中国の禅は、唐の時代の前期、紀元7世紀の後半から8世紀のはじめ頃にかけて、北宗禅と南宗禅の対立を経て、南宗禅が主流となり、9世紀の中ごろに臨済が全盛に導いた。臨済の禅の特徴は、理論よりも実践を重んじることだったが、そういう実践優位の姿勢は、時代が下るにしたがって次第に強まった。それと同時に、生真面目なものになっていった、というのが柳田や梅原の見立てである。臨済録を読むと、ユーモアというか、心の余裕が感じられるが、その後の碧巌録や無門関はユーモアがなくなり、まじめ一辺倒になっていったというのである。
日本文化考
「仏教の思想」シリーズ第七巻は、「無の探求<中国禅>」と銘打って、中国禅を取り上げている。担当は、当時の禅研究の第一人者柳田聖山と哲学研究家の梅原猛。柳田が「禅思想の成立」と題して、中国禅の歴史的展開とその思想的な特徴の概観を示し、梅原が「絶対自由の哲学」と題して、中国禅の哲学的な分析を行っている。そのかたわら二人の対談を通じて中国禅の特色を掘り下げるといった具合だ。
「仏教の思想」シリーズ第二巻「存在の分析<アビダルマ>」の第二章は、担当著者の桜部建、上山春平に加え、仏教学者の服部正明を加えて、「インド思想とアビダルマ」という題のもとで、アビダルマの宗教史的な位置づけ、即ちアビダルマの伝統的なインド思想との関係とか大乗仏教との関係などについて解明する。
アビダルマの中核部分は、存在を分類整理したダルマの体系にある。分類の基準にはいくつものものがある。桜部建は、五蘊、十二処、十八界といったものをダルマの分類基準の基本としてあげているが、倶舎論では五位七十五法が示されており、それがアビダルマにおけるダルマの分類の最終的な(もっとも整った)体系だとする。それを踏まえて上山は、倶舎論におけるダルマの体系について論じる。
角川書店刊「仏教の思想」シリーズ第二巻は、アビダルマがテーマである。アビダルマとは、小乗仏教の教義を解説したものだ。小乗仏教は、アーガマ(阿含経)と呼ばれるお経を拠り所として釈迦の教えを説くものだが、アーガマ自体は折々の釈迦の言葉を書きとめたもので、体系的ではないし、簡潔すぎて意を尽くさないところも多い。そこで足りないところを補い、また釈迦の言葉相互の関係を明らかにし、体系的に説いたものが、アビダルマといわれる。大乗仏教には、釈迦の教えを記した経、その教えを実践するための基準を示した律、教えの内容を理論的に解説した論があるが、小乗仏教も同様であって、大乗の論に相当するものがアビダルマである。
「仏教の思想」シリーズの第一巻「智慧と慈悲<ブッダ>」に、梅原猛が寄せた小論「仏教の現代的意義」は、原始仏教から大乗仏教ひいては日本の鎌倉仏教までを含めて、すべての仏教に共通する要素について考察する。それゆえ梅原なりの仏教概論というような体裁である。その考察を通じて梅原は、仏教の現代的意義を指摘したいというのだろう。梅原は西洋の宗教であるキリスト教に強い疑問を感じているようで、今後人類を宗教的に救うものとしては、仏教こそがもっとも相応しいと思っているようなのである。それゆえこの小論は、きわめて論争的である。その点では、キリスト教を意識しながら「大乗仏教概論」を書いた鈴木大拙と共通するものがある。
角川書店刊行の「仏教の思想」シリーズ第一巻は、「智慧と慈悲<ブッダ>」と題して、釈迦のそもそもの思想をテーマにしたものだ。釈迦の思想といえば、いわゆる小乗仏教や大乗仏教も釈迦の教えと称しており、それらを含めて仏教全体が釈迦の教えを説いたということになっているのだが、一口に仏教と言っても、その内実は多岐に渡り、場合によっては相互に矛盾する内容を含んでいる。それは、釈迦のそもそもの教えと言われるものが、時間の経過にしたがって変化していった結果だといえる。そこで、歴史上の人物としての釈迦が、そもそもどのような思想を抱き、それをどのようにして人々に説いたかを知っておく必要がある。そのような問題意識から、この巻は書かれた。

「柑子」は、主人から預かった柑子を食ってしまった太郎冠者が、それを出せと言われて、出せないわけを言い訳する有様を描いたもの。同じようなテーマをとりあげた作品に「附子」があるが、「附子」の場合には主人にも責任の一端があるが、こちらは太郎冠者に全面的な責任がある。その責任を逃れようと、太郎冠者が無い知恵をしぼるところに妙味がある。

「山姥」は世阿弥の作品。すでに行われていた曲舞を取り入れて再構成した曲である。「申楽談義」に「山姥、百万、名誉の曲舞なり」とあるから、かなりの人気曲だったことがうかがわれる。
角川書店から昭和40年代に刊行された「仏教の思想」シリーズ全12巻は、仏教を思想として解明するものである。これは哲学研究者の梅原猛が中心になって、哲学研究者と仏教研究家が協力しながら仏教の思想的な内容を解明したものだが、その動機を梅原は第一巻の序文の中で言及している。仏教は、嘗ては日本人の心を捉えていたが、近代に入ると忘れられてしまった。それは近代の日本人が西洋の思想にかぶれるあまり伝統的な日本の思想を顧みなくなったためである。ところがその西洋の思想は、いまやその有効性に疑問が突きつけられている。西洋の思想を以てしては、今後の世界の方向性を導くことは出来ない。それが出来るのは仏教である。梅原はそうした問題意識から、仏教を改めて思想として捉えなおし、日本の全国民がそれを理解してほしいと考えて、このシリーズを発案したという。いかにも梅原らしい発想といえよう。
普賢菩薩は、文殊菩薩と並んで釈迦仏の脇侍として仕え、いわゆる釈迦三尊を構成する。通常は、文殊菩薩は獅子に乗った姿、普賢菩薩は白象に乗った姿で表される。文殊菩薩と獅子の結びつきは維摩経などに見え、普賢菩薩と白象の結びつきは、法華経の「普賢菩薩勧発品」において具体的な形で語られる。その法華経のなかでは、文殊菩薩は冒頭の序品から登場して、経全体にわたって随所で重要な役割を果たす。一方普賢菩薩は、最後の章である「普賢菩薩勧発品」に登場して、法華経全体を締めくくる役割を果たす。
「妙荘厳王本事品」第二十七は、子が異教徒の父親を教化することを説くものである。法華経には、父が子を、目上の者が目下のものを教化する話は多く出て来るが、目下のもの、それも子が父を教化するという話は、この「妙荘厳王本事品」だけである。その意図は、法華経の教えは肉親の絆よりも深いということを説く所にあると考えられる。肉親の絆は一代限りであるが、法華経の功徳は世代を超えた深い因縁を通じて人々を結びつける、と説くのである。

一昨年(2019年)に行われた京都薪能の一部をNHKが取り上げて放映していた。出し物は観世流の半能「絵馬」。半能というのは、文字通り能の曲目のうち半分だけを演じるもので、たいていは後半部である。こうした形式は、それ自体が独立した曲に転化する場合もある。「金札」とか「菊児童」といった曲は、もとの曲の後半部だけが切り離されて再構成されたものである。
陀羅尼とは、サンスクリット語のダラニという言葉に漢字を当てはめたもので、総持とも訳される。意味は、教えを心にしっかりと保持することを言う。具体的には、呪文のような形であらわされるので、神呪とも言われる。「法華経陀羅尼品」第二十六は、そうした呪文を集めた章である。呪文はいずれも、法華経を受持する人を守護することを目的としたものである。だから、法華経受持者のための呪文集といってよい。
観音様への信仰は、地蔵信仰と並んで日本の庶民にもっとも馴染の深いものだ。その観音様について説いたお経が、法華経の「観世音菩薩普門品」第二十五である。このお経は、単に「観音経」とも呼ばれ、独立した経典としても、よく読まれて来た。今日でも、各宗派にわたって読まれている。
薬王菩薩の前身たる一切衆生喜見菩薩は、現一切色身三昧という霊力を得ることができた。現一切色身三昧とは、相手に応じて姿を現し、相手に相応しい教えを与える霊力のことである。法華経の核心的な思想に方便というものがあるが、現一切色身三昧はその方便の具体的な現れであると言ってよい。「妙音菩薩品」第二十四は、現一切色身三昧の体現者としての妙音菩薩の業績について説く。同じような業績をあげた菩薩として、観音菩薩がある。妙音菩薩は三十四身に現じて衆生を救うのに対して観音菩薩は三十三身に現じて衆生を救う。また、妙音菩薩が東方浄土に住むのに対して、観音菩薩は西方浄土に住むとされる。この二人の菩薩は対照的なものとして捉えられているのである。
法華経の教えを説いた本体部分は「嘱累品」第二十二で完結し、「薬王菩薩本事品」第二十三以後は、法華経の教えを実践した具体例が説かれる。これらを読むことによって、教えを頭で理解するだけでなく、体で受け止めるように意図されているわけだ。信者はこれらの具体例に、自分自身の宗教的実践の手本を見るのである。
「嘱累品」第二十二は、法華経本体の最後の部分である。これを以て法華経の教えとその功徳の説明が完了する。「薬王菩薩本事品」第二十三以後は、法華経の教えを実践した人(菩薩)の業績が具体的に説かれる。その部分は、法華経本体が成立した以降、順次付け加えられていったものと考えられる。
「如来神力品」第二十一は、如来の神力すなわち仏の超能力を説く。その目的は、法華経を受持し広める菩薩たちに超能力を示すことによって、かれらを激励することにある。その上で、法華経の功徳について改めて説き、仏の滅後に衆生を教化するよう励ますのである。
「分別功徳品」以下で、仏の教えである法華経を受持し、それを他人に広めることで、どんな功徳が得られるのかについて説かれた後で、実際にそれを実践して、功徳を得た人の話が説かれるのが「常不軽菩薩品」第二十である。いわば理論編に対する実践編といったところだ。
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