2022年12月アーカイブ

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「若い婦人の肖像(Portrait de jeune femme)」と呼ばれるこの絵は、ドガの最も有名な作品の一つであり、かつ、近代美術史上婦人肖像画の最高傑作の一つとされる。ドガは若いころには、自画像を含めて数多くの肖像画を手がけた。生活に困っているわけではなかったので、金のために肖像画を描くということはせず、主として家族を喜ばせるために描いた。父親の威厳のある姿を描いたり、弟ルネの妻エステルの肖像をかわいらしく描いたものだった。

プーシキンは非常に早熟で、少年時代から詩を書き始めた。現在残されている彼の詩のもっとも古いものは1814年、15歳の年のものである。かれは1836年の1月に決闘で死ぬのだが、その直前まで詩を作りつづけた。かれはいまや、ロシア最初の偉大な叙情詩人と呼ばれている。

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アンドレイ・ズビャギンツェフの2014年の映画「裁かれるは善人のみ(Левиафан)」は、カフカの不条理小説を思わせるような作品だ。悪徳市長から家財産を略奪されそうになった男が、モスクワから古い友人の弁護士を呼び寄せて戦おうとする。弁護士はいろいろな手を使って市長を倒そうとするが、返り討ちになって尻尾を巻いて逃げ去り、男も妻を殺害した容疑で裁かれる。妻は海で死んだのだが、どのようにして死んだのかわからない。だから男は冤罪を着せられたともいえる。その男はまた、信頼していた弁護士に妻を寝取られた。そんなわけで、男にとっては往復びんたをくらったようなものだ。男は善人なのだが、その善は市長が体現する悪の前では何ものでもない。正義は権力にあり、裁かれるのはいつも善人なのだ。

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「サン・クルー公園の祭り(La Fête à Saint-Cloud)」と題されたこの絵は、フラゴナールの風景画の傑作。単なる風景画ではなく、お祭りの様子を加えた風俗画としての要素も併せ持っている。

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チェコ・ウクライナ合同制作による2019年の映画「異端の鳥」は、ナチス時代のユダヤ人への迫害をテーマにした作品。一人のユダヤ人少年が、ナチス支配下の東欧において、途端の苦しみをなめながら放浪するさまを描く。せりふがほとんど発せられないので、観客は強いストレスを感じる。かれが迫害される理由がユダヤ人であることも、映画がかなり進んだ時点で理解されるのである。そのたまに発せられるせりふというのが、インタースラヴィックという、スラヴ諸国語を合成した人工言語だというから、よけいにわけのわからぬところがある。実験的な色彩の強い映画といってよい。

加藤周一は石川淳にならって鴎外晩年の史伝三部作を鴎外最高の傑作たるのみならず、おそらく明治・大正の文学の最高の傑作ととらえている。加藤はなぜそう考えるのか、その理由を示したのが、「鴎外と『史伝』の意味」と題した比較的短い文章である。加藤はこの文章によって、鴎外の史伝三部作がなぜ傑作であるのか、その理由を形式と内容の両面から分析的に明らかにしようと思った、といっている。

雑誌「世界」最新号(2023年1月号)のアメリカ特集のからみで、秋元由紀・押野素子の対談「ベストセラーが照らすアメリカ黒人の生」が掲載されていて、大変興味深く読んだ。二人とも女性のアメリカ研究者だそうで、アメリカに暮らした経験があり、アメリカにおける人種差別の根深さを肌で知っているようである。アメリカの人種差別といえば、白人による黒人の差別が基本で、それに加え、アジア人やヒスパニックが白人の差別の対象になる。白人の黒人差別は、奴隷制の歴史に根ざしたもので、そう簡単にはなくならないし、場合によっては露骨な形をとることもある。それに比べれば日本人を含めたアジア人は、黒人ほど露骨な差別はうけないが、しかし、強烈な差別意識を感じさせることはあると、二人は言う。とくに、アジア人が優秀で白人と同等の能力を発揮するような場合に、差別が表面化する。黄色いくせして、身の程をわきまえない奴だというわけである。

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「追憶(Souvenir)」と題されたこの作品は、女性のさりげない動作をスナップショット的に捕らえたもの。モデルは、フラゴナールの妻の妹マルグリット・ジェラールと推測されている。この女性をフラゴナールは自分の秘書として使っており、淡い恋愛感情を抱いていたと言われている。この作品には、そうしたフラゴナールの感情が投影されているようである。

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2001年のチェコ映画「ダーク・ブルー」は、ヤン・スヴェラークがイギリスを舞台にチェコ人の生き方を描いた作品。チェコ軍のパイロットだった男達が、ナチスドイツに占領されたチェコを脱出し、イギリス空軍の志願兵となって、ドイツ空軍と戦うさまを描いている。

ちくま文庫から出ている「禅」は、鈴木大拙が英文で書いた文章を工藤澄子が日本語に翻訳したものだ。序文にあたる第一章の短い文章が1963年に書かれたほか、本体をなす第二章以下の文章は1954年から1956年にかけて書かれた。それらの文章を一冊にまとめる際の選択については、大拙自身の意向も働いていたようである。

「行動の構造」は「知覚の現象学」ともどもメルロ=ポンティの学位論文を構成するものだ。かれが「行動の構造」を刊行したのは1942年のことだが、執筆脱稿したのは1938年のことで、「知覚の現象学」(1945年)より七年も前のことだ。そんなこともあって、これら二つの論文は、一対で学位論文を構成してはいるが、内容はかなり異なったニュアンスを感じさせる。「知覚の現象学と」比較して、「行動の構造」は実証科学の成果を大胆に取り入れている。一読して、科学論文を読まされているような印象を受ける。とりわけ神経生理学とか、心理学の最新成果を引用しているので、あたかもそれらの学説と運命を共有しているかの観を抱かされる。そこでメルロ=ポンティのこの著作は、かれの依拠した科学の成果が色あせれば、それと運命をともにするだろうという批判もあらわれたほどだ。

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「読書する娘(La Liseuse)」として知られるこの作品は、「霊感」と並んでフラゴナールの肖像画の代表作品。「霊感」の制作動機はわかっているが、こちらは不明。おそらくフラゴナール自身の気晴らしのために描かれたのであろう。モデルはわかっていない。肖像画というより、単に人物画といってよい。

「大尉の娘」は、プーシキンにとって最初で最後の本格的な小説である。この小説をプーシキンは37歳の年の秋に書き上げたのだったが、その三か月後に決闘を挑まれて殺されたのであった。決闘の原因は、プーシキンがある男の養父を侮辱したことだったが、その背後には、プーシキンの妻をめぐるその男との三角関係があったといわれる。プーシキンは、妻を寝取られまいとして、体をはって戦ったということだろう。

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神代辰巳の1983年の映画「もどり川」は、大正ロマンポルノというふれこみだった。大正時代に舞台設定して、自分本位な男が女たらしを繰り返すというよな内容だ。神代らしく、濡れ場だけではなく、ストーリーでも観客を楽しませようと思ったようだが、観客としては、この映画のストーリーに興味をもてることはないのではないか。ストーリーはごく退屈である。その退屈さを絶え間なく続く濡れ場のシーンがおぎなっているというのは、ポルノ映画であるから当たり前のことだ。この映画から、濡れ場の迫力を取り除いたら、気の抜けたビールのように味気ないものになってしまうだろう。

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「霊感(L'Inspiration)」と題されるこの作品は、フラゴナールの肖像画の傑作。フラゴナールは、幾人かいたパトロン達のために肖像画を描いたという。これは、かれのパトロンにして親しき友人アベ・ド・サン・ノンの肖像画と言われる。サン・ノンをモデルにしたものには、ほかに「想像上の人物」があり、またサン・ノンの兄をモデルにした「音楽」がある。音楽の制作年次は1769年であり、この「霊感」もその頃に描かれたものと考えられる。

岸田政権は日本学術会議のコントロールにやっきになっているように見える。政府が学術会議を直接コントロールしたいという意向を露骨に示したのは菅政権の時のことで、その際には、政権の意に沿わない人の会員任命を拒絶するという大人げない方法をとったものだったが、岸田政権はもっとソフィスティケートされた方法を考えているようである。いま最も有力な案は、学術会議が直接会員の任命権を行使するのではなく、第三者機関を設けて、その意向を会員人事に反映させるというものだ。要するに学術会議の自主的な会員任命権に制約を加え、政府の意向を反映させるような制度を導入しようということだ。人事を通じて政府の意向を貫徹するというやり方は、安倍政権が得意としたものだが、それを岸田政権も受け継いだということか。

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高橋伴明の1982年の映画「TATTOO<刺青>あり」は、1979年に起きた銀行強盗事件に取材した作品。それ以前の高橋はポルノ映画を作っていたのだが、普通の映画を作るにあたって、最初に選んだテーマが、銀行強盗に失敗して死んだあるならず者の青春だったわけである。そのならず者は、本物のやくざにはならなかったが、胸に彫った刺青を見せびらかして他人を脅迫し、それで世の中を渡るというケチな人間だった。そんな人間になぜ高橋が興味を覚えたか。それはわからない。

丸山真男が福沢諭吉の「文面論の概略」を注釈した本を岩波新書から出したのは1986年のことだ。それまでは比較的単純なイメージで見られていた福沢諭吉を、多面的に解明したものだった。それより以前、1978年の時点で、加藤周一が、福沢が日本の近代史にもった意義について、骨太な解説を加えている。「福沢諭吉と『文明論の概略』」と題した比較的短い文章だ。タイトルにあるように、「文明論の概略」を材料に使いながら福沢の思想の意義を述べている。その着眼点は、丸山に通じるものがあるので、加藤がこの小論を意識していたことは十分考えられる。じっさいこの二人は、対談本を出したりして、結構付き合いがあったようなのだ。

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「ぶらんこ(Les Hasards heureux de l'escarpolette)」と題されたこの作品は、フラゴナールの代表作であり、かれの最高傑作との呼び声も高い。これは、サン・ジュリアン男爵の依頼を受けて制作したものだが、たちまち評判を呼び、版画に印刷されて出まわったほどだ。

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神山征二郎の1983年の映画「ふるさと」は、認知症になった老人の人生最後の日々を描いた作品。それにダム建設にともなう「ふるさと」の消失をからませてある。老人にとっては文字どおり人生最後の日々であるが、かれの家族や村落の人々にとっても、ふるさとですごす人生最後の日々というわけである。

「仏教の大意」は、昭和二十一年すなわち敗戦の翌年の四月に、鈴木大拙が昭和天皇に進講した話に多少の手直しを加えて文章にまとめたものである。テーマは、タイトルにある通り、仏教の大意あるいは仏教概論といったものである。敗戦の直後に、大拙がなぜ昭和天皇にこのような講義を行ったか。天皇の意を受けた宮中サイドから、大拙に依頼があったと考えるべきだろう。敗戦の混乱の中で、昭和天皇としては、自身の戦争責任を含めて、さまざまに思い悩んでいたことであろう。そんな昭和天皇の胸中を察したのであろう。大拙は、仏教というものがいかに、人間の心をなぐさめてくれるものか、それを昭和天皇に悟ってもらえるように、丁寧に語っている、そんな雰囲気がこの著作からは伝わってくる。

鷲田清一は、日本におけるメルロ=ポンティ研究の第一人者である。講談社学術文庫から出ている「メルロ=ポンティ」は、文字通りかれのメッロ=ポンティ研究の包括的な業績といえる。メルロ=ポンティの生涯にわたる思想の流れを、変わらぬところと変わったところを明らかにしながら、丁寧にたどったものである。かれのメルロ=ポンティに対する私的な感慨が漏れてくるところもあるが、全体として、メルロ=ポンティの思想をありのままに提示しようとする姿勢が感じられる。

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「水浴する女たち(Les Baigneuses)」と題されたこの作品は、年期の記載がないが、イタリア留学から戻って間もないころの作品と思われる。絵の雰囲気が、イタリア留学後の作品「 コレシュスとカリロエ」によく似ている。

プーシキンの短編小説「スペードの女王」は、かれの散文作品の頂点といわれている。テーマは賭博である。それに老婦人の怨念がからめてある。この老婦人は、ドイツ人の工兵士官から、カルタに勝つ方法を教えるように強要され、恐怖のあまり死んでしまうのであるが、その恨みを死後幽霊となって巧妙な形で晴らす。だから、一種の怪談話といってよい。プーシキンには、「葬儀屋」とか「吹雪」といった、怪奇的な趣味を感じさせる傾向があるが、その怪奇趣味が、この小説では怪談話の形であらわれたわけである。

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2012年公開の映画「のぼうの城」は、秀吉の小田原攻めの一エピソードを描いた作品。秀吉は備中高松城の水攻めで名声を博したが、家臣の石田三成がその真似をしてうまくいかなかったというような内容である。犬童一心と樋口真継が共同監督して、2011年9月に公開の予定だったが、東日本大震災の影響で、2012年11月まで延期された。映画に出てくる洪水の場面が、大震災における津波を想起させて、人の感情を逆なでするおそれがあると判断したからだという。

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フラゴナール(Jean Honoré Fragonard 1732-1806)は、ロココ美術最後の巨匠である。ロココ美術最大の特徴である優雅で絢爛で神話的なモチーフを描き、時代の好みに応えた。彼の全盛期は、ルイ16世の治世時代と重なっている。そのルイ十六世が体現していた時代の精神を美術の世界で表現したのがフラゴナールであった。そんなわけでフランス革命がおこり、ルイ十六世が首をちょん切られると、フラゴナールの時代も終わった。かれは最晩年に、アカデミーの幹部としての資格で、ルーヴル宮殿に住むことを許されたが、1805年にそこを追い出され、翌年に死んだ。

雑誌「世界」の最新号(2023年1月号」に寄せられた文章の中で、「交錯する『二つの西洋』と日本の『脱亜入欧』」(西谷修)という文章がひときわ印象深く受け取られた。この文章は、いま世界を騒がせているウクライナ戦争の背後に、「西洋(西欧+アメリカ)のロシアに対する伝統的な敵意を読み取る一方で、日本がその「西洋」の一員たらんとして、新たな「脱亜入欧」を目指していることを指摘しているのだが、それが小生にとって印象深く映ったのは、折からの岸田政権の動きが念頭にあったからである。岸田政権は、ウクライナ戦争に乗ずる形で防衛予算の倍増政策を打ち出す一方、その強化された防衛力で、「敵基地攻撃」能力を獲得しようとしている。その「攻撃能力」をもって、アメリカと連携しながら、日本に敵対する国に対して、戦争をしかけることも辞さないと言っているのである。その戦争の相手、つまり攻撃すべき国が中国であることは、前後の事情を踏まえれば明白なことだ。つまり日本はアメリカとともに近い将来対中戦争に踏み切る意思を、内外に示したといって過言ではない。

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犬童一心の2007年の映画「眉山」は、母娘の絆を描いた作品。原作のさだまさしがウェットを売りものにする人間だから、これもウェットな作品に仕上がっている。ウェットすぎてしらけるほどである。

石田梅岩は心学の創始者として、徳川時代の後半以降日本人のものの考え方に大きな影響を与えた。その石田梅岩に加藤周一は非常なこだわりをもったようだ。加藤が梅岩を評価するのは、梅岩が町人の出身であり、町人の視点から日本社会を見たという点である。徳川時代の知的世界をリードしたのは武士階級であり、武士のエートスというべきものが、日本人のものの考え方を大きく規定していた。梅岩はそこに、町人的な視点を持ち込み、武士のみならずすべての階層の日本人に共通する世界観・人生観を打ち立てたというのが、加藤が梅岩を高く評価する理由である。

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シャルダンは、晩年に肖像画を多く手掛けるようになる。それには視力が極端に低下したことが指摘されている。絵の具に含まれている金属類の影響らしい。そのため、写生が不如意になり、そのかわりとして肖像画に注力したようだ。その肖像画の多くをシャルダンは、油絵の具ではなく、パステルで描いた。パステルは油絵の具ほど有害ではないとされていかたらだ。

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犬童一心の2003年の映画「ジョゼと虎と魚たち」は、田辺聖子の同名の短編小説を映画化した作品。その小説を小生は未読だが、小川洋子が絶賛していた。「若いカップルの心のみずみずしさ、まだ稚拙だけれども一所懸命でひたむきな愛を、どうしてこんなに鮮やかに描けるのだろうかと驚きます」と書いている(心と響き合う読書案内)。そんな若いカップルの心のみずみずしさが、映画にもよく表現されていた。心温まる映画である。

さとりにはいろいろな呼び方があるが、大拙は究極のさとりを「無上正覚」と呼んでいる。その無上正覚の成就こそ、大乗でも小乗でも、およそ仏教の究極の目的である。もっとも小乗はさとりを個人の問題としてとらえるのに対して、大乗はこれを世界全体の問題としてとらえるという相違はある。だが、輪廻を解脱して涅槃の境地をめざすという点では同じである。その境地を、仏教全体としてさとりとか無上正覚とか呼んでいるわけである。しかして、その無上正覚への願いを発することを発菩提心という。

レヴィ=ストロースが広範な影響力を発揮した著作「野生の思考」の中でサルトル批判を行ったことはよく知られている。そこでサルトルが反論を行い論争になったが、その論争はかみ合わなうことがないままに、なぜか世間ではレヴィ=ストロースのほうが勝ったという判定をした。実際、サルトルはその後の哲学界で影が薄くなっていくのである。

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シャルダンは、キャリアのスタート時には静物画をよく描いたが、全盛期には風俗画に重点を移し、静物画はあまり手がけなくなった。ところが晩年になると、再び静物画に注力するようになる。シャルダン晩年の静物画は、構図的には非常にシンプルなものになり、色彩の暖かい雰囲気のものが多い。近代美術における静物画の伝統に直接つながるものである。

プーシキンの叙事詩「青銅の騎士」は、1824年にサンクト・ペテルブルグを襲った洪水をテーマにしている。その洪水が起きたのには理由がある。それはネヴァ川の湿地帯に無理やり都市を作り、自然の摂理を無視したために、自然から、ということは神の意志によって、しっぺがえしを受けたということである。プーシキンは、一方ではピョートル大帝による都市建設の偉業をたたえながら、自然の摂理を無視したその傲慢さを批判するのである。それゆえこの叙事詩は、ロシアの専制権力への厳しい批判という面をもっている。

例の四方山の旅仲間と忘年会を催した。場所は四谷荒木町のふぐ料理屋「しほせ」。石子が時節柄是非ふぐを食いたいというので、浦子がなじみの店に設定したのだった。その店は、車力門通りの奥まったところ、稲荷社の近くにあった。下り坂の途中である。

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クロード・オータン=ララの1954年の映画「赤と黒(Le Rouge et le Noir)」は、スタンダールの有名な小説を映画化した作品。原作は近代小説の手本といわれるもので、小生は青年時代に読んだ。その折には、体が震えるほど感動したことを覚えている。小生にとって決定的な文学体験であった。

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「食膳の祈り(Bénédicité)」と題されたこの作品は、シャルダンの風俗画の最高傑作と言うべきもの。シャルダンは、1740年に国王ルイ15世に謁見した際、これを献上品として持参した。この図柄そのものは、複数制作されており、その一部はすでに世間の評判になっていた。そこでシャルダンはその図柄で新しいものを制作し、国王に献上したと考えられている。

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1949年のフランス映画「美しく小さな浜辺(Une si jolie petite plage イヴ・アレグレ監督)」は、どうということもない、駄作といってよい映画だが、若い頃のジェラール・フィリップが出ているので、フィリップ・ファンにとっては見逃せないということだろう。

徳川時代にあらわれた思想家のうち誰を贔屓にするかについては、評者の個人的な好みのようなものが大きく働くと思う。丸山真男が荻生徂徠を贔屓にしたのは、徂徠を日本の近代化に向けての先駆者として位置づけたいという思いがあったからだと思うし、ハーバート・ノーマンが安藤昌益を高く評価したのは、昌益のうちに革命思想の萌芽をみて感動したからだと思うし、森鴎外が大塩平八郎に思い入れを深めたのは、平八郎が鴎外のこだわっていた男の意地を体現していたと思ったからだろう。では、加藤周一が新井白石を贔屓にするのはどんな事情からか。

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「独楽を回す少年(Garçon avec un haut)」と題したこの作品も、「トランプの城」同様に、肖像画的な風俗画とも、風俗画的な肖像画ともとれるものである。やはり、一人で遊びに夢中になる少年を描いている。

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今年(2022年)は、かつて大変人気のあったフランスの映画俳優ジェラール・フィリップの生誕100年とあって、日本でも記念上映会が催されている。小生もジェラール・フィリップのファンで、ルネ・クレールものの「夜ごとの美女」とか「悪魔の美しさ」といった映画がとりわけ気に入っていた。記念上映会でもこれらの映画が上映されているが、中には小生のまだ見ていない作品もある。そこで、気軽に入手できる範囲で、未見の映画を見る気になった次第。

菩薩の住処とは、菩薩が達したさとりの境地をいう。華厳経入法界品では、それは「毘盧遮那荘厳楼閣」という言葉で表現される。その楼閣に、善財童子が立ち入ることを許される。かれをその楼閣に案内するのは弥勒菩薩である。弥勒菩薩は、釈迦の次に娑婆に仏陀として現れることを約束されている。通常は兜率天の内院に住んでいるとされるが、華厳経入法界品においては、毘盧遮那荘厳楼閣において、善財童子を迎える役を果たす。

アメリカは信仰の自由を求めた人々が中心になって「建国」されたという事情があって、宗教が政治に大きな影響を及ぼしてきたと言われる。レーガンやトランプが大統領になったのも、保守的な宗教人口に支えられてのことだとされる。松本佐保の「熱狂する神の国アメリカ」(文春新書)を読むと、アメリカ政治史における宗教の役割がよくわかる。

サルトルのボードレール論は、かれが「実存的精神分析」と呼ぶものの応用である。これは、ボードレールの伝記的な事実に基礎を置くものであって、作品の内部に立ち入って分析するということは、基本的には行っていない。たまにボードレールの詩が引用されるのは、詩自体の価値に着目してではなく、「実存的精神分析」によって導き出されたボードレールの性格分析の傍証としてである。

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「トランプの城(Le château de cartes)」と題されたこの作品も、シャルダンの風俗画の傑作。ほとんど同じ構図の絵が複数残っている。中には向きが逆で、モデルが女性のものもある。この構図にシャルダンがこだわった理由はよくわからない。

プーシキンの小編「疫病時の酒宴」は、1830年に書かれた「ベールキン物語」とほぼ同時に書かれたものである。その年の9月、プーシキンはボルヂノ村で「エヴゲーニイ・オネーギン」の最終章と、「ベールキン物語」の一部を書き、村を離れようとしたところ、折からコレラが流行していたため、交通が遮断され村に閉じ込められてしまった。そこでかれは、「ベールキン物語」の続きを書くとともに、この「疫病時の酒宴」を書いたのだった。

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ローラン・カンテの2008年の映画「パリ20区、僕たちのクラス(Entre les murs)」は、フランスの中等教育の現場を描いた作品。公立中学校のクラス運営を巡って、教師が生徒との間で奮闘する様子が描かれている。クラスは規律に欠け、生徒は勝手なことばかりする。それに対して教師が立ち向かい、クラスの秩序を保って、生徒の学習を励まそうとするが、なかなか思うようにならない。教育とはいいながら、実情は教師と生徒との戦いである。ふつうの日本人からみれば、学級崩壊の特異な例ということになるのだろうが、フランスでは珍しいことではないらしい。

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シャルダンは、静物画とともに風俗画をも得意とした。「手紙に封をする婦人(Femme occupée à cacheter une lettre)」と題したこの作品は、シャルダンの風俗画の初期の代表作である。1940年のサロンに出展したが、完成したのは1933年のことだという。

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