日本の政治と社会

安倍総理大臣が、G7への出席途上ウクライナに立ち寄り、共同声明を出した。「力による現状変更を決して認めず、法の支配、主権、領土の一体性を重視していく」というものだ。これがロシアによるクリミア半島の併合と、東ウクライナのさらなる併合へのロシアの野心を非難しているのは明らかだ。併合とはありていに言えば他国の領土の侵略にほかならない。領土をロシアによって侵略されたという点では、日本はウクライナと同じ立場にあるわけだから、今回の共同声明には相当の理があるといわねばなるまい。日本は今後、ロシアとの間で同じような問題を抱えている国と協力して、ロシアによる他国侵略の歴史を糾弾し、できうれば侵略された領土の回復に努めねばならない。

衆議院の憲法審査会で、各党の推薦で参考人として招致された憲法学者三人がそろって、安倍政権が成立を目指している新たな安全保障関連法案について、違憲であるとの意見を述べた。その中には自民党が推薦した早大教授長谷部恭男氏も含まれていたというので、自民党では大騒ぎになったそうだ。

イエロー・ジャーナリズムという言葉がある。日本の多くの週刊誌と一部の新聞紙がこれに含まれる。扇情的な物言いで読者の関心を煽ることを得意とするジャーナリズムだ。また、クローニー・キャピタリズムという言葉もある。主に発展途上国の経済について言われるもので、権力と結託した利権的な資本主義経済のことをさして言う。

憲法学者の長谷部恭男と政治学者の杉田敦が、朝日紙上の対談の中で、安倍政権の語法について手厳しく批判している。安倍政権のおかしな語法については筆者も関心があり、先日もこのブログで、安倍政権が続けば、そのうち「平和」という漢字が「戦争」を意味するようになるだろうと書いた。対談のお二人も同じ意見で、安倍政権の語法によれば「戦争は平和である」(長谷部)ということになると言い、そういうのを「新語法(ニュースピーク)」だと指摘している(杉田)。

安倍晋三総理大臣が国会論戦の中で、ポツダム宣言についての質問に対して、「まだその部分をつまびらかに読んでいないので、直ちに論評することは差し控えたい」と答えたそうだ。これは、総理がポツダム宣言を読んでいないというふうに受け取られた。たとえ一度だけでも読んでいれば、そこに何が書かれてあるかは、頭に入っているはずだ。そんなにむつかしい事が書いてあるわけではない。だから、聞かれて答えられないわけはない、というわけであろう。

大手メディアはほとんどスルーしていたが、5月13日から3日間、横浜で開催された武器見本市が一部で厚い視線を浴びた。この見本市は、正式には海洋システム・テクノロジー大会(Maritime Systems and Technologies (MAST) conference )と言って、イギリスの防衛産業大手企業が主催し、日本の防衛省と経産省が後援した。

習近平の中国が東アフリカのジブチに軍事拠点をおく計画を進めているようだ。ジブチと言えば、紅海の入り口にあって、ヨーロッパとインド洋を結ぶ海路の要衝ともいえるところだ。中国は、ヨーロッパとの間を結ぶ海のシルクロード構想を打ち上げていることから、ジブチの軍事拠点は、このシルクロード防衛の拠点として考えているのだろう。

沖縄の辺野古問題を巡って、安倍政権と沖縄との対立が深まっている。このままでは、穏便な解決を望むことはできないだろう。もしかしたら血が流れるかもしれない。そうなったらこの問題は、アウトオブコントロールの状態に陥り、ひいては沖縄と本土との亀裂の深刻化はもとより、日米安保の行く末にも重大な影響を及ぼすだろう。

安倍総理の米議会での演説は、日本の保守系メディアでは大はしゃぎで受け止められているが、欧米のメディアはかなりクールに受け止めている。地元アメリカのメディアでは、折からアメリじゅうを騒がせているボルティモアでの事態の報道の影に隠れて、まともに取り上げられていない。たしかに安倍総理の演説は、舌がもつれているようなたどたどしい英語だったし、中身もほとんど新味がなかった。地元アメリカのメディアから相手にされないのも致し方がないというべきだろう(地元の現場でそれを聞かされていた上下両院の議員たちがそれなりの敬意を表したのには、また別の理由がある)。

安倍晋三総理の米議会演説を新聞で読んで思わず吹き出してしまった。まるで、ラブレターを読んで聞かされているような気がしたからだ。いい男が、自らの切ない心のたけを諄々と述べ立てる。それは自立していない女がマッチョな男に向って、愛を告白しているようにも聞こえた。いつまでも君と共に歩みたい、と。これはどう見ても尋常ではない。

安倍晋三総理のアメリカ訪問のタイミングを狙ったかのように、日米防衛指針が18年ぶりに改訂された。安倍政権が決定した集団的自衛権の行使を念頭に、自衛隊が米軍と一体となって、地理的条件の制約なしに、世界中で展開しようとするものだ。これはアメリカが日本に対して積年求めていたことに応えるもので、安倍総理としては、訪米の大きな手土産になることだろう。

インドネシアで開かれているアジア・アフリカ会議(バンドン会議)の60周年記念首脳会議の席上、日本の安倍晋三首相が行なった演説の全文を、ネットで入手したので、参考のため引用しておく(アジア・アフリカ会議での安倍首相スピーチ全文 )。

安部政権の与党自民党が、テレ朝とNHKの幹部を呼びつけて、個別の番組について注文をつけた。いままでの日本の言論の歴史の上でも、ちょっとレベルの違う介入というべきだが、今のところ、メディアも含めて、あまり大きな騒ぎにはなっていない。見ているとどうも、メディアはメディアで、権力にやられっぱなしで、まるきり意気地がないように見えるし、一般世論のほうもあまり大きな関心を寄せていないように見える。

安倍首相が翁長沖縄県知事との初の対話の場を持った。だが、実のあるある対話とは程遠かったようだ。というのも、安倍総理には翁長知事の要求にまともに答えようとする姿勢が伺えず、翁長知事のほうも、沖縄の人々の思いを一方的に述べたという印象が強い。要するに、話が全くかみ合っていないわけだ。

先日「外国特派員の目から見た日本の報道の自由」と題して、最近の日本の歴史修正主義的な動きに対する外国人ジャーナリストの受け取り方について、このブログでも紹介したところだ。この記事は、外国特派員協会の機関誌に掲載されたこともあって、日本にいる外国人ジャーナリストたちに大きな反響を巻き起こしているようだ。

安倍政権になってから、日本の対米従属体質がいっそうあからさまになった、と思っている者は筆者のみではあるまい。その象徴的な事例が沖縄だ。安倍政権は、日本人である沖縄の人々の訴えを無視するような形で、米軍の辺野古移転を強行しようとしている。日本人の幸福と安寧よりもアメリカの都合が優先する、そういう姿勢が極端に現れている。これでは、日本がアメリカの属国であるということを自ら主張しているようなものだ。

歴史の否認

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「日本戦後史論」の続き。白井聡は、「永続敗戦論」の中で、戦後日本が一方では対米従属を続けながら、他方ではアジアの国々、とりわけ中国と韓国に対して居丈高な姿勢を取り続けてきた原因を、敗戦の否認に求めたわけだが、敗戦の否認のような歴史の否認現象は、なにも日本に限ったことではなかった、と内田樹は補足する。大きな意味での歴史の否認ということでは、日本が隷従しているアメリカも、行っている。アメリカは、原住民の虐殺と土地の略奪ということろから歴史が始まる。しかし、それをなんとか正当化しないと国が持たない。そこで、なんだかんだといって歴史を歪曲してきた。それは、日本における敗戦の否認という歴史の歪曲が精々70年のスパンしか持たないのと比べれば、もっと壮大なスケールの歪曲だと言いたいようなのである。

昨日の当ブログで、日本における報道の自由が、「国境なき記者団」によって低く評価されていることに言及した。普通の日本人は、日本を開かれた民主主義国家と思っているだろうから、この評価は意外に聞こえるだろう。何故外国のジャーナリストたちは、そのような目で日本を見るのか。この疑問の一端に答えるような意見を、一人の外国人特派員が述べている。

昨日の当ブログで、日本政府が韓国を名指しして「価値観を共有しない」と表現したことに触れたが、自民党のある幹部の言うところによると、その理由は、産経新聞の支局長の言動に対する韓国側の対応にあるということらしい。この幹部によれば、韓国政府がこの程度のこと(朴大統領に対する名誉棄損ということになっている)で、記者を訴追するのは、報道の自由と言う理念を大きく逸脱するものであり、日本政府としては、そのような国を、日本と価値観を共有する国とは言いたくないということのようだ。

昨日(4月7日)公表された「2015年版外交青書」は、尖閣や竹島をめぐる領土問題で中韓の反発を招いているが、それに劣らず重要な問題を含んだものだった。過去の外交青書は、韓国を「価値観を共有する国」と表現していたのだが、今回はその表現を削除している。これは、今後の日韓関係及び国際社会における日本の地位を考えるうえで、非常に重要な変更というべきである。

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