日本の政治と社会

片山善博氏は旧自治省出身で、鳥取県知事や総務大臣を歴任した人であり、その経験をいかして、日本の現状について積極的に発言している。小生は、地方公共団体の一役人として生涯の大半を過ごしたこともあり、氏の発言にはかねがね関心を持って接してきた。氏が雑誌「世界」に寄稿している「日本を診る」シリーズは欠かさずに読んでいる。そのシリーズの最新版には、「高市大臣が『捏造』だとした総務省文書から見えてくること」と題した一文を寄せていて、興味深い内容となっている。

先日小生は、岸田政権の少子化対策財源への年金の流用を批判し、受給者のみならずすべての国民が、抵抗すべきだと呼びかけたところだが、この呼びかけはどうやら、具体的な反響を呼びそうもない。国民は唯々諾々として岸田政権の言うことに従うつもりのように見える。これは、フランスに比較して非常に情けないことだ。フランスでは、マクロン政権による年金受給開始年齢の引き上げに抗議して、百万単位の大規模な抗議デモが起っているというのに、日本では諦めムードが漂っているようだ。

放送法文書問題で高市大臣を攻撃したことで名をあげた立憲民主党の小西議員が、今度は衆議院憲法審査会のメンバーを「サル」呼ばわりしたことで、大きな騒ぎを引き起こしている。中には所属する立憲民主党に対して厳正な処分を要求する政党もあるが、それは自分の無力を棚にあげた行為に見える。それはともかく、サルと呼ばれて激高するのは、自分はヒトであってサルではなく、ヒトはサルよい上等なのだから、その上等なヒトである自分が、下等なサルと一緒くたにされるのは我慢がならないということらしい。

いわゆる「放送法文書」をめぐる騒ぎは、予算委員会の質疑が事実上終わったことで、なんとなくうやむやになってしまった。それには、この問題を取り上げて追及した野党の議員が、自身別のスキャンダルを巻き起こしたということもあるが、何といっても、追求の対象となった高市元総務大臣の粘り腰が功を奏したということだろう。彼女は、常識ではとても通らないことを、通してしまったのであり、まさに常識破りの立派な人物といわねばならない。

岸田政権が、財源の見通しのないまま打ち上げた少子化対策について、その財源として年金を流用しようとしているらしい。もし本当なら、年金受給者はじめ関係する国民は、声を上げて抵抗したほうがよい。岸田政権は、少子化対策は待ったなしだから、国民があげて協力するべきだとして、年金を流用したいといっているようだが、それは筋違いである。社会保険制度には、それなりの根拠がある。その根拠のうちには、国の政策に協力して、年金の一部をさしあげてよいということは含まれていない。だから、年金を少子化対策に流用するのは、制度の趣旨に反することであって、国による年金受給者からの窃盗行為というべきである。

林外務大臣が中国へ出かけて行って、秦剛中国外相との間の会談に臨んだ。これは一応、岸田首相と習近平との間の日中関係正常化の合意を踏まえたものとされているが、先日起きた中国当局による日本人ビジネスマンの拘束が背景にある。日本政府は、この問題が深刻化しないうちに、中国側に働きかけ、なんとか開放されるように働きかける意図があったものと考えられる。だが、日本側の意図は、簡単に実現する見込みはないようだ。新聞の伝えるところによると、議論は平行線をただよい、まともな合意は何もなされなかったようである。

東芝が、好意的な相手に事実上身売りして、上場もやめることにしたそうだ。その理由は、いわゆる物言う株主の介入を排除して、自律的な企業運営をしたいということらしい。企業は株主だけのためにあるのではなく、多くの社会的な責任を負っている。その責任を果たすためにも、「物言う株主」の強欲な要求は排除せねばならぬということのようである。そういえば体裁はいいが、実態はそんなものではないだろう。

岸田首相がウクライナを訪問し、対ロ戦争に関してウクライナを支援する意向を示した。これはウクライナを利用した西側の対ロ代理戦争に日本も参戦するということを、事実上意味する。これは日本にとってよいことなのか、あるいは都合の悪いことなのか、判断が分かれるところだろう。

大相撲の春場所が興行中だが、貴景勝が休場したことで、横綱・大関がひとりもいなくなった。こんな事態は、昭和以降初めてのことだそうだ。異常というほかはないが、それ以上に、横綱・大関不在では、全く盛り上がらないというべきだ。大相撲ファンは、残念を通り越して、あきれ返っていることだろう。

東京の明治神宮再開発に伴い、大量の樹木が伐採されることがわかって、大騒ぎになっている。この地域は、東京の中でも景観のすぐれたところで、都心のオアシスとして、都民はもとより東京を訪れる人々に親しまれてきた。それを一気に伐採して、高層ビルをたてようというのだから、人々が反発するのは無理もない。たとえていえば、パリのエッフェル塔をぶっ壊して、安っぽい高層ビルを建てるようなものだ。

六年ぶりのWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が盛り上がっている。一次リーグの会場の一つが日本の東京ドームだったこと、そして日本チームが非常な活躍を見せていることが、その要因だ。小生もまた、その熱気に促されるようにして、準々決勝の対イタリア戦を、テレビ中継で見た次第だ。ご案内のように、日本チームは圧倒的な強さを見せてくれ、また、大谷やダルビッシュ、そして他の選手のすばらしいプレーを堪能することができた。

奄美大島から与那国島にかけての南西諸島に、長距離ミサイル拠点が整備され、対中戦争に備えて軍事力の強化が進められている。この島々は、中国が独自に設けている防衛線上に位置しているが、日米同盟にとっては中国攻撃の重要拠点となるものだ。日本はいままで空母を持たなかったが、これら島々が空母と同様の機能を果たせることとなる。しかも沈まない空母、不沈空母だ。

小泉純一郎元首相は、福島原発事故以来原発ゼロを叫んできたが、最近はその声が途絶えがちのように見えた。ところがこのたび、岸田政権が原発回帰の姿勢を露骨に示したことに反応して、雑誌「世界」のインタビューに応じた。「世界」はずっと一貫して原発に批判的なスタンスをとってきたので、岸田政権の原発回帰に危機感を覚え、小泉純一郎と助っ人と頼んで、引っ張り出したのだろう。

雑誌「世界」の最新号(2023年4月号)に、「またも提案?入管法改定」と題した座談会の筆記が掲載されている。今国会に提出された入管法改定案をめぐるものである。イラストレーターの金井真紀、弁護士の児玉晃一、作家の木村友祐が参加している。いづれも何らかの形で難民問題と入管行政にかかわっているということらしい。この三人の口火を切って金井が、「二年前の2021年、多くの市民やメディアが抗議してようやく廃案になったのに、何食わぬ顔をして同じ改定案をまた出してくるとは、ふざけるなという感じですね」と言っている。

総務省が作成したという文書(いわゆる放送法文書)をめぐって大きな騒ぎになっている。この文書は、メディアの報道姿勢をめぐって自民党政権が圧力をかけた経緯をまとめたものらしいが、当初はそれを怪文書だとかいって否定していた政治家が、総務省自体がそれが公文書であることを認めるや、一転して「捏造」だと言い出した。もし捏造でなかったら議員をやめるとまで言い切ったので、世間ではこれを面白がってはやしたてる始末である。

徴用工問題をめぐる日韓の対立に「決着」がつきそうである。韓国の尹錫悦政権が、韓国の大法院が日本企業に命じた賠償金を韓国側で肩代わりする一方、日本側では、植民地支配への「反省とおわび」を盛り込んだ歴代内閣の歴史認識の継承を確認するという条件での決着である。これは日本にとっては都合のいいことなので、岸田政権としては異存はないだろう。「反省とおわび」は、植民地支配に対する包括的な声明であって、徴用工問題について直接述べたものではない。日本としては、従来の立場を確認しただけで、新たなアクションをおこしたことにはならない。だからこの「政治決着」は、韓国側の一方的な撤退であって、日本としてはなんらの痛みも伴わない。

岸田政権によって日本は敵基地攻撃能力を持つことができるようになり、また、軍事費の倍増にも見通しがついた。あとは仮想敵国に対してその攻撃能力を発揮するだけの段取りにいたったわけだ。それには人的な資源が必要になる。岸田政権は目下、自衛隊への志願兵をもって戦うことを想定しているようであるが、しかし、(仮想ではなく)現実に中国を敵として戦うには、志願兵だけでは間に合わないだろう。対中戦争を有効に戦うには、なんとしても徴兵制の実現が不可欠である。

2022年に生まれた子どもの数は79万人台で、統計上はじめて80万人を割り込んだという。これは外国人を含んだ数で、日本人だけだと、76万人台になる可能性があるそうだ。40年前の出生数が約151万人だったので、わずかの間にほぼ半減したことになる。急速に縮んでいるのである。

雑誌「世界」の最新号(2023年3月号)に、農山村政策をめぐる最近の動きについて解説した記事が二つ載っている。一つは、「新しい『農山村たたみ論』(小田切徳美)、もう一つは「農業集落調査『廃止運動』の教訓」(戸石七生)である。前者は、過疎化する農山村地域を、都市部に集団移住させるという政策提起への批判であり、後者は農林水産省が率先して「農業集落調査」の廃止を画策していることへの批判である。

「ひろゆき」なる人物について、小生はそれが悪名高い掲示板サイト「2チャンネル」の創始者であることくらいしか知らないし、また知りたいとも思わなかった。時折ネット上で炎上する言動をして満足しているらしい人間と、かかわりたくもなかったのだ。ところが世の中には物好きな人がいるようで、その「ひろゆき」なる人物を社会学的な視点から分析してみせてくれる。雑誌「世界」の最新号(2013年3月号)に掲載された小論「ひろゆき論」(伊藤昌亮著)がそれだ。

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