2023年5月アーカイブ

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2010年のトルコ映画「蜂蜜(セミフ・カプランオール監督)」は、農村部に暮す一少年の日常を描いた作品。トルコの農村地帯の豊かな自然を背景に、家族の絆とか子どもの世界が情緒たっぷりに描かれており、心がゆったりとさせられる映画である。

加藤周一の論文「科学と文学」は、文字どおり「科学と文学」の関係を、「知る」、「感じる」、「信じる」という人間の三つの能力と関連させながら論じたものだ。かならずしも厳密な議論とは言えず、啓蒙的な狙いをもった文章である。その中で加藤は、科学と技術、技術と社会、社会と文学といった、いくつかの対立軸についてざらっとした見取り図を提示している。その見取り図には新奇なものは見当たらないが、一つ面白いのは、それらに関連させて彼が独自のマルクス観を語っている部分だ。

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先日、上方歌舞伎の人気者片岡愛之助の「女殺油地獄」をNHKのテレビ放送で見て、いたく感心したところだったが、今度は上方歌舞伎の総帥にして、人間国宝に措定されている片岡仁左衛門の特集をやるというので、是非もなく見た次第だ。「松浦の太鼓」をノーカットで放送するほか、仁左衛門が過去に演じた当たり役を紹介していた。仁左衛門の当たり役として人気があるのは、愛之助も演じた「女殺油地獄」の与兵衛とか、「菅原伝授手習鑑」の菅丞相などがあるそうだ。

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キュクロプスはギリシャ神話に出てくる単眼の巨人族。火山ないし鍛冶屋の神といわれるが、ホメロスの「オデュッセイア」には旅人を食らう凶暴な怪物として描かれている。ルドンのこの作品は、キュクロプス族の一人ポリュメーモスが、ガラテーアという娘に恋い焦がれるさまを描いている。

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2018年の韓国映画「はちどり(キム・ボラ監督)」は、思春期の少女を描いた作品。1994年に時代設定されているが、現代の韓国社会と受け止めてよいのだろう。その韓国社会は、希薄な人間関係と、その裏返しとして競争の激しい社会であり、そこで大人になるのはつらい体験だというメッセージが伝わってくる。

「正法眼蔵」第三「仏性」の巻は、仏教の根本思想の一つ「仏性」について説いたものである。「仏性」とは、仏になるべき可能性とか素質とされているもので、誰にも生まれながらに備わっているとされる。大乗仏教の経典の中には、仏性は人間のみならず、ほかの生き物、更には草木国土にまで備わっていると説くものがある。道元もまた、人間以外のものを引き合いに出しながら「仏性」を説いているので、基本的にはありとあらゆるものに仏性が備わっていると考えていたといえる。だが道元には一方で、仏性は無為にしては現成せず、修行によって始めて現成するという思想もあり、一筋縄ではいかないところがある。


今日(5月28日)、小生はいつものとおり近所の長津川公園を散策していたところ、水路にカルガモの親子を見かけました。当初は土の盛り上がった場所でくつろいでいたのですが、そのうち水の中に入って泳ぎ始めました。子ガモたちは好奇心旺盛で、草やコケ類をついばみながら、いろいろな冒険を楽しんでいます。母ガモが羽ばくまねをすると、子がもたちもそれを真似して羽ばたきます。その様が愛らしかったので、動画に撮影しました。

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(表参道KEYAKIビル)

メルロ=ポンティの「シーニュ」所収の論文「間接的言語と沈黙の声」は、サルトルに捧げられている。この論文が書かれたのは1952年のことで、その年二人は決定的に別離した。そういう背景を念頭に読むと、この論文がサルトルへの批判を含んでいると思わせられる。もっともサルトルを直接取り上げたものではなく、サルトルの名はことのついでのように出てくるだけなのであるが、この論文の主要なモチーフの一つが歴史ということであれば、その歴史の解釈をめぐって、両者の間に溝があることは納得される。

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「セーラーカラーをつけたアリ・ルドンの肖像(Portrait d'Arï Redon au col marin)」は、ルドンの次男アリをモデルにした作品、ルドンは、長男のジャンを1886年になくし、深い悲しみにとらわれたのだったが、1889年に、50歳を前にして次男を得た。この子を得たことで、一時衰えた創作意欲が復活したという。

大岡昇平が「堺港攘夷始末」を書いたのは最晩年のことであり、その完成を見ずに死んだ。もっとも書こうと思ていたことの九分ほどは書いたと思われる。書き残したのは、この事件についての大岡の総括的な批評であったようだ。大岡は本文の中でもそうした彼自身の批評を折に触れ加えているから、大岡が当初意図したこの作品の構想は、大部分果たされたといってよいのではないか。だから、この作品は一個の独立した史論として読んでよい。

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地下鉄銀座線の表参道駅を出ると、まず目に入るのが青山パラシオタワーです。この建物は、表参道と青山通りの交差点南西角に位置しており、地下鉄駅とは直接つながっています。ですから、地下鉄駅から表参道にアクセスするさいには、最初に眼に入るというわけです。この建物は、スペインの建築家リカルド・ボフィルによって設計され、1999年に竣工しました。以後、表参道のランドマークとしての役割を果たしてきました。


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2020年の韓国映画「KCIA南山の部長たち(ウ・ミンホ監督)」は、1979年に起きた朴正煕暗殺事件をテーマにした作品。これはKCIA(韓国中央情報部)の部長金載圭(映画では金規泙キム・ギョピョン)が起こしたものであるが、事件の動機や背景など全貌はよくわかっていない。個人的な怨恨が原因だとか、朴正煕独裁政権の転覆を狙ったアメリカの意向によるものだとか、いろいろ憶測が飛んだが、いまだによくわかっていない。

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先日親しい友人たちと小宴を催した折、参加者の一人が東京の現代建築について蘊蓄を披露したことがあった。小生も建築には興味を持っていて、とりわけ建築遺産と呼ばれるものについては、自分自身のサイト「東京を描く」のなかで、特設コーナーを設けて論評しているところである。現代建築は、建築遺産と呼ばれるものとは自ずから趣を異にはするが、なかなか関心をそそられるところもある。そこで小生は、その男の刺激もあって、東京の現代建築を見歩いてみようという気になったところだ。その男が言うには、東京のなかにも表参道界隈は、有名な建築家のデザインしたユニークな建築物が櫛比し、さながら現代建築の展示場の観を呈しているそうだ。そこで小生は、初夏のすがすがしい一日を、表参道界隈をぶらついて、現代建築物を見歩いた次第である。以下、その印象を、写真を添えながら語りたいと思う。

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一時期のルドンは、聖書に取材した宗教的なテーマを描いた。「聖心(Sacré-Cœur)」と題するこの絵もその一つ。キリストのイメージをストレートに表現している。キリストをモチーフにした作品には、受難とか悲しみといったものを表現するものが多いのだが、この作品は、タイトルにあるとおり、キリストの心を表現している。

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2019年の韓国映画「長沙里9.15」は、朝鮮戦争の一こまを描いた作品。北に攻め込まれた南側を助けるため、アメリカ軍が仁川上陸作戦を決行する。この作戦は、戦争全体の帰趨に決定的な影響を及ぼすのだが、それを成功させるために、南側が陽動作戦を実施する。それは、朝鮮半島南東部の長沙里に上陸して、北側の注意をそらせている間に、仁川上陸を成功させようとするものだった。問題なのは、その上陸を担ったのが、南側の正規の軍隊ではなく、急遽かき集められた学生たちだったということだ。その学生たちが、まったく訓練も受けず、ろくな用意もないまま、決死の突撃を繰り返す。常識ではありあないと思われるこの話は、実際にあった話だというので、小生などはびっくりさせられたところだ。

加藤周一は日本の戦後文学を1945年から1975年までの30年間に設定している。その時期の前半は経済復興期にあたり文学も活発だった、後半は経済的な繁栄がもたらされた時代だが、文学は独創的な活気を失った、と加藤はいう。この時期全体を通じていえることは、アメリカの圧倒的な影響である。その影響は政治・経済・軍事・情報・学問・大衆文化の、ほとんどあらゆる領域にわたる。「これほど広範な領域で、日本国が特定の外国へ依存したことは、一九四五年以前にはなかった」。

岩波の雑誌「世界」が、「メディアの『罪と罰』」と題した連載を行っている。これは、朝日出身のジャーナリスト松本一弥による、いわばジャーナリストとしての自己批判のようなものだが、最新号(2023年6月号)の二回目では、「権力者の無責任な言動を追認するメディア」と題する記事を寄せている。

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ルドンは、1880年代の半ばごろに、本格的な油彩画の制作に励むようになった。石版画の制作もやめたわけではない。1890年代半ばごろまで石版画の制作を続けている。だが主力は次第に油彩画のほうに注がれるようになった。「アベルとカイン」と題されたこの作品は、かれの本格的な油彩画の初期の傑作である。

今回のG7は日本の岸田首相が議長を務めたということもあって、岸田首相の人格を感じさせるものとなったのではないか。岸田首相には、核なき世界と言いながら、実際には核抑止を信じているというような、分裂した言動が指摘されるのであるが、今回はそうした岸田首相に呼応するかのように、支離滅裂な会議になったというのが小生の受けた印象である。

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2014年の韓国映画「国際市場で逢いましょう(ユン・ジェギュン監督)」は、韓国現代史の一こまを描いた作品。北出身の一人の男とその家族を通じて、韓国という国とそこに生きる人々のあり方みたいなものを描いている。しかも、韓国現代史を象徴する出来事を背景にして。その出来事とは四つ、朝鮮戦争と国家の分断、貧しい時代における海外特にドイツへの出稼ぎ、ベトナム戦争への参戦、そして南北離散家族問題だ。そのすべてに、映画の主人公である男は、なんらかのたたちで巻き込まれるのである。

「正法眼蔵」第二「魔訶般若波羅蜜」の巻が説かれたのは天福元年(1233)、現成公案」を説いた翌年、道元満三十三歳の年である。「現成公案」に引き続き、空の思想を説いている。それを道元は、「般若心経」及び「大般若経」の経文を引用し、それに注釈を加えるかたちで説くという方法をとっている。併せて道元が古仏と呼ぶ天童如浄の教えを紹介している。般若心経を読んだことのある人には、わかりやすい説明だと思うので、テクストにそった逐語訳はせずに、ポイントとなるところをとりあげて、小生なりの評釈を加えたい。段落ごとにとりあげ、漢文は読み下し文にしてある。

岩波の雑誌「世界」の最新号は、「現代日本のSNS空間」と題する特集を組んでいるが、寄せられた論文はみな、SNS空間のネガティブな面に注目している。特に、ネトウヨと呼ばれるような連中による社会の少数派への誹謗中傷のすさまじさが、日本の民主主義の脅威になっているといった指摘が注目される。冒頭の「『Colaboバッシング』とは何なのか」と題した小川たまかと安田浩一の対談は、最近起きた女性支援団体Colaboに対する根拠のない攻撃を材料にとって、ネトウヨの悪質さを指摘している。かれらがいうには、そうしたネトウヨの攻撃に、東京都の担当者が委縮し、その結果女性支援事業が損なわれているのは、ネトウヨに成功体験を味わせるもので、かれらの行動をエスカレートさせることになり、看過できないということだ。けだし、行政はこうした問題に直面すると及び腰になる傾向が強いようである。

「シーニュ」はメルロ=ポンティにとって、「意味と無意味」に続く二冊目の論文集である。これを刊行したのは1960年のことであり、「意味と無意味」の刊行から12年が過ぎていた。しかも彼は、この本の刊行の翌年、1961年に死んでいる。だからこの論文集は、「意味と無意味」以降の彼の文業の集大成的な意味をもっているわけだ。その間に彼は、サルトルと決別し、またマルクス主義とも一線を置くようになり、次第に彼の性にあった活動をするようになる。もっともその活動は、突然の死によって中断されるのであるが。

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(おそらく花の中に最初の資格が試みられた)

「起源(Les origines 1883年)」はルドンの三番目の石版画集で、八点の作品で構成されている。豚の怪物が暗闇の中で目覚めるといった構図の作品からはじまる。目覚めは誕生、つまり生命の起源の隠喩だろう。以下いづれも、何らかの形で「起源」をテーマにしていると受け取れる。

森鴎外の小文「空車」は、文字通り空車について述べた感想文のようなものである。これを鴎外は「むなぐるま」と呼び、古言だという。それに対して「からぐるま」と読むのは「なつかしくない」といって、自分としては「むなぐるま」という古言をあえて使いたいという。

岩波の雑誌「世界」の最新号が、特集2として、「もうひとつの資本主義へ=宇沢弘文という問い」というテーマを押し出している。宇沢弘文といえば、「社会的共通資本」という概念を武器に、資本主義の限界について考察を行った経済学者であるが、新自由主義経済学が猛威をふるうようになった時代には、ほとんど忘れられた存在になっていた。それが今日脚光を浴びるようになったのは、資本主義経済の矛盾が激化し、そうした状況を踏まえた、あたらしい資本主義が模索されるようになったからだろう。自民党政権でさえ、岸田首相を先頭に、「あたらしい資本主義」を云々するようなった。もっともその言葉を発している岸田本人に、どれだけ問題がわかっているか、心もとないのではあるが。

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蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)の2006年の映画「黒い眼のオペラ(黒眼圏)」は、もともとマレーシア出身だった蔡が、故郷のクアラルンプールを舞台に作った作品。テーマはマレーシアの貧民たちのみじめな生きざまである。貧民はどの国にもいるが、マレーシアの貧民はいちだんとすさまじい生き方をしている。しかもクアラルンプールは他民族都市であり、他国からやってきた貧民が加わって、社会の底辺はきわめて混沌とした様相を呈している、というようなことを感じさせる映画である。

岩波の雑誌「世界」の最新号(2023年6月号)に、今年の統一地方選挙に関連した記事がいくつか掲載されているが、その中で「地方議会はいらない?」と題した記事(大山礼子筆)を興味深く読んだ。これは地方議会への関心の低さとその原因について分析したものだが、地方議会への関心が低下するのは、民主主義にとってよいことではなく、関心を高めるための方策を考えなくてはならない、と主張したものだ。

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(孵化)

ルドンは、石版画家として世間に現れた。最初の石版画集「夢の中で」を刊行したのは39歳の時だから、画家としてのスタートは遅かったといえる。それまでは、つまり若いころは、あまりさえない風景画を描いており、ほとんど注目されることはなかった。ルドンに石版画の手ほどきをしたのは、風変わりな浪漫派芸術家ブレダンである。この男はシャンフルーリの小説「犬っころ」のモデルになったことでも知られる。画家としては、ロマン派に属し、古典的な絵画ではなく、激情的な雰囲気を感じさせる画風である。ルドンは、技術のみならず、画風もブレダンから学んだようである。


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蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)の2005年の映画「西瓜」は、前作「楽日」同様ほとんどセリフのない映画である。セリフがほとんどないので、ドラマ性もない。ドラマというものは、言葉によって演出されるものだから、その言葉がないということは、ドラマが成り立たないということなのだろう。そういうのを何と称するのか。アンチ・ドラマとでもいえばよいのか。

加藤周一は谷崎潤一郎を永井荷風と比較しながら論じている。この二人は個人的にも仲が良く、似ているところもあった。日本の伝統文化に対する嗜好、そして女性を愛することである。だが二人の女性の愛し方には微妙な違いがあり、また、二人が好んだ日本の伝統文化もそれぞれ違ったものだった。荷風は、谷崎の言い分を借りていえば、「女性を自分以下に見下し、彼女等を玩弄物視する風があった」が、谷崎自身は「女を自分より上のものとして見る。自分のほうから女を仰ぎ見る。それに値する女でなければ女とは思はない」と言うのである。これは女に対する態度の対照的なものとはいえるが、しかし女をひたすら愛する点では、相違はないともいえる。その二人の姿勢を川端康成と比較すれば、いっそうあきらかである。川端には女をいつくしむ姿勢が見られないのに対して、この二人は、多少ベクトルの角度の違いはあっても、同じ方向を向いていたのである。

藤原帰一は国際政治学の視点から、現代社会について考察し、様々な媒体を通じて意見を発信しているようだ。岩波の雑誌「世界」に連載している「壊れる世界」もそうした発信の一つであり、小生は毎号読んでいる。最新号(2023年6月号)では、「戦争とナショナリズム」と題して、21世紀になって大規模戦争の可能性が無視できなくなり、それをナショナリズムが支えているという分析をしているのだが、その中で一つ、ウクライナ戦争の終わらせ方をめぐって藤原の提示するオプションにたいへん興味を覚えた。

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「ビスマルク氏の悪夢(Un couchemar de M.Bismarck)」と題されたこの作品は、普仏戦争に触発されて制作したもの。この戦争で、フランスは初戦で健闘したものの、たちまち攻め込まれ、ルイ・ナポレオンが捕虜になるという不名誉な結果となった。そのことで、ナポレオンの第二帝政は崩壊する。

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蔡明亮は1990年代から2000代にかけて活躍した台湾の映画作家だ。ユニークな作風で知られている。2003年に公開した「楽日(原題は<不散>)」は、セリフをほとんど省略している点で無言劇に近く、しかもモンタージュを全く無視するかのように、カメラの長回しを重ねることで成り立っている不思議な映画である。長回しは固定した視点から取られているので、観客はあたかも演劇の舞台を見ているような気持ちにさせられる。

心身脱落の結果現れるのはさとりの境地である。そのさとりとはいかなるものかについて書かれたのが「現成公案」の後半部である。以下テクストにそって読み解く。原文と現代語訳を併記する。

豊饒たる熟女の皆さんと半年ぶりに会ってランチを楽しんだ。船橋駅の構内にある少女像の前で落ち合ったが、今回はM女の姿はなく、T女とY女が来ている。M女とはなぜ連絡が取れないのかね、といったところ、いくら電話で呼んでも出ないのですよ、という。一度は連絡がついたのだが、その後音信不通になったというのだ。まあ、仕方がない、三人でイタリア料理でも食おうか。

岩波の雑誌「世界」の最新号(2023年6月号)が、「もうひとつの資本主義」と題する特集をしている。副題にあるとおり、「宇沢弘文」に関した論文が中心になっているのだが、なかに宇沢とは別の問題意識で日本の資本主義ののぞましいあり方をテーマにした面白い対談が載っている。上村達夫と原丈人の「公益資本主義とは何か」と題する対談である。上村は商法学者、原は実務家ということで、斬新な見地から日本の資本主義を見ており、頭のわるい経済学者よりずっと適切な処方箋を考えているといった感じだ。

メルロ=ポンティがマルクス主義について積極的に発言したのは、大戦後の一時期、すなわち対ナチ戦争に勝利してからほぼ五年の間である。この時期は、マルクス主義の権威が非常に高まっていた。フランスにおいては、共産党がレジスタンスの有力な一翼を担ったこともあって、共産党への信頼が他の国より強かった。そういう事情を背景に、フランスの知識人は、マルクス主義に対して一定の態度表明をするのが知識人としての義務だと感じたようだ。メルロ=ポンティは、この時期サルトルと親密な関係にあったので、サルトルと共同戦線をはる形で、マルクス主義を擁護するような活動をした。

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「わしは鳥じゃ(Je suis oiseau, voyez mes ailes. Je suis souris, vivent les rats.)」と題されたこの石版画は、当時の王党派の大物エミール・オリヴィエを風刺した作品。オリヴィエは、二月革命の頃は共和主義者だったが、のちに熱心なナポレオン主義者に転向した。転向後のかれはナポレオンの懐刀になり、普仏戦争に向かって国民をかりたてた。

森鴎外が小文「歴史其儘と歴史離れ」を書いたのは大正三年の暮れの頃のことで、翌年1月1日発行の雑誌「心の花」に掲載された。時期的には「山椒大夫」の執筆直後だったようで、本文のなかで、「山椒大夫」の執筆の経緯や、どういう創作姿勢で臨んだかについて書いている。つまり「山椒大夫」をサンプルにとって、鴎外が自己の創作姿勢について語ったものといえる。

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米誌TIMEがカバー写真に日本の岸田首相を採用し、その政治スタイルを分析しているというので、早速電子版に当たってみた。すると当該のカバー写真に添えて、次のような文章が書かれている。「岸田首相は数十年来の平和主義を捨て、日本を真の軍事大国に変えようとしている」。随分ショッキングな言い方である。まるで岸田首相のもとに、日本が好戦的な軍事国家に変容しているかのような書き方である。

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瀬々敬久の2022年の映画「とんび」は、瀬々にしてはめずらしく、地方の町を舞台にした人情劇である。無法松を思わせるような一徹な男が、妻を失った後、男手一つで息子を育て、その息子との間に強い絆を築き上げるというような内容の作品だ。その子育てに、周囲の様々な人たちが手助けをする。だからその子どもは、父親だけのものではなく、みんなの子なのである。そういった設定は、なかなか現実味を感じさせないので、これは願望を現実に投射したアナクロ映画のようにも映る。鋭い社会批判が持ち味の瀬々にしては、かなりゆるさを感じさせる映画である。

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西園から不忍池を渡った対岸に「アイアイの森」があり、マダガスカルの珍獣フォッサとキツネザルが暮しています。マダガスカルは、アフリカ大陸からかなり離れているので、固有の種が多くいることで有名です。上野動物園にはそのうち、フォッサとキツネザルを見ることができます。

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国際問題に興味を見出したドーミエは、やがて戦争の惨禍に注目するようになる。ヨーロッパ諸国間の戦争が、武器の近代化によって悲惨なものとなったことがその背景にある。近代化によって高性能になった武器は、人間を大量殺害することを可能にした。そうした傾向にドーミエは危機感を覚えたのだと思う。

清子が東京へ出てくるというので、かつて学生時代にロシア語をともに学んだ連中で同窓会をやろうということになり、急遽新宿に集まった。清子及び小生のほか、石、福の両子が加わった。幹事役は石子がつとめた。そういうわけで、石子の指示に従い、昨日(5月9日)午後五時ちょうどに新宿駅の南口改札に赴いた次第。福子がすでに待っていて、挨拶を交わしたあと、ほかの二人の来るのを待ったが、なかなか来ない。清子は迷子になる傾向があるが、石子にはそうした傾向はみられない。そこでおかしいと思って携帯で呼びだしたところ、すでに南口にいるという。どこの南口かと問いただしたところ、われわれがしょっていた柱の影からひょっこり姿を現した。清子も一緒である。

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2019年公開の映画「新聞記者(藤井道人監督)」は、東京新聞の記者望月衣塑子の同名の著作を原案とした作品。望月衣塑子といえば、官房長官時代の菅義偉に食い下がったことで有名になった人だ。その人が、安倍政権時代に起きたさまざまなスキャンダルについて、彼女なりの立場から批判的に描いたというのが、原作の意義だったようである。そういうスキャンダルは、ドキュメンタリー風に描くと迫力が出ると思うのだが、ここではあくまでもフィクションとして語られるので、ドラマとしてはともかく、社会批判としての迫力はほとんど感じさせない。

幸徳秋水は中江兆民の弟子であり、兆民の自由民権を受け継ぐ形でキャリアを開始した。最初の頃は、フランス流の啓蒙思想を主張していたが、次第に社会主義思想を抱くようになり、最後には無政府主義者になった。幸徳秋水が権力ににらまれて殺されたのは、過激な直接行動主義的な無政府主義のためだった。当時の政府権力は、国家の改造を目的とする社会主義よりも、国家そのものの廃絶を目指す無政府主義のほうを脅威と感じたらしい。その幸徳秋水について、加藤周一は主にその社会主義思想について論じている。

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上野動物園には現在、カバが一頭だけいます。メスのカバで名はユイというそうです。元からいたオスのジローのお嫁さんとして上野にやってきたのですが、昨年(2022)ジローが死んでしまったため、いまでは一人ぐらしです。実は子供がいたのですが、残念なことに死んでしまったそうです。

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国内向けに政治風刺を行うことをはばかったドーミエは、風俗版画に力を入れるようになった。「写真術を芸術の高みに引き上げるナダール(Nadar élevant la Photographie à la hauteur de l'Art)」と題するこの石版画はその一枚。当時興隆しつつあった写真術を象徴する人物ナダールをモチーフにしたものだ。ナダールといえば、ボードレールの肖像写真があまりにも有名だが、ドーミエとも親交があった。ドーミエはナダールを商売敵と考えていたようだ。

岸田首相が、先般の尹韓国大統領の訪日をきっかけとしたシャトル外交の一環として韓国を訪れ、日韓首脳会談に臨んだ。これについては、韓国側からは、いわゆる徴用工問題についての韓国側の大幅な譲歩に、日本側が「呼応」することを期待していたらしいのだが、その期待を、岸田首相も無視できないと思ったのであろう、「自分としては心を痛めている」と言った。これに対して尹大統領も、過去の歴史問題については、それが「完全に整理されなければ、未来の協力に向けて一歩も踏み出せないとの認識からは脱却すべきだ」と述べ、歴史問題を棚上げして、日韓関係を改善すべきだという認識を示した。要するに、日韓関係の改善に向けて、双方が呼応しあったわけだ。

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2021年公開の映画「パンケーキを毒見する」(河村光庸)は、前首相菅義偉の政治姿勢をテーマにしたドキュメンタリー作品。菅という人間を、褒めたりけなしたり多面的な視点から描いている。結果伝わってくる印象は、菅という人間が、矮小でありながら強大な権力を握ったことのアンバランスの象徴のようなもの、ということである。菅本人は権力を振り回しているつもりが、かえって権力に振り回されているといった、とんちんかんな人間像が、この映画からは浮かび上がってくるのである。

現成公案の巻の主要テーマは「心身脱落」である。それがいかなるものかについて、次の文章(第七節以下)が簡略に示している。

昨夜(5月6日)、NHKのEテレがポアンカレ予想について特集番組を放送した。このテーマについては、2007年にすでに放送しており、今回はその二番煎じの域を出ていないが、前回よりは、頭の弱い人でもわかりやすく作られていると感じた。やはり頭のよくない小生にも十分わかりやすい内容だったし、また小生なりに色々と考えさせられるところもあった。

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上野動物園のサイは、ヒガシクロサイという種類で、アフリカ出身です。雄雌二頭いるそうですが、この日小生が見たのはオスのマロです。マロはボール遊びが大好きだそうで、時折遊んでいる姿を披露してくれます。小生が訪れた時にも、その様子を披露してくれました。上の写真はその様子をうつしたものです。角先で器用にボールを転がしています。

メルロ=ポンティは、身体と精神とは別のものではなく、人間という全体性の二つの現れであるといい、したがって外面としての身体、内面としての精神という具合に、対立関係において考えるのは間違っている、内面と外面は一致している、と主張する。そうしたメルロ=ポンティにとって、映画は、内面と外面とが一致するという真理を如実に表した芸術ということになる。我々は、映画の中の人物の動作(外面)から、かれの心の状態(内面)を推測するのではなく、つまり間接的な推理をするのではなく、かれの動作のなかに、外面と内面の一致を見るのであり、かれの動作の意味を直接的に認知するのである。

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1850年代の後半には、ルイ・ナポレオンの専制が強化され、フランスの権力を風刺することが困難となった。監獄にぶち込まれる危険が高まったのである。そこでドーミエの風刺精神は海外に向けられた。海外のうちでも当面ドーミエの興味を引いたのは中国だった。中国はアヘン戦争に敗けてから西欧植民地主義の餌食になりつつあったが、それは中国自身が頑迷固陋で進歩とは縁がないからだ、そう考えたドーミエは、中国の野蛮さを風刺の対象としたのであった。

森鴎外の短編小説「高瀬舟」は、「興津弥五右衛門の遺書」に始まる鴎外晩年の一連の歴史小説と「渋江抽斎」以下の史伝三部作に挟まれた時期に書かれたものだ。その意味で過渡的な作品といってよいのだが、他の作品群と比べ、非常にユニークなものである。鴎外は一連の歴史小説において、男の意地やら女の生き方そして人間の尊い愛といったものを描き、史伝三部作においては、徳川時代末期を生きた日本人たちの生き様を微細な視点から描いた。どちらのジャンルの作品においても、人間の個人としての生き方がテーマだった。それに対して「高瀬舟」は、人間の個人としての生き方というより、個人が生きる社会のあり方への批判という面を押し出している。つまりこの小説は、鴎外としてはめずらしく、社会的な視点を強く感じさせるものだ。その社会的な視線は、社会批判となって現れたり、安楽死といった、ある種の社会問題へのこだわりとしてあらわれている。

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上野動物園のキリンは、池之端門のすぐそば、オカピの隣にいます。オカピもキリンの仲間だそうです。もっとも首はキリンにくらべてずっと短いです。キリンの首は2.5メートルにも達するそうです。首が長くなった原因については、色々と説がありますが、決定的なものはないようです。高木の葉を食べるのに有利だとか、メスをめぐる競争に有利だとかありますが、オスだけならともかくメスの首も長いので、眉唾ものです。

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相米慎二の1998年の映画「あ、春」は、父と子の絆とは何かを考えさせる作品。それに1990年代末の金融危機を絡ませている。父と子の絆を結ぶのは普通は血のつながりだが、この映画は、血のつながりばかりが父子の絆ではなく、人間はもっと広い関係性を通じて絆を深めるものだというようなメッセージが伝わってくる作品である。

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フラミンゴは、鮮やかなオレンジ色の長い首と、細くて長い脚が魅力的な水鳥です。アフリカ大陸、アジア大陸、アメリカ大陸の広い範囲にわたって生息しています。数千羽から数万羽の巨大な群れをなして生活しています。そのため集団活動が得意で、息のあったダンスは非常に人気があります。

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1863年から1866年にかけて、クリミア半島を舞台にして、英仏及びオスマントルコの同盟軍とロシアと間で戦争が起こった。世に「クリミア戦争」と呼ばれている。この戦争にドーミエは関心を示し、フランス人の立場から野蛮なロシア人をこき下ろす版画を作った。「北方の熊(L'oues du nord)」と題したこの石版画は、ロシアを罵倒した最たるものである。

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相米慎二の1993年の映画「お引越し」は、思春期前期の少女の悩みを描いた作品。小学校六年生の少女レン子が主人公。両親の仲が悪く、離婚話に発展したあげくに、別居を始めた。レン子は、父親が大好きだ。無論母親も愛している。だから親子三人仲良く暮らしたいと願っている。そこで両親を仲直りさせようとしていろいろ智慧を絞るが、なかなかうまく行かなくて悩む、というような内容だ。

明治時代になって文学の世界にも西洋の影響が及んできたとき、日本人はそれを日本風の独特のやり方で受け入れ、独特の文学を作り上げた。それを一言でいえば自然主義文学の流行である。自然主義文学といっても、ゾラに代表されるような、科学的な方法意識に基づいたものではなかった。科学とは全く縁がなく、ただひたすら作家自身の日常の体験、それもどうでもいいような些事にこだわった小説を書いた。こういう小説は、作家の私生活に題材をとっているということで、私小説と呼ばれた。なぜ明治の日本に私小説の文化が生まれたのか、それには理由があると加藤は言う。日本には、平安時代の女房文学以来の私小説的な伝統があった。その伝統が西洋文学に触れた時、新しい衣装をまとった明治の私小説世界が出来上がったというのである。

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東園からイソップ橋を渡って西園にやってくると、最初に目立つところに見えるのがペンギンたちです。上野動物園には、過去さまざまなペンギンたちがいましたが、今いるのはケープペンギンです。南アフリカのケープ地方に生息しているので、ケープペンギンと呼ばれています。中型のペンギンです。

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ナポレオン三世は1853年にオースマンをセーヌ県知事に任命し、首都の大改造を指示する。オースマンは壮大な計画をたて、パリの大改造を実施する。今日のパリの街の姿は、その結果実現したものである。道路を広げ、大きな広場を作り、整然とした街並みを整備する一方、パリの街区も従来の十二区から二十区へと拡大する。パリ大都市圏の成立である。

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NHKの能楽番組(古典芸能への招待)が、昨年人間国宝に指定された宝生流シテ方大坪喜美雄をフィーチャーして、能「百万」を放映した。この曲は、観阿弥が曲舞を始めて能にとりいれたものとして知られている。それを息子の世阿弥が改作して、今日のような形になった。とはいえ、観阿弥の能の特徴がよく保存されている。現在能の形式をとっていることや、芸尽くしのにぎやかさといった要素が指摘できるのである。そういう点では、わかりやすく、また楽しい曲である。

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恩地日出夫の1991年の映画「四万十川」は、四国の四万十川を舞台にしながら、ある少年の成長を描いた作品、四万十川を舞台にした少年の物語映画としては、東陽一の「絵の中の僕の村」が想起されるが、恩地のこの映画はそれよりも先に作られた。四万十川の美しい自然を背景にして、少年の瑞々しい感性を描いたこの作品は、少年の成長をテーマにした映画の中でも白眉といってよいだろう。

「正法眼蔵」七十五巻本の冒頭を飾るのは「現成公案」である。この七十五巻本は、現行の岩波文庫に採用されているものだ。道元自身の編集意図が働いているといわれているから、道元はこれ(この巻)を、正法眼蔵全体の序文のようなものと位置づけていたと思われる。巻末の奥書には、「天福元年(1233)中秋」に書いたと記されており、その年道元満三十三歳であって、「辯道話」を書いてから二年後のこと、正法眼蔵のなかにおいて最も早く書かれたものでもあるから、冒頭に置かれるにふさわしいといえよう。その内容は、道元が天童の師匠如浄の教えに導かれて、心身脱落したさまを記したものだ。心身脱落はさとりの境地をあらわす言葉だから、道元は自らのさとりを記すことから、正法眼蔵の執筆を始めたわけである。道元は、その二年前に書いた「辯道話」では、みずからのさとり自体については、表立って触れていない。この「現成公案」においてはじめて、それに触れたのである。

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