2022年8月アーカイブ

北一輝と大川周明は、昭和の右翼運動に思想的な基盤を与えた人物である。二人の年齢は三歳しか違わず、したがってほぼ同年代であり、また、有力な右翼団体「猶存社」の共同メンバーでもある。猶存社は、国内問題においては国家社会主義的な傾向が強く、対外的には大アジア主義を掲げて侵略的な傾向を強くもっていた。北も大川も、その二つの傾向を併せもっていたのであるが、あえて言えば、北は国家社会主義のイデオローグ、大川は大アジア主義のイデオローグと言えるのではないか。

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大林宜彦の2020年の映画「海辺の映画館―キネマの玉手箱」は、大林にとって遺作となった作品。大林が最初の商業映画「HOUSEハウス」を作ったのは1977年のことだから、それから40年以上も経っているわけである。その間に作った長編映画の数は44作というから、実に多産な監督だったといえよう。

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T子とは長女とみ子のこと。とみ子は、1926年の12月に死んでいるから、この絵は死の直前に描かれたことになる。死因は結核というから、死に際にはかなりやつれていたはずである。ところがこの絵の中のとみ子は、やつれたところを感じさせない。おそらく鉄五郎の親心から、娘を理想化したのかもしれない。

小野善康は、民主党政権の時代に、民主党の政策になじむような印象を持たれたために、とかくイデオロギー性を感じさせる経済学者と受け取られた。それまで自民党の右派勢力が進めてきた新自由主義的経済政策を批判して、政府の役割を重視する立場をとった。新自由主義派の経済政策は、供給を重視するものだが、小野は、日本のような「成熟経済」では、人々の消費選考が極めて弱くなるので、供給ではなく、需要が経済の規模を決定すると考えた。そうした考え自体は、日本をはじめ、世界の先進資本主義諸国に共通した長期不況を説明する理論としては、かなりな有効性があると小生も思っている。というよりか、近年先進資本主義諸国が陥っている長期不況を説明する理論として、もっともまともなものとさえ思っている。

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ホッパーは、1930年代には、風景画はけっこう描いているが、人物画は少ない。ホッパーの人物画は、車内とかオフィスルームなど、閉じられた空間の中に、いわくありげに見える人間をスナップショット的に描いたものが多い。「ニューヨークの映画館(New York movie)」と題する1939年の作品もその典型的なものだ。

「中論」第六章「貪りに汚れることと貪りに汚れた人との考察」は、平川訳では「染める者と染められるものとの考察」となっている。だが、染める者(能染)は「貪り」と言われているので、両者の意味は同じだと考えてよい。その上でこの章を読んでみると、説かれているのは、不去不来、不一不異とほぼ同じことだと分かる。同じ理屈を、異なった例に適用することで、言葉の意味の厳格化をはかろうというのだろうが、こうした蒸し返しは、かえって事態を複雑化させているように見える。

国連本部で行われていた核不拡散条約(NPT)の再検討会議が、最終文書を採択できず決裂した。前回に続いての再度の決裂である。このことについて、NATO諸国を始めとした西側は、ひとえにロシアの責任だといって非難しているが、それは一方的な言い分だろう。この決裂は、今日世界が陥っている深刻な分裂を反映しているのであり、その分裂の責任は、ひとりロシアのみならず、アメリカをはじめとした西側諸国にもある。

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濱口竜介の2018年の映画「寝ても覚めても」は、かれにとって出世作というべき作品だ。「ドライブ・マイ・カー」が面白かったので、ついでに見たのだったが、これもやはり面白く感じた。その面白さは、最近の若い日本人の、異性愛の変化を、この映画が敏感に反映しているからだろう。異性間の恋愛は、女性がリードするというのは、日本では昔から一定程度散見されることではあったが、近年の日本人は、男の引っ込み思案が高じて、異性間恋愛が始まるためには女がリードしなければならないし、その成功の度合いも女の努力にかかわる割合が大きくなってきている。この映画は、そうした近年の日本の異性愛の傾向を象徴的に示しているように思えるのである。

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晩年の萬鉄五郎は、穏やかな雰囲気の肖像画を好んで描くようになる。自身の子供をモデルにしたこともあったためだろう。「少女の像」と題したこの作品は、次女の馨子をモデルにしたもの。馨子は1917年の生まれだから、この絵のポーズをとった1925年には満八歳だった。八歳といえば、幼女と少女の境にある年齢だ。

「チビの魂」及び「のらもの」は、いずれも小林政子にインスピレーションを得て書いた短編小説である。「チビの魂」(1935)は、秋声の分身たる主人公と政子の分身たる圭子との同棲生活を描いており、それに人身売買の犠牲となった少女をからませている。「のらもの」(1937)は、政子の若いころのエピソードを描いている。こちらは、つまらぬ同棲をしたおかげで、あたら青春の貴重な時期を台無しにしてしまったというような苦い後悔をテーマにしている。

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ホッパーは鉄道の線路をよく描いたが、列車にも関心をもっていたようだ。「コンパートメントC(Compartment C Car)」と題するこの作品は列車の社内の空間を描いたもの。コンパートメントと呼ばれる客室の内部だ。コンパートメントはふつう、個室状になっているものでが、これは開放的な作りだ。おそらく片側が通路で、それに沿ってコンパートメントが並んでいるのだろう。そのコンパートメントを、通路を通りがかった者の目からとらえたというのが、この作品の構図だ。したがって、やや上部から室内を眺め下ろした感じになっている。

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橋口亮輔の2008年の映画「ぐるりのこと」は、なんとなく結婚している若い夫婦の日常を描いている。タイトルからして、かれらの周囲を描いているというふうに伝わってくる。ただ、全く無風な生活というわけではない。生れてきたばかりの子供が死んでしまうし、そのこともあって妻はうつ状態になってしまうし、夫のほうは、趣味の絵を仕事にできたはいいが、その仕事が法廷画家というやつで、被疑者の表情を身近に見て描かねばならない。ただ描くだけではなく、裁判の進行も見せられる。裁判にはひどい内容のものもあって(たとえば人肉食)、気の弱いものには直視できない。

サルトルの哲学上の主著「存在と無」は、現象学的存在論の試みである。もっともサルトル自身はこれを、「存在論的現象学」と言っている。どちらにしても、現象学と存在論とを結びつけようとするるものである。そこで、現象学とは何か、存在論とは何か、ということが問題になる。サルトルが言うところの存在論的現象学が、存在論という言葉を先に持ってきているように、サルトルは存在優位の立場をとっているかのようにも見える。しかし、存在論という言葉には的という修飾語がついていることからすれば、これはあくまで形容詞であり、言葉の本体は現象学にあるといえないこともない。

日本の右翼運動は、昭和に入ると俄然先鋭化する。玄洋社や黒龍会といった伝統的な右翼に代わって、新たな行動右翼が台頭し、公然とテロを行うようになる。井上日召が中心となった血盟団事件はその代表的なものだ。昭和の右翼は血盟団のような民間の運動にとどまらず、軍部の中にも深く根をはっていった。5・15事件は、日本軍国主義の台頭をもたらした事件だが、それには民間の右翼と軍部内の右翼勢力との密接な連携があった。その5.15事件と、それに前後した血盟団事件や満州事変は、まったくバラバラに行われたように見えるが、真相においては強く結びついていたのである。

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橋口亮輔の2001年の映画「ハッシュ」は、ゲイのカップルの共同生活にセックス好きの女が割り込みややこしい三角関係を形成するという話。何といっても、ゲイカップルのセックスライフをあけすけに描いたところが見どころ。この映画以前には、特殊なポルノ映画を除いては、ゲイのセックスライフを正面から取り上げた作品はなかった。おそらく、デレク・ジャーマンあたりの影響だと思う。

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1923年9月1日の関東大震災を、萬鉄五郎は茅ケ崎で体験した。茅ケ崎あたりは、震源が近いこともあって、揺れがすさまじかった。だが萬は冷静に行動し、炊事道具を持って非難したので、飢えにさいなまれることはなかったといわれる。

今年の夏の全国高校野球大会で、宮城県代表の仙台育英高校が優勝した。小生は、うかつなことに、これが東北勢にとって夏冬合わせてはじめての全国制覇度ということを知らなかった。とにかく104年の歴史の中で、東北勢として初めて優勝したというので、地元の宮城県だけではなく、東北全体が喜びに沸き立っているという。小生もまた、その優勝を祝福したいと思う。

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コッブ家の納屋とは、マサチューセッツ州ケープ・コッドにあったコッブ農場の納屋のこと。ホッパーはこの納屋の建物が気に入って、しばらく賃借りした。また、後にはその近くに別荘をたて、以後夏の間、妻のジョーと一緒に過ごした。

「中論」の第三章は「認識能力の考察」と題して、六根について考察している。六根とは、見るはたらき、聞くはたらき、嗅ぐはたらき、味わうはたらき、触れるはたらき、思考するはたらきの、六つの認識能力を言う。それらの認識能力が存在しないというのが、この章の眼目である。

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河瀬直美の2020年の映画「朝が来る」は、特別養子縁組を通じてさずかった子どもを大事に育てる夫婦の物語と、その子どもを産んだ母親の物語を交差させながら描いた作品。色々と考えさせるところの多い映画である。だが、見方によっては、受け取り方に違いが出てくるタイプの作品だ。それだけ、含蓄に富んでいるともいえる。

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萬鉄五郎の長女とみ子が、学校の制服を着てポーズをとっているところを描いた作品が「少女」と題するこの絵である。当時とみ子は、神奈川県の平塚高等女学校に通っていた。この絵の中のとみ子は、その学校の制服に身を包んでいるのである。このとき、とみ子は十三歳だった。

「町の踊り場」と「死に親しむ」は、ともに昭和八年(1933)に書かれた。どちらも秋声の日常に取材した私小説風の作品である。「町の踊り場」は、姉の危篤を受けて故郷の地方都市(金沢)に戻った日々を描き、「死に親しむ」は、友人の医師の死をテーマにしている。二つの作品には、これといった関連はないが、どちらも踊り(社交ダンス)が小道具がわりに使われている。「町の踊り場」のほうは、気晴らしにダンスホールに出かけて行って初体面の女性と踊る秋声の分身が描かれるのであるし、「死に親しむ」のほうは、主人公の「彼」とその友人の医師はダンスを介して結びついているのである。

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「日曜日の早朝(Early sunday morning)」と題したこの作品は、ホッパーの街景画の代表作の一つ。マンハッタンの七番街をイメージしているらしいが、ホッパー自身は特定の場所へのこだわりはなく、アメリカの都市に典型的な眺めを描いたのだといっているようだ。

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安藤桃子の2014年の映画「0.5ミリ」は、安藤自身の小説を映画化した作品。原作は老人介護をテーマにしているそうだが、映画は、介護もさることながら、老人を巧みにあやつって快適なホームレス生活を送る一人の女の生き方をテーマにしている。主演を演じた安藤さくらは、桃子の実の妹だそうで、この映画はそのさくらの圧倒的な存在感の上に成り立っている。なにしろ、三時間を優に超える大作であるにかかわらず、時間の長さを感じさせない。ストーリーが単純なわりには、充実感がある。傑作といってよいのではないか。

長谷川宏は、ヘーゲルの文章を分かりやすい日本語に翻訳したことで知られる。小生も、「精神現象学」を読み直すにあたっては、かれの翻訳の世話になった。その長谷川は、ヘーゲルだけではなく、サルトルにも強い関心を寄せていたようである。かれがサルトルの本格的な哲学論文を日本語に訳したとは聞かないが、サルトルへの自分自身の思いを吐露した本を書いた。「同時代人サルトル」(講談社学術文庫)である。

日本近代史における大正期の位置づけにはさまざまな見方がある。司馬遼太郎のように、日本近代史を明治と昭和で代表させ、明るい明治と暗い昭和といった対立軸を前面に押し出して、大正期をほとんど無視する見方がある一方、いわゆる大正デモクラシーや文化的な多様化の動きをもとに、新たな可能性をはらんだ時代だったと積極的に評価する見方もある。

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2016年の日本映画「シン・ゴジラ」は、1954年公開の有名な映画「ゴジラ」の焼き直しである。初版のゴジラは原水爆実験による地球汚染への批判的な意識を感じさせたものだが、この焼き直し作品には、そうした批判意識はほとんど感じることがない。放射能とか、マッチョな怪獣への熱核攻撃とかいったアイデアはあるが、あまり切迫感をあたえない。純粋な娯楽映画として作られたようである。

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1922年に、萬は岸田劉生や中川一政らとともに春陽会を結成した。これは単なる洋画の模倣ではなく、日本的な美意識を洋画に盛り込もうとする運動だった。翌年の五月に、その春陽会の第一回展が催された。「ねて居る人」と題するこの作品は、そこに出展されたものである。

見田宗助といえば、一応社会学者ということになっているが、宮沢賢治の研究でも知られる。「存在の祭の中へ」という副題を持つかれの宮沢賢治論は、日本人の悪い癖である印象批評に堕さず、しかも賢治の感性的な世界を生き生きと語っている。感性的でありつつ、論理的でもあるというのが、見田宗助の強みといってよい。

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チャプスイ(Chop suey)とは、アメリカ流中華料理の店。広東出身の中国人が、アメリカで広めた中国料理の名称が、そのまま中国料理全体を代表する名前になった。チャプスイ自体は、肉と野菜をいためてとろみをつけた料理という。

「中論」の第二章は、「運動(去ることと来ること)の考察」と題して、八不のうちの「不去不来」を表面上のテーマとしているが、そのほかに「不一不異」はじめ八不全般に共通する問題を取り扱っており、「中論」の思想の中核部分の表明というふうに受け取られてきた。

コロナの第七波が爆発的な広がりを見せている。連日20万人から30万人の感染が報告され、いまや、世界でもっともひどい状況に陥っている。一時は、世界でもっとも感染が少なく、優等生と言われていた日本が、なぜこんなことになってしまったのか。その疑問に答えてくれそうな見解を、雑誌「世界」の最新号(2022年9月号)で読んだ。

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沖田修一の2020年の映画「おらおらでひとりいぐも」は、若竹千佐子の同名の小説を映画化したもの。かなりな脚色を施している。原作は、老女がただひたすらに亡夫を追憶するというもので、全くと言ってよいほど劇的な要素はなく、そのままでは映画にならない。だから脚色を施すのは無理もない。だがあまり不自然さは感じさせず、原作の雰囲気を大きく損なっているわけではない。原作の読ませどころは、東北弁でまくしたてる老女の独白にあるのだが、映画ではその老女を田中裕子が演じていて、なかなかの見せ所を作っている。

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萬鉄五郎は1919年に、東京から神奈川県の茅ケ崎に転居した。「風景」と題するこの絵は、茅ケ崎のどこかの風景を描いたものだろう。のんびりとした田舎道や農家の屋根の点在する眺めを描いたものだ。

徳田秋声のやや長目の短編小説「元の枝へ」は、いわゆる山田順子ものの嚆矢となる作品である。秋声が妻のはまを病気で失ったのは1926年1月のことであったが、山田順子は弔意を示すために秋声のもとを訪れ、そのまま家に居ついてしまった。秋声はそんな順子との同棲生活をさっそく小説の題材にしたわけである。順子との同棲自体がスキャンダラスなことであったが、それを小説のネタに使ったことで、スキャンダルはいっそうグロテスクな様相を呈した。なにせ妻が死んですぐに別の女を家に入れ、その女との間の痴情をあからさまに描いたのであるから、いくら日本が私小説天国とはいえ、あまりにもえげつないと思う人が多かったのである。

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ホッパーは、鉄道の線路を繰り返し描いた。それも都会の鉄道ではなく、大草原地帯を走る線路だ。ホッパーはそれに、文明と野生との交わりを見たのだろう。ホッパーはアメリカの大都会の空気にずっぽりつかりながら、自然を描くのが好きだった。しかしその自然は、ありのままの自然ではない。なんらかの形で人間との交わりを感じさせる自然だ。

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万田邦敏の2008年の映画「接吻」を、小生が見る気になったのは、小池栄子が主演しているからだった。小池栄子は目下NHKのドラマ「鎌倉殿の十三人」に、北条政子役で出ていて、なかなか見せる演技で楽しませてくれている。そこで、彼女の若いころの映画を見たいと思っていたところ、この映画の評判を聞きつけたというわけだった。

大谷翔平選手が、大リーグ104年ぶりの大記録となる快挙を成し遂げたというニュースが伝わってきて、それを喜んだ日本人の一人が小生だった。とにかく素直に喜びたい。なにしろ、野球の神様といわれたあのベーブルースが、1918年になしとげた記録(投手としての10勝と打者としての10本塁打以上)を104年ぶりに達成したのだ(1918年のベーブ・ルースは、投手として13勝、打者として11本塁打)。

日本でサルトルが流行したのは1950年代から1960年代にかけての十数年間のことで、1970年頃には誰も気にかけなくなってしまった。そんなわけか、サルトルについての本格的な研究書は、日本では書かれなかった。竹内芳朗が1972年に「サルトル哲学序説」(筑摩叢書)というのを出していて、これが日本ではほとんど唯一といってよいサルトル入門書であるが、これを読んでもサルトルの思想は伝わってこない。著者の竹内が、サルトルの名を借りて、サルトルとは関係のない、自分自身の思いを語っているからだ。

明治維新からアジア・太平洋戦争の敗戦にいたる時期の日本の右翼は、国内的には皇道主義、対外的には侵略主義を特徴としていた。その日本の侵略主義をもっとも強く体現していたのは、玄洋社の頭山満である。頭山には大した思想性はないが、あえて言えば、西郷隆盛の影響を強く受けていることである。西郷の思想は、簡単に言うと道義主義と対外膨張主義ということになるが、頭山はそのどちらをも受け継いだ。道義主義は皇道主義という形をとり、対外膨張主義はアジア主義という形をとった。

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2002年の映画「OUT](平山秀幸監督)は、桐野夏生の同名の小説を映画化した作品。桐野の原作を小生も読んだが、すさまじい迫力を感じたものだ。その迫力は、主人公雅子のニヒルな生き方から伝わってくるものだ。だから、映画化にあたってはキャスティングが大事だと思うのだが、この映画で雅子を演じた原田美枝子は、無論すぐれた女優には違いないが、雅子を演じる柄ではないようだ。原田の顔は、どちらかというと可憐さを感じさせるほうだし、不幸な女性の哀愁を感じさせもする。ところが原作の雅子は、そういったものとは全く無縁なのだ。

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「裸婦」と題するこの作品は、キュビズムの影響を感じさせるが、単なる模倣ではなく、萬なりの解釈を施してある。そのことは、技法的にはキュビズムを取り入れながら、全体としての印象は、なるべく具象的なイメージを尊重するところに現れている。

森政稔の著作「迷走する民主主義」は、前著「変貌する民主主義」の続編のようなものかと思って読んだ。前著は、民主主義についての、森なりの視点からする原理的な考察だった。そこで森は、自由主義と民主主義の関係について触れ、両者は調和的な関係ではなく、緊張関係にあるとしたうえで、冷戦終了後の新自由主義全盛の時代を迎えて、民主主義が形骸化していく傾向に警鐘を鳴らしていた。本著は、そうした問題意識の延長で、今日の民主主義が直面する課題をいっそう掘り下げて議論しているのではないかと思って、読んでみたのであった。

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オートマットとは、自動販売機を設置したセルフサービスのレストラン。1920年代のアメリカで流行った。この絵は、そのオートマットでコーヒーを飲む一人の女性を描く。モデルはホッパーの妻ジョー。ジョー自身は、彼女をモチーフにした裸婦像からうかがわれるように、女性的で豊満な肢体だったが、この絵の中の女性は、やせぎすで、ボーイッシュに見える。この時ジョーは44歳になっていたが、絵の中ではずっと若く見える。

中論は全二十七章からなるが、その全体の序文のような位置づけで、「帰敬序」という文章が冒頭に置かれている。次のようなものである。

小生は日頃、Movable Typeを使ってブログを運営しているのだが、昨日(2022年8月6日)、定例更新のために管理画面にアクセスしようとしたら、次のようなエラーが出て、アクセスできない。
 Connection using old (pre-4.1.1) authentication protocol refused 
(client option 'secure_auth' enabled)
どうやら、古いパスワードを使っているのが理由ということらしいが、どうしたら問題が解決できるのか皆目見当がつかない。このままだと、二度とアクセスできなくなるのではないかと、冷や汗をかいたものだ。

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1949年の中国映画「カラスと雀(乌鸦与麻雀)」は、国共内戦末期における上海を舞台にして、横暴な支配者に苦しめられる中国庶民を描いた作品。横暴な支配者とは、国民党一派であり、その腐敗した政治とか公私混同によって、中国の庶民は塗炭の苦しみを舐めさせられているといったメッセージが強く伝わってくる映画である。公開されたのは、毛沢東が新国家建設を宣言した1949年10月1日より一か月あとのことであるが、制作は10月以前からなされていたらしい。それでも、国民党を否定的に描いているのは、共産党の勝利がゆるぎないものと思われていたからだろう。

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「薬缶と茶道具のある静物」と呼ばれるこの絵は、萬鉄五郎の静物画の到達点を示すものだろう。日常の食器をなにげなく並べながら、そのフォルムには大胆なデフォルメを施し、しかも妙な躍動感を表現するなど、遊びの精神が感じられる。

徳田秋声は非常に多産な作家で、数多くの長編小説とともに短編小説もかなり書いている。長短編を書き分ける作家には、長編小説を中心にして、一編の長編小説をかいたあとに、次の長編小説にとりかかるための息抜きのようなものとして短編小説を書くというタイプが多い。息抜きという言葉が適当でないなら、ウォーミングアップといってもよい。村上春樹などは、次の長編小説へのウォーミングアップとして短編小説を書くと言っている。

NHKのニュース番組を見ていたら、豪雨による浸水現場を取材していたアナウンサーが、泥水の強烈な匂いをさして、「泥水のかおり」と言うので、思わずのけぞってしまった。泥水の匂いといえば、人間を不快にする匂いである。それを「泥水のかおり」というのは、どういうつもりか。

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「沿岸警備隊(Coast guard station)」と題するこの作品も、1927年の夏にメーン州にドライヴした折に見かけた光景を描いたものだ。ホッパーは、買ったばかりの自動車に愛妻ジョーを乗せて、ニューイングランドの海岸を走るのが好きだった。

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国共内戦時代に作られた中国映画「小城之春」(1948)は、中国流のメロドラマである。メロドラマには二種類あって、一つは男女の純愛をすれ違いという形で描いたもの、もう一つは男女の激しい性愛を不倫という形で描いたものである。この「小城之春」は不倫ものに属する。中国映画史では名作の誉れ高く、いまだに上映されているという。

人間の寿命が飛躍的に伸びたおかげで、老人が政治を牛耳る眺めが日常のものとなった。老人が政治のかじ取りをすること自体、絶対悪というわけではないが、しかし近年の世界の混乱ぶりを見ていると、その原因のほとんどは老人にあることがわかる。その老人たちの振舞いぶりをみていると、ボケているとしか思えない。ボケた老人たちに勝手なことをさせて、地球の命運があやしくなっているのは、看過できないことだ。

人間の理性の働きを導く原理として、カントは構成的原理と統制的原理という一対の概念セットを持ちだす。これはカント哲学を理解するためのカギとなるものである。構成的原理というのは、我々の日常的な認識を導くものであって、実在的な対象を概念的に把握することを可能にする。与えられた対象をある特定の概念に構成するというところから、構成的原理と呼ぶわけである。それに対して統制的原理とは、対象の実在性についての認識を支えるものではなく、人間の認識の働きに一定の目標を与えるものである。具体的にいうと、神とか霊魂の不死とか人類の進歩とかいった概念である。これらの概念は対象の実在性を主張できるわけではなく、人間が取り組むべき目標という性格をもっている。実在性は主張できないが、目標としては意味を持つ。それをカントは理念と呼びかえ、その理念が人間にとっての導きの糸になるべきだということから、それを統制的原理と呼んだわけである。

玄洋社は日本の右翼の最初の本格的組織といわれるが、当初は自由民権派の一つだったのであり、また、単なる一地方の党派として、全国的な知名度はゼロに近かった。その玄洋社が一躍全国に名を知られるもととなったのは、明治二十二年(1889)の大隈重信暗殺未遂事件であった。大熊は、明治十九年(1886)頃から本格化する不平等条約改正問題に深くかかわり、大隈私案と呼ばれる条約改正案をまとめるにいたっていた。この改正案を「ロンドン・タイムズ」が明かにすると、その屈辱的な内容に怒りの声が巻き起こった。そうした怒りの声を玄洋社が受けた形で大隈暗殺事件を引き起こしたのである。

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1987年の中国映画「芙蓉鎮」(謝晋監督)は、毛沢東一派のいわゆる階級闘争路線に翻弄される庶民を描いたものだ。毛沢東が生きていた頃は、戦後の一連の動乱や共産党の統治を批判的に描くことは許されなかったが、1978年に毛沢東が死に、鄧小平のもとで改革開放路線が進むと、中国にもやや自由の風が吹くようになり、毛沢東時代を批判する映画も作られるようになった。それを称して「傷跡ドラマ」というそうだが、「芙蓉鎮」はそれを代表する作品との評価が高い。

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萬鉄五郎は土澤滞在中にかなり抽象化された風景画を何点か描いている。「木の間風景」と題したこの作品は、東京へ戻ってから制作したものだが、抽象化の度合いが一層進んで、一見したところでは、これを風景画と見るものはいないのではないか。だが、この絵が、具体的な風景のイメージをもとに、それを抽象化したものだということが、下絵などから推測されている。

斎藤美奈子といえば、パンチの聞いた社会批判を繰り広げるいまどき珍しい女性として知られているが、その斎藤が冠婚葬祭のマニュアルを、しかも硬い編集方針で知られる岩波新書から出したというので、興味半分で読んでみた。読んでの印象は、斎藤らしからぬ世間知を駆使したもので、まさにマニュアルの名にふさわしいといったところだ。冠婚葬祭の知識というのは、世間知の最たるものというべきなのだが、その世間知を斎藤は、若いころにやっていた雑誌の編集の仕事から学んだというようなことを言っている。雑誌の特集にマニュアルめいたものがあるが、それは、ほとんど何も知らないといってよい人を対象に、噛んでふくめるように説明するのが肝要なことだそうだ。そうしたプロフェッショナルな姿勢を斎藤は、このマニュアル本の中でも貫いている。

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「灯台の丘(Lighthouse hill)」と題するこの絵のモチーフは、メーン州のポートランドにあったケープ・エリザベス灯台。この灯台は、地元の漁師のために働いていたが、どういうわけか、撤廃されるという騒ぎがもちあがっていた。ホッパーはその騒ぎの最中にこれを描いた。

中論を読む

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「中論」のテクストとして目下手に入りやすいものは、筑摩書房刊行「古典世界文學」シリーズ7「仏典Ⅱ」に収められた平川彰訳「中論の頌」であるが、これは抄訳であり、また非常に難解とあって、仏教や中観派の予備知識がない者が読んでも、なかなか理解できない。そこで注釈書が不可欠になる。注釈書としては、チャンドラキールティのものを始め古来色々なものが流通しているが、それらも素人にとって読みやすいものではない。そこで現代の日本人の書いたもので、わかりやすい注釈書はないかと探し回ったところ、高名な仏教学者中村元の「龍樹」という本に出会った。この本は、龍樹(中論の著者)の生涯を簡単に紹介した後、その思想を、中論を拠り所にしながら説明している。かなり念の入った説明で、実質的には、中論への丁寧な注釈と言ってよい。小生のような、仏教の知識に乏しいものには、非常にありがたい本である。しかも、巻末には、中論全27章の、サンスクリット語からの現代日本語訳を載せている。筑摩版と合わせ読むことで、中論への理解が深まると思う。

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