2022年10月アーカイブ

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小林政広の2010年の映画「春との旅」は、老人とその孫娘との触れ合いをロード・ムーヴィー仕立てで描いた作品。日本映画でロード・ムーヴィーの傑作といえば、山田洋次の「家族」とか「幸福の黄色いハンカチ」が想起されるが、この「春との旅」も、日本映画史に残るような傑作ではないか。

「中論」第二十四章は「四つのすぐれた真理の考察」である。四つのすぐれた真理とは、四諦とか四聖諦とかいわれるもので、釈迦の初転法輪のなかで説かれた仏教の根本真理である。したがって、大乗のみならず、いわゆる小乗もこれを根本真理としている。だが、その解釈が微妙に違う。その違いを明らかにして、空の立場から四諦をとらえることの重要性を説いたのがこの章の内容である。

アメリカが世界で唯一の大国になったことで、アメリカ外交はまずまず独善的になった気がするが、それにはさまざまな事情が働いている。その中でもっとも深刻なのは、アメリカの高級公務員がメリット・システムに従って、政治的な動機から任用されていることだ。その結果、内政はともかくとして、外交を担う高級公務員が素人によって担われ、知識と経験の裏付けをかいた、その場限りの決定がなされるため、世界中を危険にさらすような決定がなされがちになる。そうした危険性を指摘した論文が、ネット・オピニオン誌POLITICOに掲載されている。How Foreign Policy Amateurs Endanger the World Political appointees have too little experience and too many delusions.By DEREK LEEBAERT

サルトルの著作「実存主義とは何か」(1945)は、一応サルトルの倫理思想をはじめて披露したものということになっている。同時に第二次大戦直後に俄かに流行現象となった実存主義について、その思想的な意義を弁明したものである。というのも、サルトルの認識によれば、サルトルらの実存主義は大きな誤解を受けている。左翼のマルクス主義者も、右翼のカトリック勢力も実存主義を激しく攻撃しているが、それは彼らが我々を誤解しているからなのだと言って、サルトルは実存主義の弁明にあいつとめているといった具合なのである。

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「愛の調べ(La gamme d'amour)」と題するこの作品は、田園を背景に人物の優雅な仕草を描くというヴァトー得意のモチーフである。木の根株に座った男がギターを弾き、その隣に女が腰を下ろして男の顔を見つめている。女は楽譜らしいものを持っているが、それは小道具としての扱いに過ぎない(あるいは男がその譜面に見入っているという解釈もある)。

瀬戸内晴美が短編小説「蘭を焼く」を書いたのは四十七歳の時で、「墓の見える道」を書いた二か月後だった。「墓の見える道」は、基本的には、女の生理を、というか性的衝動をテーマにした作品だ。この「蘭を焼く」は、表向きは焦げた蘭の花の匂いをテーマにしているが、その匂いは女の匂いを連想させることになっているので、やはり女の生理がテーマといってよい。その匂いとは、脇の下や内股から漂ってくるとされている。どんな匂いなのか。小説では、自分の匂いが葱の匂いと似ていることを気にしている女が出てくるので、ここでいう女の匂いとは、葱によく似た匂いなのであろう。たしかに女の汗は葱の匂いがする。

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小林政広の「愛の予感」は、実に変わった映画である。冒頭と最後の場面で多少説明めいたセリフ回しがあるほかは、本編ではまったくセリフがないのである。だから無言劇といってもよい。無言劇というのは、音のあふれる世界であえて沈黙をつらぬくということで、見る方としては戸惑ってしまう。人はたまに無言になることはあるが、つねに無言であることには慣れていない。ところがこの映画は、その無言を貫いているのである。

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「驚き」の画面の中にいたメズタン(メッツェティーノ)を単独でフィーチャーしたのがこの作品。メズタンは、一人で公園のベンチに腰掛け、ギターを弾いている。だが、よく見ると、彼の視線は上方のバルコニーらしき方向へ注がれている。もしかしたら、メズタンはバルコニーにいる恋人に愛の歌を贈っているのかもしれない。

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小林政広の2005年の映画「バッシング」は、2003年から2004年にかけて起きたイラクでの日本人人質事件にヒントを受けた作品。この事件では、複数の日本人が人質になり、無事解放された日本人と殺害された日本人で運命がわかれたが、解放された日本に戻ってきた人は、厳しいバッシングにあった。この映画はそのバッシングをテーマにしたものだ。

安倍晋三政権の登場以来、右翼が俄かに勢いづき、政治的・社会的影響力を高めた。その有力な担い手として前稿では「日本会議」をあげたが、もう一つ無視できないものがある。ネット右翼通称ネトウヨと呼ばれる連中だ。安倍政権の登場は、ちょうどインターネットの爆発的な普及時期と重なっており、ネットを根城にした右翼の動きが活発化してきたのである。かれらは、ネット空間で極右的な主張を繰り返す一方、互いに語らって路上に進出し、過激な行動をとるようになった。在特会と称される団体はもっとも過激な行動で知られている。

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ヴァトーは、コンメーディア・デッラルテと深いつながりがあったようで、座付き役者たちの演技をモチーフとした作品をいくつも制作している。「驚きLa  Surprise」と題されたこの作品もその一例である。

生産力があまり高くなかった初期の資本主義システムにおいては、労働力の対価たる賃金は最低水準に決まる傾向が強かった。その最低水準とは、労働者の生存を最低限保証できるものだった。その労働力の単位が、労働者個人に絞られるならば、その労働者は家族を養うことができず、したがって社会全体として労働力を再生産できなくなるから、賃金はおのずから資本主義システムが存続できるための水準に設定される。通常それは、小さな家族を養うために必要な水準に落ちつくだろう。その水準は、家族の生存に必要なぎりぎりの線であるから、それでは余暇とか教養とかは満足できない。労働者は最低の生活水準をかろうじて保てるにすぎない。

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小林政広の駆け出し時代の映画「歩く、人」は、老人とその二人の息子たちの父子関係を描いた作品。それに、老人のある若い女への恋心をからませてある。要するに、近年における日本の老人の境遇の一典型をテーマにしているわけである。

中論第二十三章は「転倒した見解の考察」である。ここで転倒した見解というのは、誤った見解をさす。その誤った見解のために、貪欲とか嫌悪とか愚かな迷いというものが生じる。したがって、そうした誤った見解が消滅すれば、貪欲以下の煩悩の原因もなくなる。煩悩こそは人間の苦悩の原因であり、その苦悩があやゆる存在を流転のうちに放り投げるのであるから、さとりを得て涅槃に至るためには、苦悩から脱却しなければならない。そう説くのが、この章の目的である。

穴に関するサルトルの議論は、フロイトの肛門性愛論に対抗したものだ。フロイトは、幼児の肛門愛こそが、人間にとって最初の性的リビドーの発露であり、それは、意識の発達していない幼児にとっては、無意識の衝動であるとした。それに対してサルトルは、二重の観点から反撃を加える。一つは幼時には性欲などありえないということ、もう一つは、無意識の衝動などナンセンスだということだ。衝動といえども、サルトルにとっては、意識の自由な選択なのである。

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ヴァトーは、喜劇役者をモチーフにした作品をいくつも制作している。フランスの喜劇一座やイタリアの有名な喜劇一座「コンメーディア・デッラルテ」もモチーフに取り上げている。「ピエロ」あるは「ジル」とよばれるこの作品は、喜劇役者をモチーフにしたものとしては、最も早い時期のものである。

瀬戸内晴美は、45歳の時に書いた「黄金の鋲」を最後に露骨な私小説を書かなくなった。だが、私小説的な感性を思わせるものはしばらく書いていた。47歳の時に書いた「墓の見える道」は、一応私小説とは異なった創作ということになっているが、語り口には私小説的な雰囲気が濃厚だし、また、テーマになった事柄も、瀬戸内自身の体験が幾分かは盛られているようである。そうした意味では、これは、私小説と純粋な創作との中間的な作品といえるのではないか。

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2001年のカナダ映画「氷海の伝説(Atanarjuat The fast runner)」は、イヌイットの伝説をもとにした作品である。自身がイヌイットというザカリアス・クヌクが監督し、イヌイットたちを俳優として起用している。

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「無関心(L'Indifférent)」と題されるこの作品は、「ラ・フィネット」とともに一対をなすものとして見られることが多い。どちらも非常に小さな画面に人物の姿を描いており、ほぼ同時期に描かれ、また同じころにルーヴルに収蔵されたからだろう。

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1976年のアメリカ映画「大統領の陰謀(All the President's Men)」は、ウオーターゲート事件をテーマにした作品。これは民主党の内部情報を、ニクソン大統領のスタッフが違法に盗聴した事件だ。1972年の6月に事件が発覚し、1974年の8月にニクソンが辞任するまで、アメリカを揺るがした。この不名誉な事件は「大統領の犯罪」として記憶されることになった。大統領のニクソンとしては、非常に不名誉な結果になったわけだ。ニクソン自身は決して無能な大統領ではなく、ベトナム戦争の中止、金兌換制度の廃止、中国との関係正常化など、歴史に残るような業績をあげているのだが、この事件のイメージがあまりにも悪いので、悪人にされてしまった。

安倍晋三政権による日本政治の右傾化の背後に「日本会議」といわれる団体があることは、近年広く知られるところとなった。日本会議は、さまざまな運動を通じて外側から安倍政権を支えるばかりでなく、政権の中枢にも食い込んで、安倍晋三の極右的な政策を主導していると考えられている。そんな日本会議も、いきなり表舞台に登場してきたわけではない。地味な活動を長く続けてきた結果、極右団体として政治のかじ取りに深くかかわるようになったのである。

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「ラ・フィネット(La Finette)」と題するこの絵は、フィネット布のドレスをまとった若い女性の肖像。フィネットは、絹を素材にした繊細な布地のこと。その布地で編んだドレスを着た若い女のモデルはわからない。「眺め」の画面でポーズをとった人々と関係があるのかもしれない。

ガルブレイスは、高度に産業化した社会では完全競争の前提がなりたたず、完全競争を前提とした伝統的な経済学の考えは通用しないとした。その背景には、大企業の発展がある。大企業は、小さな企業や自営業者のように、市場に対して受動的にふるまうのではなく、市場に一定の影響を及ぼすことができる。市場の不安定な動きに対しては、それを緩和するような手段を大企業はもっている。激しいインフレなど市場の強い圧力にさらされると、小さな企業や自営業者は壊滅的な打撃をうけることがあるが、大企業にはそれをやりすごすための様々な資源がある。市場に対して受け身に対応するばかりでなく、自分から積極的に市場を支配することもできる。このような状態では、伝統的な完全競争モデルが通用しないことはあきらかである。ところが、経済学者たちはあいかわらず、伝統的な考え方にしがみついている。そうガルブレイスはいって、経済学は抜本的に変わらねばならぬと主張するのである。

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オリヴァー・ストーンの1995年の映画「ニクソン(Nixon)」は、米元大統領リチャード・ニクソンの政治家としての半生を描いた作品。ニクソンは1994年に81歳で死んだので、おそらくその死に触発された作ったのだろうと思う。

原因と結果との考察についての中論の議論は、一見して論理的なものである。論理的に考えると、原因と結果の関係は、すでに原因が結果を含んでいる場合にのみ成り立つということになる。これは普遍的なことなので、いかなる場合にも成り立つ。それは、ある特定の原因が与えられればそれに対応する結果もすでに与えられているというふうに表現される。因果関係はしたがって、カントの言葉を用いれば、アプリオリなものである。アプリオリというのは、論理必然的に成り立つと言う意味である。

サルトルの遊戯論は、所有論の一バリエーションである。サルトルによれば、人間は、かれが所有するところのものと一致する。所有するものが大きければ大きいほど、かれの人間性は大きくなる。逆に、所有するものが少ないほど、かれの人間性は小さくなり、所有するものがない人間は、存在しないも同様の、要するになにものでもない存在という、形容矛盾的な状況を甘受せねばならない。ところで、遊戯の精神とは、心のゆとりから生れてくるものであり、その心のゆとりとは、人間性のゆとりから生れるものであることを考えると、人間は所有するものが多いほど、遊戯の精神に富むということになる。

コロナはまだ収束したとはいえない状態だが、政府が経済活性化のために大胆なウィズコロナ対策を出したこともあり、世上はコロナをわすれたかのような能天気ぶりだ。そんな能天気に便乗するわけでもないが、四方山話の会を久しぶりにやろうということになった。ただ大人数でやるのは、さすがにはばかられるので、とりあえず、幹事の連中でやることにした。会場はいつもの新橋古今亭、集まったメンバーは、石、浦、梶の諸子と小生を合わせた四人。そのほか岩子にも声をかけたが、都合がつかないとのことだった。

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「気恥ずかしい申し出(La Proposition embarrassante)」と題するこの作品は、ヴァトーの雅宴図の初期の傑作。雅宴図の定石通り、野外で宴会服を着た人々が、思い思いにピクニック気分に耽っている場面を描いている。

瀬戸内晴美の私小説「黄金の鋲」は、「妬心」及び「地獄ばやし」で書いたのと全く同じ事柄を書いたものである。つまり、自分の人生を振り回し続けた年下の男との痴情がテーマである。痴情という言葉を使ったが、それ以外の言葉では言い表せないほど、これらの小説の中の女(瀬戸内自身)は、どす黒い感情に惑溺している。それはともかく瀬戸内はなぜ、その体験にかくもこだわったのか。それへの答えを瀬戸内自身この小説の中でほのめかしている。

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勅使河原宏の1964年の映画「砂の女」は、安部公房の同名の小説を映画化した作品。安部公房の不条理文学の傑作といわれる原作の雰囲気をよく表現し得ている。安部公房自身が脚本を書いたというから、自作の雰囲気を大事にしたかったのだろう。

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アントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau 1684-1721)は、フランスのロココ美術を代表する画家である。ロココ美術は、18世紀のフランスの宮廷から発生したと言われ、非常に典雅な画風が特徴である。ヴァトーはそうしたフランス風のロココ美術の特徴をもっともよく体現した画家である。1710年代の後半に現れ、わずか37歳の若さで死んでしまったが、かれの画風は以後のフランス絵画に大きな影響を与えた。ヴァトーの登場によって、それまで地方的な位置づけしかもたなかったフランス美術が、ヨーロッパ美術を牽引するようになる。

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吉村公三郎の1963年の映画「越前竹人形」は、水上勉の同名の小説を映画化した作品。愚かな男女の、愚かなりに一途な愛をテーマにした、切なさを感じさせる映画だ。越前の草深いへき地で竹細工を営んでいる男が、芦原(あわら)の芸者に恋心をいだく。その芸者は死んだ父親が生前かわいがっていた女だった。その女を竹細工師は家に迎えるが、妻としてではなく、母親代わりとしてだった。そんな夫に失望した女は、他の男に身をまかせる。その挙句に妊娠してしまい、それに罪悪感を覚えた女は、堕胎に失敗して自らも死んでしまう、というような内容だ。

戦後右翼の主流が反共親米であったことは前述したとおりだが、その姿勢に反発して、新たな右翼の姿を求める動きが1960年代半ば以降に出てきた。今日新右翼と呼ばれる勢力の登場である。新右翼の源流としては、1966年に早大を拠点にして結成された日本学生同名(日学同)、および1969年に、やはり早大を中心にして結成された全国学生自治会連絡協議会(全国学協)である。どちらも学生運動から生まれたという共通点がある。

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ホッパーは、人生最後の作品のモチーフに、自分と妻ジョーを選び、それに「二人のコメディアン(Two Commedians)」と題した。この時ホッパーは83歳になっており、ジョーも80歳を超えていた。しかも二人とも病気だった。そのためホッパーはこの絵を描いた二年後に死に、ジョーはその翌年に死んだ。だからこの絵は、彼らにとって人生最後の総決算のようなものだった。

ガルブレイスのいう「ゆたかな社会」論の特徴は、生産が十分に拡大した結果、人々の欲望を十分満足させる規模に達し、、そのため追加的な財の限界効用が低下すると見ることだ。限界効用を引き続き増大させためには、人々の欲望を刺激して、新たな需要を作りだせねばならない。伝統的な経済学ではいわゆる「セーの法則」が働き、生産はそれに見合う需要を作り出すとされていたが、それが通用しなくなった。生産を拡大させるためには、新たな需要を創出せねばならない。このような、需要が欲望の創出に依存するという事態をガルブレイスは「依存効果」と名付けた。

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増村保造の1967年の映画「華岡青洲の妻」は、有吉佐和子の同名の小説を映画化した作品。この小説は大変な評判を呼んだので、出版の翌年に早くも映画化された。日本人おなじみの嫁・姑関係をウェットに描いていることが世間に受け、以後テレビや舞台に繰り返し取り上げられた。

アートマンとは我とか自我と訳されるように、主として心の担い手としての主体をさす。中観派の思想は、その我について、「我(アートマン)なるものはなく、無我なるものもない」と説く。これを形式論理学の言葉でいえば、Aなるものはなく、非Aなるものもない、ということになる。一見して論理の破綻のように見えるが、中観派とは、形式論理の否定の上になりたつのである。形式論理を中観派は分別の作用だとする。しかし分別の作用から得られるのは戯論であるというのが中観派の思想である。

サルトルの所有論は、単に経済的な概念ではなく、形而上学的な概念である。それはまた単独の概念ではなく、創作論、存在論とともに三位一体をなしている。所有は、創作によって根拠を与えられ、存在の根拠となっている。この三位一体の中核には、無論存在があるのだが、それは所有によって基礎づけられるかぎり、所有こそが真の中核である。それはキリスト教の三位一体の教義において、神なる父が名目上の中核ではあるが、その子であるキリストが実質的な中核であるのと同じである。

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ホッパーはオフィスをモチーフにして繰り返し描いた。そのほとんどはオフィスの内部を、その内部の視点から描いたものだった。ところがこの「ニューヨークのオフィス(New York Office)」と題した作品は、外部から窓越しにオフィスの内部を描いたものだ。非常にユニークな視点なので、見ているものに強い衝撃を与える。

瀬戸内晴美の長目の短編小説「地獄ばやし」は「妬心」とほとんど同じテーマを描いている。「妬心」は、瀬戸内にとって長い間の因縁にからまれた年下の男との破局を描いていたのだったが、そこで描かれたのとほとんど同じようなことが、ここでも繰り返し描かれている。分量が倍近く(原稿用紙にして75枚から125枚)になったぶんだけ、描写は詳細になったが、書かれていることは、ほとんど異ならない。瀬戸内はなぜ、このテーマにそんなに拘ったのか。

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増村保造の1966年の映画「赤い天使」は、増村にはめずらしく戦争をテーマにした作品だ。だが単なる戦争映画ではない、主人公を若尾文子演じる看護婦に設定することで、女の視点から見た戦争を描くとともに、その女をめぐる男女の愛を絡ませることで、とかく不毛になりがちが戦争映画に、一定の色気を醸し出している。

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「日を浴びる人々(People in the sun)」と題したこの絵は、構図の特異さが人の度肝を抜く。道路上に椅子を並べて座った人々が画面の左半分を占め、残りの右半分には低い山々からなる自然が描かれている。人間と自然が対面しているわけであるが、しかし人々は自然を見ているわけではない。人々は何も見てはいないようなのだ。かれらはひたすら日を浴びて、体を温めがっているように見える。

昨日(10月4日)の朝、ラヂオでスペイン語講座を聞いている最中、いきなり臨時ニュースのようなものに切り替わって、講座が中断された。何事かと思えば、北朝鮮が日本に向かってミサイルを発射したので、Jアラートなるものを発出したのだという。Jアラートというのは、北朝鮮のミサイル発射を対象にしたもので、5年前に始めて発出された経緯がある。その際は、北朝鮮の発射した短距離ミサイルが北海道の上空を通過し、襟裳岬の沿海に落下したというので、その軌道上にある北海道がアラートの対象となった。ところが今回は、アラートの対象は北海度から青森県にかけての地域と、伊豆諸島及び小笠原だという。北海道と伊豆諸島とは方角が違うので、その両者に発出されたということは、ミサイルが二発発射されたのかといぶかったものだ。

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増村保造の1965年の映画「清作の妻」は、一人の不幸な女の激しい愛を描いた作品。その不幸な女を若尾文子が演じている。若尾文子が不幸な女の役にはまっていることは、前稿「妻は告白する」評でも延べたとおりだが、この映画の中ではさらに一皮むけて、鬼気迫る演技ぶりを見せている。こんなに不幸な雰囲気をストレートに表現できる女優は、そうざらにいるものではない。

戦後右翼が順調に復活できたのは、逆コースといわれる政治の流れの変化があったためだ。それはアメリカの反共政策に伴なうものであった。アメリカは、日本の行き過ぎた民主化が、共産勢力の伸張をもたらすことを恐れ、右翼の復権を図る一方、共産党や労働組合など反米的な分子をレッド・パージと称して弾圧した。

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「西部のモーテル(Western Motel)」と題したこの絵は、ホッパー馴染みのモチーフであるアメリカの自然と室内の人物とを組み合わせたもの。アメリカの自然は、モーテルの窓越しに見えるのだが、そらはあたかも西部劇のセットのように見えている。だからタイトルのWesternは、ウェスタンではなく西部劇の西部と読むべきなのだろう。

ガルブレイスの「ゆたかな社会」の邦訳が岩波から出版されたのは1978年のことだ。すぐさまベスト・セラーになった。その背景には当時の日本社会がもっていた勢いのようなものがあった。当時の日本経済はまだまだ上り坂であったうえに、ようやく人々が「ゆたかさ」を実感しつつあった。だから、豊かな社会をテーマにしたガルブレイスのこの著作は、すとんと腑に落ちるものがあったといえる。

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増村保造は若尾文子と相性がよかったとみえ、監督デビュー第二作目の「青空娘」(若尾24歳)で主役に起用してから、実に20作品も付き合っている。その中で1961年の「妻は告白する」は、増村にとっても若尾にとっても転機になった作品だ。若尾はこの同じ年に、川島雄三の「女は二度生まれる」にも出演しており、両作品あいまって本格女優の風格を身に着けるようになった。増村は増村で、単なる娯楽映画ではなく、技巧派の巧者という評判を享受するようになった。

中論第十七章は、「業と果報との考察」と題して、業とその果報について論じている。業と果報との関係は、原因としての行為とその結果としての報酬との関係のことであり、通常因果関係とか因縁とか呼ばれている。この章は、前半部で説一切有部の「法有」説(実念論)を批判しつつ、後半部で業と果報とはいずれも実在しないという空の思想を展開している。

アントニオ猪木といえば、かつてジャイアント馬場とともに日本のプロレスを大いに盛り上げた人だ。その彼が昨日、壮絶な闘病生活の末に死んだというので、大勢の人々がその死を悼んでいる。小生もその一人だ。小生の場合もそうだが、彼の死を悼む人は、単にかれのプロレスが好きだからというより、その人柄にひかれたのではないか。かれは非常に折り目正しい人で、誰に対しても礼儀正しくふるまったという。そうした謙虚な人間性が大勢の人々をひきつけ、その死を悼ませたのではないか。

サルトルの「存在と無」は、徹底的に意識に定位した議論であるから、無意識は考慮に入れていない。というより、サルトルは無意識の存在自体を認めていなかった。サルトルが「存在と無」を書いた頃には、フロイトの無意識についての主張が広く知られており、また、哲学者のなかにもベルグソンのように無意識の重要性を指摘する者が出てきていた。これは西洋の精神的な学問の流れにおいては画期的なことであり、いまや無意識を無視して人間の精神的な営みについて論じることは時代遅れのそしりを免れなかった。にもかかわらずサルトルは、徹底的に無意識を無視し、人間の精神活動をあくまで意識の領域に限定した。サルトルは自分のそうした立場を次のように表明するのだ。「実存的精神分析は、無意識的なものというこの要請をしりぞける。心的事実は、実存的精神分析にとっては、意識と広がりを同じくするものである」(松浪信三郎訳)

短編小説「妬心」は、平野謙がいう瀬戸内の私小説の第三部ループの嚆矢となる作品である。この第三グループというのは、瀬戸内の最初の結婚を破綻させる原因となり、その後瀬戸内が八年間変則的な同棲生活をともにした男との関係をも破綻させた年下の男との、離別をテーマにした作品群である。この年下の男に瀬戸内は深い愛着を持っており、その男の愛を失うことは耐えがたかったようだ。この小説は、その耐えがたい彼女の心を正直に告白したものだ。なにしろ瀬戸内本人が、これは自分の実人生を描いた私小説だと認めているので、この小説を読むことで読者は、単に文学的な興味を駆られるだけではなく、瀬戸内という女性のありのままの姿を垣間見たような気になるだろう。

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