2023年1月アーカイブ

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ドガは、踊り子たちが踊っている場面のほかに、休息している姿も数多く描いた。「休息する二人の踊り子(Deux danseuses au repos)」と題されたこの作品は、その代表的なもの。二人の踊り子が、稽古の合間に、稽古場の片隅で休んでいるさまを描いたものである。

1月27日はアウシュヴィッツの78年目の記念日だというので、現地では記念集会が開かれたそうだ。前年までは、アウシュヴィッツをナチスから解放したソ連の後継者ロシアが毎年招待されていたが、今年はされなかった。ロシアのウクライナへの侵略に抗議する意思を示したということらしい。一方、アウシュヴィッツの解放とは直接関係のないアメリカの代表が招待された。招待されたのはハリス副大統領の夫ということだ、無論アメリカを代表するかたちで招待されたのであろう。

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山本薩夫の1950年の映画「暴力の街」は、戦後の混乱期における暴力組織の暗躍にメスを入れた作品。暴力団と結んだ町の有力者が警察や検察と手を組んで町の政治を牛耳る。それに対して正義漢のある新聞記者が立ち向かい、その心意気に様々な人々が応えて、腐敗した町の政治を刷新するといった内容である。

機根は根機ともいうが、それは「型」のことだと大拙は言う。「型」とは、ものの考え方のスタイルとか振る舞い方(或いは生き方)をさしている。その「型」つまり機根が、禅と真宗とでは違う。大拙は宗教感情の源というべき「無心」について、道元がそれを「心身脱落」と言い、真宗が「自然法爾」と言っていることを取り上げ、そういう違いは機根の相違から生まれるのだと言っている。

対中人種戦争を仕掛けたバイデンだが、目下ウクライナを舞台にした対ロ代理戦争に手がいっぱいなようで、対中関係はいまのところエスカレートまではいたっていない。だが全く静観しているわけでもなく、半導体をめぐる対中攻撃にとりかかった。中国の半導体産業を弱体化させるために、半導体の生産に必要な製品を輸出禁止しようというもので、それに日本とオランダがまきこまれた。バイデンは、世界の半導体製造装置の大半を生産しているアメリカ・オランダ・日本の企業に対して、中国への製品輸出をやめるよう求めたのだ。オランダの企業ASMLは、そんなことをしても無駄だといって抵抗するそぶりを見せたが、オランダ政府の圧力で受け入れざるを得なかったようだ。日本の企業東京エレクトロンは、日本政府の言いなりになるようである。

メルロ=ポンティの著作「知覚の現象学」は、「行動の構造」と一対のものとして学位論文を構成していることからわかるとおり、同じ課題を追求している。それは、人間の認識とか実践を、極端な実在論や極端な観念論のいづれかではなく、その両者を接合させることの上に基礎づけるというものだった。極端な実在論は自然とか意識外のものを基準にして立論し、意識は外的自然の反映だというふうに極言したりもする一方、極端な観念論は、意識こそが世界を構成するのであって、自然を含めた外的世界は意識の産物だとする。その二つの極端を配排して、「意識と自然、内的なものと外的なものとの関係を了解すること」(竹内芳郎、小木貞孝訳)が、メルロ=ポンティが「行動の構造」及び「知覚の現象学」において追求した課題だった。

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「踊りの花形(L'étoile de la danse)」と題されるこの絵は、「ダンスの教室」と並んで、ドガの踊り子像としてはもっとも有名な作品。この絵をドガは、カンバスに油彩で描くのではなく、紙にパステルで描いた。この頃のドガは、パステルにはまっていたようである。

レールモントフが叙事詩「悪魔」を完成させたのは、死の年である1841年のことであるが、書き始めたのは1829年であるから、十二年も費やしたことになる。かれは二十六歳で死んだので、生涯のほとんどをこの叙事詩のために費やしたといえる。かれの意識の中では、自身にとっての当面のマスターピースという位置づけだったのであろう。

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賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の2018年の映画「帰れない二人(江湖儿女)」は、現代の中国人女性の生き方を描いた作品。中国人女性の伝統的なイメージは、纏足に代表されるようなさまざまな束縛にしたがい、受動的にふるまう姿であったが、この映画に出てくる女性は、自立した女であり、男に従属するのではなく、男を従属させる。そんな女性が現代中国社会の主流なのかどうか、外国人の小生にはわからない。しかし、巨大な社会変動を経験しつつある現代中国において、そのような新しいタイプの女性が現れても不思議ではない。

今般のウクライナ戦争をめぐって、ドイツは攻撃能力の高い戦車レオパルト2をウクライナに供与することを決定した。あわせて、他国が保有するレオパルト2をウクライナに供与することを認めることとした。これは、西側による対ロ代理戦争の一層の深まりを意味するだけではなく、ドイツが軍事大国として対ロ戦争に本格的に参加することを意味する。

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ドガは、1876年から翌年にかけて、モンマルトルのカフェ・コンセール「レザンバサドゥール」に足しげく通い、歌い手や客をモチーフにした一連の作品を作った。それらの作品は、モノタイプの上にパステルやグアッシュでハイライトをつけるという方法をとっていた。モノタイプとは、板などに描画したイメージを紙にプリントするもので、一回限りしかできないことから、モノプリントとも呼ばれる。モノとは、一回限りといった意味である。

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賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の2015年の映画「山河ノスタルジア(山河故人)」は、経済発展の過渡期における中国庶民の命運のようなものをテーマにした作品。改革開放後の経済発展は、地域相互の格差のほか、発展のプロセスにうまく乗ったいわゆる勝ち組と、乗り損なった負け組との分断をももたらした。勝ち組の中でも、申し分のない成功を満喫した連中と、物質的な成功のかわりに精神的な価値を失ったものもいる。この映画に出てくる中国人には、そうしたさまざまなタイプの人間を指摘できる。伝統的な中国社会から、近代的な社会へと転換する過程の中で、中国人としてどのように生きるべきか、というような問題意識が込められている作品である。

加藤周一の「日本文学史序説」は、日本人が書いた日本文学についての包括的な叙述として、外国人がテクストに使っているくらいである。これを読むと、日本文学の歴史が俯瞰的に展望できるし、その日本文学の基本的な特徴、つまり時代を通じて変わらなかった要素が浮かび上がってくる。その要素の解説がいささか図式的なので、日本文学というものが、非常に単純で一面的だという印象を持たされる恐れもある。だから、日本人がこれを、自己理解のよすがとして読むのは差し付けえないと思うが、これを以て、日本文学の特徴なり歴史的な発展傾向なりが、遺漏なく説明されていると受け取るべきではない。とはいえ、これまで包括的かつ徹底的な日本文学史はほかにないといえるので、日本人のみならず、日本文化を理解しようと志す人には、大きな手掛かりを与えてくれると思う。

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1870年代のドガは、踊り子を描く一方、風俗画風の作品も手掛けた。洗濯女、カフェ・コンセールの歌手、娼婦といったものをモチーフにした。「アブサント(L'absinthe ・Dans un café))」と題されたこの作品は、そうした風俗画風の作品を代表するもの。

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賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の2004年の映画「世界」も、オフィス・キタノの協力を得て、日本資本が加わって作られた作品。同時代の中国の若者たちの生態を描いている。前作の「青の稲妻」では、内陸部の発展が遅れた地域で暮らす若者たちの、豊かさへのあこがれがテーマだったが、この映画では、北京に暮す若者たちの生きざまがテーマである。もっともかれらのほとんどは、北京出身ではなく、地方から出稼ぎにきたのである。

鈴木大拙の著作「無心ということ」は、昭和十四年に行った講演をもとにしている。この講演は、浄土真宗の関係者を相手にしたものだった。大拙は、大正十年以後長らく真宗大谷大学の教授を務めており、職業柄ということでもなかろうが、真宗にも大きな関心を寄せていた。大拙は、真宗にも禅の境地と同じようなものがあることに思い至り、禅と真宗とのあいだに架け橋を設けたいと思った。その架け橋を大拙は「無心ということ」に求めた。この講演は、「無心ということ」をカギとして、禅と真宗とを同じ土俵で論じることをめざしたものなのである。

メルロ=ポンティは、意識に定位しながら立論する姿勢をサルトルと共有していたので、サルトル同様に無意識を認めなかった。だから、サルトルがフロイトを批判したように、かれもフロイトを批判した。批判の要点は二つ。一つは無意識の実在性を否定すること、もう一つは無意識を原因とした因果関係を否定することである。

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ドガは馬が好きで、若いころから各地の競馬場に赴いて馬をモチーフにした作品を多数制作した。それらはおおむねコンパクトな画面である。対象が動物なので、すばやくデッサンする必要上、大画面に仕立てることを控えたのであろう。

レールモントフの叙事詩「ムツィリ」は1839年に書かれた。「現代の英雄」を執筆する以前のことであり、レールモントフにとっては最初の本格的文学作品である。プーシキンの死を悼んだ「詩人の死」以来、レールモントフの文学上の傾向は、同時代のロシアを強烈に批判しながら、そこに生きる若者の苦悩とか怒りをテーマにしたものだったが、この「ムツィリ」はそうした傾向を強く感じさせる作品だといえよう。

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賈樟柯(ジャ・ジャンクー)は、中国映画の第六世代を代表する監督だ。1997年のデビュー作「一瞬の夢」が早くも世界的な注目を集めた。二作目の「プラットホーム」(2000年)は、日本の北野たけしオフィス北野と連携した作品で、1980年代の中国に生きる若者たちを描いた。

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1873年頃、ドガは知り合いのバリトン歌手ジャン=バティスト・フォールから、踊り子をモチーフにした作品を受注した。上の絵は、1874年の初めごろに完成して引き渡されたもの。その後ドガは、手直しのため買い戻した。その保障として別の作品を提供したようである。

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2016年のイタリア映画「海は燃えている(Fuocoammare)」は、イタリア最南端の小さな島ランペトゥーサを舞台にしたドキュメンタリー映画である。島に暮らす人々の日常を追う一方で、アフリカからの難民の苦境を映し出す。この小さな島に、過去40万人のアフリカ人が上陸し、15000人がおぼれ死んだとアナウンスされる。そんなにも大勢のアフリカ人がやってくるのは、アフリカ大陸から最も近いからだろう。チュニジアから50キロしか離れていない。それでも海を渡るのは命がけのようで、大勢の人々が死ぬという。

加藤周一は芥川龍之介を評して「浪漫的」といった。そこで「浪漫的」という言葉の意味が問題となるが、かれはそれをとりあえず、「反俗的精神」と規定する。「彼には、浪漫的性格が比較的明瞭にあらわれていると思う。その具体的内容は、反俗的精神である」というのである。

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「舞台上の二人の踊り子(Deux danseuses en scène)」と呼ばれるこの作品は、「舞台上のバレーのリハーサル」と同じ時期に、並行して制作されたと思われる。「リハーサル」のモデルのうち、画面右手奥の二人の踊り子が、この絵の中の二人の踊り子とほぼ同じポーズをとっている。

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2016年のイタリア映画「はじまりの街(La Vita Possibile)」は、家族が解体の危機に陥り、母子が再出発に向けて模索するさまを描く。その過程で、13歳の少年が次第に自己を確立していく。現代イタリアの家族関係を、少年のイニシエーションを絡ませながら描いたヒューマンドラマである。監督はイヴァーノ・デ・マッテオ。

仏教の書物は、お経はそれとして、理解に苦しむものが多い。とりわけ道元の「正法眼蔵」は難解極まりない。小生などは、何回か挑戦してみたが、その度に跳ね返された。これは、仏教の知識が欠けているためかといえば、そうでもないらしい。鈴木大拙のような仏教の専門家でも、「 正法眼蔵」は難物だと言っている。「『正法眼蔵』は難解の書物、不可近傍である」と言って、半分お手上げの状態である。

このところ、岸田政権が中国を仮想敵国とみなすような動きを強めている。今年はG7主催国という立場でもあり、G7諸国に向かって対中連携を呼びかける動きをしているし、また、バイデン米大統領との会談では、中国を意識して、軍事力を飛躍的に拡大させたうえで、その軍事力でもって米軍と協力し、日米一体となって中国を叩く姿勢を見せた。それに対してバイデンは大いに満足の意を表したということだ。

ベルグソンの哲学は、大きくいって二つの要素からなっている。現象一元論的な要素と、生命の哲学と称されるような要素である。後者は、エラン・ヴィタールといった生気論的な概念を駆使して説明される。この二つの要素のうち、第一の現象一元論的なものは、ベルグソンがそもそも出発点において提示していたものであり、第二の生気論的な要素は、後期になって本格的に展開される。「創造的進化」はその大成といってよい。

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ニュー・オリンズからパリに戻ったドガは、再び劇場に通って踊り子の群像を描いた。その中で、「舞台上のバレーのリハーサル(Répétition d'un ballet sur la scène)」と呼ばれる三点の作品がある。一つはオルセーにあるグリザイユ風の作品で、これは1874年の第一回印象派展に出展されたという。他の二つはニューヨークのメトロポリタン美術館にあり、パステルと油彩で描かれている。

レールモントフは、プーシキンを深く敬愛していた。かれにとってプーシキンは、文学の手本であるとともに、生き方を導いてくれる人でもあった。デカブリストが弾圧されて、ロシア社会が閉塞的な状態に陥った時にも、プーシキンは未来への希望を捨てなかった。レールモントフにとっては、プーシキンはトータルな模範だったのである。

日本経済の長期停滞が続いている。この調子だと数年以内に、GDPの規模がドイツに追い抜かれ、現在の世界第三位から第四位に後退するだろうと予想されていた。ところが、もしかしたら今年中にもドイツに追い抜かれる可能性がある。その原因は、目下進行中の円安だ。円安が進んだことで、日本経済全体が割安となり、ドイツよりも安くなってしまうのだ。

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2016年のイタリア映画「おとなの事情(Perfetti sconosciuti)」(パオロ・ジェノヴェーゼ監督)は、スマホ社会におけるプライバシーの脆弱性を嘲笑的な視点から描いた作品。仲の良い友人仲間が、パーティの席上、スマホの中身を互いに公開するというゲームを始める。すると当然のことながら、不都合な事実が次々と暴露されて、居合せたメンバーはみな窮地に陥る。スマホがプライバシーの拠点となっていることは分かっているのだかから、それを公開することは、自分をさらけ出すことを意味する。だから、プライバシーが暴かれて窮地に陥った人間は自業自得なのだという冷笑的な視線が伝わってくる映画である。

雑誌「世界」最新号(2023年2月号)のコロナ特集に、日本政府のコロナ対策の失敗を厳しく批判した論文が掲載されている。「なぜ日本のコロナ対策は失敗を続けるのか」と題したこの論文(米村滋人著)は、諸外国と比較しながら日本政府のコロナ対策が失敗した事実を検証したうえで、その原因と今後の対策のあり方についての提言を示している。

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1872年の秋、ドガはアメリカのニュー・オリンズに住む弟ルネの招きで、しばらくその地に滞在した。ルネは、母方の親戚をドガに紹介した。その折に、フランスでは有名な画家として知られているといわれたので、親戚たちはドガの絵に異常な関心を示し、かれの仕事の邪魔をしたばかりか、自分たちの肖像画を描いて欲しがった。そんな暮らしにドガはうんざりして、早くパリに帰って、好きなように絵を描きたいと思った。

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2003年のイタリア映画「輝ける青春(La meglio gioventù )」は、イタリア人の家族の37年間の時の流れを描いた作品。日本でいう「大河ドラマ」だ。大河ドラマの特徴は、特定の事象に焦点をあてて、それを劇的に表現するのではなく、時間の流れを追うことで、その時代が帯びていた雰囲気をなんとなく分からせるところにある。この映画の場合、その雰囲気とは、イタリア人家族特有のあり方が醸し出すものだ。この映画を見れば、イタリア人の家族関係の特徴がわかる。それは濃密な触合いに支えられたものだ。そうした濃密な家族関係は、いまの日本では珍しくなってしまったので(あるいはほとんどなくなってしまったので)、非常に新鮮にうつる。

加藤周一には、かなり長文の本格的な永井荷風論がある。「物と人間と社会」と題したもので、荷風の死後間もない頃に書いた。荷風の生き方とその小説世界とを関連づけて論じたものだ。タイトルの一部に「物」という言葉が入っているのは、荷風の生き方をその言葉で表したからだ。荷風は世間を、あたかも物を見るように傍観者的に見ていた、というのだ。その傍観者的な生き方は、荷風の作品のなかにも反映されている。荷風は生涯女を描き続けたが、荷風の小説に出てくる女たちは、恋愛の対象ではなく、愛玩すべき「物」として描かれている。

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ドガは舞台の上から踊り子を見るだけでは満足できず、楽屋や稽古場に立ち入って、そこで身近に踊り子たちを眺め、その生き生きとした表情を描きたいと思うようになる。「オペラ座の稽古場(Foyer de la danse a l'Opéra de la Rue le Peletier)」と題したこの絵は、そうした意図を込めた作品である。ドガは、知人のつてを使って、ル・ペルティエ街のオペラ座に立ち入る許可を得て、そこで踊り子たちをつぶさに観察することができた。

雑誌「世界」最新号(2023年2月号)の中国特集のうち、福田康夫元首相へのインタビュー記事を興味深く読んだ。最近アメリカが中国に対して敵対的な姿勢を強め、それに呼応するかたちで日本でも中国脅威論が高まっているが、福田はそうした傾向に警告を鳴らしている。福田といえば、自民党内の保守派に属しているので、とかくタカ派的なイメージで見られがちだが、「習近平の中国とどう向き合うか」と題したこのインタビュー記事を読む限り、穏健な立場に立っており、日本の対中政策がもっと現実を踏まえた、しかも自主性をもったものになるように願っているようである。

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1949年のイタリア映画「にがい米(Riso amaro)」は、ロンバルディア地方の水田地帯を舞台に、イタリア人女性の季節労働をテーマにした作品。それに、二組の男女の数奇な関係を絡ませてある。

禅問答といえば、頓珍漢で訳の分からぬ言葉のやりとりだと、だいたいは思われている。それには理由があるので、禅者自身が禅問答とはそんなものだと認めているフシがある。禅問答は、禅の体験を語るものだが、その体験というのが、「禅行為」のところで述べたように、無分別の分別、無作の作といったもので、要するに普通の言葉ではなかなか説明できないものなのである。その説明できないものをあえて説明しようとするから、わけの分からぬ言い方になる。でもそれはそれでよいのだと、禅者自身は言っている。禅の体験は、言葉による合理的な説明にはなじまない。というか、言葉による説明で伝えられるようなものではない。実際に禅の境地を体験したものでなければ、どんなに言葉をつくしても、それが何であるかを理解することはできない。それは、生まれてから一度も石というものを見たことのない人に、いくら言葉を尽くして説明しても、石についての明瞭な観念を持てないのと同じことである。石を見たことのある人なら、簡単な言葉、たとえば岩のかけらだとか、砂よりも大きいものだとかいうことができる。だが、石や岩や砂を、一度も見たことのない人に、そんな説明をしても無駄である。禅問答も同じである、禅の体験をしたことのない人に、それが何かについて、いくら言葉で説明しても、明確な観念は持てない。ところが、実際に禅を体験した人にとっては、ちょっとした言葉がきっかけで、それが何かについて、それなりの観念を持つことができる。禅問答というのは、そうした禅体験をしたもの同士のコミュニケーションなのである。それが日常のコミュニケーションと異なるのは、禅体験そのものが、日常を超越しているからである。

メルロ=ポンティは弁証法という言葉を二義的な意味で使っている。一つはヘーゲル由来の使い方、もう一つはゲシュタルトと相似的なものとしての使い方である。ヘーゲルの弁証法は、全体と部分との関係について説明したものだ。人間の知覚というものは、対象の全体を一時にとらえることはできない。一時に知覚に与えられるのは、対象の一面である。例えば家について、人間は、例えばその前面を見て、それで家を見たつもりになる。しかし家には側面もあるし、背面もあれば屋根もある。それらすべてが集まって家の全体像が作られる。人間の知覚というものはしかし、一時的には対象の一面しかとらえられないから、家の全体像を把握するためには、時間をかけて、家の様々な側面を見なければならない。そのうえで、それぞれの一面的な様相を、全体としての家のあらわれであるとして位置づける。その作用をヘーゲルは弁証法といった。弁証法は、ふつう、措定・反措定(否定)・総合(否定の否定)というプロセスで表されるが、措定とは、上の家の例でいえば、まず家の前面を見ることであり、反措定とは、家は全面だけではなくそれ以外の面、例えば背後もあるとすることであり、総合とは個々の家の現れを全体としての家に結びつけて認識することである。

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オペラ座の舞台を描いたドガは、踊り子に興味を持ったようで、以後踊り子をモチーフに選ぶようになる。1871年の作品「ダンス教室」は、小品ではあるが、当初から商品として制作されたものである。この頃のドガは、自分の絵の販売に力を入れており、当初から売ることを目的に絵を制作するようになっていた。販売は、画商デュラン=リュエルが担当した。

「現代の英雄」は、レールモントフ唯一の本格的小説である。かれがこの小説を出版したのは1840年2月、二十五歳のとき。翌1841年7月、決闘の結果満二十六歳で死んでいるから、これはかれにとって最初の本格的な小説であったばかりでなく、最後の小説でもあったわけだ。若いレールモントフは非常に軽はずみなところがあったようで、この小説が完成する直前にも決闘をしている。その際には肘にかすり傷をおったくらいですんだが、二度目の決闘のときには、受けた弾丸が致命傷になった。

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2019年のアメリカ映画「SKIN/スキン(Skin)」は、アメリカのネオナチの暴力をテーマにした作品。トランプの登場によってアメリカの極右団体が勢いづき、ナオナチやKKKといった人種差別主義者が暴力的な活動を激化させていった。2021年1月6日におきた連邦議会襲撃事件は、その象徴的な出来事だった。この極めて異様な現象に対して批判的な目を向け、頭のおかしくなったアメリカ人たちに反省を迫ろうというのが、この映画の趣旨のようである。

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「オーケストラの楽師たち(Musiciens à l'orchestre)」と題するこの絵も、「オペラ座のオーケストラ」同様、知り合いのオーケストラ楽団の集団肖像画。「オペラ座」を完成させた後制作にとりかかり、三年後に完成させた。おそらくこれは、楽団の依頼によってではなく、自分の趣味から描いたので、時間に拘らなかったのだと思う。

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トッド・フィリップスの2019年の映画「ジョーカー(Joker)」は、人気漫画バットマンのキャラクターであるジョーカーがどのようにして生まれたかをモチーフにした作品と捉えられているようだが、小生のようにバットマンを知らない人間にとっては、アメリカの格差社会のひどい現実を描写したもののように受け取れる。

加藤周一の夏目漱石論「漱石における現実」は、1948年、つまり加藤がまだ20代の時に書いたもので、若書きにありがちな気負いを感じさせる。加藤がその後本格的な漱石論を書かなかったのは、この小文の中に漱石について自分の言うべくことが尽くされているということらしい。


小生は例年中山法華経寺に初参りするのであるが、今年は趣向を変えて市川の弘法寺に詣でた。法華経寺同様日蓮宗の寺である。戊辰戦争の際には、官軍・幕府軍双方が拠点の一つとした。幕府軍は撒兵隊がここに本営を設けて官軍を迎えうち、ここに市川・船橋戦争が勃発した。この戦争で、市川から船橋にかけて、佐倉街道沿いが官軍によって焼き討ちされ、一帯は焼け野原となった。たまたま、この戦争の直後佐倉街道をとおりがかった依田学海が焼け跡の様子を目撃している。

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ドガが舞台とか踊り子をモチーフにするのは1870年前後のことである。「オーケストラ・ボックスの楽師たち(L'Orchestre de l'Opéra)」と題するこの作品は、その最初のものである。ただし、この絵は「舞台の踊り子」には焦点をあてていない。踊り子は添え物あつかいで、主役はオーケストラ・ボックスの楽師たちである。

服部茂幸の著書「偽りの経済政策」(岩波新書2017年)は、アベノミクスの一環として日銀が行った金融政策を厳しく批判したもの。その政策を服部は、時の日銀総裁黒田某の名にちなんで「黒田日銀」と呼んでいる。黒田日銀は、発足当初二年以内に二パーセントの物価上昇を、つまり適度のインフレを公約したが、四年以上たったいま(2017年時点)でもそれを達成できていない。また経済成長も達成できておらず、庶民の生活もよくなっていない。これは明白な公約違反だが、黒田日銀はその責任をとろうとしない。達成期限を先延ばしにしたり、これまで実現できなかった原因を外部事情に転化したり、無責任な姿勢をしめしている、というのが批判の主な内容である。

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アンドレイ・ズビャギンツェフの2017年の映画「ラブレス(Нелюбовь)」は、現代ロシア社会における家族の崩壊をテーマにした作品。それに警察の腐敗を絡ませてある。ズビャギンツェフには、地方行政の権力の腐敗をテーマにした作品「裁かれるは善人のみ」があり、権力の腐敗ぶりによほど意趣を持っているようである。警察も権力そのものなので、それを批判することは、政権批判を意味するだろう。じっさいズビャギンツェフはプーチン政権に眼の仇にされているそうだ。

鈴木大拙が「禅の思想」を書いたのは昭和十八年(1943)、大拙七十三歳のときのことだ。後に自身のもっとも会心の著作はなにかと問われて、この「禅の思想」と「浄土系思想論」をあげたというから、大拙が禅について書いたおびただしい文章のうちで、これをもっとも納得できるものと思っていたのだろう。要するに禅についての自分の考えを、もっとも要領よく書けたということと思われるが、だからといって決してわかりやすい読み物ではない。

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昨年秋に妻の母が亡くなったので、年末年始の挨拶はひかえるつもりでいたところ
いざ年があけてみると、世界は昨年と同じくかわりなく動いているので
なんとなくうれしくなって、読者のみなさんに挨拶したくなった、
この年になると、一つ年を重ねられることに喜びを感ずるものなのである

もっとも、昨年はひどい年だった
コロナ騒ぎが一向に収まらず、むしろコロナで死ぬ人の数が増えた
これは基本的には、日本の国力が衰えたことによるものと考えられる
日本は、いまだに有効なワクチン開発もできず、コロナの治療薬も
外国からの供給に頼っている始末
目先の利益ばかりを考え、国家百年の計を考える日本人がいなくなったせいだと
小生などは考えている、そういうことを家人にいうと、
そんなに日本人を馬鹿にしないでほしいと返されるのであるが
やはり事実は事実として受け止めねばなるまい

昨年はまた、物価上昇が人々の生活を直撃した
悪性インフレーションといってよいほどである
これは、黒田日銀の狂気じみた振る舞いに加え
折からのウクライナ戦争の影響によるところもあった
ウクライナ戦争をめぐって感じさせられることは
今や世界はプーチンとかバイデンといったボケ老人に命運を握られていて
いつ何時核戦争が勃発し、亡びないともかぎらないという不安である

今年が昨年よりましになる可能性はそう大きくはないと思うが
とにもかくにも、また一年生きのびることができるよう
祈らずにはいれらない

なお、今年はウサギ年なので、ウサギの絵をお届けする
十二年前のブログに掲載したものの再掲載である

壺齋老人 謹白


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