映画を語る

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コスタ=ガヴラスの1989年の映画「ミュージック・ボックス(Music box)」は、第二次大戦中にハンガリーで起きたホロコーストをテーマにした作品。その事件がアメリカの裁判所で裁かれる。映画はその裁判の様子を描きながら、人間の尊厳について考えさせる。人間の尊厳いついての普遍的な感情が、肉親の情愛に優先するといったメッセージが伝わってくるように作られている。だから、ホロコーストの残虐性を訴えながら、実は道徳とはなにかを考えさせるきわめて倫理的な動機を盛り込んだ作品であるといえる。

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岡本喜八の1986年の映画「ジャズ大名」は、日本に漂流してきた黒人たちからジャズ音楽を叩きこまれた大名が、家臣ともどもジャズセッションを楽しむといった荒唐無稽な設定の映画で、例によって人を食った作りかたになっている。史実とか時代考証とかはいっさい無視し、とにかくジャズの雰囲気を楽しもうではないかと開き直った映画である。これはおそらく、筒井康隆の原作自体がそういう雰囲気なのであろう。

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岡本喜八の1978年の映画「ダイナマイトどんどん」は、理屈抜きで楽しめる痛快な映画である。一応やくざの抗争がテーマということになっており、その点では菅原文太のはまり役であるが、その抗争というのが、平和で民主的なやり方で行われるというのがミソだ。その平和で民主的なやり方というのが、野球の勝敗で雌雄を決するというから人を食った話である。もっともやくざのやることだから、一貫して平和的というわけにはいかない。時には刀を振り回してやりあうこともある。そこが、野球に興じる場面と並んでこの映画の醍醐味になっている。

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岡本喜八の1967年の映画「日本のいちばん長い日」は、半藤一利のノンフィクション小説を映画化したもの。半藤にとっては、その後かれのライフワークとなる昭和史研究の原点となるものだ。もっとも半藤はこれを、自分の名義ではなく他人の名義で刊行した。当時人気作家だった大宅壮一の名である。なぜ、そんなことをしたか。かれは文芸春秋の社員だったので、営業を最優先する社の方針にしたがったまでということらしいが、それにしてもお粗末な話である。

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岡本喜八の1965年の映画「血と砂」は、「独立愚連隊」の番外編のような作品。「独立愚連隊」シリーズは、厄介者の兵士からなる混成部隊が、遊軍となって使い勝手よく利用されるという設定だったが、この映画では、少年からなる音楽部隊が、特命を受けて敵陣地を攻略する様子を描く。その部隊を、三船敏郎演じる経験豊かな下士官と、佐藤充演じる古参兵が指導するといった内容である。

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岡本喜八の1967年の映画「殺人狂時代」は、人口調節と称する人間の生命の間引きというテーマを、冷笑的に描いたブラック・コメディである。生命の間引きは、優勢保護思想と深く結びついていて、生きる価値のない者は淘汰すべきだとするいう考えに立っている。その考えに基づいて、胎児の間引きが行われたりする。ところが、間引きされる胎児の中には、優勢保護以外の理由によるものもあり、輝かしい未来を奪われるものがいる可能性もある。一方、現に生きていて、しかも社会の役に立たず、かえって重荷になっている大人がたくさんいるわけだから、優勢保護の本来の趣旨からしても、役立たずの大人を片付ける方がずっと合理的なのである。そんな怖ろしい考えを実現しようとする者がいて、それに立ち向かう人がいる。映画はその両者の戦いぶりを、コメディタッチで描く。

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岡本喜八の1964年の映画「ああ爆弾」は、ミュージカル仕立てのドタバタ喜劇である。ミュージカル仕立てとはいっても、西洋風のミュージックではなく、和風のミュージックが主体である。なかでも、狂言小謡が幅を利かせている。その他に三味線入りの浪花節とか、能の謡曲とか、歌舞伎の義太夫まがいのものとか、なにしろ日本の伝統的な音曲が全編に流れ、非常に賑やかな感じの映画である。

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2016年のトルコ映画「猫が教えてくれたこと」は、イスタンブールで暮す野良猫たちを追ったドキュメンタリー映画である。トルコ人は猫が好きで、猫かわいがりする民族だという思い知らされる作品である。猫のそもそのの発祥地は中近東と言われており、トルコ人も猫とは長い付き合いだったようだ。だから、かれらの猫へのこだわりは尋常ではない。日本では猫はペットという扱いだが、トルコでは猫は、自由に生きる自立的な存在者だというメッセージが、この映画からは伝わってくる。

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2008年の映画「自由と壁とヒップホップ」は、パレスチナ人のヒップホップグループの活動を追いながら、イスラエルによるパレスチナ人迫害の過酷さを訴えたドキュメンタリー映画である。監督は、パレスチナ人を母親に持つアメリカ人女性ジャッキー・リーム・サッローム。2000年ごろから約五年間、イスラエル、ガザ、西岸で活躍するヒップホップグループの活動を追った。その間に、第二次インティファーダが起り、パレスチナ人とユダヤ人の対立が激化したという経緯があり、この映画でも、両民族の対立が影を落としている。

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ミロス・フォアマンの2006年の映画「宮廷画家ゴヤは見た(Goya's Ghosts)」は、人類史上最も偉大な画家の一人であるフランシスコ・デ・ゴヤの半生を描いた作品。ゴヤの生きた時代は、激動の時代であり、ゴヤ自身その激動に翻弄されたり、また聴力を失うなどの辛酸をなめた。一方では、この映画のタイトルにもあるとおり、国王直属の宮廷画家でもあった。もっとも晩年には、その王室が崩壊したために、宮廷画家という経歴はかえって邪魔になったりもしたのだったが。

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ミロス・フォアマンの1999年の映画「マン・オン・ザ・ムーン(Man on the Moon)」は、1970年代後半から80年代前半にかけてテレビなどで活躍したコメディアン、アンディ・カウフマンの半生を描いた作品。カウフマンは日本では全くといってよいほど知られていないが、アメリカでは結構人気があったそうだ。ギャグとドタバタを組み合わせたアメリカ人好みの演技がうけたということらしい。だが、本人はそれを、大衆におもねる低俗趣味だといって、自嘲していたという。この映画は、そうしたカウフマンのやや複雑な心境を表現するものとなっており、ただのお笑い映画ではない。

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ミロス・フォアマンの1996年の映画「ラリー・フリント(The People vs. Larry Flynt)」は、過激なポルノ雑誌「ハスラー」の創刊者ラリー・フリントの半生を描いた作品。このポルノ雑誌は、ただでさえ過激な性描写を売り物にしていることに加え、するどい社会批判を伴ってもいたので、保守的な人々から目の敵にされた。それゆえ、フリントは生涯敵と戦うことを余儀なくされた。この映画は、そんなフリントの戦いぶりを描いたものである。

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ミロス・フォアマンの1979年の映画「ヘアー(Hair)」は、ベトナム戦争のために徴兵された若者とニューヨークのヒッピーたちの交流を描いた作品。ベトナム戦争への反対運動とかヒッピーといったものは、1960年代後半の事象であり、この映画が公開された1979年には過去のものとなっていた。それゆえ多少時代遅れの印象を与えたことは否めない。原作となった同名のミュージカル作品は1968年に上演されている。その時には鋭い社会批判を感じさせたのだと思う。

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ミロシュ・フォアマンは、チェコ・ヌーヴェルヴァーグ映画を代表する監督。1967年に作った「火事だよ! かわい子ちゃん」は、そのヌーヴェルヴァーグ映画の代表作といえる。かれは、この映画製作を最後に、チェコを脱してアメリカで映画作りをするようになるので、チェコ時代の最後の作品である。テーマは、チェコの官僚主義の批判といったところ。パンチの利いたやり方で、官僚主義に毒されたチェコの人々を笑いのめしている。

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1995年のアメリカ映画「ブレイブハート(Braveheart メル・ギブソン監督)」は、13世紀における、スコットランドの対英独立戦争を描いた作品。この時期のスコットランドに、ウィリアム・ウォレスという英雄が登場し、スコットランド人を鼓舞して対英独立戦争を戦った。その戦争のハイライトとなったスターリングの戦いは、スコットランドの歴史上、イギリス軍に勝った唯一の戦いだった。その戦いの後、イギリス側の反撃により、スコットランドの独立運動は弱体化し、指導者のウォレスは残虐なやりかたで殺された。かれの首はロンドン橋にさらされたのだったが、それはロンドン橋名物といわれるさらし首の、史上最初の出来事だったといわれる。

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キャロル・リードの1953年の映画「二つの世界の男(The Man Between)」は、第二次大戦後の東西冷戦の一こまを描いた作品。戦後ベルリンは東西に分断されたが、まだベルリンの壁ができていない時代に、東西を自在に行き来しながら、東側のスパイとして働く男の屈折した生き方を描いている。

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キャロル・リードの1948年の映画「落ちた偶像(The Fallen Idol)」は、グレアム・グリーンの短編小説「地下室」を原作にして、リードが大胆に脚色した作品。テーマは少年の勘違いである。その勘違いのために、自分が護ろうとしている人をかえって窮地にさらすといったような内容である。

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キャロル・リードの1947年の映画「邪魔者は殺せ(Odd Man Out)」は、アイルランド紛争の一こまを描いたものだが、紛争の現実そのものには触れておらず、アイルランドの独立派の一部が、闘争資金をかせぐために強盗を働く様子を描いている。そういう意味では、ちょっと高級感のあるギャング映画といってよい。

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山田洋次の2021年の映画「キネマの神様」は、映画に青春をかけた男たちの物語。その男たちが老年になって、再び映画への情熱に目覚めるといった内容だ。男の一人を沢田研二、もう一人を小林稔侍が演じている。かれらの青春は松竹の撮影所を舞台としていた。その舞台で彼らは一人の女性をめぐって葛藤する。老年になっても、三人の関係は崩れない。三人はあいかわらず、映画を通じて結びついている。要するに映画を賛歌する映画なのである。松竹の山田洋次の2021年の映画「キネマの神様」は、映画に青春をかけた男たちの物語。その男たちが老年になって、再び映画への情熱に目覚めるといった内容だ。男の一人を沢田研二、もう一人を小林稔侍が演じている。かれらの青百年記念に作られたというから、映画賛歌になるものわからぬではない。

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想田和弘の2007年の映画「精神」は、想田が「観察映画」と称するドキュメンタリー映画の第二作目である。テーマは、ある精神科医師とその患者たちとの関係である。この医師は、金銭づくを抜きにして、ほとんどボランティアのような形で心を病んだ患者たちと向き合っている。その向き合い方は、単に治療というのを超えて、患者を全面的に支えたいという意志に貫かれている。だから、患者はかれに頼り、自分の身と心を差し出し、全面的な信頼を寄せている。中には40年間も彼の世話になっているものもいる。

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