日本文化考

中辺分別論は、唯識派の祖であるアサンガ(無着)がマイトレーヤ(弥勒菩薩)の教えを書き留めたものに、アサンガの弟ヴァスパンドウ(世親)が注釈を施したものであるとされる。マイトレーヤは実在の人物とは思われないので、実質的にはアサンガとヴァスパンドゥの共作なのだろう。唯識派の根本思想の一つ、三性説を詳しく述べたものだ。

「知恵のともしび」は、ナーガールジュナの著作「中論」へのバーヴァヴィヴェーカ(静弁)による注釈である。バーヴァヴィヴェーカは、中観派のうちの自立論証派に属する人で、帰謬論証派が論争相手を論駁することで自分の正統性を主張するやり方に対して、自分の意見を積極的に主張するという方法をとっている。その方法とは、六世紀ごろの仏教思想家ディグナーガ(陳那)が確立した論理学を駆使して自分の正当性を主張するというものである。

中論は中観派の祖ナーガールジュナ(龍樹)の主著である。般若経の空の思想を詳細に展開している。般若経は大乗仏典の中でもっとも古く成立し、大乗仏教の根本思想を説いたものであるが、その成立にナーガールジュナがかかわっている可能性があると言われる。それは、ナーガールジュナが放浪の末大竜菩薩に出会い、その菩薩から般若経を授与されたという伝説が物語っている。

廻諍論は、ニヤーヤ派の実在論批判に続いて、小乗仏教のアビダルマ思想を批判する。アビダルマもニヤーヤ派同様実在論の立場に立っているので、ニヤーヤ批判と同様の批判がなされてしかるべきなのであるが、仏教である点ではナーガールジュナと同じ基盤に立っている。そこでアビダルマ批判は、ニヤーヤ派批判とは多少異なる趣を呈することとなる。ナーガールジュナは、ニヤーヤ派の実在論を、専ら論理的な見地から批判したのであるが、アビダルマについては、仏陀の教えに反していると批判するわけである。

「廻諍論」は、ナーガールジュナ(龍樹)の著作「論争の超越」の漢訳である。ナーガールジュナは中観派の創始者といわれ、般若経の空の思想を深化・発展させた。「廻諍論」は「中論」と並んでかれの代表作である。七十の詩頌とその解説からなっている。詩頌とは韻文であり、暗記しやすいように出来ているが、簡潔すぎてわかりにくいという短所がある。そこで解説が必要になるが、「廻諍論」ではそれを、ナーガールジュナ自身が行っている。

角川書店刊仏教の思想シリーズ第11は「古仏のまねび<道元>」と題して、道元の生涯と思想をテーマにしている。担当は高崎直道と梅原猛。高崎はインド哲学が専門で、道元の専門家ではないが、だからこそ道元を仏教全体の大きな流れのうちに位置付けられる資格があると梅原は言っている。その道元の思想は「正法眼蔵」に集約されているが、これがまた世界一難解といってよいほどむつかしい書物だと梅原は言う。小生も同感で、今の自分の知力を以てしては、十分に理解することができないでいる。いつか読みこなせる日が来ることを願っているが、生きている間にその日が来ることを期待できるかどうか、甚だ心もとない。

法華経は28品からなっている。一時に成立したものではなく、ある時間の範囲内で順次積み重なっていったと考えられる。紀元50年から150年頃までの間に成立したらしい。もともとは27品であったが、天台智顗の頃に「提婆達多品」が「見宝塔品」第十一の次に加わって28品となった。

天台宗が中国化された仏教だとは前稿で述べたとおりだ。法華経を根本経典とするこの教派は、法華経自体が詩的なイメージで満ちているのに対して、極めて思弁的な傾向が強い。田村芳郎はその天台思想の特徴を、一念三千と円融相即の概念で説明した。これらは、人間の中の仏性を強調するもので、仏と人間とを連続の相のもとに考察した。その結果、仏と人間との対立にもとづく二元論ではなく、仏性を究極的な原理とする一元論に傾いた。この世界はすべて仏性の現われだとするわけで、そこには極めて楽天的な傾向を見て取れる。

角川書店版「仏教の思想」シリーズ第五巻「絶対の真理<天台>」は、天台宗についての特集。仏教学者の田村芳朗と哲学者梅原猛が担当している。天台宗は、華厳宗とならんで中国化された仏教であることは、別稿で述べたとおり。その上、日本の仏教にも大きな影響を及ぼした。その影響は、単に宗教面にかぎらず、広く日本文化全般に及んでいるとかれらは言う。

華厳思想の核心的概念として四種法界と円融無礙というものがある。四種法界の法界の意味は、法界縁起の法界をさすが、それは真理の根拠を意味する。根拠は原因とも言い換えられる。原因の因は因果の因でもある。仏教では、因果は縁起として語られる。だから、法界とは縁起によって成り立つ世界というような意義を持つ。

華厳経十地品は、華厳経の諸経典の中でもっとも古く成立したもので、もともと十地経という独立の経典であったものが、のちに華厳経の中に取り入れられたものである。菩薩が究極の悟りを経て成仏するまでの、修業の階梯について説いている。その階梯が十あることから十地といい、それについて説いた章であるから十地品と名づけられたわけである。

華厳経がいつ成立したかについては定説がないようだが、中観派の祖龍樹が華厳経十地品についての注釈書を書いていることから、その一部は2世紀頃には成立していたと考えられる(最終的な形のものは4世紀頃だろうと思われる)。現存する華厳経の経典は、十地品と入法界品が最も古層に属するものと思われ、この二つを中心にして多くの経典が集まって構成されている。その漢訳は二種類あるが、サンスクリット語の原点は、十地品と入法界品を除いて現存しない。また、漢訳には、東晋時代の仏陀跋陀羅による60巻本(旧訳)と唐時代の実叉難陀による80巻本がある。今日よく読まれているのは60巻本のほうである。

角川書店版「仏教の思想」シリーズ第六巻「無限の世界観<華厳>」は、華厳経及び華厳宗についての特集。仏教学者の鎌田茂雄と哲学者の上山春平が担当している。かれらによれば、華厳宗は天台宗とならんで、中国的な仏教あるいは仏教の中国化を代表する宗派ということになる。仏教の中国化を簡単にいうと、凡夫でも容易に仏になれると主張するところにある。大乗仏教にはそもそもそういう特徴が内在していて、それが菩薩信仰につながったわけだが、中国仏教はそうした特徴を突き詰めたということになる、というのがかれらの指摘である。要するに仏教の現世化あるいは世俗化を推し進めたのが中国仏教だというわけである。

宝積経迦葉品で展開される中道の思想とは、即非の論理を深化・発展させたものである。即非の論理とは、鈴木大拙が金剛般若経の解説において使っている言葉で、大乗仏教独特の論理を指摘したものである。これを単純に定式化すると、「AはAではない、だからAである」というふうになる。「Aは非AであることでAである」とも言い換えられる。これは西洋的な形式論理の立場からは、矛盾率に抵触するものであって、ナンセンスでしかありえない。ところがそのナンセンスが、大乗仏教では真理なのである。

宝積経はさまざまな経典から成り立っている。しかもそれぞれの成立年代にかなりな幅があるようで、統一した経典とはいえない。漢訳大蔵経には「大宝積経」として四十九にのぼる経典が収められているが、その五番目には浄土教の経典「無量寿経」が、また四十八番目には「勝鬘経」が収められている。

第十章以下は、舞台を世尊のいるアームラパーリーの園林に戻し、ヴィマラキールティが世尊と直接対話する様子を中心にして、仏法とは何かについて説く。そのやり取りは、逆説に満ちたもので、形式論理では説明できない。仏教独特のロジックが展開されるのである。そのロジックを鈴木大拙が「即非の論理」と名づけたことは、別稿で指摘したとおりである。

第八章は、漢訳では「入不二法門品」と題され、不二の法門に入るとはどういうことかについてがテーマだ。すなわちヴィマラキールティが菩薩たちに向って、不二の法門に入るとはどういうことか尋ねる。それに対して三十人あまりの菩薩たちがそれぞれの立場で答え、最後に文殊菩薩が議論をまとめるという形をとっている。その文殊菩薩のまとめを踏まえ、ヴィマラキールティが感想を述べる(ジェスチャーで表現する)というものである。

第六章は、漢訳では「観衆生品」と呼ばれ、前半では菩薩が衆生を観る観方について、後半では天女のあり方について説かれる。

十大弟子や三人の菩薩たちらがいずれも尻込みしたあとに、世尊は文殊菩薩(マンジュシリー)に向ってヴィマラキールティを見舞うように命じる。文殊菩薩も初めは躊躇していたが、仏陀の力添えを得て、自分の能力のままに談論してみましょうと言って、見舞いに行くことにする。文殊菩薩は智慧第一の菩薩とあって、世尊のまわりにいた大勢の人々は、きっとすばらしい法音を聞くことができるだろうと期待して、文殊菩薩のあとに従っていった。

釈迦は十大弟子に続いて菩薩たちにヴィマラキールティを見舞うように命じるが、かれらも十大弟子同様尻込みする。やはり顔向けできないというのだ。

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