知の快楽

レヴィナスの<他者>は顔として現われる。それはとりあえずは性別をもたない人間の顔として現われる場合もあるが、神として現われる場合もあるようである。<他者>の絶対的な超越性が、神を連想させるからである。レヴィナス自身は、<他者>を神とは明言していないが、文章の行間からそのように伝わって来る。<他者>はまた女性である場合も当然ある。しかし女性として現われる場合には、<他者>は特別の様相を呈する。それは単なる顔であることにはとどまらない。そこには「顔における<他者>の顕現を前提するとともに、それを超越しているなんらかの次元」がある(「全体性と無限」熊野純彦訳、以下同じ)。そうレヴィナスはいって、女性としての他者の解明に踏み込んでいく。

他者にせよ、<私>が~によって生きている始原的なものにせよ、それらは所有されえないものであった。だからレヴィナスには、所有の視点がないかといえば、そうではない。レヴィナスは「全体性と無限」のなかのかなり多くの部分を所有について費やし、所有が<私>つまり人間にとって持つ意味を考察している。

レヴィナスの思想の核心は、他者をすべての始まりに据えることにあり、その他者との関係を中心にして<私>を考えるところにあった。といってレヴィナスが、<私>の自存性を軽視しているというわけではない。「全体性と無限」の第二部は、もっぱら<私>の自存性の解明にあてられているのである。この個所は、第一部で他者の意義を強調したあとに置かれているので、他者との関係における<私>の分析かと思えば、そうではない。あくまでも、他者を考慮に入れない次元での<私>の分析なのである。その分析のトーンは、ハイデガーを強く意識したものになっている。ハイデガーが現存在の世界内存在としてのあり方を分析して見せたのに対して、レヴィナスは世界を享受する主体としての<私>の存在の仕方を分析して見せるのである。

レヴィナスは真理と正義を一体のものとして論じる。これは一見して奇怪にうつる。西欧の哲学的伝統においては、真理とは認識論上の概念であり、正義とは倫理的あるいは政治的な概念であって、この二つが同じ土俵の上で論じられることはなかったからである。それをレヴィナスは同じ土俵に据えたうえで、しかも一体のものとして論じるのである。

西欧哲学におけるレヴィナスの意義は、他者を主題的に論じたことだ。その論じ方は極めて徹底していた。レヴィナス以前にも他者を論じたものはいたが、それらは他者を私によって構成された対象の一種として見ていた。初めて他者を本格的に論じたといえるフッサールにおいてそうだったし、また、他者を共同現存在として、私とともにすでにこの世界に投げ出された所与であるとしたハイデガーにおいても、他者が存在の一類型として、したがって結局は私によって構成されたものとして捉える限りにおいては、やはり他者をそれ自体として絶対的な存在者とはみていない。ハイデガーのいう存在とは、私の思考から生み出されたものなのであり、その限りで私の意識による構成の産物だからだ。

「全体性と無限」の序文を、レヴィナスは戦争への言及から始めている。レヴィナスは、「聡明さとは、精神が真なるものに対して開かれていることである」としたうえで、その「聡明さは、戦争の可能性が永続することを見てとるところにあるのではないか」といい、「戦争状態によって道徳は宙づりにされてしまう。戦争状態になると、永遠なものとされてきた制度や責務からその永遠性が剥ぎとられ、かくて無条件な命法すら暫定的に無効となる」という(熊野純彦訳「全体性と無限」から、以下同じ)。「戦争によって道徳は嗤うべきものになってしまう」というのである。もしそうならば、「私たちは道徳によって欺かれてはいないだろうか」。そうレヴィナスは問いかけるのである。問いかけの相手は、読者でもあるし、またレヴィナス自身でもあるようだ。

レヴィナスは、リトアニアのカウナスに生まれ、フランスで自己形成をした。第二次大戦時にはフランス兵として従軍したが、すぐにドイツ軍の捕虜になり、終戦まで捕虜収容所で過ごした。その間にカウナスにいる自分の親族はすべて殺されてしまった。ユダヤ人であるレヴィナスにも殺される可能性がなかったわけではないが、一応フランス兵としての処遇を受けていたので、なんとか生き延びることができた。しかし、愛する家族が皆殺しにされ、自分だけが生き残ったことに、深い絶望を感じたように思う。レヴィナスの独特の倫理学には、そうしたかれの絶望が反映しているように思われるのだ。かれの倫理学は、二人の人間の間に成立する関係を中心に展開されるものだが、その関係は非対照的なものであり、あたかも神と人間との関係の如くである。そしてその神が、レヴィナスは積極的な定義は控えているが、ユダヤの神であることは間違いない。レヴィナスはユダヤの神に向き合うことで、自分自身の、ひとりの人間としてアイデンティティをつかみ取ろうとしているように見える。レヴィナスにとって神は、どうやら自分自身の自己イメージでもあるようなのだ。

エマニュエル・レヴィナスはフィリップ・モネとの対話「倫理と無限」のなかで、彼の最初の著作「実存から実存者」に触れながら、この本は「ある」について語っており、自分はそのことを Il y a という言葉で表したのだったが、その時には「Il y a」と題されたアポリネールの有名な詩のことは知らなかったと言った。知っていたとしても、どうということもないようなのだが、フランス語で「Il y a」というと、どうも人はそれに存在への賛歌のような気持ちを感ずるようなので、存在からの超越を究極的に目指している自分としては、誤解されやすい恐れはあるかもしれない、ということらしかった。

エマニュエル・レヴィナスは、難解と言われる現代フランスの思想家の中でも、とりわけて難解と言ってよい。レヴィナス研究者を自認する内田樹でさえ、レヴィナスの書物は一度や二度読んだだけでは理解できないと言っているくらいだ。実際小生も、「全体性と無限」や「存在の彼方へ」という書物を読むのに、大変な苦労をした。ちゃんと理解できているかどうか、まだわからない始末だ。その理由は色々あるが、小生の能力不足を脇へ置いて言えば、レヴィナスの文章があまり論理的ではないことだ。レヴィナスは自分でも、語りえないことを語るところから自分の思想は始まると言っているくらいだから、やはり自分の主張の非論理性を自覚していたのだと思う。ところが、非論理的な主張ほど、他者にとって理解に苦しむものはないのである。

折口信夫は国学院の教授として、国学院の学生を前に講義を行ったなかで、しばしば国学の伝統について語った。その国学の伝統とは、単に学問としての伝統ではなく、道徳としての国学の伝統ということだった。そのことを折口は、次のように語っている。「道徳に到達しないで国学というものはないのです。だから文献学がいくら文献学でも、それは国学ではありません」(平田国学の伝統)

晩年の折口信夫が、神道を宗教として純化し、日本人にとっての国民宗教になることを強く願ったことはよく知られている。そのきっかけは敗戦であった。折口は、アメリカの若者たちが第二次世界大戦を、十字軍の兵士たちがエルサレムを奪還しようとしたのと同じ情熱をもって戦っているということを悟って、そんな敵を相手に日本が勝てるわけはないと思った。何故なら日本の若者には、そういう宗教的な情熱はないからだ。だから、日本が負けるのは無理もない。日本が勝つためには、アメリカの若者に劣らぬような宗教的情熱を、日本の若者も持たなければならない。その場合に、日本の若者が持つべき宗教的な情熱は、神道しかそれを与える可能性はない。そういうような思いから折口は、神道の宗教化を強く主張したのである。

日本人の他界観についての折口の考え方は、日本人の死生観と深くかかわりながら展開されている。折口は、人間が他界の観念を持つようになった理由は、人間が死ぬるものだからだと言っている。人間が死ぬるものなら、死後それがどのようになるのか、という疑問が生まれて来る。他界とは、その疑問に答えるものなのである。

折口信夫によれば、古代の日本人にとって、生死の境は曖昧だったという(「古代人の思考の基礎」)。「平安時代になっても、生きてゐるのか、死んでゐるのか、はっきりわからなかった」。人間というのは、肉体と魂が結びついて生存しているのだが、この魂というのが、しょっちゅう肉体を離れて遊離すると思念されていた。魂が遊離すると肉体は一時的に死んだような状態になるが、再び魂が肉体と結びついて生き返ることがままあった。そこで、魂があまりにも長い間肉体を遊離して、再び戻らないと観念された時に、その人は死んだというふうに理解された、というのである。

折口信夫は「古代人の思考の基礎」という論考の中で、古代日本人の思考法の特徴について触れている。折口によれば、古代日本人の思考は、ある種の循環論法に従っていたという。それを折口は逆推理とか比論法とか呼んでいるが、これは西洋的な因果的思考とは非常に違ったものだ。今でこそ日本人は、西洋的な考え方になれてしまったが、その発想の根底には、この古代的な論理のかけらがいまでも残っていると考えているようである。

折口信夫の論考「大嘗祭の本義」は、大嘗祭を中心に皇室行事について語ったものである。皇室行事は神道をもとにしている。というか神道そのものである。折口自身は神道という言葉が気に入らないといっているが、ほかに適当な言葉がないので使っているようである。その神道とは、折口の理解によれば、皇室に集約的に体現されているので、皇室神道を語ることが即神道を語ることになる。神社の神道とか、民間の神道はみな、皇室の神道に淵源をもっている、というのが折口の主張である。

折口信夫が神道の興隆を意図していたことはよく知られている。しかしこの神道という言葉を折口は嫌い、「近来、少なくとも私だけは、神道という言葉を使わないようにしている」と言っていた(「神道に現われた民族論理」)。その理由は、神道という言葉は、神道の内部から使われるようになったものではなく、仏教側がつけた名だというのである。仏教側では神道を、仏の教えに対立するものとして(日本土着の)神の道と言い、仏教より一段劣ったものと考えていた。だから神道側ではこれを排斥すべきなのに、かえってそれを有難がって、自分でも神道と呼ぶようになった。これはおかしなことだ、とうのが折口の感想なのである。

能楽には「翁」という演目がある。いまでも正月には必ず演じられているほか、流派家元の重要行事の際にも演じられるなど、特別の意義を付与されている。この「翁」を折口信夫は民俗学的な視点から解説しているのであるが、その論旨を簡単に言えば、翁とは折口のいうところの「常世人」あるいは「まれびと」が芸能化したものだということになる。

折口信夫は小論「餓鬼阿弥蘇生譚」で、説経「小栗判官」の蘇生譚を取り上げている。この説経のテクストには多くの異本があるらしいが、折口はもっとも正統なものとして国書刊行会本を取り上げ、それにもとづいて、小栗の餓鬼阿弥としての蘇生を論じている。その論旨は、この蘇生譚に日本人古来の霊魂観が込められているというものだ。

まつりには屋台とか神輿がつきものだが、折口信夫はそれらが日本古来の信仰行事に由来していることを明らかにしようとする。折口によれば、こうしたものは、神の依代であるということになる。屋台やだいがくに神が降臨し、その神を人間たちが仰ぎ奉る。この構図は、幣束にもあてはまる。幣束とはもともと、神が目標とする依代だったというのが折口の主張である。したがって日本のまつりは、古代から一貫して、この神をお迎えして、仰ぎ奉るということを本質としていたということになる。

まつりについての折口信夫の言説は、まつりが行われる時期についての形式的な議論と、まつりの目的などについての実質的な議論とからなっている。まつりの時期については、春夏秋冬四季にわたって行われているものを、どれが最も古くて、したがってまつり本来の姿をあらわしているかについて、考察することを中心に議論している。

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