2023年2月アーカイブ

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「14歳の小さな踊り子( La Petite Danseuse de Quatorze Ans)」と題されたこの彫刻は、1881年の印象派展に出展され、それなりの反響を呼んだ。例によって、善意に受け取るものと悪意に満ちた受け止め方が混在したが、悪意ある批評のほうが多かったという。

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2019年のシリア映画「娘は戦場で生まれた」は、シリア内戦を一女性の視点から記録したドキュメンタリー映画である。1911年の「アラブの春」の激動に始まり、アサド政権による運動の弾圧とそれへの抵抗が内戦へと発展し、やがてジハード組織の介入や、ロシアの介入などを経て、泥沼の状況に陥っていくさまを、一女性の視点から見続けている。その女性は、後に夫になる医師が、内戦の犠牲者を治療する役割を果たしていることもあり、いわば内戦の最前線にいつも立ちあっている。その立場から、スマホを含め常にカメラを使って、内戦の過酷な実態を記録し続けたのである。その記録は、1911年のアレッポ大学における「アラブの春」運動から、1916年の暮れまでをカバーしており、その五年の間に一人目の娘が生まれ、やがて二人目の子供の出産を控えることろで終わる。映画は一応終わるのだが、内戦そのものはいま(2023年)でも続いている。

鈴木大拙は「浄土系思想論」において、人はなぜ浄土を求めるかについて説明したあと、その浄土がいかなるものかについての説明に移る。「浄土観・名号・禅」と題する一文がそれにあてられている。「浄土観」というのは、浄土とはいかなるものかについての理解をあらわす言葉である。

メルロ=ポンティは、言語について独特の見解をもっている。かれが「知覚の現象学」を書いた頃には、ソシュールの構造主義言語学が支配的な言語理論として受け止められていたのだったが、メルロ=ポンティはそれに異議を唱えてかれ独自の言語論を提示したのである。

中国がウクライナ戦争について、ロシアとウクライナの仲介役を買って出、停戦案を提示したところ、NATOは消極的な反応を見せている。中国は事実上ロシアの同盟国で、中立的な立場ではないから、信用できないというのが表向きの理由だが、それとは別に、もっと深い事情があるようだ、その事情を理解するためのとっかかりを、ある文章が提供してくれる。ネット・オピニオン誌POLITICOに掲載された "Here's How Ukraine Could Retake Crimea By Cacey Michel" という文章である。

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「開演前(Avant la représentation)」と題されたこの作品は、ドガ最晩年の踊り子群像。この絵を描いたとき、ドガは62歳であったが、ほとんど失明に近い状態だったという。それゆえ余計に、光に敏感になっていたものと思える。この作品にも、光があふれている。

ゴーゴリの中編小説「狂人日記」は、作品集「アラベスキ」に収載された。この作品集は1835年に、「ミルゴロド」と前後して刊行され、評論のほか中編小説数編を収めていた。それらのうち、「狂人日記」が書かれたのは1831年のことである。

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山本薩夫の1979年の映画「あゝ野麦峠」は、原作の副題に「ある製糸工女哀史」とあるように、女工哀史ものというべき作品。諏訪の岡谷を舞台にして、製糸工場で奴隷的な境遇に生きる不幸な女たちを描いている。その女たちは、13歳くらいから工場で働き始め、嫁入りする年頃まで、親元を離れて集団生活をしながら、過酷な労働と劣悪な環境のため、若い命を失うものが多かった。そうした不幸な女たちを情緒豊かに描いたことから、この映画は大変な反響を呼んだ。当時の日本人はまだ、不幸な人間に同情する気持ちを失っていなかったようである。

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晩年のドガの絵には、輪郭がはっきりせず、どぎつい色彩のものが多い。これは、中年時代に始まった視力の衰えがすすみ、半ば弱視気味になったことにともなうものだった。かれは、対象の輪郭を明瞭にとらえることができなかったので、輪郭を曖昧化して、色彩で対象を再構成しようとした。それもかなり強烈な、原色主体の色彩である。

雑誌「世界」の最新号(2023年3月号)に、農山村政策をめぐる最近の動きについて解説した記事が二つ載っている。一つは、「新しい『農山村たたみ論』(小田切徳美)、もう一つは「農業集落調査『廃止運動』の教訓」(戸石七生)である。前者は、過疎化する農山村地域を、都市部に集団移住させるという政策提起への批判であり、後者は農林水産省が率先して「農業集落調査」の廃止を画策していることへの批判である。

国連安保理が、イスラエルによるパレスチナ占領地への入植拡大を批判する決議をした。イスラエルはこれに異議を唱え、アメリカがそれに同調したことを非難したと伝えられる。だが実際には、そんなに単純なものではないようだ。これについては、イスラエルも一定の理解を示し、それをアメリカが確認したので、安心して同調したということらしい。アメリカとしては、イスラエルとの緊密な関係を踏まえ、イスラエルが強く反発する決議案には今まで拒否権を行使してきており、今回も、もしイスラエルが強く反発するなら、拒否権を行使するはずだった。それが、しなかったのは、国際的な背景が働いているためだ。

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山本薩夫の1978年の映画「皇帝のいない八月」は、自衛隊員たちのクーデタ計画をテーマにした作品。小林久三の同名の小説を原作としている。原作は、1961年に起きた自衛隊員によるクーデタ計画「三無事件」をモデルにしているという。その事件は、元自衛隊員らが起こしたものだが、あまりにもずさんな計画で、警察によって検挙・鎮圧された。

室町時代の日本文化を加藤周一は、禅の世俗化として捉えている。禅は鎌倉仏教の一つとして興隆したわけだが、室町時代になると、足利武家政権と結びついて、政治に深くかかわるとともに、権力に保護されながら世俗的な影響力を発揮することになった。同じ鎌倉仏教でも、浄土真宗が反権力的で、しかも一向一揆に代表されるような抵抗の精神を持っていたのにくらべると、大きな違いである。

昨晩、飯の支度ができるのを待つ間、部屋でくつろいでいると、いきなり耳を弄するような大音響が起こって、おもわず腰を浮かしてしまった。尋常な音ではない。まるで近くで巨大な爆発があったかのような不快な音である。そこで、台所で食事の支度をしている家人のところに行って、「この音はなんだ」と聞くに、「雷でしょ」とあっさりした反応。小生にはこれは、雷鳴というよりは爆撃音のように聞こえたので、その旨を話すと、「何を馬鹿なことを言っているんですか」と冷笑される。「外を見なさいよ、雨が降ってきたでしょうが」と言うのである。たしかに、外では雨が降り始めている。ということは、やはり雷鳴だったのか。

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ドガは横に長い画面を好んで描いた。踊り子の群像を描くのに適していると考えたからであろう。「階段を上る踊り子たち(Danseuses montant un escalier)」と題されたこの絵も、横に長い画面に踊り子の群像を描いた作品だ。

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山本薩夫の1974年の映画「華麗なる一族」は、山崎豊子の同名の小説を映画化したもの。原作は、銀行のオーナー経営者の野心を描いたもので、ストーリー設定の巧みさから、実際にあったことのように思われたものだが、金融界の事情を参考にしたとはいえ、事実を描いたものではなく、あくまでフィクションである。だが、山本薩夫がそれを映画化すると、どういうわけかリアル感があふれ、まるで事実を踏まえたもののように感じさせる。

鈴木大拙が「浄土系思想論」を書いたのは昭和16年(1941)から17年(1942)にかけてのこと。書き終わったときには、72歳になろうとしていた。大拙はもともと禅の修行者・研究者として出発したのだが、老年を迎える頃に浄土系とりわけ真宗に深い関心を寄せるようになった。それには、51歳の年で真宗の大谷大学に招かれたということもあるが、なによりも、禅と真宗とに深い共通点があることに気づいたからだと思う。禅は、基本的には自力信仰であり、真宗などの浄土系信仰は他力信仰なので、両者は真逆のように思われがちだが、大拙は、自分自身の宗教的実践を通じて、両者には深い共通点があることに思い至った。それは、禅でいうところの涅槃と、真宗がいうところの浄土とが、非常に似通ったものであるということであった。涅槃も浄土も、ふつうは人間の死後の世界と考えられているが、大拙の考えでは、いづれも現世(大拙はそれを娑婆という)と異なったものではないということになる。ということは、人間は生きながらにして、涅槃とか浄土の境地に至ることが出来るということである。そのように確信した大拙は、晩年、禅と浄土特に真宗とを、同じ土俵の上で論じるようになる。

人間が身体であること(人間の身体性)を最も強く感じさせるのは「性的」なことがらである。メルロ=ポンティはその性的なことがらを、色情によって基礎づける。色情というのは性欲の発露、というか衝動であって、それにとらわれた人間は、その色情する自分を認識するのではなく、生きるのである。認識とは、認識する自分と認識される対象との関係であるが、色情においては、色情を知覚する自分と、知覚される色情とは一体となっている。それは色情が身体の衝動であって、知性とはほとんどかかわらないからである。

「ひろゆき」なる人物について、小生はそれが悪名高い掲示板サイト「2チャンネル」の創始者であることくらいしか知らないし、また知りたいとも思わなかった。時折ネット上で炎上する言動をして満足しているらしい人間と、かかわりたくもなかったのだ。ところが世の中には物好きな人がいるようで、その「ひろゆき」なる人物を社会学的な視点から分析してみせてくれる。雑誌「世界」の最新号(2013年3月号)に掲載された小論「ひろゆき論」(伊藤昌亮著)がそれだ。

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1880年代のドガは、多くの風俗画と並んで、女性の裸体画を数多く描いた。なかでも、浴槽の中の女シリーズが有名だ。これはその中でもっともよく知られた作品。浴槽の中でしゃがみ込み、髪の手入れをしている女を描いている。

ゴーゴリの中編小説「タラス・ブーリバ」は、「ディカーニカ夜話」に次いで出版した小説集「ミルゴロド」に収載されたもの。この小説集は四編の中編小説からなり、書名にあるとおり、いづれもミルゴロドを舞台にしている。ミルゴロドは、ディカーニカと同じくポルタヴァ県所在の町である。ウクライナ語(ロシア語のウクライナ方言)で、「平和の都市」を意味する。だが、この小説集の舞台となるのは、とても平和とは言えない。

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山本薩夫の映画「戦争と人間第三部完結編」は、昭和12年の日中戦争全面開始から昭和14年のノモンハン事件までを描く。この戦争に伍代財閥も大きな利害を持つ。だが、次男の俊介(北王路欣也)と二女順子(吉永小百合)は戦争に批判的だ。また、二女の恋人耕平は、官憲に拘留されて拷問を受けた後、徴兵され、やがて満州の戦いに駆り出される。その耕平と順子はは徴兵に先立って結婚する。また、俊介はノモンハンの戦いに駆り出される。

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ドガは、庶民の生活ぶりをスナップショット的に描くことでは、やや先輩ながらほぼ同時代の画家ドーミエと似たところがある。だが、大きな相違もあった。ドーミエは、同時代のフランス社会の矛盾のようなものを批判的に描いたものだったが、ドガにはそうした批判意識は認められない。かれは単に、人間の動作に造形的な関心を寄せたに過ぎない。

先日、雑誌「世界」最新号(2013年3月号)のウクライナ戦争特集を批評した中で、岡真理の「人権の彼岸から世界を見る」についても触れておいたが、この小論はなかなか考えさせるものがあるので、別途取り上げて論評してみる気になった。

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山本薩夫の1971年の映画「戦争と人間第二部愛と悲しみの山河」は、「戦争と人間」シリーズの第二作。昭和32年3月の満州国建国から同37年7月の盧溝橋事件までを描いている。日本の侵略拡大に寄り添うそうように伍代財閥も中国への進出を進め、軍事資金の獲得を名義にアヘン売買にも手を染める。満州国の特務機関員となった柘植(高橋英樹 伍代の長女の恋人)が、伍代のアヘン密売を摘発したりするが、時代は超法規的なことがまかりとおる世界、伍代は堂々と違法行為に手を染める。

加藤周一は鎌倉仏教を西欧の宗教改革にたとえている。その理由として加藤は、鎌倉仏教の彼岸的・超越的な面を強調している。平安仏教は彼岸ではなく此岸(現世)の安楽を追求し、現世を超越した価値を求めなかった。鎌倉仏教に至ってはじめて、彼岸(浄土とか涅槃といわれるもの)へのあこがれと、現世を超越した価値(阿弥陀信仰やさとりの境地)への帰依が生まれたというのである。西洋の宗教改革も、そうした彼岸的・超越的な面を強調したものだ。もともとキリスト教にそういう要素があって、彼岸的な面は来世の思想に、超越的な面は一神教信仰に現れていたのであるが、プロテスタントはそれを徹底させた。そこが鎌倉仏教と共通するのだという。

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ドガは、1870年代末から80年代にかけて、踊り子群像のほか、風俗画風の作品を多く手掛けるようになる。町で憂さ晴らしをする女たち、仕事ちゅうの女たち、そして湯浴みなどの日常生活の一コマを、スナップショット風に切り取った構図で描いた。「帽子店(Chez la modiste)」と題されたこの作品は、女性用の帽子店で品定めをする女たちを描いている。

雑誌「世界」の最新号(2023年3月号)が、「世界史の試練ウクライナ戦争」と銘打って、ウクライナ戦争を特集している。「世界」は過去二度ウクライナ戦争を特集した。戦争が始まった直後と、それにすぐ続く臨時増刊号(「ウクライナ侵略戦争ー世界秩序の危機」と銘うつ)だ。最初の特集では、ロシアがウクライナに侵攻したことに、一定の理解を示すような論説もあったが、臨時増刊以降は、ロシアによるウクライナ侵攻を、明確に侵略戦争と定義し、ロシアを批判する内容の記事が紙面を埋めるようになった。三回目の今回の特集では、ロシアへの批判を基本としながら、なぜロシアが戦争に訴えたか、それを考えさせる記事も含まれている。

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山本薩夫の映画「戦争と人間」は、五味川純平の同名の小説を映画化したものだ。なにせ九時間を超える超大作であるから、一時に公開できる規模ではないので、三部に分けて制作・公開された。全編を通じての内容は、張作霖爆殺事件からノモンハン事件までを背景にしながら、軍部とそれに結びついた政商の動きを描くことにある。その政商にはモデルがあるのかどうかが話題になったそうだが、原作者の五味川自身、モデルは成り上がり財閥鮎川だと言っている。五味川は日産グループの企業で働いたことがあり、鮎川をめぐる人間関係に通じていたようである。

今日岩波文庫から出ている鈴木大拙の「禅堂生活」は、1934年に英文で出版した The Training of the Zen Buddhist Monk を翻訳したものである。それに、日本語で書いた五編の小文を併載している。

黒田日銀総裁が二期目の任期を終えるについて、岸田政権が後任の新総裁を決めた。黒田日銀によって日本経済が大きく毀損されてきたと考えている小生としては、誰が後任になるかについて、多少の関心はあった。そこで新総裁がどのような考えの持ち主か知りたいと思ったが、いまのところ情報は限られており、正確なことはわからない。だが、新聞などの情報によれば、引き続き金融緩和を進めていきたいと考えているようなので、黒田総裁とあまり変わらないのではないかと受けとめた次第。金融緩和で景気を盛り上げると信じているようなら、黒田総裁同様、古いタイプのマネタリストなのであろう。

西洋近代哲学史の上で、身体の問題を主題化したのはメルロ=ポンティである。デカルトが身体を延長の一つとして分類して以降、西洋哲学における身体は、物質界に属することになり、あくまでも客観的な対象にとどまってきた。身体は、そのものとしては意識の対象なのであって、したがって意識とは別物であった。ところが人間自体は意識として考えられたから、その意識とは別物である身体は、人間性の範疇には入ってこないのだった。サルトルがいうように、人間とは意識と完全に重なりあうのであり、その意識が世界を基礎づけ。その世界、つまり対象的な世界のうちに身体も含まれるのである。身体がなにか人間とかかわりあうことがあるとしたら、それは人間が意識と身体との二つの実体からなっているといったもので、その結びつきは外的なものにとどまった。こうした伝統的な身体観をメルロ=ポンティは徹底的に批判し、身体を人間性そのものにとっての本質的な要素と考えたのである。人間は意識のほかに身体を所有するというのではなく、身体こそが人間そのものなのだという、ある種当たり前のことを、メルロ=ポンティは宣言したのである。

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「稽古中の踊り子(La leçon de danse Madame Cardinal)」と題されるこの絵は、副題からして、画面手前で新聞を読んでいる夫人を強く意識したものだ。この婦人がマダム・カルディナルなのだろう。どんな人物なのかはわからない。このバレー教室の関係者だとも、あるいは踊り子の母親とも言われる。庶民的な服装からして、踊り子の母親である可能性が高い。

「ディカーニカ近郷夜話」の続編は、四編の短編小説からなり、本編の翌年に出版された。中編といってよい比較的長い話二編と、短い話二編からなっている。本編の四編同様、基本的には悪魔を中心にした民話風の話である。三つ目の話「イワン・フョードロヴィチ・シポーニカとその叔母」には悪魔は出てこないが、主人公が見る幻影は悪魔の仕業といえなくもないので、それを含めてすべてが悪魔的なものをテーマにした民話の集まりということができる。それらの民話風の物語を通じてゴーゴリは、ロシア人、とくにウクライナに暮らす人々の宗教意識とか、民俗的な特徴を描き出しているのである。

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山本薩夫の1966年の映画「氷点」は、三浦綾子の同名の小悦を映画化した作品。原作は朝日新聞に連載され、大きな反響を呼んだ。山本による映画化のほか、テレビドラマとして繰り返し取り上げられており、海外でもリメークされている。テーマが、継母による継子いじめというわかりやすく、しかも普遍的なものだからであろう。



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「ダンスのレッスン(La Leçon de danse)」と題されたこの絵は、ダンスのレッスンの合間に一休みする少女たちを描いている。右手前の二人の少女は、脚の筋肉をほぐしたり、緊張をゆるめるために放心したりしている。画面中央で立っている少女は、和風の扇子を扇いで汗を沈めているのだろう。一方、画面の背景部分では、まさにレッスンに励んでいる少女たちが描かれている。

ウクライナ戦争がきっかけとなって、地球社会は軍拡競争時代に入った。各国とも防衛予算を倍増させているし、ポーランドなど四倍増させた国もある。日本でさえ、岸田政権が、財源の見通しもつけないまま、防衛費倍増の政策に舵を切った。こうした動きによって最も恩恵を受けているのが、欧米の軍需産業だ。アメリカやイギリスの軍需企業は空前の利益を上げている。そのほかにも、戦争の副作用としてエネルギー危機がおこり、そのことで米英の石油メジャーがぼろもうけしている。また、石炭企業も復活を果たしており、脱酸素の動きなどどこ吹く風の扱いだ。

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山本薩夫の1962年の映画「忍びの者」は、大映の永田雅一に招かれて作った作品である。それまでメジャーの映画会社と縁のなかった山本を、共産党嫌いの永田が招いたのは、山本の実力を評価したからだといわれる。その評価と期待に応えるようにして、山本はこの映画を、大衆受けのする娯楽映画として作った。実際この映画は大ヒットし、後続編が作られたほどである。

加藤周一は平安時代を日本の歴史における最大の転換期と位置付けている。極端な言い方をすれば、平安時代を境にして、それ以前の日本とそれ以後の日本とに大別されるというのである。その差別を構成する一番大きな要素は言葉だという。奈良時代以前の日本語は八つの母音をもっていたのに、平安時代以降、今日とかわらぬ五つの母音に収束した。カナ文字の発明を核とする文化の発展があり、経済的・社会的な土台にも巨大な変化が生じた。その結果、今日にいたる日本文化の型のようなものが形成された。こうした見方は小生には意外にうつる。小生は、今日にいたる日本文化の型は室町時代に形成されたとみている。その最大の理由は、庶民が文化の最大の担い手となったのが室町時代だということである。だが加藤は、仏教の大衆化などを理由に、すでに平安時代に今日にいたる日本社会の基礎が作られたとみるのである。

中国の風船がアメリカ上空に飛来し、それをバイデン政権が破壊したことが、大騒ぎになっている。アメリカはこれを、中国がアメリカの機密情報を収集するために飛ばした偵察気球だと非難し、それを破壊することは、アメリカの安全保障上当然のことだと言うのに対して、中国側は、これは民間の気象調査用の風船であり、それが思いがけず、アメリアの上空に迷い込んだだけのことであり、それを一方的に破壊する行為は過剰反応だといって避難し、報復措置を匂わせている。だが、そんな脅しに対して、議会も超党派で対中対決姿勢を強めている。それに乗っかる形でバイデンも、「おれが率先して中国風船をつぶした」といって、自分の手柄を強調し、大よろこびする始末である。

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「ダンスの試験(Examen de danse)」と題されたこの絵は、ダンスの試験に備えて体調や身なりを整える二人の少女の緊張した様子を描く。彼女らの背後にいる二人の中年女は、彼女たちの母親なのだろう。娘たちの緊張ぶりに比較して、母親たちの表情はリラックスして見える。

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山本薩夫の1961年公開の映画「松川事件」は、1949年に起きた国鉄列車転覆事件をテーマにした作品。この事件は戦後最大の冤罪事件といわれた。20人が起訴され、第一審では死刑の五人を含め全員が有罪となったが、最終的には全員無罪となった。そのことから仕組まれた冤罪といわれ、そこに国家権力の意思を見るものもある。この事件が起きた1949年ごろは、共産党や労働組合の影響力が高まり、革命を感じさせるような雰囲気もあったので、それをおそれた権力がつぶしにかかったのではないか、という憶測がなされたものである。

「禅問答と悟り」は、昭和十六年(1941)大拙満七十歳のときの著作である。タイトルにあるとおり、禅問答と悟りをテーマにしている。大拙のこの本でのスタンスは、禅というものは悟りをめざしているのであり、悟りを伴わない禅経験はありえないということと、その悟りとはいかなるものか、それを他人にわからせるのが禅問答であるということになる。だから、禅問答は悟りの内容を披露しあう実践である。

メルロ=ポンティは「知覚の現象学」を、感覚の分析から始める。その感覚をかれは「<感覚>なるもの」と呼んでいる。「感覚」という言葉に疑念を抱いているからだ。「この感覚という概念こそ最も混乱した概念であり、こんな概念を容認したために(知覚に関する)古典的分析は、知覚現象をとらえそこなってしまったのである」(竹内芳郎、小木貞孝訳)といって、メルロ=ポンティは<感覚なるもの>に強い疑念を表するのである。

ゼレンスキーが政府高官などの汚職摘発に乗りだしたことが話題となっている。摘発された高官のなかには、国防省の幹部も含まれているというからかなり深刻だ。ゼレンスキーがいま汚職の摘発に腰を上げたことには、いくつかの理由があると憶測されている。一つは、かねてからの公約を実施したということ。ウクライナは、ロシア同様汚職が蔓延する腐敗国家というイメージがあった。そのイメージを振り払わないと、悲願のEU加盟が達成できないということがあるのと、また、西側からの援助にさしさわりがあると認識したこともあるだろう。

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メアリー・カサットはアメリカ出身の女流画家で、1870年代半ば頃に、ドガと親しくなった。彼女は当初ピサロのもとで、印象画風の絵を学んでいたが、ドガのパステル画を見て衝撃を受け、その指導を求めてドガに近づいてきたのだった。ドガは彼女に様々なアドバイスを与え、また印象画展への出展をすすめたりした。その上、彼女の絵を買ってやったり、彼女をモデルとした数多くの作品を描いた。

「ディカーニカ近郷夜話」は、ゴーゴリの名を世間に知らしめた出世作である。八編の短編小説からなっている。ゴーゴリはそれらの小説類を1829年、つまり二十歳の時に書き始め、1831年に四編からなる前巻を、翌1832年に残りの四編からなる後巻を出版した。反響は好意的で、一躍人気作家になった。作家として早熟な点は、先輩のプーシキン同様である。ただプーシキンが詩人として出発したのに対して、ゴーゴリは詩を書かず、短編・中編の小説類を書き続けた。唯一の長編小説「死せる魂」は未完に終わっている。

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山本薩夫の1960年の映画「武器なき斗い」は、左翼代議士山本宣治の半生を描いた作品。半生といっても、大正十四年(1925)から、右翼に殺された昭和四年(1929)までの四年間をカバーしているだけなので、晩年を描いたといってよい。しかしこの四年間に、大学での弾圧にまきこまれて追放されたり、小作人の騒動にかかわったり、官憲の追跡を受けたり、また、昭和三年(1928)の第一回普通選挙に労農党から立候補して代議士になったりする。そのあげく、過激な行動を憎まれて右翼のテロリストに殺されるという、実に波乱に富んだ四年間だったのである。

岸田政権が、新たな財源として国債を発行する決定をしたという。この国債は、一応、脱炭素のための環境対策に使うと言っているが、EUで実施されているグリーン債とは異なり、火力発電や原発関連にも使われるという。だからその名称を、EUのような「環境債」ではなく、「移行債」とするそうだ。

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フェルナンド・サーカスは、1875年に結成されたサーカス。ユニークな建築物が人気を集めたという。ドガはその近代的な建築が気に入って、それを見るためにも足しげく通ったという。「フェルナンド・サーカスのララ嬢(Mademoiselle La La au cirque Fernando)」と題されたこの絵は、建築空間を表現しながら、それに女曲芸師の躍動的な姿を組み合わせたものである。

ドイツを先頭にしてNATOに結集する西側諸国が揃ってウクライナに重戦車を供給することとなった。その数300台にのぼるという。全部揃うまでには時間がかかるようだが、それによってウクライナの対ロ反撃能力は飛躍的に強まるだろう。戦車同士まともに戦ったらかなわないとロシアは認識しているようで、さっそく防御態勢の構築にとりかかっている。東ウクライナの前線沿いに長大な防御陣地(土塁や塹壕など)を築き、西側の戦車の進軍を阻むとともに、反撃の態勢を準備しているようだ。

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山本薩夫の1959年の映画「荷車の歌」は、全国農協婦人部の寄付金で作られた作品だそうだ。どういう意図から農協がかかわったのか。おそらく農村における女性の地位向上を目的としたのではないか。この映画を見ると、農村の女性は二重の意味で抑圧されている。一つは家庭における処遇の厳しさであり、一つは社会的な性差別である。家庭での抑圧は、姑によるいじめにあらわされ、社会的な差別は女が自立できる仕事がないことであらわされる。この映画の女性主人公は、経済的な自立をいくらかでも得たいと思えば、男と同じ仕事をするよう迫られるのである。一方、女性主人公は、好きな男と一緒になって添い遂げることになっているから、一応意に沿った生涯を送ったといえる。亭主に浮気されることもあったが。いづれにしても、抑圧されて苦しむばかりでもなかったというふうに描かれている。だから、不自由なことがあったとはいえ、農村婦人としては成功した例ではないかと思わせるのである。

加藤周一は、日本の古代文学を「記紀」と「万葉集」で代表させている。そのほか、万葉集より三十年前に成立した「懐風藻」があるが、これは支配層による漢詩の模倣であるとして、文学的な意義を認めていない。「記紀」は天皇制権力による支配の正統性を目的としたもので、文学作品ではないのだが、神話や歌謡などに文学的な要素が認められると考える。その記紀の文学上の特徴を加藤は、いつくかあげている。

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