映画を語る

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フランソア・トリュフォーの1960年の映画「ピアニストを撃て(Tirez sur le pianist)」は、トリュフォーの名を知らない今日の観客が見れば、凡庸なB級映画にしか見えないだろう。筋書きは三文小説のように退屈だし、映像が大胆な美を演出しているわけでもない。ただひとつこの映画には歴史上の価値がある。それはシャルル・アズナヴール演じる主人公のピアニストが娼婦とベッドにもぐるシーンで、娼婦の巨大な乳房が映し出されるところだ。それまでの映画では、女性の乳房をアップで映し出したものはなかったので、これは当時の観客を大いに驚かせたに違いない。しかし、いまでは女性の乳房をアップで映すのはごく普通のことになっており、この映画のシーンが取り立ててショッキングに映るということはない。

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フランソワ・トリュフォーの1959年の映画「大人は判ってくれない(Les Quatre Cents Coups)」は、ヌーヴェル・ヴァーグ運動の魁となった作品である。そこでヌーヴェル・ヴァーグ運動とはなにか、ということが問題になるが、厳密な定義はないようである。何となく時代の雰囲気をあらわした漠然とした言葉だが、強いて言えば、社会への批判意識が強いということだろうか。フランスは文明国でも最も洗練された社会と言われているが、それは裏を返せば欺瞞的な社会ということでもある。欺瞞は文明に比例するからだ。そこでその欺瞞をあばき、文明のゆがんだ側面を批判するところが、ヌーヴェル・ヴァーグ運動の共通の持ち味となった。そんなふうに言えるのではないか。

しとやかな獣:川島雄三

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川島雄三には露悪的なところがあるが、1962年の映画「しとやかな獣」はその露悪趣味がもっとも露骨に表れたものだ。この時代はクレージーキャッツの大流行に象徴されるような軽佻浮薄の時代であって、世の中は伝統とか道徳とかいうものとは無縁な様相を呈していた。そういう時代に川島はすっかり不道徳な感情に染まってしまった日本人を覚めた目で描き出した。あたかも同時代のフランスでは、スペイン人のルイス・ブニュエルがフランス人の不道徳振りをコメディタッチで描き出していたが、川島は日本人として同じ日本人の不道徳振りを笑い飛ばしたわけである。

雁の寺:川島雄三

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川島雄三の1962年の映画「雁の寺」は僧侶たちの堕落を描いたものである。筆者が子どもの頃は、親戚中の菩提寺が禅寺だったこともあり、坊さんというものは謹厳実直で、妻帯しないのは無論、仙人のように清らかな生活を送っているものと考えていた。それは言い換えれば退屈な生活ということになるが、世の中には毎日退屈な生活が続いても一向に気にならない奇特な人もいるのだと、子どもながら感心したものだった。その後、宗派によっては妻帯を認めるところもあり、真宗などは毛坊主と言って、頭に毛の生えた坊さんが俗人とほとんど違わない生活を送っているさまを見もしたが、それはかなり成長した後のことで、幼い子どもの頃は、坊さんと言えば欲望とは無縁な尊い人たちだと思い込んでいたものである。ところが、この映画では、坊さんといえども欲望の点では俗人と変らず、かえって他にすることがない分、放蕩三昧に耽っている羨ましい境遇の人たちなのだと暴露したのである。そんなこともあってこの映画は、日本の仏教界から大きな反発を受けた。

女は二度生れる:川島雄三

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赤線地帯や遊郭を好んで描いた川島雄三が、「女は二度生れる」では、泥水稼業の女の生き方に焦点を当てた。時代設定は明示されていないが、公開された1961年のあたりだと思わせる。売春防止法が施行されたあとで、売春斡旋が犯罪になったという認識が、映画の登場人物(料理屋の女将など)の口から発せられるところからそうわかる。そうした売春禁止の時代背景のなかで、一人の不見転芸者の生き方を描く。不見転芸者とは誰とでも寝る芸者という意味だが、そんな芸者が売春防止法の施行後も当分のあいだ生き残っていた、そんな歴史的事実を気付かせてくれる映画である。

幕末太陽伝:川島雄三

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落語は物語性に乏しいこともあって映画化には馴染まないらしく、落語を映画化したものはあまりない。そんななかで目を引くのが川島雄三の映画「幕末太陽伝」だ。これは「居残り佐平次」という古い落語を映画化したもので、当然笑いが命である。笑いの大家川島雄三ならでは、なかなか着目できないところだろう。またこの話は品川の遊郭街を舞台にしている。遊郭も川島の愛してやまなかったもので、「洲崎パラダイス赤信号」では、消滅の危機に瀕する遊郭街を愛惜の年を以て描いていた。「幕末太陽伝」もまた、売春防止法の施行直前(1957年)に公開されているから、川島はここでも消え行く日本の遊郭街に愛惜の念を寄せたつもりなのだろう。

洲崎パラダイス赤信号:川島雄三

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洲崎パラダイスとは、昭和三十三年に売春防止法が施行されるまで、東京有数の赤線地帯として栄えたところである。現在の土地勘でいうと、地下鉄の木場駅の千葉方面の出口を出て南へ数歩行ったところに、弁天橋という橋が運河にかかっており、それを渡ると遊郭街が広がっていた。この遊郭街は、徳川時代の初期に根津から移転してきたものを核として形成され、徳川時代の末期から昭和のはじめにかけて、日本有数の赤線地帯として栄えた。戦前は洲崎弁天町と言われたが、戦後洲崎パラダイスと名を変え、男どもの安価な性欲のはけ口として親しまれた。

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ルイ・マルの1975年の映画「ルシアンの青春(Lacombe Lucien)」は、第二次大戦中、ドイツ占領下のフランスで、ナチスの手先となった卑劣なフランス人を描いたものである。こうした人々をフランス人は「対独協力者(Colaborateur)」と呼んで、近代史最大の恥としてきた。同じフランス人が、ドイツ人の手先となって、レジスタンス活動家をはじめ、ドイツ占領に抵抗する同国人を迫害したという事実、これはまさに民族の歴史の大いなる汚点であった。そんなこともあって、対独協力者の問題は、あまりおおっぴらに語られることはなかったし、映画で取り上げられることもなかった。フランス映画は、第二次大戦にはあまりかかわりたくないという姿勢が強かったのだが、なかでも対独協力者の問題は、腫物に触るような扱いを、戦後長い間受けていた。

好奇心(Le Souffle au Coeur):ルイ・マル

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フランス人は世界でもっとも偽善的で不道徳な国民だとの見方がある。ルイス・ブニュエルは隣国のスペイン人としてフランス人をそう見ていたし、フランス人自身にもそんな見方をするものがいた。ヌーヴェル・ヴァーグ運動を主導したフランスの映画作家たちはその代表選手と言ってよい。ルイ・マルはヌーヴェル・ヴァーグの運動とは距離を置いていたにかかわらず、その主導者の一人に数えられることがあるが、それは彼のフランス人についてのシニカルな見方が、ヌーヴェル・ヴァーグの連中と似たところがあったからだ。

鬼火(Le Feu follet):ルイ・マル

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ルイ・マルは、一作ごとに全く趣向の異なった映画を作るので、とらえどころのない作家といえる。1963年に作った作品「鬼火(Le Feu follet)」は、精神を病む男の自殺を描いたものだが、以前の作品とは全くつながりを感じさせない。殺人映画のパロディである「死刑台のエレベーター」、男女の奔放な性愛を描いた「恋人たち」、ナンセンスなスラップスティックコメディ「地下鉄のザジ」といった先行作品と、これは全く似たところがない。一人の作家がこれらの作品群を手がけたとは思えないほどである。

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ルイ・マルの1960年の映画「地下鉄のザジ(Zazie dans le métro)」は、日本語でいう「どたばた喜劇」の傑作である。どたばた喜劇を英語では「スラップ・スティック・コメディ」というが、これは「おしおき棒」という語源から推測されるように、人間の身体を痛めつけるような派手なアクションを売り物にした喜劇だ。サイレント時代のハリウッドで盛んに作られ、チャップリンとかバスター・キートンとかがその代表選手になった。フランスでは、ルネ・クレールがスラップ・スティック・コメディの手法を取り入れ、軽快な喜劇映画を多く作った。ルイ・マルは、その喜劇の伝統をよみがえらせたわけである。

恋人たち(Les Amants):ルイ・マル

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ルイ・マルの1958年の映画「恋人たち(Les Amants)」は、欲求不満の女の男遍歴を描いた映画である。フランス女の尻軽ぶりはフランソア・ラブレーの時代から深刻な社会問題であり、フランスでは女房を寝取られたことのない男はほとんどいないほどだった。女が浮気をする理由はいろいろあるが、たとえば亭主の性的能力が低いなど、亭主の側に一定の責任がある場合には、妻の浮気は大目に見られたようだ。だからこそフランス男は、妻を退屈させないようあらゆる努力を払わねばならなかった。そんな努力もせずに女房を寝取られても、それは亭主の側に大きな責任があるとみなされ、妻が厳しく糾弾されることはなかったようだ。と言っても、妻の浮気をおおっぴらに認めるわけにもいかず、それを抑止する法的な制度として姦通罪を発明したのもフランス人だった。

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1958年のフランス映画「死刑台のエレベーター(Ascenseur pour l'échafaud)」は、ドジな殺人犯たちの物語。普通、犯罪映画といえば、主人公の犯人は多かれ少なかれかっこよく描かれるものだが、この映画に出てくる犯罪者たちにはまったくいいところがない。かっこ悪いというより、頭が悪いと感じさせる。犯罪映画の主人公としては最低のタイプである。にもかかわらず、映画自体は結構評判になり、なかにはクールで見所のある映画だなどという批評もあった。筆者が今の視点からこの映画を見て、何がこの映画の取柄かと考えたとき、真っ先に音楽のすばらしさに思い当たった。この映画には、当時売り出し中のマイルス・デーヴィスが参加していて、全編にわたってしびれるようなジャズをフィーチャーしているのだ。この音楽がなければ、この映画はただのB級映画に終わっていただろう。

小さいおうち:山田洋次

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山田洋次の2014年の作品「小さいおうち」は、戦時中の日本人の生活の一端をテーマにしたものである。山田は、2008年にも戦時中をテーマにした「母べえ」を作っている。山田のほか降旗康男が2013年に、やはり戦時中の庶民の生活を描いた「少年H」を作っており、年配の映画作家たちが、戦争の意味を問いかける試みだと感じさせる。近年になって、日本人から次第に戦争の記憶が希薄になり、それに乗じる形で好戦的な雰囲気が広がっていることへの懸念が働いているのだろう。

おとうと:山田洋次

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山田洋次の2010年の映画「おとうと」は、市川崑が1960年に作った同名の映画のリメークだということになっている。両者とも幸田文の小説を下敷きにしているが、市川の作品が原作にかなり忠実なのに対して、山田のこの作品は大胆な変更を加えている。主人公である姉弟が、原作や市川の映画では十代の若者なのに対して、この映画の姉弟は中年を過ぎている。弟が姉を困らせた挙句病気で死んでゆくところは同じだが、この映画の弟は、(原作のように)不治の病の結核に倒れるのではなく、放浪の果てに行旅病人となり、大阪にあるホスピスで死んでゆくという設定になっている。二つの映画の間には五十年の歳月が流れているわけで、この映画はその歳月の流れを反映したものとなっているわけだ。

母べえ:山田洋次

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山田洋次にしろ吉永小百合にしろ、ある種の日本人から目の仇にされているが、彼らの何がそういう反発を起こさせるのか。映画「母べえ」を見ると、その理由の一端がわかるかもしれない。この映画は、国家への冷めた視線を感じさせるのだが、そうした姿勢が、国家を自分自身と一体視する人々には、許しがたく見えるのだろう。

武士の一分:山田洋次

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山田洋次は、始めての時代劇として作った「たそがれ清兵衛」が成功したのに気をよくして、その後二本続けて時代劇を作った。「武士の一分」は、「隠し剣鬼の爪」に続く時代劇三作目である。この映画は、前二作と同様藤沢周平の短編小説を原作とし、舞台設定や人物像などに多くの共通点があるが、作品としてはいささか退屈なものに堕している。特に「たそがれ清兵衛」と比較すると、見劣りがする。「たそがれ清兵衛」は男女の愛をこまやかに描き、それに時代劇らしく武士の生活ぶりを丁寧に描いていて、それなりに現代人にも訴えるところが強かったが、この映画で描かれているのは、男の嫉妬と体面だ。そんなものは、時代劇としては無論、現代劇として描かれたとしても、よほどの力技がなければ、観客の感動は呼べないだろう。

たそがれ清兵衛:山田洋次

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山田洋次の映画「たそがれ清兵衛」は、切ない恋を描いた作品だ。傑作と言ってよい。日本の恋愛映画の傑作と言えば、筆者にはまず成瀬の「浮雲」と溝口の「近松物語」が思い浮かぶのだが、「たそがれ清兵衛」はこれらと並ぶ恋愛映画の傑作と言ってよいと思う。恋愛映画といっても、ハリウッド映画やフランス映画のように、若い男女の熱烈な恋を描いているわけではない。妻に先立たれた子連れの冴えない男と、夫の暴力に耐えられず自ら望んで離縁した女の、はかないといえばはかないながら、それぞれ自分の命をかけて愛し合った男女の物語である。

息子:山田洋次

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山田洋次は「寅さん」シリーズとは別に、家族の絆とか人と人の触れ合いをテーマにしたヒューマン・タッチの映画を作り続けてきた。「息子」はそのなかでも、社会的な視線といい、感傷的なところといい、この路線を代表するものと言える。社会的な視線と言うのは、この映画に描かれた家族の姿が、日本社会の変貌振りを映し出しているからであり、感傷的というのは、解体する家族を、孤独な父親の背中を通じて、いとおしむように描いているからだ。この映画は、「息子」という題名がついてはいるが、父親の孤独をテーマにしたものと言ってよい。

キネマの天地:山田洋次

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1986年の松竹映画「キネマの天地」は、松竹が社をあげて一体となり、松竹のオールキャストを動員し、全国の松竹映画ファンのために作った映画と言ってよい。そのため監督の山田洋次は、毎年恒例の「寅さんシリーズ」を一回分中止し、この作品に勢力を集中した。渥美清と倍賞千恵子はじめ寅さんシリーズの常連がまるごと出演しているほか、当時松竹とかかわりのあったあらゆる映画人が参加した。その中には歌舞伎役者の松本幸四郎や松竹新喜劇の藤山寛美もあった。

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