映画を語る

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ルイス・ブニュエルは第二次大戦後メキシコへ渡り、そこで低予算映画を何本か作った。1950年の作品「忘れられた人々(Los Olvidados)」はその代表作である。メキシコ・シティの下層社会を描いたこの映画は、よくイタリアのネオ・レアリズモと比較される。社会の底辺で貧困にあえぐ人々の生き方をドライなタッチで描いていることに共通性があるからだ。しかし同じ貧困といっても、戦後のイタリアとメキシコでは根本的に異なる。戦後のイタリアは戦火の打撃からまだ回復できず、いわば戦争の犠牲者たちが一時的に貧困状態に陥っていたのに対して、メキシコの貧困は恒常的なものだ。それはメキシコ社会の根本的なあり方を表している。だからそれを正面から描き出すことは、メキシコへのドラスティックな批判を伴わざるを得ない。

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ルイス・ブニュエルがサルヴァドーリ・ダリと共同で作った映画「アンダルシアの犬(Un Cien Andalou)」は、映画におけるシュル・レアリズム宣言だと言われている。この映画によってルイス・ブニュエルはシュル・レアリストの映画作家と認められ、ダリはシュル・レアリストの芸術家としてデビューした。もっとも、ダリはその後もシュル・レアリズムと密接な関係を持ち続けたが、ブニュエルのほうはかならずしもそうではなかった。この作品に続く「黄金時代」はまだシュル・レアリズムへの傾斜を感じさせるが、その後は次第にシュル・レアリズムから遠ざかり、戦後はガチガチのレアリズム作品を作るようにもなった。

滝の白糸:溝口健二

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溝口健二はサイレント時代に大家としての風格を示した。彼のサイレント映画は新派狂言を映画化したものが殆どだ。それらは彼の属していた日活向島撮影所のカラーを反映していた面もあったようだ。残念なことにそれらの殆どは失われてしまったが、「滝の白糸」については、現存する痛んだフィルムをもとに編集されたデジタル・リマスター版を見ることができる。これは「カチューシャ」のメロディをバックに、字幕と弁士による読み上げをともなったもので、わかりやすい。

エノケンの法界坊:斎藤寅次郎

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斎藤寅次郎は日本の喜劇映画の草分けで、サイレント時代に夥しい数の喜劇映画を作った。その殆どは失われてしまったが、現存する作品などを見ると、アメリカのスラップスティックコメディを思わせるような軽妙なドタバタ喜劇といった趣向のものだったようだ。山田洋次の「キネマの天地」のなかで、斎藤寅次郎の演出ぶりの一端が紹介されているが、それを見る限り、かなり洒落た感覚の持ち主だったと思われる。

風の又三郎:島耕二

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童話「風の又三郎」は、宮沢賢治の死の翌年(1934年)に刊行された。これは草野心平の努力による賢治全集刊行の一環としてなされたことで、この全集によって、生前無名に近かった賢治は一躍注目を浴びた。中でも「風の又三郎」は賢治の童話を代表するものとして、多くの日本人に受け入れられた。島耕二はこの童話を1940年に映画化したが、この映画によって「風の又三郎」人気にさらに拍車がかかったといわれている。映画評論家の佐藤忠男は、この映画が「風の又三郎」を世に知らしめたというような言い方をしているが、映画が童話を有名にしたのか、童話の人気の高さが映画化を促したのか、筆者には判断がつかない。

兄いもうと:木村荘十四

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木村荘十四の1936年の映画「兄いもうと」は、室生犀星の同名の短編小説を映画化したものだ。この短編小説は戦後も、成瀬巳喜男、今井正によって映画化されたほか、テレビドラマにもなったくらいから、日本人の気持にしっくりするものがあったのだろう。

小島の春:豊田四郎

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豊田四郎が1940年に作った映画「小島の春」は、ハンセン病患者の隔離をテーマにしたものだ。瀬戸内海の長島にあるハンセン病隔離施設の医官をしていた小川正子が、前々年の秋に出版した手記をもとにしている。この手記は、小川が医官としての立場から各地のハンセン病患者を施設に隔離する経緯を記録したもので、刊行されるや大きな反響をよんだ。その反響に答える形で、一年ちょっと後に映画化された。

若い人:豊田四郎

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豊田四郎は文芸作品の映画化を得意とした。文芸作品というと漠然としているが、昭和時代にこの言葉を使うと、それには西洋かぶれの作品というイメージがまといついていた。それまでの日本の伝統的な文芸といえば、説経や講談など語り物の延長で、それを芝居にすると新派劇のようなものになった。それに対して新しい文芸作品は、洋風のハイカラさを感じさせた。豊田は映画の中にそうしたハイカラさを持ち込んだわけである。

綴方教室:山本嘉次郎

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山本嘉次郎は、エノケンと組んで軽快なミュージカル・コメディを作ったほか、太平洋戦争が本格化すると「ハワイ・マレー沖海戦」や「加藤隼戦闘隊」などの戦意高揚映画も作った。いづれも映画会社の商業主義に応えたものといえるが、加藤はそうした映画のほかに、当時の日本社会の現実を見据えたシリアスな映画も作った。「綴方教室」はその代表的なものである。

エノケンの孫悟空:山本嘉次郎

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戦前に数多く作られたエノケンのレビュー映画の中でもっとも人気をとったのは「エノケンの孫悟空」だ。エノケンが孫悟空に扮して三蔵法師とともに天竺への旅をし、その途中奇想天外な出来事に遭遇するという趣向で、アイデアは中国の小説「西遊記」から借りているが、日本人好みに脚色して、大いに喝采を博した。

エノケンのちゃっきり金太:山本嘉次郎

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山本嘉次郎は、エノケンこと榎本健一のミュージカル風コメディ映画を多く作った。エノケンといっても、今の若い人達には馴染がないと思うが、筆者のような団塊の世代の人間にとっては懐かしい役者だ。戦中から戦後にかけて、浅草を拠点に栄えたレビューの人気者で、日本のコメディ史上特筆すべき存在と言ってよい。その本領は、とぼけた表情で繰り広げるドタバタ劇と、独特のだみ声で歌う歌謡曲だ。

土:内田吐夢

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内田吐夢は日本映画の草分けの一人で、佐藤忠男によれば「汗」とか「生ける人形」とか、社会問題への視線を感じさせる映画を作っていた。1939年の「土」は、そうした傾向の典型的なもので、内田の戦前の代表作といえるものだ。これは、戦前の日本の農村の状況を淡々と描いたもので、小作人たちの貧しい暮らしぶりが、あたかもドキュメンタリーのような感じで描き出されている。

朧夜の女:五所平之助

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五所平之助は、「伊豆の踊子」を作った三年後の1936年に「朧夜の女」を作った。この映画は、筋の上では「伊豆の踊子」とはなんのつながりもないのだが、精神的なバックボーンの面では、深いつながりを指摘できる。どちらもエリートの学生が、水商売の女に惚れるというものだ。「伊豆の踊子」では、男が惚れた相手を捨ててしまう結末になっているが、「朧夜の女」では相手の女が男に遠慮した挙句に死んでしまうということになっている。どちらも男の身勝手さがテーマだ。その身勝手さは、まるで餓鬼がダダをこねているように見えるので、見ているほうとしては、なんだこれはという気持になってしまう体のものである。

伊豆の踊子:五所平之助

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川端康成の短編小説「伊豆の踊子」は、手ごろな青春物語ということもあって、何度も映画化されてきた。五所平之助が1933年に作った映画は、その走りとなったものである。五所は、映画評論家の佐藤忠男によれば、若い男女の恋を描いた所謂青春ものを得意としていたようだから、川端のこの小説は、自分の趣味にあったのだろう。といっても、彼はこの小説の内容をそのまま忠実に映画化したわけではない。一高生が伊豆で見かけた旅芸人の一座の若い女にひかれたという枠組を借りただけのことで、筋書に共通するところはほとんどなく、全く別物といってもよい。

安城家の舞踏会:吉村公三郎

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吉村公三郎は、ハイカラな感じのする、いわば洋風のメロドラマを作り続けた作家だったが、戦後の映画作りの実質的なスタートを飾った「安城家の舞踏会」もやはりハイカラなメロドラマといってよかった。吉村の映画には、社会的な関心を感じさせるものはほとんどないのだが、この作品は例外で、やはり時代の雰囲気を色濃く感じさせる。作られたのが戦後まもない1947年だから無理もない。この戦後の混乱のただなかで、吉村が描いたのは、旧華族階級に属する一家の没落だ。吉村は、日本の上流階級を描くのが好きだったので、その対象となった階級が戦争で没落したとあっては、それに対する吉村なりの感慨を、作品のなかに持ち込まずにはいられなかったということだろう。

暖流:吉村公三郎のメロドラマ

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吉村公三郎はもっぱらメロドラマを作り続けた。メロドラマと言えば一段低く見られがちで、大衆受けをねらった通俗作品だと言われることが多い。そんなこともあって、メロドラマの作り手であった吉村公三郎は、あまり高く評価されていない。しかし、それは今の時点でのメロドラマについての評価を、過去に遡って適用した結果で、あまりフェアなことだとはいえない。少なくとも吉村が作った作品は、メロドラマだとはいえ、それまでの日本の映画にはなかったタイプの作品だったわけで、そういう意味では、多少の歴史的な意義を認めてやらねばならぬと思う。

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マキノ雅弘は、日本映画の父ともいわれる牧野省三の長男として、子供の頃から映画作りの現場を見てきた。父親の映画に子役として登場したこともある。だから、彼が映画作家になったのは、いわば家業を引き継ぐようなものであった。彼にとっての映画とは、芸術というよりも客商売のエンタテイメントであり、その使命はあくまでも観客を楽しませることにあると考えていた。彼の映画づくりが職人技に喩えられるのには、そんな背景がある。

御誂次郎吉格子:伊藤大輔の鼠小僧もの

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伊藤大輔は、日本映画の黎明期をリードした映画作家の一人で、特に時代劇を得意とした。第二新国劇の無名の俳優だった大河内伝次郎とコンビを組み、丹下左膳シリーズを始め多くの時代劇を作った。それまではただの活劇に過ぎなかった時代劇を、日本映画の一ジャンルとして確立するうえで、大きな業績を果たしたといえる。

瞼の母:稲垣浩の時代劇

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稲垣浩は、「無法松の一生」のイメージが強い。戦前には坂東妻三郎、戦後には三船敏郎を松五郎役にして、二度にわたって作ったし、戦後版はヴェネチア国際映画祭でグランプリを取った。だが稲垣は時代劇のほうが性にあっていたらしく、生涯に膨大な数の時代劇作品を作り続けた。「宮本武蔵」シリーズは特に有名だが、「瞼の母」は彼の初期の代表作である。

赤西蠣太:伊丹万作と片岡千恵蔵

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伊丹万作はいまでは、俳優兼映画監督の伊丹十三の父親そして作家の大江健三郎の義理の父親として知られているが、自分自身は映画監督だった。彼の映画監督としての活動は、片岡知恵蔵と切っても切れない。彼が映画作家としてデビューしたのは、千恵蔵に迎えられたからだし、その映画作りの実績も千恵蔵プロでの活動が中心だった。だから彼は、千恵蔵プロ(昔風にいえば千恵蔵一座)の座付き作者としての道を歩んだと言ってもよい。

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