2024年3月アーカイブ

ドゥルーズの書物「意味の論理学」は34のセリーからなっていて、どのセリーから読んでもよいように書かれている。そこでここでは、第十八のセリーから議論を始めようと思う。このセリーは「哲学者の三つのイメージについて」と題されており、ドゥルーズにとって考えられる限りでの哲学のタイプを現わしている。そのうえで、自分自身がどのタイプの哲学を重視しているかについて語っているのである。

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「羊飼いのいる海景(Coastal Landscape with a Shepherd and His Flock)」と題されたこの絵は、タイトルどおり、海岸をバックにして、羊飼いとかれが率いる羊の群れを描いた作品。海はおそらくサフォークの海岸だと思われる。海上には帆を上げたヨットと小舟が浮かんでいる。

アンドレイ・ペトローヴィチ・ヴェルシーロフは非常に謎の多い人物である。そのためか、この小説では語り手のアルカージーについで強い存在感を感じさせるのであるが、その割りに決定的な意義をもつような行動はしていない。それはおそらく、この小説がアルカージーの回想という形をとっており、したがってアルカージーの意識を通過したことがらしか書かれていないという事情と関連するのであろう。かれはアルカージーの実の父親であり、アルカージーともっとも密接な関係にあるので、当然もっとも多く言及される。そのアルカージーにはヴェルシーロフは謎の多い人物に見えている。そこで当然のこととして、アルカージーは読者にとっても謎の多い人物というふうに映るわけである。

過日、大学時代の友人たち三人と新宿で台湾料理を食いながら久しぶりの談笑を楽しんだ際に、思い出話とともに色々話題があがった中で、コミュニズムについてマルクスはどのようなイメージを抱いていたかということが、熱心な討議を呼び起こした。討議といういささか大げさな言葉を使うのは、その議論がかなり熱を帯びていたことを表現したいからだ。論争とまではいかなかったが、それぞれの持っている見方が相互に微妙に違っているために、あっさり同感というわけにはまいらず、ちょっとした意見の齟齬をきたし、その齟齬が議論を熱くさせたのである。

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1994年のニュージーランド映画「乙女の祈り(Heavenly Creatures ピーター・ジャクソン監督)」は、少女同士の同性愛をテーマにした作品。映画の舞台は1953年頃のニュージーランドの都市部ということになっており、その時代のニュージーランドでは、同性愛は許されなかった。社会には同性愛者を受け入れる余地は全くなく、異常性格あるいは若気の至りの逸脱と思われていた。そんな社会で未成年の少女同士が同性愛に陥ったらどういうことになるか。実の親を含めた社会全体から、異分子として排除されるほかはない。そういった息苦しさを描いた作品である。

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「少女と子豚(Girl with Pigs)」と題されたこの絵は、人物をフィーチャーしたゲインズバラの風景画の傑作。ジョシュア・レイノルズはこの絵を、ゲインズバラの最高傑作と称した。人物を風景の添え物にしたゲインズバラの数多くの作品のなかで、この絵は少女とともに三匹の子豚を配しているところが特徴である。これらの子豚がいるおかげで、画面に躍動感と温かさが加わっている。

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1993年のニュージーランド映画「ピアノ・レッスン(The Piano ジェーン・カンピオン監督)」は、ニュージーランドの開拓地を舞台に、ある女性の愛と悲しみを描いた作品。これを小生は、もう30年近くも前に劇場で見たのだったが、その折には、手の込んだ恋愛映画くらいにしか受け取らなかった。異常な恋愛ではあったが、また理解しがたい結末だったが、男女の恋愛がテーマと言えたからだ。

「申楽談義」は、正確には「世子六十以後申楽談義」という。世阿弥の次男元能が父親の能楽についての説を聞き書きしたものである。本文の奥書に、永享二年(1430)十一月十一日成立とある。その年に、元能は出家して、能楽の世界から去っているので、去るにあたって、父親の説を聞き書きしたものを、贈呈したものであろう。もっとも奥書には、「御一見の後火に焼きて給ふべきものなり」とは書いているが。また、タイトルに世子六十以後とあるが、世阿弥が六十歳になったのは応永二十九年(1422)のことである。だからそれ以後八年間に世阿弥が説いたものを聞き書きしたということになろう。

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「市場からの道(Road from Market)」と題されたこの絵は、ゲインズバラが久しぶりに制作した風景画である。ゲインズバラは、生活のために金持ちの肖像画を主に描いていたので、好きな風景画を描く時間的な余裕がなかった。この大きな画面に風景画を描いたのは、生活に余裕ができたからだろう。

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1996年の映画「シャイン」は、オーストラリアに実在したピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いた作品。メルボルンに生まれ育ったデヴィッドが、厳格な父親との葛藤に直面しながら、父の反対を押し切ってイギリスの王立音楽院に入学し、一流のピアニストになっていく過程を描く。どういうわけか彼は精神障害を患うようになり、オーストラリアに戻ったのちも父親との和解がうまくいかず、ピアニストとして前途を絶たれるのであるが、ある女性と出会うことで、生きることに自身を取り戻す、というような内容である。

正法眼蔵第三十一は「諸悪莫作」の巻。七仏通戒の偈にある「諸惡莫作、衆善奉行、自淨其意、是諸佛教(惡を作すこと莫れ、衆善奉行すべし、自ら其の意を淨む、是れ諸佛の教なり)についての解釈を示したもの。これは普通には、「諸悪をなすなかれ、衆禅を行いなさい」というふうに読めるが、じつはそんなに単純なものではない、もっと深い意味があると説く。じっさい、白居易はそのように解釈して厳しく批判された、と言って、この言葉の深い意味を説くのである。

「意味の論理学」は、「差異と反復」とともに、ドゥルーズの初期の業績の集大成というべきものである。彼は哲学のキャリアを始めた当初から、西洋伝統哲学(形而上学と呼ばれる)を解体して、その上で全く新しい思想を展開してみせようという意気込みをもっていたように見える。ほぼ同時代のデリダがやはり同じような意気込みをもっていて、それを哲学の脱構築と呼んだ。ドゥルーズは、脱構築という言葉は使わなかったが、西洋の伝統哲学を解体しようという意志の強さはデリダに劣らなかったといえる。しかも、デリダが脱構築した後に、伝統的な哲学にかわる新たな思想の枠組を提示することに成功したとはいえなかったことに比べれば、ドゥルーズには伝統哲学にかわる選択肢の一つを提示できたと自負できる理由があるのではないか。ドゥルーズにとっては、「差異と反復」は西洋の伝統哲学の解体の試みであり、「意味の論理学」は伝統哲学=形而上学に代わる新たな思想の枠組を提示する試みと言えるのではないか。

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「小川と堰のある風景(Landscape with Stream and Weir)」と題されたこの絵は、タイトル通り田園を流れる小川と、そこにかけられた堰を描いたもの。そこに樹下にくつろぐ夫人と家畜が描かれている。ゲインズバラの初期の風景画の最後を飾るもので、これ以降ゲインズバラは肖像画の制作に専念する。生活のためであった。

小説「未成年」は、アルカージー・マカーロヴィチ・ドルゴルーキーという人物の回想録という形をとっている。その回想の中で、一年ほどの間に起きたことがらが再現されるのだが、その中では、アルカージーの目に映ったさまざまな事態の記述と並んで、アルカージーの自分自身についての反省のようなものも語られる。アルカージー・マカーロヴィッチは単なる語り手ではなく、彼自身の自己意識をもったプレーヤーなのだ。そこでここでは、そのアルカージーの素顔とでもいうべきものを取り上げてみたい。かれの素顔を知ることは、小説の読解を深めるには欠かせないと思われるからだ。

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1982年のオーストラリア映画「危険な年(The Year of Living Dangerously ピーター・ウィアー監督)」は、1965年9月30日にインドネシアで起きたクーデターをテーマにした作品。このクーデターの背後関係など詳細はわからないが、これがきっかけでスカルノが権力を失い、スハルトが新たな権力者になった。スハルトが主導したクーデター鎮圧作戦は、共産党員や反政府分子の弾圧を伴い、100万人以上のインドネシア人が虐殺された。ブンガワン・ソロが血で染まったことは有名な話である。その虐殺の様子については、2012年のドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」がショッキングな描き方をしている。

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「アンドリューズ夫妻(Mr and Mrs Andrews)」と題されたこの絵は、ゲインズバラの代表作たるのみならず、イギリス絵画を代表するものともいわれる。エリザベス二世の戴冠式を記念して選ばれた四つのマスターピースの一つに選ばれたほどである。そんなわけで、イギリス国内はもとより、世界中でゲインズバラ関係の展覧会が開催される際には、かならずリクエストされる。

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1981年のオーストラリア映画「誓い(Gallipoli ピーター・ウィアー監督)」は、第一次大戦に英軍側にたってトルコ軍と戦うオーストラリア兵を描いた作品。オーストラリアがなぜ英軍の友軍として参加したかについては、色々な事情があるのだろう。映画はそのことについては触れない。オーストラリア人がイギリスのために戦うのは当然だという前提にたっている。オーストラリアがイギリスから独立したのは1901年のことであり、第一次大戦の時期には独立国家だったわけだから、なにもイギリスに義理立てして戦争に参加することはないと思うのだが、オーストラリアはイギリスの植民地として始まり、イギリスを本国視する慣習が身についていたようなので、イギリス側にたってトルコと闘うのは当たり前のことだったようだ。

九位とは、能楽の芸の境位を九段階にわけたもの。世阿弥はそれを、上三花、中三位、下三位にわけ、さらに、上三花を妙化風、寵深花風、閑花風に、中三位を正花風、広精風、浅文風に、下三位を強細風、強粗風、粗鉛風に細分する。そのうえで、中初・上中・下後と言う。これは、中から入って次第に上へと上がり、最後に下に降りてくるという意味である。中から入ると言うのがミソである。下から入ると、芸が上達しない。下の境地は、いったん上へ上りついた者でなければ、正しく会得することができない、という考えがここには込められている。

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「樹木のある風景(Wooded Landscape with a Peasant Resting)」と題されるこの絵は、トーマス・ゲインズバラの初期の風景画。彼が20歳の時の作品だ。ゲインズバラは、肖像画家としてまず名声を博したのだが、好みとしては風景画に傾いていた。だから、肖像画を描く時にも、かならず自然の風景を背景に描いた。かれは、風景の中の人間を意識的に描いた最初の画家と言える。

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1975年のオーストラリア映画「ピクニックatハンギング・ロック(Picnic at Hanging Rock)」は、寄宿制女学校の生徒たちの謎の失踪事件を描いた作品。生徒たちが学校近くのハンギング・ロックという岩山にピクニックしたさいに、三人の生徒と一人の教師が謎の失踪をする。そのため、学校は無論、地元の警察や住民も大騒ぎをする。生徒のうちの一人は生きて見つかるが、他の三人はついに見つからない。一方、この学校の校長は、生徒の命より学校の経営のほうを大事に考え、貧しくて授業料を払えぬ生徒を追い出そうとする。それに絶望した生徒は自殺し、校長もまた事故死する、というような内容だ。

正法眼蔵第三十は「看経」の巻。看経とは経を読むことをいう。経を読むことの修行上の意義は何か、また、実際に看経の儀式をするときはどのように行うべきかについて説かれる。道元は、看経そのものにはたいした意義を認めていないというふうに、普通は受け取られている。しかしそれは、お経の字面だけを読んでも意味がないので、お経の真に意味するところを感得すべきだということを意味している。お経に込められた仏祖たちの真の教えを体得することが看経の意義だというのである。

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表参道を、山通との交差点を渡ると、その延長上に東側に伸びるやや狭い道が伸び、それを「みゆき通り」と言いますが、この通りの外れ近くにフロムファーストビルができてからは、フロムファースト通りとも呼ばれるようになりました。フロムファースト自体は、総合生活提案産業ですが、ビルの中にはさまざまな商業施設が入っています。この建物を設計したのは山下和正。竣工は1975年です。

ドゥルーズは、西洋の伝統思想である形而上学を根本的に批判し、それを解体したうえで、全く新しい思想の原理を提示しようとする。それは自分自身の反復の思想を、ニーチェの永遠回帰の思想と融合させたものだ。永遠回帰としての反復というべきものが、ドゥルーズの掲げる新しい哲学の原理なのである。とはいっても、ドゥルーズの解釈するニーチェの永遠回帰は、ニーチェ本人が考えていた永遠回帰とはかならずしも一致しない。ドゥルーズは、自分自身の反復についての考えを、ニーチェの永遠回帰に無理に接合しようとして、永遠回帰の思想的な含意をゆがめて捉えなおしているフシが見える。もっともそれが悪いというわけではない。先人の思想の読み替えは、哲学の歴史ではめずらしいことではない。むしろ読み替えによって、思想が新たな命を吹きこまれることもある。

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トーマス・ゲインズバラは、英国の絵画史上初の本格的画家である。その前にホガースが出現して、イギリスの最初の国産画家と言われたものだが、ホガースは版画のほうが有名で、彩色画は平凡だった。ゲインズバラは、油彩画を得意とし、人物画や風景画に優れた作品を残した。

ドストエフスキーの小説「未成年」は、いわゆる五代長編小説のうち四番目の作品である。「悪霊」と「カラマーゾフの兄弟」の間に位置する。ドストエフスキー研究で知られる寺田透はこの小説を、ドストエフスキーの第二の処女作と言っている。どういうつもりでそう言ったのか。処女作というと、その後の作品世界にとっての手がかりを示したものということになる。もしこの小説を処女作と言うならば、それを手掛かりとした作品は、「作家の日記」を別におけば、「カラマーゾフの兄弟」ということになる。だが、「カラマーゾフの兄弟」が「未成年」から生まれたとはなかなか考えがたいのではないか。

「未成年」はむしろ「悪霊」との関連において論じるのが理にかなっているのではないか。その関連において重視すべきは二つある。一つは語り口であり、もう一つは人物像である。語り口については、「悪霊」では基本的には小説の一登場人物の語りという体裁をとりながら、それがいつの間にか第三者の語りと混交するというような不思議なスタイルをとっていた。小説の構成にある程度の客観性を持たせようとする配慮がそうさせたのだと思う。それは読み手にとって、筋の進行がわかりやすくなるという効果をもたらした反面、なにか作り物めいたしらじらしさを感じさせないでもなかった。そのしらじらしさについて反省したのか、ドストエフスキーはこの「未成年」では、完全な一人称のスタイルに徹している。そのことで、小説の構成は厳密でかつシンプルなものになった。だがそのかわりに、客観的な描写を犠牲にせねばならなかった。この小説は完全な一人称で進行するので、語り手の意識に現れたもの以外は語られないのである。しかもその語り手は、未成年であって、したがって人間として未熟である。その未熟な人間の意識にのぼったことだけが語られるので、語り方は稚拙にもなり、また感情的になったり、誤解も多かったりする。そういう語り方は、語り手の個人的な心理的事実を語るには適しているが、複雑な事態を描写するには適していない。それをあえてドストエフスキーが行ったのはどういう理由からか、ということが問題となる。

人物像については、「悪霊」に登場するのは、ロシアに現れつつあった新しい世代の若者たちが中心である。かれらは、ナロードニキであったり、無政府主義者であったり、社会主義者であったりする。そんな若者たちにドストエフスキー自身は批判的である。それゆえ、語り手を通じてそういう思想を批判させたり、また、ロシア主義を主張させたりする。そんなわけで「悪霊」という小説は、きわめて政治的なメッセージを含んでいる。それに対して、「未成年」に出て来る人物像は、基本的には利己的な人間ばかりで、政治的な野心はほとんど感じさせない。ワーシャという人物や、かれの関係する若者たちが登場し、政治的な議論をする場面もあるが、かれらのそうした行いはあくまでも刺身のツマのような扱いであり、小説の前景になることは一度もない。その点は、「悪霊」と「未成年」とは、まったく違う世界を描いているといってよい。「悪霊」は、新しい世代のロシアの若者たちの政治的な行動をテーマとし、「未成年」のほうは、利己的な人間たちが繰り広げる世間話のようなものがテーマになっている。

世間話といったが、この小説にはたいした筋書きはないのである。一応クライマックスはあり、それに向かって様々な事態が展開していくという体裁にはなっているが、そのクライマックスというのが、基本的には金をめぐるごたごたなのである。この小説は、ソコーリスキー老侯爵の遺産をめぐる争いが基本的なテーマなのだ。それに主人公の父親ヴェルシーロフの狂気だとか、カテリーナ・ニコラーエヴナとアンナ・アンドレーエヴナの確執とかがからんでくるが、それらはサブプロットいってよく、メーンプロットは遺産つまり金をめぐるごたごたなのである。ドストエフスキーの小説としては、めずらしく世俗的な内容である。

この小説の語り手は、アルカージー・マカーロヴィッチという未成年者で、かれが一年余りの間に体験した出来事を回想するという体裁をとっている。小説はそのアルカージーの回想録(本人は記録とか手記と呼んでいる)なのである。その回想録を語り手は一年前の九月十九日を起点にして書いたと言っているが、その九月十九日というのは、クラフトという若者から書類を受け取った日で、その書類というのが、老侯爵の遺産にまつわることが書かれていることからも、この小説が遺産相続争いをテーマにしたものだということができるのである。

遺産相続は、昔のロシア人にとっては深刻な問題で、したがって大きな関心の的ではありえたかもしれぬが、偉大な小説のテーマとしてはいかにもこまごましい印象を与える。そこで、ヴェルシーロフの狂気だとか、彼とカテリーナ・ニコラーエヴナとの不思議な愛憎関係とか、語り手のアルカージーとヴェルシーロフやそのほかの家族との関係とか、老侯爵をとりまく人間模様とか、幼馴染でならずもののランベルトとか、ワーシンを中心とした新しい青年たちとか、ドストエフスキーが大好きな不幸な女とかを登場させて、小説の展開に色を添えてはいる。だが、それらはあくまでサブプロット扱いであり、メーンプロットは老侯爵をめぐる遺産争奪の争いなのである。

第一、語り手のアルカージー自身が、遺産相続の行方を左右する重要な文書に始終こだわっているのである。この小説はそのアルカージーの意識のなかにあらわれたものだけを記録するという体裁をとっているので、そのアルカージーが遺産相続の行方に関心を集中しているかぎり、そのことが小説のメーンテーマであり続けるわけだ。

そんなわけで、この小説は、アルカージー・マカーロヴィッチの意識の範囲を展開の場としている。かれの意識にうつった世界を、多少の解釈を交えながら記録するという体裁をとっている。その結果、描写は極めて主観的にならざるをえないし、解釈の中には誤解も含まれているようなので、どれが事実でどれが誤解なのか、客観的に判断するすべがない。事実の判断基準がないのであるから、読者は語り手の言っていることを、眉につばしながら受け取らねばなるまい。「悪霊」の場合には、事実を自然に見せるための工夫として、ときたま第三者的な描写が行われ、それが事実の展開に自然なイメージを付与するのであるが、「未成年」には、そうした工夫は一切なく、あくまでもアルカージーの体験したことを聞かされる。それゆえ、語りの内容にはかなりな混乱も生じる。その混乱をドストエフスキーは楽しんでいるフシがある。


過日、「アルチュール・ランボーとわが青春」と題して、小生の青春がアルチュール・ランボーにかなり影響された経緯を披露した。ランボーはなにしろ型破りな男であるから、接するものを夢中にさせずにはおかない。まして少年においてやである。だが、ランボー一点張りの少年時代を送った人間は、かなりいびつな生き方をすると思う。小生の場合には、ランボーにかぶれた度合いが強かったために、性格的にいびつなところが身についてしまったが、しかしランボー以外にも心酔するものはあったので、ランボー一点張りというわけでもなく、パッチワークのようないい加減なところもある。そこで今回は、ランボー以外に小生の心酔したものを紹介したいと思う。

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2014年のノルウェー映画「バレエボーイズ Ballettgutteneケネス・エルベバック監督」は、プロのバレエダンサーを目指す少年たちを追跡したドキュメンタリー作品。同じダンススクールに通っていた三人の少年たちの成長する様子を、四年間かけて記録したものを編集した。男子がバレエダンサーを目指すというのは、おそらくノルウェーでも珍しいのであろう。だから、その少年たちに注目して、時間をかけてドキュメンタリーに仕上げようというアイデアが出てくるのは、不自然ではない。


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プラダ青山の東側に小道を挟んで隣接するのは「ザジュエルズオブアオヤマ」です。ファッションブランド数店などが入る複合商業施設です。きわめてユニークな外観のこの建物を設計したのは光井純&アソシエーツ建築設計事務所。竣工は2005年です。

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1824年6月に、ゴヤはボルドーに移住し、死ぬまでその地にとどまった。一応休暇名目で国王の許可を得ていたが、実際にはフェルディナンド七世による自由主義者の弾圧を逃れるための亡命のようなものだった。その年ゴヤはすでに七十八歳。死ぬのはその四年後である。

ハーバード大学の学長辞任騒動について、これは米国内での親イスラエル勢力の圧力によるものと、小生などは思っていたが、実はもっと複雑な事情があるらしい。その事情の一端を、雑誌「世界」の最新号(2024年4月号)に寄せられた一文が解き明かしている。「大学不信と多様性へのバックラッシュ」と題されたこの小文(林香里)は、米国内における保守派による大学の多様性へのバックラッシュがこの事件の真の要因であり、反ユダヤ主義云々という保守派の主張は、多様性への敵対を糊塗する言い訳のようなものだというのである。

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2011年のノルウェー映画「15歳、アルマの恋愛妄想」は、思春期の少女の性衝動をテーマにした作品。15歳のアルマが、性衝動に駆られて、マスターベーションに耽る一方で、好きな男子とのセックスを妄想するというような内容である。少女の性衝動の現れは常軌を逸しているように見えるので、母親は娘が色きちがいになってしまったのではないかと心配する。また、その色情が学校の同級生にも疎まれ、アルマは孤立を感じる。日本人にはちょっと考えにくい設定だが、発育が速い大柄なノルウェー人には珍しいことではないのだろう。

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表参道と青山通りの交差点を渡った先に、通称フロムファースト通りがあり、その通りを少し進むと、左手にファッショナブルな建物が見えます。イタリアのファッションブランド、ブルネロ・クチネリの旗艦店です。石造を思わせる重厚なイメージのファサードが印象的です。設計はイタリアの建築家ロレンツォ・ラディ。世界中のブルネロの店舗設計を手掛けているそうです。竣工は2021年です。

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「闘牛(Suerte de Varas)」と題するこの絵は、「狂人の家」や「異端審問」などとともに同じシリーズを構成するとみられもするが、ほかの作品よりかなり後の1824年に制作されており、また、ゴヤ自身闘牛に深い関心があり、1816年には闘牛をモチーフにした版画集も制作しているので、独立した作品ととらえることもできよう。

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2002年のノルウェー映画「キッチン・ストーリー(ベント・ハーメル監督)」は、ノルウェー人とスウェーデン人との奇妙な関係を描いた作品。スウェーデン側が、ノルウェー人を実験材料につかって商売上の研究を進めることに、材料にされたノルウェー側が複雑な反応をする。その反応ぶりを見ていると、ノルウェーにはスウェーデンへのコンプレックスがあるのではないかと感じさせられる。スウェーデンはデンマークに対しては劣等感を抱いているようなのだが、ノルウェーに対しては優越感情を持っているようである。そんなことが伝わってくる映画である。

正法眼蔵第二十九は「山水経」の巻。その趣旨は、さとりの境地を山水にたとえたもの。さとりを自然にたとえたところは「渓声山色」に通じる。冒頭で「而今の山水は、古物の道現成」なりと言って、われわれを取り巻いている山水つまり自然こそ、仏道が現成した姿であると説く。

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原宿駅から表参道を引き返して、青山通りとの交差点を右に行くと、ひときわ高いビルが見えます。AO(あお)という複合施設のビルです。高層の建物と中層の建物がセットになっています。高層の建物は、下に向かって幅が狭くなっていて、いかにも不安定に見えます。設計は日本設計。竣工は2009年。名称の「あお」は、「青山で会おう」と語呂合わせをしているのだそうです。

「差異と反復」の結論部分のタイトルは、ずばり「差異と反復」である。このタイトルを用いることによってドゥルーズは、この書物の目的を改めて確認しているわけである。その目的とは、西洋哲学の伝統を形成してきた形而上学を根本的に批判し、それに代わるものを提示するというものだった。形而上学の根本的な批判は、「表象=再現前化批判」という形をとり、新しい哲学は「永遠回帰」の思想という形をとる。そうすることでドゥルーズは、ニーチェこそが新たな時代の哲学にとっての導きの星であると位置付けるのだ。

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ゴヤは、1819年にマドリード郊外のマンサレナス川の岸辺に「つんぼの家」と称された別荘に移り住んだが、その年に腸チフスにかかって死に損なうという目にあった。その際に、友人の医師アリエータが献身的な看護をしてくれたおかげで、ゴヤは一命をとりとめた。この絵(Goya curado por el doctor Arrieta)は、自分に献身的な看護をしてくれたアリエータへの感謝の気持ちをこめて翌1820年に制作したものである。

「スタヴローギンの告白」は、そもそも「悪霊」のために書かれたものである。ドストエフスキーはこの文章を、第二部第八章に続くものとして書いたのだったが、色々な事情があって、本文から排除してしまった。出版社の意向に左右されたというのが有力な説である。この文章には、スタヴローギンがいたいけな少女を性的に虐待し、その結果自殺に追いやる場面が出てくる。それは、スタヴローギンの異常な人格を浮かび上がらせるための工夫だったと思われるが、あまりにも陰惨な内容だったため、出版社が拒絶反応を示した。ドストエフスキーはそれに逆らえず、この文章を排除することに同意したということらしい。

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2017年のノルウェー映画「ザ・ハント ナチスに狙われた男」は、第二次大戦中ナチスドイツに侵略されたノルウェーの対独抵抗作戦をテーマにした作品。事実に基づいているとのアナウンスがあるので、実際にあったことなのだろう。イギリスで訓練を受けたノルウェー人12人が、対独工作要因としてノルウェーで活動するが、一人を残して捕らえられ、捕らえられたものらは拷問を受けたうえで殺される。残った一人は、作戦の報告を目的に、スウェーデンへの脱出をはかる。それをナチスの一将校が執拗に追う、というような内容。見方によっては、対独レジスタンスとも、サバイバル・サスペンスとも受け取れる。

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表参道と明治通りの交差点から明治通りを北上すると左手に奇妙な形のビルが見えます。ジ・アイスキューブ・ビルという複合施設です。名前のとおり、氷の塊を積み重ねたような形です。その氷の塊をガラスのチューブで表現しています。設計は光井純&アソシエーツ建築設計事務所、竣工は2008年です。

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ゴヤは、1808年5月の反ナポレオン民衆蜂起をテーマにした作品を二点、1814年に制作した。一つは1808年5月2日のマムルーク族の攻撃をテーマにしたもの、もう一つは翌5月3日の反乱兵士たちの銃殺をテーマにしたものだ。これはそのうち、5月2日のマムルーク族の攻撃をテーマにしたものである。タイトルは「1808年5月2日(El 2 de mayo de 1808 en Madrid)」、あるいは「マムルーク族の攻撃(La carga de los mamelucos)」とも呼ばれる。

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2018年のノルウェー映画「ウトヤ島、7月22日」は、2011年7月22に日に起きた右翼の連続テロ事件のうち、ウトヤ島で起きた事件を描いた作品。この事件は、たった一人の右翼の男が引き起こしたもので、まずオスロ市内の政府庁舎を連続爆破したのち、夕刻にはウトヤ島でキャンプを張っていた数百人の青年たちに襲いかかり、無差別に銃殺したというもの。全体の規模としては77人の死者と319人の負傷者を出した。そのうち69人がウトヤ島で殺されたという。このショッキングな事件が、たった一人の男によってなされ、それに対して警察が有効な対応をとれなかったということで、世論の厳しい批判を巻き起こした。もっとも警察当局は、適切な対応をとったと強弁して、涼しい顔をしたそうである。

「花鏡」事書十二か条のうち第七条は「劫之入用心之事」。劫とは、長い修行の成果として位の上がること。その位の上がること、つまり年功を積むことを劫之入るといい、それについては用心すべきことがあるとする。修行にとっては、場所がものをいう。都にはいろいろ刺激があるので、田舎に比べれば上達に有利である。これを住劫という。都にいながら、上手の人も年をとれば古臭くなることがある。都の人は目利きが多いので、上手の仕損じを見抜くからである。

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東急プラザ表参道を再訪しました。前回は、ケヤキの葉が鬱蒼と繁っていましたが、今回は葉を落としていて、建物のアウトラインがよく見えます。一方で屋上の植栽は、常緑樹ですので、冬でも青々としています。

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「1808年5月3日(El tres de mayo de 1808 en Madrid)」と題するこの絵は、「1808年5月2日」の姉妹作である。前日からのナポレオン軍による鎮圧により逮捕された民兵が、ナポレオン軍の兵士らによって射殺される様子を描く。戦争絵画の歴史のなかで、最も大きな反響を呼んだ記念碑的な作品と言える。
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2018年のノルウェー映画「キング・オブ・トロール勇者と山の巨神」は、ノルウェーの伝説に題材をとった作品。トロールというのは山の精霊のような動物で、北欧諸国の伝説に出てくるのだそうだ。ハイネの長編詩に「アッタ・トロル」というのがあるが、それもトロールのことだと思う。アッタ・トロルは熊の姿をしている。この映画の中のトロールも熊の怪物としてイメージされている。

正法眼蔵第二十八は「礼拝得髄」の巻。礼拝得髄とは、礼拝して髄を得るということだが、これは禅宗の二祖慧可の斷臂得髓の故事にもとづく。善き師を求めることの大事さを説いたものである。慧可が達磨を礼拝し、かつ斷臂して髄を得たように、我々修行者も師を礼拝して髄を得るべきだというのである。髄とは神髄のことで、仏教の神髄すなわちさとりの境地をいう。

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表参道の一郭に神宮前小学校があり、その斜め前に奇妙な形をした建物がたっています。GYRE(ジャイルと読みます)といって、複合商業施設です。ちょっと見た目にも、かなり風変わりな印象をうけます。建物の各階が、それぞれずれているように見えるのです。各階が連続していないで、断絶したものを積みあげたように見えるところから、まるで積み木のイメージそのものです。

「差異と反復」の第五章は、「感覚されうるものの非対称的総合」と題されているが、実際には、差異と感覚的な所与(ベルグソンが「意識の直接与件」と呼んだもの)との関係について論じる。ドゥルーズによれば、「差異は、所与がそれによって与えられる当のものである。差異は、雑多なものとしての所与がそれによって与えられる当のものである。差異は、現象(与えられるもの)ではなく、現象にこの上なく近い仮想的存在である」。つまり、差異は現象そのものではなく、それを根拠づけるものだというわけである。それをドゥルーズは、別の部分で、差異は現象の充足理由だと言っている。

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「狂人の家(Casa de locos)」と題されたこの絵は、「むち打ち苦行者の行列」、「異端審問」、「闘牛」とともにシリーズを構成する。この作品は、ゴヤの郷里であるサラゴサの精神病院をモチーフにしたものである。ゴヤがなぜ精神病院をモチーフに取り上げたか、よくはわからない。一説には、この頃ゴヤは病気のために、耳が聞こえなくなったり、家族関係が悪くなったりと、かなりのハンデを抱えていたというから、心を病んだ人間に、惹かれるものを感じたのかもしれない。

レビャートキン大尉とその妹レビャートキナ嬢マリアは、小説「悪霊」の本筋にとって重要な人物ではない。ただし、主人公のニコライとは親密な関係にある。とくにマリアは、ニコライの妻である。ニコライはその事実を自分から世間に向かって公表せず、マリアのほうも、痴呆状態になってしまっており、ニコライを夫として認識できないでいる。兄のレビャートキンは、そんな妹をニコライとの絆をつなきとめておく人質みたいに扱っている。この二人は、小説の終わり近いところで殺されてしまうのであるが、それまでは、ニコライに付きまといながら、ニコライの人間性を浮かび上がらせる役目を果たし続ける。要するにニコライという人物にとっての写し鏡のような存在なのである。

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昨年の十月に、国立能楽堂開設四十周年を記念する演能が催され、金剛流の能「檜垣」が演じられた。その様子をNHKが先日(二月二十五日)に放送したのを見た。シテは昨年人間国宝になった金剛永謹、ワキは、これも人間国宝の宝生欣哉だった。


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松岡錠司の2007年の映画「東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン」は、リリー・フランキーの自叙伝を映画化した作品。リリー・フランキーは、「そして父になる」や「万引き家族」など、是枝正和映画の常連として知られているが、エッセーやイラスト、ラヂオ放送などをこなすマルチ・タレントだそうだ。その彼が、若くして書いた半生の自叙伝が大変話題となり、テレビドラマになったり映画化されたというわけだ。

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