世界情勢を読む

1989年に東西冷戦が終焉する。ベルリンの壁が崩壊し、東欧の社会主義政権が相次いで倒れ、ゴルバチョフのソ連がペレストロイカを進め、西側との平和共存を目指した結果だ。ソ連が消えるのは1991年12月のことだが、それを待たずに冷戦から降りていたのである。

先日は、トランプが大統領選挙に負けたにかかわらず、引き続き大統領の座に居座り続ける可能性が云々されていることを紹介したが、それとは全く反対に、トランプが大統領選挙を投げ出して、下りてしまう可能性を指摘するものもある。そういう指摘が、FOXニュースなど、ほかならぬトランプ応援団から出ているというので、一定程度の信憑性をともなって流通しているそうだ。

1987年の12月に、ガザ地区で自然発生的に始まったパレスチナ人のイスラエルへの抵抗は、やがてヨルダン川西岸へも波及し、全占領地での全面的な抵抗運動へと発展していった。これをインティファーダという。インティファーダとは、アラビア語で蜂起とか反乱を意味する言葉で、大規模な民衆蜂起を意味するものとして使われている。

今年11月の米大統領選挙でトランプが勝つ可能性はほとんどないだろうと見られている。本人もそのことを自覚していて、もし選挙に負けても、大統領に居座る方策を案じているのではないか、という観測が方々で打ち出されている。NEWSWEEK最新号に出た記事(How Trump could lose the election and still remain president)などは、その典型的なもので、それを読むとぞっとさせられる。そんなことがもし起こったら、アメリカはもはや民主主義国家とは言えない。トランプという独裁者が好き勝手に振る舞う専制国家というべきである。

1982年から1985年までの、三年にわたるレバノン戦争は、ベギンが仕掛けたものだった。ベギンの狙いはパレスチナの代表たるPLOを殲滅することだった。エジプトとの平和条約締結に成功したベギンは、もはやアラブ側が一体となってイスラエルに対立する事態を恐れることはなかった。それまでのアラブ連合軍は実質上エジプト軍が主体になっており、そのエジプト軍が参戦しないアラブ軍は敵にはならなかったからだ。また、折からイラン・イラク戦争がおこり、イラクは対イスラエル戦争に戦力を割ける状態ではなかった。ひとりシリアのみは、イスラエルに敵対していたが、シリアの戦力は大して怖れる必要がなかった。さらに当時のアメリカの政権は、レーガンが担っていたが、レーガン政権はイスラエル贔屓だった。つまり状況がベギンにとって非常に都合よかったわけだ。ベギンはこれをPLOつぶしの千載一遇のチャンスと受け止め、レバノンを根拠としていたPLOに攻撃を仕掛けたわけだ。

領土膨張主義者として知られるイスラエル首相ネタニヤフが、ヨルダン川西岸の入植地の併合を焦っている。このプランについては、トランプの娘婿クシュナーが提案し、トランプがそれを支持した経緯がある。ネタニヤフとしては、トランプの政治的影響力を利用して、とりあえず入植地の併合だけでも先行的に実施し、イスラエルの領土膨張の野心を一歩前進させたいと思っているようである。そのトランプの再選に黄色信号がともっている現在、トランプが大統領でいる間に、既成事実を作りたいというネタニヤフの気持はわからないでもない。

コロナ・ウィルスは多くの人々に様々な形の打撃を与えているが、弱い立場の人ほどその打撃は大きい。真っ先に解雇されるのは非正規雇用の人だし、医療資源へのアクセスも貧乏人ほど限られている。これはある意味、仕方のないことで、金のない人びとは真っ先にコロナの打撃を食らうのである。

イスラエルは建国以来労働党が政権を担ってきた。労働党はヨーロッパからやってきたシオニストの流れで、社会主義的な傾向が強かった。そんなかれらを労働シオニストと呼ぶことがある。かれらについての国際的なイメージとしては、キブツを拠点に集団主義的な生活をし、子どもも共同で育てるというものだった。イスラエルのユダヤ人が非常に集団主義的で、したがって戦争に強いのも、あながち軍事力ばかりでなく、かれらの集団への帰属意識が高いことにも理由がある。

トランプの唯一の姪であるメアリー・L・トランプが、トランプを育てた家族の異常な人間関係と、トランプ自身の性格の異常さを批判する暴露本を出版するというので、アメリカでは目下大変な注目を浴びているという。著者メアリーは心理学者として知られ、彼女なりの心理学的な手法を用いて、トランプの性格の異常さを分析しているということらしい。トランプの異常さは、我々のような外国人にも伝わって来るので、いまさらという気がしないでもないが、批判の主体がトランプの唯一の姪とあって、それなりの迫力があるようである。

1973年10月に起きた第四次中東戦争は、従来の中東戦争とは様相を異にした。というのもこの戦争は、エジプトが(ほぼ)単独でイスラエルに仕掛けた戦争だったからだ(シリアも協力したが)。エジプトがイスラエルに戦争を仕掛けた理由は、シナイ半島の奪還にあった。第三次中東戦争以後シナイ半島を占領されていたエジプトは、イスラエルとの戦争に勝つことでそれを取り戻そうとしたのである。この戦争は、結局どちらが勝ったとも言えない結果に終わったが、エジプトは初戦で勝利し、その勢いを借りる形で、最終的にはシナイ半島を取り戻すのである(1979年)。

コロナ騒ぎがこれほどまでに大きくなったのは、やはりなんといっても欧米を巻き込んだかたちの規模の大きさによるのだろう。今回は、ヨーロッパやアメリカでも感染が拡大し、大勢の人間が死んだ。もしこれが中国とかその周辺の国にとどまっていたら、こんな騒ぎにはならなかっただろう。パンデミックという言葉が使われているが、これは今から百年ほど前に起きたスペイン風邪以来のことだ。スペイン風邪では、ヨーロッパを中心にして、数千万人から一億人ほどが死んだと言われる。その結果、第一次大戦の痛手もあって、ヨーロッパの地盤は低下し、アメリカが世界の覇権を握るきっかけになった。

1967年に勃発した第三次中東戦争は、イスラエル・パレスチナ問題の性質を劇的に変化させた。それまでは、イスラエル対アラブ諸国の対立という形をとっていたものが、この戦争で敗北したアラブ諸国が次第にパレスチナ問題にコミットしなくなって、イスラエルとパレスチナ難民勢力とが直接対峙するという構図ができあがっていく。その構図は今日まで基本的にはかわらない。つまり1967年を境にして、イスラエル・パレスチナ問題は新たな局面に移っていったわけである。

いまアメリカは全国的なデモ騒ぎに見舞われているが、その騒ぎの発端になったのが、ミネアポリス警察の白人警察官による黒人殺害事件だった。折からコロナ騒ぎで人々の政治意識が過剰になっていたことも作用したのだろう、人種差別反対を訴えるデモが、またたくまに全米に広がった。これに対してトランプが弾圧姿勢を示すなど、挑発的な態度に出たことで、デモの勢いは当分おさまりそうもない。

第一次中東戦争によって獲得した占領地を、イスラエルは死守しようとした。そしてその試みは成功した。終戦の翌年、1949年5月にイスラエルは国連に加入するが、それはイスラエルによるパレスチナにおける占領を追認する効果をもった。パレスチナ難民は、国連に見放された形になったわけである。これに勇気づけられたイスラエルは、更なる領土拡大に向けて野心を高めていくことになる。

第二次世界大戦の終了に伴う国際問題の一つとしてヨーロッパでホロコーストを生き延びたユダヤ人の処遇問題があった。特にアメリカがこの問題に熱心になった。理由は明確ではないが、生き残りのユダヤ人をアメリカに受け入れるのがいやだったからだという説もある。ともあれアメリカは、ヨーロッパの生き残りユダヤ人をパレスチナに移住させることを主張した。一方パレスチナの委任統治の主体であったイギリスは、その要求を拒否した。従来アラブ側との間で結んでいた約束(パレスチナへのユダヤ人移民の制限)がその理由だった。だがイギリスは、パレスチナに対していつまでも責任を持つつもりはなかった。そこでパレスチナ問題の解決を、できたばかりの国連に丸投げした。

1933年にナチスが政権を取り、ユダヤ人への迫害が強まると、多くのユダヤ人が身の危険を避けてパレスチナへ逃げてきた。ナチスは当初、ユダヤ人をパレスチナに送ることに協力したので、ユダヤ人は怒涛のような勢いでパレスチナへやってきたのだ。1930年代なかばの数年間で、5万人以上のユダヤ人がパレスチナに移住したとされる。その多くは裕福なユダヤ人たちだった。イスラエル国家にとっての原始的蓄積にあたるものを、この裕福なユダヤ人たちの財産が提供したといえる。

コロナウィルス予防の目的で、抗マラリア剤のハイドロクシクロロキンを、トランプが毎日飲んでいると明かしたことが大きな話題になっている。というのも、この薬品はコロナウィルスに有効だと証明されたわけではなく、一方重大な副作用が懸念されているからだ。

トランプがホワイトハウスでの定例の記者会見の場で、コロナウィルスへの自らの対応ぶりを、例によって自画自賛したところ、それを批判した女性記者に激怒して、会見を中断して立ち去ったということを、時事新報を始め日本のメディアも紹介し、中にはトランプの唯我独尊的な姿勢を批判するものもあったが、日本のメディアが全く取り上げないことを、アメリカを含めた欧米のメディアは報じている。それを読むと、小生は、日本のメディアの特異性を感じないではいられなかった。

第一次世界大戦終了後、ヴェルサイユ条約によって、敗戦国の処分についての大枠が決められ、オスマン・トルコは領土(支配地域)の大半を奪われることとなった。すなわちアラブ人地域の大部分が、サイクス・ピコ密約にしたがって、英仏の間で分割されることとなったのである。その割り当てを具体的に決めたのが1920年4月のサンレモ会議であった。この会議の結果、シリアとレバノンの地域がフランスに、トランスヨルダンを含むパレスチナとイラクの地域がイギリスに割り当てられた。これは、統一した独立国家を夢見ていたアラブ人を裏切るものであり、また、アラブ世界の中に人工的な国境線を引くものだった。それまで、アラブ地域では、部族による分断はあったものの、国境という概念はなかった。そこに英仏が、恣意的な形で、つまり自分たちの都合に合わせて、人工的な国境を引いたわけである。

第一次世界大戦は、パレスチナを含むアラブ世界に甚大な影響を及ぼした。この地域を支配していたオスマン・トルコはドイツ、オーストリアの側について、イギリスやフランスと戦ったのであったが、その戦いに敗れたために、広大な支配圏を失い、その後を英仏両国が埋めることになった。アラブ世界は、オスマン帝国の支配から解放されて、英仏領国の帝国主義的侵略の対象とされたのである。したがって、アラブ世界は世紀の転換を経験することとなったわけだが、なかでもパレスチナ地域の被った転換はもっとも大きなインパクトをもった。

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