映画を語る

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フレッド・ジンネマンの1952年の映画「真昼の決闘(High Noon)」は、ジンネマンにとっては唯一の西部劇だ。いまでは、ジョン・フォードの「捜索者」及びジョージ・スティーヴンスの「シェーン」とならんで西部劇の最高傑作といわれている。通常の西部劇とは異なって、保安官の孤独な戦いを描いたもので、きわめて社会批判的な視線を感じさせるというのが通説である。映画評論家の中には、この映画が公開されていた時代のアメリカのマッカーシー旋風に関連付けて語るものもいるが、ジンネマン本人は、政治的な動機は一切ないとして否定している。

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フレッド・ジンネマンの1949年の映画「暴力行為(Act of violence)」は、第二次大戦中の米軍兵士の悲劇をテーマにした作品。ナチス・ドイツの捕虜になった米兵が、脱出する計画を実行しようとしたところ、その計画を米兵の一人がナチの将校に密告したことで、首謀者はじめ計画に加わったものが、むごたらしいやり方で殺される。一人生き残った兵士が、密告者に復讐するというような内容の作品だ。戦後間もないということもあって、戦争をめぐるこうしたエピソードは、まだ人々の関心を惹く時代だった。

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フレッド・ジンネマンの1948年の映画「山河遥かなり(The Search)」は、トーキー初期の頃にハリウッドにやってきて、長いこと下積み暮らしをしていたジンネマンにとって、始めての本格的な映画作品となった。テーマは、ナチスのホロコーストの犠牲になり、家族と別れ別れになったユダヤ人の少年が、母親を探し回った末に、見事再会を果たすというものである。ジンネマン自身ユダヤ人として、両親を殺されたりしているので、このテーマは彼にとっても痛切なものであった。とはいえ、自身のアイデアではなく、映画会社にあてがわれたものであった。

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2016年のフィンランド映画「オリ・マキの人生で最も幸せな日(ユホ・クオスマネン監督)」は、世界チャンピオンに挑戦するあるボクサーの生き方をテーマにした作品。結局かれのその夢は実現しなかったので、スター誕生というわけにはいかなかったが、そのかわりに、もっと素敵なものを手に入れる。好きな女性と結婚することができるのだ。だから、タイトルの「人生で最も幸せな日」というのは、ボクサーとしての夢が実現した日ではなく、恋人と共に結婚指輪を買いに行った日だったのである。

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1985年のソビエト映画「炎628(Иди и смотри エレム・クリモフ監督)」は、独ソ戦勝利40周年を記念して作られた。独ソ戦を、ベラルーシの一少年の視点から描いた作品。ベラルーシにおける独ソ戦といえば、ノーベル賞作家アレクシェーヴィチが「戦争は女の顔をしていない」で描写した女性の戦争参加が思い起こされる。こちらの映画は、少年の戦争参加をテーマにしているわけで、独ソ戦が、女や子供まで巻き込んだ凄惨なものだったということがよく伝わってくる映画である。

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ラウル・ベックの2017年の映画「マルクス・エンゲルス(Le jeune Karl Marx 独仏白合作)」は、マルクスとエンゲルスの若いころを描いた作品。原題に「若きカール・マルクス」とあるとおりマルクスが中心だが、エンゲルスにもかなりな役割が与えられている。1843年を起点に、1848年までの青春群像を描く。スタートの時点では、マルクスはライン新聞に扇動的な社会批判記事を書き、エンゲルスはマンチェスターにある父の工場の支配人である。その二人がパリで出会い、交流を深めながら、やがて「共産党宣言」を共同執筆するに到るまでの過程を描いている。

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1999年のドイツ映画「暗い日曜日(Ein Lied von Liebe und Tod ロルフ・シューベル)」は、ハンガリーにおけるホロコーストをテーマにした作品。それにハンガリー人が作曲し、世界的な大ヒット曲になった歌曲を絡めている。映画のタイトルと同名のこの歌曲は、人を自殺する気にさせ、事実大勢の人が実際に自殺したことから、自殺ソングと呼ばれた。フランスではダミアがシャンソン風に歌い、アメリカではビリー・ホリデイがジャズタッチで歌った。

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2017年のアメリカ製のドキュメンタリー映画「ラッカは静かに虐殺されている(City of Ghosts マシュー・ハイネマン監督」は、ISと戦うシリア人を描いた作品。いわゆるアラブ革命の一環としてシリアには反アサド運動が起き、北部を中心に内戦状態に陥った。その感激を縫うようにしてイスラム過激派のISが勢力を伸ばし、シリア北部を支配地におさめる勢いを呈した。ラッカは、そのISが本拠を置いた都市である。その町はまた、反アサド運動の経験を踏まえ、ISに対しても強固な抵抗運動をみせた。そんな抵抗運動の指導者たちに密着して、シリア人の反ISの戦いを描く、というような内容のドキュメンタリー作品である。

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2015年のスウェーデン映画「幸せなひとりぼっち(En man som heter Ove ハンネス・ホルム監督)」は、妻に先立たれた孤独な老人が、死を求めてなかなか死ねないでいるところに、隣人との触れ合いを通して次第に生きることに前向きになってゆき、最後は人に看取られながら死ぬことができたというような、人生の意味を考えさせる作品である。

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ロイ・アンダーソンは、人類を神のような高みの視点から描くような、つきはなした描き方が得意だ。そういう一段上のレベルから見おろすことを、哲学用語では、超越論的という。ロイ・アンダーソンの映画には、そういう超越論的な視線を感じるのである。

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ロイ・アンダーソンは、不条理な雰囲気の映画を得意としているようで、2007年の作品「愛おしき隣人」も不条理たっぷりといったものだ。これは人間同士のコミュニケーションの不在をテーマにしたもののようである。だから「愛おしき隣人」とは、コミュニケーションを超えた他人という意味になるようだ。

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ロイ・アンダーソンの2000年の映画「散歩する惑星」は、かれとしては四半世紀ぶりに作った作品だ。前作が興行的に失敗し、長い間再制作に慎重だったのだが、やっとふんぎりがついて作る気になったということらしい。

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石井裕也の2021年の映画「アジアの天使」は、韓国を舞台とした日韓共同のロードムーヴィー。韓国在住の日本人三人と両親の墓参りに出かけた韓国人兄妹三人が、たまたま旅の列車の中で出会い、そのまま一緒に旅を続けるという内容。ロードムーヴィーの利点は、旅そのものがストーリーになることで、余計な細工をせずとも結構見せるものになる。この映画の場合には、二組の家族がそれぞれ格差社会の負け組である上に、複雑な過去を背負っており、生きるだけで精一杯ななかでも、一緒に旅をすることで、互いの感情が融和していき、新たな可能性を見つけるというような内容が付加されることで、映画としての厚みを感じさせる。

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石井裕也は、生き方の下手な人間を描くことにこだわりを持っているようで、2020年の作品「生きちゃった」もそうした生き方の下手な人間をテーマにしたものだ。この映画に出てくる人間は、だいたいが生きるのが下手な人たちである。仲野太賀演じる主人公がそうだし、かれを裏切る妻(大島優子)もそうだし、主人公の両親や兄、主人公の幼馴染の男など、みな不器用で、生き方が下手である。いまの日本社会で、生き方の下手な人間は、要領の悪いものとして扱われ、徹底的に抑圧されるようなシステムになっている。そのシステムは、格差問題とも絡むので、生き方の下手な人間は、とことん割の合わない目に合う。だからといって、それに反発する気力もない。だが、こんな人間がいるおかげで、日本社会はなんとか成り立っている、と感じさせる面もある。それほど今の日本社会は壊れてしまっている、というのが石井裕也からのメッセージのようにも受け取れる。

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石井裕也の2014年の映画「バンクーバーの朝日」は、カナダに移住した日本人の厳しい境遇を描いた作品。舞台は第二次世界大戦(日本ではアジア・太平洋戦争と呼ぶ)前後のバンクーバー。その都市は、もともと日本からの移住者たちが中心になって建設されたものだが、その後白人たちがやってきて主人面をし、日本人を露骨に差別するようになった、とこの映画では設定されている。カナダの歴史に疎い小生には、その真偽のほどはわからないが、日本人がひどい差別に苦しんでいたことは、アメリカにおける日本人迫害の実態から類推できる。ともあれ、カナダに移住した日本人は、人種差別と経済的な搾取に苦しめられ、ギリギリの暮らしを強いられていたということになっている。そうした希望のない生活の中で、唯一日本人の励みとなったのが、「アサヒ」と名付けられた野球チームだった。その野球チームが、大男からなる白人チームと対等に戦ったばかりか、リーグ戦に優勝までして、現地の日本人の誇りともなり、また生きる希望にもなった、というようないささかセンチメンタルな雰囲気を漂わせた作品である。

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石井裕也の2014年の映画「ぼくたちの家族」は、家族の絆をテーマにした作品だが、ちょっと不思議な雰囲気に満ちている。というのも、すでに壊れかけている絆が、なにかのきっかけでもっと激しく壊れそうになるところを、家族の成員の涙ぐましい努力でその絆が回復(再構築)されるという内容で、現実としては、なかなかむつかしいケースを描いているからだ。

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ダルデンヌ兄弟の2019年の映画「その手に触れるまで(Le Jeune Ahmed)」は、ベルギーのイスラム・コミュニティを描いた作品。一人のまだ幼い少年の信仰心がテーマだ。その信仰心は、かれらの外部であるベルギー社会と摩擦を起こすとともに、かれら自身のコミュニティの内部でも、世俗的傾向の強いグループと原理主義的なグループとの対立を引き起こす。この映画はそうした対立に直面した少年が、宗教的な熱情に駆られて人身犯罪を引き起こし、その結果少年刑務所に収用されるさまを描く。その描き方は、基本的には価値中立的といえるが、非イスラム社会にとっては、宗教的な行き過ぎともとられかねないところがあり、差別感情を引き起こす可能性がないとはいえない。

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ダルデンヌ兄弟の2016年の映画「午後8時の訪問者(La Fille inconnue)」は、若い女性医師の医師としての職業的な責任感とか倫理的な感情を丁寧に描いた作品。この女性医師は、ベルギーの中規模都市(リエージュ)の診療所(日本でいう開業医)で働き、比較的貧しい人々を相手にしているために、社会的な問題に直面することが多い。そんななかで、自分のところに助けを求めにきたらしい黒人の少女が死ぬ事件が起きる。警察の調査で他殺の可能性が高い。もし自分があのとき、彼女の求めに応えていたなら、死なさずに済んだかもしれないと感じた女性医師は、強い責任を感じる。そこで、せめて彼女の身元だけでも調べようとして、探偵まがいにあちこち首をつっこんでいるうちに、意外なことが明らかになる、というような内容である。

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ダルデンヌ兄弟の2014年の映画「サンドラの週末(Deux jours, une nuit)」は、ベルギーにおける零細企業の労働争議のようなものをテーマにした作品。病気を理由に解雇されそうになった女性が、雇用の確保を求めて戦う姿を描いている。その戦いぶりが、自分と家族の生活をかけたぎりぎりの立場から迫られているというのが、この映画がもっとも考えさせる点だ。この映画の中の主人公の女性や、彼女とかかわりを持つ人々の、ぎりぎりの生活条件は、もはや、日本を含めた先進資本主義国に共通する問題となっている。だから、この映画を見た人は、他人事には見えなかっただろう。

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ダルデンヌ兄弟の2003年の映画「息子のまなざし(Le Fils)」は、基本的には人間の個人の感情をテーマとしたものだが、それに社会的な問題をもからませている。いかにもダルデンヌ兄弟らしいテーマ設定といえよう。その人間の個人感情とは、自分の愛する息子を殺した人間を許すことができるかという葛藤の問題であり、それにからんだ社会的な問題とは、殺した相手が、当時十一歳の少年で、カーラジオを欲しさに盗みの行為を働いた際に、はずみで小さな子供を殺したというものだ。十一歳の少年が、盗みをするということ自体が、社会が壊れていることの表徴のようなものであり、しかもまともな判断力を持つとはいえない少年に、それを徹底的に償わせるのが、果たして正義にかなっているのか、というような問題意識を感じさせる作品である。

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