」は、イスタンブールで暮す野良猫たちを追ったドキュメンタリー映画である。トルコ人は猫が好きで、猫かわいがりする民族だという思い知らされる作品である。猫のそもそのの発祥地は中近東と言われており、トルコ人も猫とは長い付き合いだったようだ。だから、かれらの猫へのこだわりは尋常ではない。日本では猫はペットという扱いだが、トルコでは猫は、自由に生きる自立的な存在者だというメッセージが、この映画からは伝わってくる。

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2008年の映画「自由と壁とヒップホップ」は、パレスチナ人のヒップホップグループの活動を追いながら、イスラエルによるパレスチナ人迫害の過酷さを訴えたドキュメンタリー映画である。監督は、パレスチナ人を母親に持つアメリカ人女性ジャッキー・リーム・サッローム。2000年ごろから約五年間、イスラエル、ガザ、西岸で活躍するヒップホップグループの活動を追った。その間に、第二次インティファーダが起り、パレスチナ人とユダヤ人の対立が激化したという経緯があり、この映画でも、両民族の対立が影を落としている。

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ミロス・フォアマンの2006年の映画「宮廷画家ゴヤは見た(Goya's Ghosts)」は、人類史上最も偉大な画家の一人であるフランシスコ・デ・ゴヤの半生を描いた作品。ゴヤの生きた時代は、激動の時代であり、ゴヤ自身その激動に翻弄されたり、また聴力を失うなどの辛酸をなめた。一方では、この映画のタイトルにもあるとおり、国王直属の宮廷画家でもあった。もっとも晩年には、その王室が崩壊したために、宮廷画家という経歴はかえって邪魔になったりもしたのだったが。

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ミロス・フォアマンの1999年の映画「マン・オン・ザ・ムーン(Man on the Moon)」は、1970年代後半から80年代前半にかけてテレビなどで活躍したコメディアン、アンディ・カウフマンの半生を描いた作品。カウフマンは日本では全くといってよいほど知られていないが、アメリカでは結構人気があったそうだ。ギャグとドタバタを組み合わせたアメリカ人好みの演技がうけたということらしい。だが、本人はそれを、大衆におもねる低俗趣味だといって、自嘲していたという。この映画は、そうしたカウフマンのやや複雑な心境を表現するものとなっており、ただのお笑い映画ではない。

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ミロス・フォアマンの1996年の映画「ラリー・フリント(The People vs. Larry Flynt)」は、過激なポルノ雑誌「ハスラー」の創刊者ラリー・フリントの半生を描いた作品。このポルノ雑誌は、ただでさえ過激な性描写を売り物にしていることに加え、するどい社会批判を伴ってもいたので、保守的な人々から目の敵にされた。それゆえ、フリントは生涯敵と戦うことを余儀なくされた。この映画は、そんなフリントの戦いぶりを描いたものである。

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ミロス・フォアマンの1979年の映画「ヘアー(Hair)」は、ベトナム戦争のために徴兵された若者とニューヨークのヒッピーたちの交流を描いた作品。ベトナム戦争への反対運動とかヒッピーといったものは、1960年代後半の事象であり、この映画が公開された1979年には過去のものとなっていた。それゆえ多少時代遅れの印象を与えたことは否めない。原作となった同名のミュージカル作品は1968年に上演されている。その時には鋭い社会批判を感じさせたのだと思う。

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ミロシュ・フォアマンは、チェコ・ヌーヴェルヴァーグ映画を代表する監督。1967年に作った「火事だよ! かわい子ちゃん」は、そのヌーヴェルヴァーグ映画の代表作といえる。かれは、この映画製作を最後に、チェコを脱してアメリカで映画作りをするようになるので、チェコ時代の最後の作品である。テーマは、チェコの官僚主義の批判といったところ。パンチの利いたやり方で、官僚主義に毒されたチェコの人々を笑いのめしている。

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1995年のアメリカ映画「ブレイブハート(Braveheart メル・ギブソン監督)」は、13世紀における、スコットランドの対英独立戦争を描いた作品。この時期のスコットランドに、ウィリアム・ウォレスという英雄が登場し、スコットランド人を鼓舞して対英独立戦争を戦った。その戦争のハイライトとなったスターリングの戦いは、スコットランドの歴史上、イギリス軍に勝った唯一の戦いだった。その戦いの後、イギリス側の反撃により、スコットランドの独立運動は弱体化し、指導者のウォレスは残虐なやりかたで殺された。かれの首はロンドン橋にさらされたのだったが、それはロンドン橋名物といわれるさらし首の、史上最初の出来事だったといわれる。

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キャロル・リードの1953年の映画「二つの世界の男(The Man Between)」は、第二次大戦後の東西冷戦の一こまを描いた作品。戦後ベルリンは東西に分断されたが、まだベルリンの壁ができていない時代に、東西を自在に行き来しながら、東側のスパイとして働く男の屈折した生き方を描いている。

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キャロル・リードの1948年の映画「落ちた偶像(The Fallen Idol)」は、グレアム・グリーンの短編小説「地下室」を原作にして、リードが大胆に脚色した作品。テーマは少年の勘違いである。その勘違いのために、自分が護ろうとしている人をかえって窮地にさらすといったような内容である。

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キャロル・リードの1947年の映画「邪魔者は殺せ(Odd Man Out)」は、アイルランド紛争の一こまを描いたものだが、紛争の現実そのものには触れておらず、アイルランドの独立派の一部が、闘争資金をかせぐために強盗を働く様子を描いている。そういう意味では、ちょっと高級感のあるギャング映画といってよい。

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山田洋次の2021年の映画「キネマの神様」は、映画に青春をかけた男たちの物語。その男たちが老年になって、再び映画への情熱に目覚めるといった内容だ。男の一人を沢田研二、もう一人を小林稔侍が演じている。かれらの青春は松竹の撮影所を舞台としていた。その舞台で彼らは一人の女性をめぐって葛藤する。老年になっても、三人の関係は崩れない。三人はあいかわらず、映画を通じて結びついている。要するに映画を賛歌する映画なのである。松竹の山田洋次の2021年の映画「キネマの神様」は、映画に青春をかけた男たちの物語。その男たちが老年になって、再び映画への情熱に目覚めるといった内容だ。男の一人を沢田研二、もう一人を小林稔侍が演じている。かれらの青百年記念に作られたというから、映画賛歌になるものわからぬではない。

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想田和弘の2007年の映画「精神」は、想田が「観察映画」と称するドキュメンタリー映画の第二作目である。テーマは、ある精神科医師とその患者たちとの関係である。この医師は、金銭づくを抜きにして、ほとんどボランティアのような形で心を病んだ患者たちと向き合っている。その向き合い方は、単に治療というのを超えて、患者を全面的に支えたいという意志に貫かれている。だから、患者はかれに頼り、自分の身と心を差し出し、全面的な信頼を寄せている。中には40年間も彼の世話になっているものもいる。

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想田和弘の2007年の映画「選挙」は、さる市議会議員選挙に取材したドキュメンタリー映画。想田自身は監察映画と言っている。自身が観察したところを包み隠さずカメラに収めたというところだろう。じっさい想田は自分でカメラを回しているそうである。

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2000年公開の香港映画「花様年華(王家衛監督)」は、既婚男女の恋愛をテーマにした作品。欧米特にイギリスでの評価が高く、BBCの「21世紀最高の映画100本」では第二位にランクされたほどだ。一つには、イギリス人は「逢引き」に描かれたような既婚男女の恋愛に非常な関心を持っていること、もう一つには、香港を中国に返還して間もないころのことで、イギリス人の香港への郷愁というべきものが、この映画へのかれらのこだわりを掻き立てたという事情があったのだろうと考えられる。

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婁燁(ロウ・イエ)は、2006年に作った映画「天安門」が当局の怒りをかい、5年間中国国内での映画製作を禁止されたのだったが、その禁止期間が終わるとすぐに、中国での活動を再開した。2011年の映画「二重生活(浮城謎事)」は、復帰第一作である。

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2019年のポーランド映画「赤い闇 (アグネシュカ・ホランド監督)」は、スターリン時代のソ連を批判的に描いた作品。批判というより、全面否定といってよく、スターリンによって支配されているソ連という国には、なんらの存在価値もないといった、激しい拒絶感をうかがわせる作品である。ポーランド人のロシア嫌いがすなおに反映されている映画といってよい。ポーランド国内はもとより西側諸国での評判もよかったそうだが、今やロシアの悪口を言うのは西側に共通した趣味となっているので、この映画はその悪趣味に悪乗りしているわけでもある。

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2012年のデンマーク映画「偽りなき者」は、デンマー式の村八分をテーマにした作品。その村八分が集団ヒステリーとなるところがいかにもデンマークらしいところだ。この映画を見ると、デンマークはろくでなしの天国だと言ったキルケゴールの言葉を思い出す。ちょっとしたゴシップが途方もないスキャンダルに発展し、罪もない人間をよってかたって迫害する、というのがデンマーク式の村八分の特徴であり、それをろくでなしどもが楽しむ。キルケゴール自身がそういう村八分にあう体験をしたので、かれの言うことには迫真性がある。



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2010年のデンマーク映画「未来を生きる君たちへ」は、デンマークにおける少年の社会適応や、家族関係のありかたをテーマにした作品。クリスチャンとエリアスという二人の少年の友情を中心にして、少年の家族関係とか、学校をはじめとする社会とのかかわりが、やや情緒的なタッチで描かれる。監督は女性のスザンヌ・ピアだ。

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