映画を語る

君と別れて:成瀬巳喜男

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成瀬巳喜男は戦後の活躍が目覚しいので、戦後の作家だという印象を持たれているが、サイレント時代から映画作りをはじめ、戦前に一定の境地を確立していた。1935年の「妻よ薔薇のように」が戦前の頂点とすれば、1933年の「君と別れて」はサイレント映画の代表と言える。戦争体制が本格化し、戦意高揚映画が国策として作られるようになると、成瀬は停滞期に入り、戦中・戦後にかけてB級映画ばかり作った。その彼が映画作家として立ち直ったのは、1951年の「めし」をきっかけにしてのことである。それ以後は死ぬまで、良質な作品を作り続けた。

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「現金に手を出すな(Touchez pas au grisbi)」は、初老のジャン・ギャバンをフィーチャーしたギャング映画である。もしギャバンが出ていなかったら、ただのB級映画だったろう。ギャング映画にしては迫力に欠けるし、筋の展開も冗漫だ。ギャバンが出ていることで、ピリッとしまり、見るに耐える映画になっている。こういう俳優は実に奇特なものだ。日本でもかつては片岡千恵蔵のような名優がいて、それが出ているだけで、どんな映画でも見せる映画になったものだ。

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クロード・シャブロルは、ヌーヴェル・ヴァーグ運動に意欲的にかかわった一人で、ジャン・リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーとは協力関係にあった。非常に多作な作家だったが、1959年の作品「いとこ同志(Les cousins)」が彼の代表作である。

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ロジェ・ヴァディムの1956年の映画「素敵な悪女」の原題は、Et Dieu créa la femme(そして神は女を作られた)である。これが聖書の創世記の記述を意識したものであることは明確である。創世記は、女の誕生を人類の原罪の直接の原因としているが、それほど女というものは、キリスト教徒にとっては、罪深いものなのである。この映画はそうした女のどうしようもない罪深さと、それに翻弄される男たちの愚かさを描いたものである。

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気狂いピエロ(Pierrot Le Fou)というのは、ジャン・ポール・ベルモンド演じる主人公フェルディナンのあだ名だ。このあだ名をつけたのは彼の古い恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)。彼は友人のパーティで偶然この女と五年ぶりに再会し、二人で駆け落ちする。フェルディナンは妻子を捨て、マリアンヌは愛人のフランクを捨て。とりあえず目指したのは南仏だが、別にあてがあるわけではない。彼らはただ退屈しのぎができればよいのだ。この映画は、そんな男女の退屈しのぎの様子を描く。彼らは人生が小説のようであったらよいのに、と考えている。人生の意義とは退屈をしのぐことにあると思っているからだ。

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ジャン=リュック・ゴダールはヌーヴェル・ヴァーグの旗手として現代フランスを痛烈に批判する映画を多く作ったが、たまには伝統的なテーマを取り上げることもあった。「軽蔑(Le Mépris)」はその一例だ。この映画でゴダールは、フランス女の尻軽という伝統的なテーマに挑んだのだったが、彼が出した結論は、フランス女を尻軽にするのは男に原因があるという、いささか陳腐なものであった。

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ジャン・リュック・ゴダールの1959年の映画「勝手にしやがれ(À bout de souffle)」は、フランソア・トリュフォーの同年の映画「大人は判ってくれない」とともに、ヌーヴェル・ヴァーグの嚆矢とされる作品である。トリュフォーのほか、クロード・シャブロールも製作にかかわっているこの映画は、ヌーヴェル・ヴァーグの特徴をもっとも明瞭に発揮したものとして、記念碑的な作品だとの評価が定着している。

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フランソワ・トリュフォーの映画「突然炎の如く(Jules et Jim)」は、例によってフランス人が好きな性的放縦をテーマにした作品だ。原題にあるとおり、ジュールとジムという二人の若者の奇妙な友情を縦糸にして、それにカトリーヌという尻軽女とのセックスを横糸にして、人間の幸福とは何か、について追求したものである。無論フランス人にとって、人間の幸福とは性的な快楽以外の何ものでもないから、この映画の中で展開されるのは、性的快楽の諸相、とりわけ女の性的放縦である。

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フランソア・トリュフォーの1960年の映画「ピアニストを撃て(Tirez sur le pianist)」は、トリュフォーの名を知らない今日の観客が見れば、凡庸なB級映画にしか見えないだろう。筋書きは三文小説のように退屈だし、映像が大胆な美を演出しているわけでもない。ただひとつこの映画には歴史上の価値がある。それはシャルル・アズナヴール演じる主人公のピアニストが娼婦とベッドにもぐるシーンで、娼婦の巨大な乳房が映し出されるところだ。それまでの映画では、女性の乳房をアップで映し出したものはなかったので、これは当時の観客を大いに驚かせたに違いない。しかし、いまでは女性の乳房をアップで映すのはごく普通のことになっており、この映画のシーンが取り立ててショッキングに映るということはない。

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フランソワ・トリュフォーの1959年の映画「大人は判ってくれない(Les Quatre Cents Coups)」は、ヌーヴェル・ヴァーグ運動の魁となった作品である。そこでヌーヴェル・ヴァーグ運動とはなにか、ということが問題になるが、厳密な定義はないようである。何となく時代の雰囲気をあらわした漠然とした言葉だが、強いて言えば、社会への批判意識が強いということだろうか。フランスは文明国でも最も洗練された社会と言われているが、それは裏を返せば欺瞞的な社会ということでもある。欺瞞は文明に比例するからだ。そこでその欺瞞をあばき、文明のゆがんだ側面を批判するところが、ヌーヴェル・ヴァーグ運動の共通の持ち味となった。そんなふうに言えるのではないか。

しとやかな獣:川島雄三

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川島雄三には露悪的なところがあるが、1962年の映画「しとやかな獣」はその露悪趣味がもっとも露骨に表れたものだ。この時代はクレージーキャッツの大流行に象徴されるような軽佻浮薄の時代であって、世の中は伝統とか道徳とかいうものとは無縁な様相を呈していた。そういう時代に川島はすっかり不道徳な感情に染まってしまった日本人を覚めた目で描き出した。あたかも同時代のフランスでは、スペイン人のルイス・ブニュエルがフランス人の不道徳振りをコメディタッチで描き出していたが、川島は日本人として同じ日本人の不道徳振りを笑い飛ばしたわけである。

雁の寺:川島雄三

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川島雄三の1962年の映画「雁の寺」は僧侶たちの堕落を描いたものである。筆者が子どもの頃は、親戚中の菩提寺が禅寺だったこともあり、坊さんというものは謹厳実直で、妻帯しないのは無論、仙人のように清らかな生活を送っているものと考えていた。それは言い換えれば退屈な生活ということになるが、世の中には毎日退屈な生活が続いても一向に気にならない奇特な人もいるのだと、子どもながら感心したものだった。その後、宗派によっては妻帯を認めるところもあり、真宗などは毛坊主と言って、頭に毛の生えた坊さんが俗人とほとんど違わない生活を送っているさまを見もしたが、それはかなり成長した後のことで、幼い子どもの頃は、坊さんと言えば欲望とは無縁な尊い人たちだと思い込んでいたものである。ところが、この映画では、坊さんといえども欲望の点では俗人と変らず、かえって他にすることがない分、放蕩三昧に耽っている羨ましい境遇の人たちなのだと暴露したのである。そんなこともあってこの映画は、日本の仏教界から大きな反発を受けた。

女は二度生れる:川島雄三

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赤線地帯や遊郭を好んで描いた川島雄三が、「女は二度生れる」では、泥水稼業の女の生き方に焦点を当てた。時代設定は明示されていないが、公開された1961年のあたりだと思わせる。売春防止法が施行されたあとで、売春斡旋が犯罪になったという認識が、映画の登場人物(料理屋の女将など)の口から発せられるところからそうわかる。そうした売春禁止の時代背景のなかで、一人の不見転芸者の生き方を描く。不見転芸者とは誰とでも寝る芸者という意味だが、そんな芸者が売春防止法の施行後も当分のあいだ生き残っていた、そんな歴史的事実を気付かせてくれる映画である。

幕末太陽伝:川島雄三

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落語は物語性に乏しいこともあって映画化には馴染まないらしく、落語を映画化したものはあまりない。そんななかで目を引くのが川島雄三の映画「幕末太陽伝」だ。これは「居残り佐平次」という古い落語を映画化したもので、当然笑いが命である。笑いの大家川島雄三ならでは、なかなか着目できないところだろう。またこの話は品川の遊郭街を舞台にしている。遊郭も川島の愛してやまなかったもので、「洲崎パラダイス赤信号」では、消滅の危機に瀕する遊郭街を愛惜の年を以て描いていた。「幕末太陽伝」もまた、売春防止法の施行直前(1957年)に公開されているから、川島はここでも消え行く日本の遊郭街に愛惜の念を寄せたつもりなのだろう。

洲崎パラダイス赤信号:川島雄三

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洲崎パラダイスとは、昭和三十三年に売春防止法が施行されるまで、東京有数の赤線地帯として栄えたところである。現在の土地勘でいうと、地下鉄の木場駅の千葉方面の出口を出て南へ数歩行ったところに、弁天橋という橋が運河にかかっており、それを渡ると遊郭街が広がっていた。この遊郭街は、徳川時代の初期に根津から移転してきたものを核として形成され、徳川時代の末期から昭和のはじめにかけて、日本有数の赤線地帯として栄えた。戦前は洲崎弁天町と言われたが、戦後洲崎パラダイスと名を変え、男どもの安価な性欲のはけ口として親しまれた。

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ルイ・マルの1975年の映画「ルシアンの青春(Lacombe Lucien)」は、第二次大戦中、ドイツ占領下のフランスで、ナチスの手先となった卑劣なフランス人を描いたものである。こうした人々をフランス人は「対独協力者(Colaborateur)」と呼んで、近代史最大の恥としてきた。同じフランス人が、ドイツ人の手先となって、レジスタンス活動家をはじめ、ドイツ占領に抵抗する同国人を迫害したという事実、これはまさに民族の歴史の大いなる汚点であった。そんなこともあって、対独協力者の問題は、あまりおおっぴらに語られることはなかったし、映画で取り上げられることもなかった。フランス映画は、第二次大戦にはあまりかかわりたくないという姿勢が強かったのだが、なかでも対独協力者の問題は、腫物に触るような扱いを、戦後長い間受けていた。

好奇心(Le Souffle au Coeur):ルイ・マル

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フランス人は世界でもっとも偽善的で不道徳な国民だとの見方がある。ルイス・ブニュエルは隣国のスペイン人としてフランス人をそう見ていたし、フランス人自身にもそんな見方をするものがいた。ヌーヴェル・ヴァーグ運動を主導したフランスの映画作家たちはその代表選手と言ってよい。ルイ・マルはヌーヴェル・ヴァーグの運動とは距離を置いていたにかかわらず、その主導者の一人に数えられることがあるが、それは彼のフランス人についてのシニカルな見方が、ヌーヴェル・ヴァーグの連中と似たところがあったからだ。

鬼火(Le Feu follet):ルイ・マル

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ルイ・マルは、一作ごとに全く趣向の異なった映画を作るので、とらえどころのない作家といえる。1963年に作った作品「鬼火(Le Feu follet)」は、精神を病む男の自殺を描いたものだが、以前の作品とは全くつながりを感じさせない。殺人映画のパロディである「死刑台のエレベーター」、男女の奔放な性愛を描いた「恋人たち」、ナンセンスなスラップスティックコメディ「地下鉄のザジ」といった先行作品と、これは全く似たところがない。一人の作家がこれらの作品群を手がけたとは思えないほどである。

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ルイ・マルの1960年の映画「地下鉄のザジ(Zazie dans le métro)」は、日本語でいう「どたばた喜劇」の傑作である。どたばた喜劇を英語では「スラップ・スティック・コメディ」というが、これは「おしおき棒」という語源から推測されるように、人間の身体を痛めつけるような派手なアクションを売り物にした喜劇だ。サイレント時代のハリウッドで盛んに作られ、チャップリンとかバスター・キートンとかがその代表選手になった。フランスでは、ルネ・クレールがスラップ・スティック・コメディの手法を取り入れ、軽快な喜劇映画を多く作った。ルイ・マルは、その喜劇の伝統をよみがえらせたわけである。

恋人たち(Les Amants):ルイ・マル

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ルイ・マルの1958年の映画「恋人たち(Les Amants)」は、欲求不満の女の男遍歴を描いた映画である。フランス女の尻軽ぶりはフランソア・ラブレーの時代から深刻な社会問題であり、フランスでは女房を寝取られたことのない男はほとんどいないほどだった。女が浮気をする理由はいろいろあるが、たとえば亭主の性的能力が低いなど、亭主の側に一定の責任がある場合には、妻の浮気は大目に見られたようだ。だからこそフランス男は、妻を退屈させないようあらゆる努力を払わねばならなかった。そんな努力もせずに女房を寝取られても、それは亭主の側に大きな責任があるとみなされ、妻が厳しく糾弾されることはなかったようだ。と言っても、妻の浮気をおおっぴらに認めるわけにもいかず、それを抑止する法的な制度として姦通罪を発明したのもフランス人だった。

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